桜の花びら四〇枚
藤堂のことばかりに気を取られていたせいで、彼とは別の気配がすぐ近くにあることが分かったときには、すでにその藤堂の言った通りの人物───斎藤一が姿を現していた。
「……なあ、はじめくん。戻る気なんだろ、新撰組に」
「……。こんな所で突然何を言い出すのかと思いきや、平助、変な冗談は───」
「じゃあお前はこんな時間に、どこへ外出しようとしてんの?」
言葉を遮るかのように質問をぶつけた藤堂と、押し黙った斎藤は、お互いは真剣で、どこか冷たい視線を送りあっていた。 そんな様子を、心配になりながらも紬は静かに見守る。 しかしどちらとも真剣な表情のまま、腹の探り合いのような沈黙が続く。───かと思いきや、藤堂はふはっと吹き出して笑い始めた。
「ごめんごめん。鎌を掛けるつもりはなかった。……はじめくんが間者なのはなんとなーく気付いてたから」
彼の言葉に、斎藤一ではなく、紬が驚いた。 そんな素振りは見ていない……否、藤堂や伊東のことばかりに気を取られていた彼女は、自然と斎藤を観察対象として除外していたのだ。 しかし、藤堂は見抜いていた。
「……いつからだ?」
「うーん最近?いや最初からか?あんなに近藤さんたちのこと慕ってたのに伊東さんについてきたのが不思議だなってずっと引っかかってたから。まさかな〜とは思ってた……でも、今お前がここに来て確信した。」
「…………報告するのか」
「言ってほしいの?」
首を傾げた藤堂は、未だに警戒を緩めずにいる斎藤に「言わねぇよ別に」と眉を垂らしながら笑った。藤堂がこの目できちんと確かめると言っていたのはこのことだったのだろう。紬がそれを理解するのに時間はかからなかった。 しかし、斎藤はその返答では納得いかなかったようだ。 確かにそうだ。斎藤は伊東の計画を新撰組にバラそうとしているのだ。止めなければ伊東の作戦は失敗に終わるし、それだけならまだしも新撰組を裏切ったことは斎藤の報告によって明白になるわけだ。そうなってしまったら、この先の未来がどうなるかなんて、想像がつかないわけではない。
「だからって別に伊東さんを見捨てるわけじゃねえから。俺だって戦う覚悟は出来てる。……でも俺、近藤さんも好きだし。はじめくんのことだって、今まで一緒にやってきた仲間だし」
「……。」
「つーかお前いないこと度々あったし、どうせ近藤さんや土方さんに既にちょいちょい報告してんだろ?だから俺が今はじめくんをとっ捕まえたとしても、事がバレんのは時間の問題かなって」
それに今までの手を考えたら山崎くんだってどっかに潜んで見張ってそうだしな、と続ける藤堂。きっと彼 だってたくさん悩んだはずだ。自分の選択でこの先の未来が大きく変わると知っているから苦渋の決断だったに決まっている。
「だから、このことは全部なかったことにしてやんよ」
「平助……」
「その代わり、みんな元気かって、俺は元気でやってるぞ、って……。たぶん場違いなのは分かってるけど、ちゃんと伝えてくれよ」
「……肝に銘じておこう」
「おう。」
斎藤一はそれだけ言うと、暗い道を走り出した。 その背中を見送りながら「またな」と小さく呟いた藤堂は、どこか寂しげな表情で。 大丈夫?だとか、ちゃんと伝わるといいね、とか。いろいろ言いたい言葉はあったが、そんな彼になんて声をかけるのが一番良かったのか、紬には分からなかった。 それから。次の日の朝には斎藤の姿が見えないと小さな騒ぎになったが、藤堂は見ていないし度々いなくなるのはいつものことだろと茶化しながらその場をやり過ごした。誰も彼が夜に斎藤と会っていたことを知らないため、疑われることなどありはしなかった。 そして近藤勇を暗殺する話は夢だったのかと思うほどその話題は一切ありもせず、伊東は藤堂の前に顔を見せた。向かいたいところがあるからついてきてほしいと言った伊東が藤堂を連れて向かった先。 ───近江屋。
「お久しぶりです、坂本さん」
そこは、坂本龍馬や中岡慎太郎が潜伏していた場所だった。 どうやら坂本と伊藤は知り合いだったらしく、会話を繰り広げ始める。連れてこられた藤堂は会話に入ることなく、その光景をただ黙って見つめているだけだ。それと同じように紬も藤堂の隣に静かに立つ。 すると、床の間にある小さな影が小さく動いた。その方に目をやれば、それもこちらを見ていたようで偶然にも目が合う。 今まで見てきた中にはいなかった、黄昏のような瞳。 お互いその存在に特に驚くこともなく、会話もすることもなく、ただ今の状況を受け入れる。 思えば、自分もかつてはああ言うふうに刀の側で静かに彼を見守っていたと、ぽつりと思い浮かべた。加州清光が声をかけてくれなければ、新撰組の刀剣たちと話をすることはあまりなかったかもしれない。和音が紬の存在に気が付かなければ、藤堂とも会話することはなかっただろう。
『(……清光、ちゃんと直してもらえたかな、)』
試衛館での出来事、浪士組や新撰組としての活動は、確実に思い出として彼女の中に残っていた。
「新撰組や見廻組があなたの命を狙っています」
「……生死は天命にある。そんだけのことぜよ」
それから伊東は新撰組の動きを、坂本に伝えた。 1867年───慶応3年10月14日。徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜が、幕府が持っていた政権を朝廷に返還するという『大政奉還』を草案した坂本龍馬は、変わらず幕府転覆を企てる最重要な危険分子として色々な人間から狙われていた。 そこから身を隠すように、宿舎としていた寺田屋から近江屋に拠点を移していたのだった。 その情報をどこから仕入れたのやら坂本龍馬の元へ訪れた伊東甲子太郎は、国事を2時間ほど語ると、命が狙われていると静かに告げた。 しかし坂本は何を思ってか、動き出そうとする素振りを全く見せることはなかった。なす術なく、伊東と付き添いの藤堂は軽い挨拶を挟んで近江屋を後にしたが。───その数日後に坂本龍馬が暗殺されるなんて夢には思っていなかっただろう。 ───そして“歴史”は『近江屋事件』を終え、『油小路事件』へと差し掛かる。
「…………もっと俺がしっかり把握してれば、」
きっとこんなことにはならなかっただろう。と出かけた言葉を飲み込む。 慶応3年11月18日。この日は暗殺された坂本龍馬と中岡慎太郎の葬式が行われていた日だったらしい。 伊東甲子太郎が近藤勇の妾宅に招待されて向かったと聞いたのは、藤堂が出先から帰ってきてだいぶ経った後だった。 それの意味する結末がただの杞憂であったならいいと願いつつも、何となく嫌な予感がしていたのは全てを知っている藤堂だけ。
「(俺の考えが甘いばっかりに……)」
自分の至らなさを痛感して、気がつけば拳を強く握りしめていた。 新撰組ではなく御陵衛士として伊東についていくことを選んだくせに、結局また悩んで、揺らいだ。どちらか一つを選ぶことが出来ずに両方大切だと思っている自分があまりにも幼稚で、未熟で、不甲斐ないと。その結果、自身の行動を許してしまったせいでどちらも危険に晒しているのだから、まるで救いようがない。 そしてこんな嫌な予感ほど、当たってしまうのが現実だ。 ───藤堂平助の慕っていた伊東甲子太郎は、呆気なくこの世を去った。 その訃報が届いたのは午前0時頃だった。 更には、その伊東の死体が野晒しにされていると。 まるで見せしめじゃないか、と怒りをあらわにする者は多かった。
「(馬鹿だなぁ俺……)」
自室に戻り、だらんと壁にもたれかかりながらその場へ座り込む。 斎藤一には、戦う覚悟は出来てると告げた。それなのに、その覚悟を見せる間もなく終わってしまうのだろうか。 どうすれば良かったのだろう。潔くどちらか───新撰組を見捨てるべきだったのだろうか。 藤堂にとって、伊東は尊敬していた師だ。そんな人が亡くなったのだ。自分の勝手な行いのせいで。
『……平助くん、』
「……ん?」
小さく、藤堂の名を呼ぶ声がする。 視線を落とせば、不安そうな表情で藤堂を見つめる付喪神と目が合った。 自分が考えていることを見抜いているような、そんな澄んだ瞳。思わず桜を連想させる、今にも散って消えてしまいそうなほど儚くて、藤堂だけにしか視えない小さな神様がすぐ傍にいた。
『平助くんの、せいじゃない』
「……。……ふっ、優しいな〜お前は」
それでいて、誰に似たのかものすごく聡い。 きっと彼女は、全部を理解したうえで声をかけている。
「(思えば、ずっと支えられてたな……)」
大切にしていた愛刀、上総介兼重に宿った小さな神様。藤堂にだけしか視えない、感情を持った刀の存在。 その存在を知ってから、何をするにも一緒に行動するようになっていた。 藤堂の声を全て拾って、考えて、丁寧に返してくれるから、気が付けば他の誰よりも彼女と会話をしていた。真剣な話も他愛のない話も、気が付けば全部口に出して共有して。今では彼女が傍にいなければ、つい探してしまうことだってある。 いつの間にか、それが当たり前になっていた。 そして、それが甘えに繋がっていたのも事実だ。 紬の頭をひと撫でし、よし、と呟いてその場から立ち上がる。
「ずっとこうしてるわけにもいかねーからな」
やり直すことは出来ないのだ。伊東甲子太郎が戻ってくることはない。嘆いてばかりはいられない。 だから、今の自分にできることをしなければ。 小さな神様が見守っていてくれているのだから、後悔のない、胸を張れる生き方をしようじゃないか。
───例え、その先が暗闇だったとしても。現在一番大切な相棒のために。
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