桜の花びら四一枚
「伊東先生の遺体を引き取りに行こう」
「しかしわざわざそんな知らせを届けてくるということは、どうせ新撰組の罠に決まっている!藤堂、違うか?」
「……確かに、新撰組の戦術を考えるなら待ち伏せしてる可能性は高いだろうな」
「だとしても、伊東先生をそのまま野晒しにするわけにはいかないだろう!」
「では武装していこう。待ち伏せだと分かっているのなら話は早い」
「いや、防具を付けた上で討死したのでは後世の笑いものになる」
「だな。そのままの格好で行こう」
そう話がまとまり、何人かで伊東甲子太郎の死体を引き取りに行くことが決まったのは割とすぐだった。 伊東の遺体を回収するための駕籠を用意し、急ぎ油小路へ向かう準備を整える。藤堂平助もその一人だった。
『……。』
「なに不服そうな顔してんだ〜?」
それに対して不満に思っていた紬の表情を読み取った藤堂は、彼女の顔を覗き込む。
『……新撰組が狙っているって分かってて、どうして、』
「防具をつけてかないのかって?」
藤堂のその問いに、紬が小さく頷いた。
『……気持ちは分かる。私だって平助くんの刀としてずっと傍にいたから、武士の在り方がどんなものかも知ってる。けどそんなの、好きに言わせておけばいいんだよ。いや、そもそも討たれてしまうこと前提で物事を決めないでほしかった』
笑われてもいいから、防具をつけてほしかった。自分のことを考えた選択をしてほしかった。それで少しでも生き延びることができるのなら、これ以上ありがたいことはないのだ。 何の策もないのに、武士として恥じたくないと言うたったそれだけの理由で無防備のまま向かうのは、ただ死に急いでいるだけではないか。
「……。心配させて悪いな、紬」
藤堂は謝ると、紬の頭をそっと撫で、それ以上は何も言うことはなかった。 今まで彼のそばにいたのだ。藤堂がどう言う人間かは紬が一番分かっていた。それでも素直に納得できないのは、意思疎通ができるようになって、自身の意見が簡単に言えてしまうようになったからだ。 刀を手に取り佩刀する藤堂を背を見つめながら、紬は知らぬうちに拳を強く握りしめる。
『(……ボロボロなのは、私だけでいいのに)』
けれど紬の願いは、藤堂に届かなかった。
「なあ、紬」
月真院を出て、暗い夜道をしばらく歩いた頃。 最後尾を歩いていた藤堂が、更にその後を追うようにして静かに歩いていた紬にふと声をかけた。
「新撰組のこと、怒ってないか?」
その問いに、即答など出来なかった。 隊にいた頃を思い出して、複雑な気分になる。 どうしてこうなってしまったのか。もっと他にいい方法はなかったのだろうか。 新撰組のやり方は重々承知している。伊東が先に仕掛けようとしていたから返り討ちにあったのも頭では理解している。 けれど好きだったからこそ、がっかりもした。否、御陵衛士の───藤堂の判断が間違っていると思いたくなかったから、彼の選択を否定などしたくなかったから、矛先を新撰組に向けてそう思うしか出来なかった。 どう足掻いても覆せない現実に、二度とあの頃のようには戻れはしないだろうと漠然と理解して虚しさを覚える。 ───そうだ。だって私は御陵衛士である藤堂平助の刀なのだから。主以外は枷になると手放したはずだ。 そこに至れば、考えは早い。
『……。……怒ってない、とは言い難い』
御陵衛士を待ち伏せてまで討とうとしている新撰組は敵であり、悪なのだ。藤堂の命を脅かす者は、例えかつての仲間であろうと許してはならない。許せるはずがない。
「紬、アイツらは何も悪くねえんだ。だから怒らないでやってくれ」
しかし紬の考えを見抜いていたのか、藤堂はすっぱりと彼女の考えを否定するような言葉を口にした。 嫌いにならないでやってほしい、そう続けた彼に、紬は頷くことは出来なかった。
「伊東先生……!」
そんな中、先方から声が届いた。 それに反応して走れば、視線の先には人が横たわっている。見間違えるはずがない。それはどう見ても、伊東甲子太郎の無惨な姿だった。 急いで駕籠を横につけ、御陵衛士は伊東をそれに乗せるべく両手両足を掴む。 ───刹那、視界に浅葱色が見えた。
「おのれ新撰組ぃ!!」
浅葱の羽織を着たその集団は御陵衛士を囲むように立ち、剣を向けて走ってくる。御陵衛士も分かっていたと言わんばかりに急ぎ剣を抜き一撃を受け止めた。 最後尾を歩いていた藤堂もまた、刀を抜きながら後ろを振り返った。───しかしその姿を見た紬は、予想もしていなかった彼の行動に目を疑わずにはいられなかった。
『!っ何やってるの平助くん!どうして“もうひとつの刀”を抜かないの……!?』
「んなの、俺の愛刀だからに決まってんだろ!」
近藤や土方、沖田たちと同じように、藤堂は二振りの刀を帯刀していた。江戸時代の武士は打刀と脇差の二振りを差料として帯刀することを定められ、それを武士の証としていたからだ。 しかし池田屋事件で修復不可能なほどの刃こぼれをしてから、扱い続けるにはかなり無理がある上総介兼重を、いざという時はもう一振りを使うからいいのだと藤堂は破棄するどころかそのまま帯刀し続けていた。 だから戦場で使うということは、死に急いでいると言うようなものだった。 どさり、と近くから音が聞こえる。反射的にそちらを見れば、仲間が地に伏していた。そのまま動かなくなるその姿に、考えたくもない自分の主の結末を想像して血の気が引く。
『だからって、刃こぼれして使えないの分かってるでしょ……!私なんか使ったら勝てるものも勝てない!ただでさえ防具もない状況で間違ってる……っ!お願いだから今だけは使わないで……!!』
「いいや違わねえ!今だからこそ、だろ!俺にとっちゃこれより手に馴染む刀なんてねえんだよ」
狡い人だ。紬の必死の頼みをひと蹴りし、きっぱりと言い切った彼に誰が反論できようか。しっかりと刀を握りしめた藤堂は、刃を振り下ろしてきた新撰組隊士をするりと交わして刀を振るう。
「───平助!」
『!』
「!新ぱっちゃん……」
だが、ふいに彼の名前が呼ばれた。それは聞き覚えのある声で、新撰組にいた頃に一番仲の良かった男、永倉新八のものだった。 彼らは互いが刀を構え視線を交えるだけで、それ以上の言葉は交わそうとしない。 永倉は新撰組二番隊の隊長。腕の立つ隊士であるのは周知の事実である。そんな幹部程の実力を持つ男が、敵として藤堂の目の前にいる。
『(私がもっと、役に立てたら……)』
出来るなら仲の良かった彼らとの戦いは見たくないと思っていた。祈るような気持ちで藤堂の行く末を見守ることしか出来ない紬は、悔しそうに手を握りしめる。 ───しかし。なんと永倉は構えを緩めると、僅かだがスッと横へ移動した。道を開け、まるでここを通れとでも言うように。 一瞬目を見開いた藤堂は、永倉の真意を読み取ったのか、口角を小さくあげ瞬時に走り出す。
「……わりぃ!」
藤堂はそれだけ言うと、永倉の横を通り抜けた。 きっと、彼らにしか分からない何かがあったのだろう。それは紬にさえも知り得ないことだったが、結果的に見逃してくれるのなら有難いことはないと藤堂の後を追いかけた。 否、追いかけようとした。
『っ平助くん後ろ!!』
「!っ───!」
浅葱色が、突然紬の目の前に映り込んだ。 そして次の瞬間、飛び散る赤。それはまるでスローモーションのように見えた。地面に片手をつく藤堂の背中から広がっていくそれを見て、頭の中でけたたましいくらいに警告音が鳴る。何が起きたのか理解し、どうしたらいいのかを導き出すよりも先に藤堂の元へ走り出していた。
『平助くん……!』
彼は膝をついたまま、握りしめた上総介兼重を自分の背後へ振るう。するとトドメを刺すべく後ろから迫ってきていた隊士が一度怯み、間合いを取った。それを確認しながら、構えだけは崩さないように立ち上がる。
「……アイツらは悪くない。だから絶対、復讐なんて考えんな」
『っそんなこと!今どうだっていい!早く逃げなきゃ───』
「───相棒」
紬の言葉を遮った藤堂平助の視線はこちらを向いていた。 彼は、物悲しげに唇を綻ばせていた。それはまるで慈愛に満ちた表情で、しかしどこか歪んでいて。 今までずっと傍で見てきたあの誇らしげな姿勢など、どこにもありはしなかった。
「ごめん」
───直後、視界に銀色の何かが過り、何かが割れるような鈍い音が響いた。 たった三文字。彼のその言葉を理解した頃には、藤堂は目の前に倒れていて。額から大量の何かが頬を伝ってどくどくと流れては地面に染みを作っていた。
『……へい、す……け、くん……?』
今、何が起きたのか。なぜ彼は目を閉じているのか。この赤は何だ。誰のものなのか。なぜ、こんなことに……なぜ。なぜ。なぜ。 咄嗟に振り返れば、浅葱色の羽織を着た見たことのない男が立ち、きらりと光った刃に鮮やかな赤を滴らせていた。その者は赤いそれを付けたまま身を翻し、その先にいる永倉や原田の方へと走り去っていく。
『ごめんって、なに……?いみがわからない……ほら、はやくにげ、ないと……っ、ねえ、平助、くん……』
振るえた声で彼の名前を何度も呼び、ゆさゆさと体を揺する。 つい先程まで名前を呼びあって、会話をして、笑っていたはずだったのに。 彼の頭部から鼻先にかけて、見たこともないような大きな線が作られている。これが何を意味するのかは、刀であり目の前でいくつもの命が絶たれる姿を見てきた彼女に分からないはずがなかった。 声をかけても微動だにせず、ただ上総介兼重をきつく握りしめたままの藤堂を見て、理解したくもない状況をやっと脳が理解した時、喉がひゅっと鳴った。じわりと視界が滲む。
『う、ぁ……っうう、』
嘘であってほしかった。夢であってほしかった。 嫌な予感も、何もかもただの杞憂であってほしかった。 藤堂さえいれば何でも良かった。なにもいらなかった。 この世で誰よりも、何よりもかけがえのない大切な存在だったのに。 それなのに。それなのにそれなのに。
『っあああああああああ!!!』
どうして、大切なひとばかり奪われてしまうのだろう。 藤堂の服を握りしめたまま突っ伏する紬の目から大粒の涙が溢れ出し、彼の服を滲ませる。 それからあの永倉の行動が藤堂を殺すための罠だったのだと、紬が新撰組に憎しみを抱くまでにそう時間はかからなかった。 ───慶応3年、11月18日。綺麗な三日月が覗く深夜。その日、藤堂平助はこの世を去った。
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