桜の花びら二〇枚


玄関を出れば既に、表門のすぐ横の塀に背を預けて立っている加州の姿があった。爪をいじっていたのか下を向いていた彼は、玄関を開けた音に反応しパッとこちらを見る。
おまたせ、と紬がそちらに寄れば「あー、うん」と目を逸らしながら曖昧な返事を返した。


「……いつもの防具は身につけてこなかったんだ」

「うん。主サマと行くならつけてたけど、ただ買い物に出るだけだし、特に無くても問題ないから」


普段出陣など外に出かける際に必ず着けている手袋や膝当てを、紬は今日は着けていなかった。だがそれは加州も一緒で、お互い自身である刀だけを携えている。「でもアンタも一緒でしょ」「まーね」「そろそろ行く?」「ん、」といくつか会話を挟んだところで本来の目的である買い物をするべく、表門をくぐり、正門まで歩いていく。


「紬どっか行きたい所ある?」

「ううん、特に。最後に万屋寄ってくれれば充分だから、後は全部任せる」

「分かった。じゃあ……まずは、どっかでお茶しない?甘い物食べたい気分なんだよね〜」


いつもよりほんの少しテンションが高い加州の隣を歩きながら「いいよ」と答えれば、彼はほんの少し顔を綻ばせた。
彼の案内で向かった場所は、そう遠くはない───色々な種類の上生菓子が置いてあるという彼のオススメの茶屋。中へ入るとレジのすぐ側の長いショーケースに、練切りや羊羹、求肥などの上生菓子が冷やされている。加州の説明通り、沢山の種類のお茶請けの和菓子がありすぎて何にするか迷っていた紬だったが、結局桜と鶯の形の練切りに落ち着いた。


「桜と鶯って……紬らしいと言うか、何と言うかって感じだよねー」

「いいじゃん。平助くんが好きだったものは私も好きなの」


椅子に腰掛け、お茶を啜る前にお菓子を頂く。


「ん〜〜」

「美味しい?」


ぱくりと1口食べた彼女にそう聞けば、こくこくと何度も首を縦に振る。だよねー、俺もここ好き、と返しながら加州も自分の頼んだお菓子をぱくりと食べた。


「……それなに?」

「白ウサギの方が求肥ぎゅうひで、こっちの紫陽花が羊羹」


菓子切りを使ってウサギの生菓子を切っている加州を、ふーん……と曖昧な返事を返しながら見ていた紬は、突然スキありと呟くとそれを口に運ぼうとする彼の手を掴み、自分の方に引き寄せてぱくりと食べた。


「!?な……っ」

「うん、確かにこれも美味しい」

「な、なんで人のを勝手にさぁ……!」

「ごめんって。そんな怒ること?」

「え、あっ、いや……っ、別に怒ってはない、けど……」


かあ、と顔を赤くする加州を見て、紬は首を傾げて彼を見つめていた。
言わずもがな、彼が顔を赤くしている理由は関節キスのことである。不意打ちで、頭が回らず焦っているのだ。しかしそれを勝手に食べて怒っていると勘違いしたのか、紬は「分かったよ私のも一口あげればいいんでしょ」と桜の形の練切りを切って加州の口元へ持っていく。はい、と突き出したそれを見ながら加州はぐぬぬと唸った。しかもこれ、俗に言う『あーん』と言うやつでは、なんて頭の隅で考えながら。


「あ、食べかけだから嫌だったってこと?いやでもそんなの今更すぎるか……まぁいらないならいいけど」

「いっいる!食べる!」


彼女の言葉に食い気味に答えた加州は彼女が口元に持ってきていたお菓子をぱくりと食べた。美味しいでしょ、と小さく笑う紬に対し、もぐもぐと口を動かしながら無言で頷く加州。正直、それどころじゃなかった。けど、これだけは分かる。とてもとても甘かった。餡だから当たり前なのだけれど。


「清、紫陽花の方もちょっと食べてみたい」

「……ふっ、ははっ、食い意地張ってるなー」

「張ってない。なんなら私のアンタに分けてあげるから」

「いいよ、じゃー紬のとちょっと交換ねー」


加州は兎の和菓子を食べながら、既に桜の練切りを完食した彼女と会話を進めていく。先程と同じように紫陽花と鶯をちょっとずつ交換すれば、紫陽花の羊羹を口にした紬は再び美味しいと声を上げた。それにつられて、彼の顔も綻ぶ。お抹茶も丁度いい苦味と温かさで、思わずホッと一息ついてしまうくらいには美味しかった。
お菓子とお茶を堪能し十分すぎるほど茶屋を満喫したふたりは、そろそろ違うところへ行こうかと立ち上がりその場を後にする。次に向かったところは、爪紅や簪や櫛、化粧道具やアクセサリーなど───昔から今の時代にかけてのオシャレアイテムがずらりと置かれている女性向けのお店だった。つまり、女性の審神者向け、ということだ。


「(え。こいつこういうのに興味があるってこと?)」

「紬いま絶対失礼な事考えてた。たまに爪紅は見るけど別にそういうのじゃないし。お洒落っ気のないお前に少しは興味持ってもらおうと思ったの!予想通り全く興味なさそうだな!」

「戦うだけの刀がお洒落する必要あるとは思えないけど。お洒落して何か得があるの?特にないでしょ。……それに平助くんは何もしてなくても可愛いって言ってくれたもーん」

「くっそこれだから元の素材がいい奴は腹立つー……!こっちがどれだけ頑張ってんのかも知らないくせに……。可愛くなって得がないわけないじゃん。可愛いやつは可愛いだけでみんなから愛されんの。捨てられることもないの」

「ふーん。……じゃあ、やっぱり私には必要ないね。もう愛なんていらないから」


自分を、刀を愛してもらえないのはそこそこ辛いけれど、愛されることもなかなか辛い。その愛がなくなってしまった時、そう考えれば考えるほど恐ろしくなる。既に経験して学んだ結果から、彼女は愛を欲しがろうとは思わなかった。目の前にいる加州清光とは正反対な考えを彼女は持っていたのだ。
だが「あああうるさい」と彼女の言葉を一蹴りした加州は彼女の腕を掴んで引っ張り、ずんずんと店の中へ入っていった。


「結局、紬は逃げてるんだよ。愛したかった奴が自分の前から消えたから」

「……アンタにだけは、1番言われたく、ない」


人の気も知らないで、なんて紬の口から出る前に加州は言葉を遮った。手を掴んだまま振り返って彼の、柘榴のような赤い瞳が彼女を捕らえる。


「愛そうと思った奴をまた失うのが怖いって言うのは分かる。俺だって経験したし。けどもう逃げるのやめたら?アンタは十分あの本丸のみんなから愛されてると思うよ。それを返す勇気がないから愛されたくないって言ってるだけでしょ。」

「……。」

「……大丈夫だって。ウチの主は賢いし、仲間だって何十年と戦いを積んできた。みんな強いんだよ。そう簡単には折れない。……それにアンタだって大切な人を失わないように守るって決めてんでしょ?俺もそれ一緒に守ってあげるからさ」


ね?と首を傾げた彼の言葉を聞いて、胸の辺りがじわりと熱くなった気がした。こいつってこんな奴だったっけ、なんてほんの少しだけ戸惑いながら、それを隠すように彼女は赤の瞳から視線を外す。


「て言うかもうこの際誰かに愛される愛されないなんて話どうでもいーよ。俺がアンタに可愛くなってほしいって思ったの。俺のために、可愛くなってよ」

「…………。……清、何か変なものでも拾って食べた?」

「〜〜〜っ!最後までクソ腹立つ……!ブスの悪足掻きに俺が協力してやるって言ってんの!気付けよ鈍感怪力ゴリラ!」


あ゙?とそれはそれは低い声を発して加州を睨み始めた紬に、びくりと肩を揺らす。折角のデートなのについカッとなって言ってしまったと、相変わらずの自分の口の悪さに自己嫌悪した。お互い素直になれない性格ゆえに、照れ隠しの言葉がいつもの喧嘩のような言い合いに発展することも少なくない。今回もその一例であり、喧嘩に発展するのかと思いきや。
はぁ、と深く溜息をついた彼女は、清光の横を通り抜けて品物を見始めた。すれ違いざまに「それなら私以外と出掛ければよかったのに」なんて言葉を残して。


「(やってしまった……)」


完全にキレている。やばい。どうしよう。何やってんの俺の馬鹿。加州の頭の中でそんな言葉が交差する。ちらりと彼女を見てみれば今の僅かな間で既にこの場から結構離れた場所まで移動しており、完全にこちらに背を向けていた。話しかけるなオーラを纏っていてどうすることも出来ない。
そのまましばらくちらちらと様子を伺っていれば、先ほどの怒りの感情よりも興味を惹かれるものがあったのか、既に怒りは(一時的なものかもしれないが)収まっているように見えた。ピアスやブレスレットなどのアクセサリーが置いてある場所で、それを珍しそうに手に取ったりして見つめている。
時々品物を手に取って頬を緩める紬を見つめながら彼は後でちゃんと謝ろうと心に決め、自分も気になる品物を見始めたのだった。
───どのくらい経ったのか、一通りざっと見回って最終的に爪紅を見ていた加州はふと横から気配を感じた。刺さるような視線と殺気で誰が立っているのか一瞬で理解した瞬間、トーンの低い声で「おい加州清光」と呼ばれ、恐る恐ると振り向く。


「外で待ってる。」

「……ぁ、ぅ、うん……」


案の定、怒りが収まってなかった紬に小さく返事を返せば、彼女はさっと身を翻し店を出ていった。手に何も持っていなかったと言うことは、結局何も購入しなかったようだ。
加州が謝る間もなく出ていった紬。先に帰るとか言われたらどうしようかと思ったけれど、どうやら待ってはくれるらしい。根は優しいんだよな……と考えながら、彼女がずっと立って見ていた場所まで歩いていけば、ある商品が目に止まった。最初の方にも見ていた、アクセサリー。


「ふはっ、やっぱアイツも女の子だもんなー。可愛いとこあんじゃん」


つい、笑みが零れた。







「なぁ〜お嬢ちゃ〜ん、近侍も連れずに1人でお買い物か〜?」


なぜこうなってしまったのかなんて、自分でも分からない。ただ近くの壁に寄りかかり腕を組んで加州を待っていたら、いつの間にか彼女の周りを数人の男が囲んでいた。


「良かったら俺らと遊ばねぇ?いーところに連れてってあげるよぉ〜?欲しいものはなぁんでも買ってあげるからさ〜」

「あっはっは!そうそう!だから、ねぇ?俺らと楽しいことしない〜?」

「…………。」


昼間から酔っ払いに絡まれるとは。それもこれも全部アイツのせいだ。本当に有り得ない。そう考えながら、紬はそのまま変わらずの体制で一つ溜息を吐いた。


「なあお嬢ちゃん、無視は酷いぜ〜?その羽織、新撰組のファンなのかな?グッズ買ってあげようか?」

「っんーふふ、それにしてもいい体つきしてんなぁ〜〜こんなべっぴんさんと出会えるなんてツイてる〜〜」


折角事を穏便に済ませようと思って聞こえてない振りをしてやったのに、と再び紬は溜息をついた。変な、と言うよりイヤラシイ目で見ながら近付いて伸ばしてきた手を片手で掴み瞬時に捻り上げる。本来曲がっていけない方向へ、少し力を込めてしまうだけで相手は痛い痛いと叫びだした。どうせ怪力ゴリラだ、なんて心の中で悪態をつきながら。
周りを歩く人は何事だという様にちらちらと見てくる。野次馬が増える前に何とかするべきか、と考えた紬は掴んでいる男の後ろへスッと回るとそっと手を離し、膝裏を足でコツンとつついた。男はかくんと地面に膝から崩れ落ちる。
呆気ないというか、無様というか。短刀の方がもっと……ううん、完全に、数百倍も強いんじゃないかと思うくらいには弱かった男を見下ろす。こうなったらとことん腹癒せしてやる。イライラしている私に話しかけたこと後悔しろ、と思いながら残りの数人に視線を移すと、彼女は小さな笑みを浮かべた。


「いいよ。遊んであげても。……私に勝てる自信があるなら」


風に靡いて浅葱の羽織がひらりと舞う。先程まで羽織で隠れていた物が顕になった。


「刀は刀剣男士が持ってりゃ十分だろうが。物騒な小娘だなぁ?」

「ってぇーなおい……。ああ?何でそんな良質そうな刀を扱えそうもない小娘風情が持ってんだぁ……?ただのお飾りって訳じゃねぇだろうなぁ?」

「あは、お目が高いねアンタ。見た目だけじゃなくて切れ味も上質で抜群だけど、どう?小娘に試されてみる?クソガキ共」


薄ら笑いを浮かべていた彼女は、いつの間にか真顔で彼らにクソガキと言い放っていた。紬が帯刀している刀を左手でそっと触れれば、1人の男はぴくりと眉を潜める。流石にこれで身を引かなければ相手は相当アホだ。位は低いがこれでも一応神の類。そんな存在に手を出す身の程知らず。どちらが強いかの予想もできない不埒な輩。……と言っても、残念ながら彼女が刀剣男士と同じ存在だと言うことに気が付いてはいないようだった。言葉の節々から紬を審神者だと思っているのが分かる。
だが所詮相手は女だと舐められる可能性もある。抜刀するまでいかなきゃいいけど……まぁ最悪峰打ちか、と思いながら紬は至って冷静な態度で彼らを見つめていた。


「ハイしゅーりょー」


その突然の声と共に視界が真っ暗になる。目を覆ってきた自分ではない誰か───加州の左手を掴んでそろりと下ろせば、再び紬の視界が開けた。そして声のした右を振り向けばさっきまでこの場にはいなかった加州清光が立っていて、目隠ししていた左手をそのまま彼女の腰へ持っていくとぐいっと自分の方に引き寄せ男達の方を見た。


「ごめんねオニーサンたち、俺の連れが迷惑かけちゃって。でも死にたくないならコイツ怒らせない方がいいよ?この顔で戦闘狂なんだから見た目詐欺だよねーほんと。」

「げ、加州清光かよ……」

「そう、加州清光でーす。ついでに言っとくけどコイツ審神者じゃなくて俺と一緒だから。喧嘩売るとほんとに首飛んじゃうよ。……ね、悪いこと言わないから早く帰った方がいいんじゃない?オニーサン?」


その加州の言葉と綺麗な笑みで、酔っ払った男達は舌打ちしながらフラフラした足取りでその場を去ってゆく。紬は本日何度目かの溜息をついた。


「……清、」

「……お待たせ。ごめん遅くなって」

「別に。1人でも追っ払えた。て言うかいい加減離して」


加州の手を払っていつも通りの距離をとる。先ほどの喧嘩の出来事を思い出した紬は、眉間に皺を寄せながら加州から目を逸らし遠くの空を見た。


「ねぇ、紬……あのさ。……その、さっきは……、?」

「……、は……?」

「紬……?」


加州の言葉が聞こえていないのか何の返事もしない彼女は、目を見開いてある一点をじっと見つめていた。かと思えば徐々に眉を潜め始める。それを見た加州は不思議そうに首を傾げ、どうかしたのかと呟いた。
どうしたも何も、視線を逸らした先に有り得ないものを見てしまったのだ。一瞬見間違えかと思ったけれどそうでもないらしい。……あれ、と呟いてある一点を指さす紬に「なに、どうしたの」と、指と目線の先へと目をやれば彼も一気に眉を潜めた。目線の先は、この場からは少し遠い建物の屋根の上。


「は!?なんで……!?」


一体の時間遡行軍の姿があった。


[ 23/110 ]
目次






×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -