桜の花びら二一枚


あのなりは、敵軍の太刀。遠くからでもしっかりと遡行軍だと判断した彼らは真剣な顔付きで顔を見合わせた。そして小さく頷くと、どちらからともなく、と言うより同時に砂の地面を蹴って遡行軍のいる方向へ走り出す。
幸い街に住む人間はその敵の存在に気付いてはおらず、砂利道を厚底とヒールのブーツで全力疾走する2人を不思議そうに見ていた。気付いてパニックにならなければ、何でもいい。そう考えた彼女が走りながら目標を見ていれば、遡行軍は急に屋根伝いに走り出した。


「!チッ、逃げた……っ!もしかして俺たちに気付いた?」

「さぁね、でも誰かが被害に合う前に追うしかない!……ああもう人が邪魔だ!これじゃあ避けるのに無駄な時間がかかる。清、私たちも屋根から行こう!」

「だろーと思った。あーあ折角の非番が台無しだよホント!」


大っぴらに屋根へと移るのは流石に気が引けたため、家と家の間の細道へ入り屋根へと移動する。先に見える一体の太刀の背を追えば、その街の近くには林が見えた。
一体いるということは、恐らく他にもいるということ。侵入不可能なこの空間にいるということは、恐らく何か目的があるということ。その目的とは、一体何か。暴れてこの街を無茶苦茶にするためか。ここに来る誰か、例えば審神者を狙っているのか。あるいは、誰かの本丸の居場所を突き止めたか。そのどれかではあるだろう。
生憎、防具は着けずに来てしまったが、刀だけはある。敵が何かを仕掛けて取り返しが付かなくなる前に少しだけでも情報を手に入れるべきだ。そしてあわよくば、敵の殲滅。
林の中に入っていく敵を確認し、彼らも跡をつけるべくなるべく音を立てないよう足を進める。どこへ身を隠したのか、もしくは目的地へ着いてしまったのか敵の姿は既に見えなくなっていた。
しばらく周囲に気を貼りながら加州と紬が進んでいればすぐに視界が開けてきた。そしてその先に気配を感じ、二振りは身を低くして低木に隠れながら覗いて見る。
だが、確かにした気配の先には誰も、何の姿もなかった。


「は……?誰もいな───!?っ後ろ!」


───瞬間。後ろからの殺気に慌てて振り返る。
先程追いかけていた太刀が真後ろに立っていて、勢いよく刀を横に振った。既に身を低くしていた二振りは更に屈んで敵の打撃を間一髪で躱すと瞬時に林を抜け、多少は広い砂利道へと出る。そして距離を取れば二振りはすかさず刀を抜いた。
太刀の一振りは側にあった木を切り倒すほどの重みと勢いで、それが倒れると同時に大きな音が鳴る。砂埃が舞う。


「……これはもう、向こうも戦う気満々だな」

「まぁここまで追いかけて来たし、俺たちで殺るしかないでしょ」


刀を構えると、紬はニヤリと笑った。


「随分と楽しませてくれそうじゃん、アンタ」


彼女は地面を蹴り、自分よりも数倍大きい遡行軍の元へ駆け出した。金物が交じる音がする。敵の重い一振りを受けるのはやっとで、鍔迫り合いになってしまえば確実に力で負ける。しばらく一振り一振りを出来るだけ躱しながら相手の隙を伺っていた彼女から笑みは既になくなっていて、眉間に皺を寄せていた。
そしてそれに応戦するかのように加州も切り込んで来て、2対1。状況的にはこちらの方が絶対的に有利なはずのに、何故か歯が立たない。二振りの攻撃を防ぎながら攻撃もする太刀に、舌を打つ。
だがそれが僅かな油断に繋がったのかも知れない。刀での攻撃と共にまさか足まで来るとは思わなかった。刀で攻撃を受け止め弾いたと同時に、お腹に痛みが走る。気が付けば蹴り飛ばされていて、ずさっと地面に体を打ち付け倒れ込んだ。


「紬!?」

「清!余所見するなっ!」


体を起こしながら、名前を呼んできた加州を見てそう叫ぶ。彼女の言葉でハッと振り返れば、ちょうど一撃が向かってきていて「うおっ」と声を漏らしながら咄嗟に避けた。ぴっ、と左頬に一つの細い線が走る。そして彼もまた、敵の蹴りによってふっ飛ばされた。
仰向けに倒れ込む彼を見て、清光!と紬は走り出すが、敵である太刀も余程トドメを刺したいのか全速力で加州の方に向かっていく。くそ、間に合え。そう心の中で叫びながら足を早め、体制が整っていない加州の前にどうにかギリギリ間に合うと咄嗟に刀を構え敵を睨んだ。
遡行軍が太刀を振り上げる。来るなら、来い。


───ザクッ……


「……?」


鈍い音と共に突然動きを止めた遡行軍。その敵の横腹には自分の物ではない刀が突き刺さっていた。何者かが後ろから遡行軍を刺したのだ。助けてくれたのだろうか、その人物に目をやれば、それを見た紬と加州は言葉を失った。薄く赤く光る瞳。黒の装束。───かつて紬を検非違使から助け、鳥羽伏見の戦いで出会った、あの黒い衣装を身に纏った女の形をした遡行軍がそこにいた。
敵の腹に突き刺したそれを引き抜くと、瞬時に回し蹴りを食らわしほんの少し離れた地面へと叩きつける。そしてそのまま地に伏せるそれに近付くと、トドメを刺すことをせず足で小突いたのだ。
───何を、している?目の前の遡行軍が何をしているのか全く状況が理解出来ず、とりあえず持っていた刀を構えるが、黒の遡行軍はそんな彼女達をお構い無しに己の刀についた血を振り払い静かに鞘に収めた。そして、じっとこちらを見つめてくる。
刀を持っていて、それを容易く振えるほどの技術と力があるのに、なぜなのか。この敵は審神者のような位置ではなく、実際に戦うのか……?彼女は眉間に皺を寄せながら、敵の持っている刀を睨むように見つめた。


「…………。」

「……っ、」


あの赤く光る瞳、それは目の錯覚かもしれないが、よく見ると光の反射で濃い桃色のようにも見えた。漆黒の髪に赤い襟巻き、黒のボロボロの羽織が風に靡いて揺れている。
目の前に対象の敵がいるにも関わらず納刀した彼女は、紬や加州と戦う気がないのだろうか。今までと今回のこの行動を考えれば彼女の動きには疑問しか生まれてこなかった。
そのことに気を取られすぎていたのか、突然むくりと起き上がり始めた太刀の遡行軍に驚き再び刀を構え直す。だが起き上がった遡行軍は先程とは全く違い、紬たちに手を出そうとする気が全然見られなかった。かと言って自分を刺した黒の遡行軍を襲おうとする気配もない。意味が分からない。何がどうなっているんだ。考えても答えは出てこないが、この状況、意味を考えられずにはいられなかった。
だがそれも束の間で黒の遡行軍はくるりと彼女達に背を向けた。そして次の瞬間走り出す。紬たちを襲っていた太刀もそれを追いかけるように走って行ってしまい、更に訳が分からなくなる。


「は……?なに、ほんと……どういうこと…?」

「……。……、」


結局何が起きていたのかなんて彼女たちに分かるはずもなく、ただふたりは呆然とその後ろ姿を見つめることしか出来なかった。敵の姿は見えなくなり、気付けばそこまで広くもない荒地───砂利道にぽつんと残されている。
スッキリとしない終わり方に深い溜息を漏らし、紬は刀を鞘に収めて後ろを振り返った。体を起こしてその場に座っていたままの加州に視線を合わせるように、彼女も地面にぺたりと座り込む。


「何が起きたのか全然理解できないんだけど……ほんと何あの黒の遡行軍」

「うん。でも最終的な態度からして、多分あの2人は仲間だ。そして後から来た……あの遡行軍の方がきっと偉い奴なんだと思う。奴らの狙いは、全く分からないけど」


その仮定で行けば、トドメを刺さなかった理由や一緒に逃げていった理由にも頷けるし納得が行く。筋が通っている。


「……。」

「紬?……どうかした?」

「……いや、何でもない。……血、出てる」


地面に置かれていた刀を手に取り座ったまま鞘に収めていた加州は、何か考え込んでいる紬を不思議そうに見ながら呼んだ。だが何でもないと彼の心配に首を振って否定した彼女は、ぱっと羽織の袖を伸ばし血の出ている頬に布を当てる。その羽織……大切なんじゃないの、と加州が困ったように呟いたが手入れしてもらえば綺麗になるから問題ないと一蹴りした。


「ありがと。けど自分優先しなよ。紬も顔汚れてるから」

「んぐ」


蹴り飛ばされた時にどうやら顔に土がついてしまっていたらしい。加州の頬を拭いていれば、彼も自分自身の赤い襟巻きを彼女の顔に押し付けた。
不幸中の幸い、二振りともかすり傷は少なく目立った外傷はつかなかった。強いて言うなら加州の頬の切り傷と、膝当てを付けていないことをすっかり忘れていた紬がいつもの癖で膝をついて擦ってしまったくらいだろう。


「あ〜あ〜、折角のデートが台無しになった……さいあく、」

「その前からお前の一言のせいで台無しになってたけどな」

「う……えっと、そのことなんだけどさ…………ごめん」


眉をピクリと反応させた紬のツッコミにより、ご最もだと小さくなっていた加州は彼女の表情を恐る恐る見ながら謝った。
本当はこんなこと言うつもりじゃなかったんだと弁解する加州をじっと見つめていれば、彼は気まずそうにしながらも自分のポケットに手を突っ込んで小さな小包みを取り出す。何をしているのかと紬が不思議そうに見つめていれば「あげる」と一言だけ呟いて、それを彼女の手へと渡した。
受け取った彼女が小包みを開けてみれば、そこにはピンクゴールドのチェーンのブレスレットが入っていた。手に取ったブレスレットは黄緑とピンクの石を使っていて、まるで桜を連想させているような物だった。そしてこれが、さっきの店で紬が眺めていたものだと気付く。ハッとして加州を見れば「貸して、あと手出して」と彼女が持っていたブレスレットを手に取った。素直に左手を出した紬の腕に、そのブレスレットを当てチェーンを繋ぎ止める。


「さっきの悪口は、全部嘘だから……。俺、アンタのことブスとは思ってないし……まぁ、新撰組は男所帯だったし、平助に似たんだろうね……正直、男前すぎて可愛らしさが全くないのは事実なんだけど……」

「……、そう…」

「ん。だからまぁ、その……うん、ごめんって言うお詫びに。……って、こう言うの嫌いだった?」

「ううん、可愛い。……仕方ないからさっきの悪口は聞かなかったことにしてあげる。私もその前に余計なこと言った自覚はあるし。……ありがとう」


素直に礼を言えば加州は頬を染めながら「どういたしまして」と目を逸らした。折角だから良いタイミングで渡そうと思ってたのに結局ナンパ含めて飛んだ邪魔が入ったからズレちゃったし、ほんとあの空気読めない遡行軍最悪すぎ。とぶつぶつ呟く加州を見て、ふふと笑みがこぼれた。
さて、と立ち上がる紬は、膝やお尻についた砂を払い落とし加州に手を差し出す。


「確かさっきの店の隣に手洗い場があった。ばい菌入る前にそこで洗おう。帰るにしても万屋には寄りたいし……清は折角のデート、続けたいんでしょ」


その言葉に驚いたのか一瞬目を見開いた加州は、こくりと深く頷き紬の手を取った。彼も立ち上がるとパンパンと片手で軽く砂を落とす。そしてそっと紬が手を引くと、彼はそれに応じてそのまま一緒に来た道を戻っていった。
手を取り合ったふたりのそれはどちらから外されることなく、防具も手袋もつけてない互いの手はじんわりと熱を帯びながら、お互い外れてしまわないようにとその手を無意識に握り返していた。
先程の店に着くと、加州をその隣の手洗い場に突っ込んで、彼女は暇つぶしについさっきも見た品物を眺めていた。外で待つと言ったらまたナンパされ兼ねないから中で待っててと彼に注意されてしまったのだ。そんなこんなで同じ店にやってきて、入口付近でただ呆然と品物を眺めていたのだが。やはり本日2回目だからだろうか、最初は全然目がいかなかった物にも目が向いた。気になるものを目にし購入を済ませると、そろそろ頃合いだろうと外に出る。その勘が当たっていたのかこちらに向かおうとしていた加州とばったり出会った。


「お待たせ。何か買ったの?」

「んー、ちょっとね。次は?万屋でいいの?」


紬の反応に首を傾げながらうんと呟いた加州は、ほんの少し先を歩く彼女の後ろを追いかけた。さっきみたいに手を繋げられたら良かったのに、なんて頭の隅で考えながら。空いてしまった右手をきゅっと握り締めた。
行き慣れた万屋に寄って、みんなへのお土産のお菓子を購入する。それとは個別に紬は獅子王へのお土産を用意した。加州も加州で、どうやら堀川へ個別にお土産を用意するとかしないとか。何かのお礼とは言っていたが、深くは聞かなかった。
お互いの買い物を済ませ、そろそろ本丸へ帰ろうかと帰路につく。昼を少し過ぎてから出てきたため、いつの間にか日が傾き始めていた。当たりがオレンジに染まる、まではいかないけれど、時間も時間。黄昏時に向けて少しずつ、少しずつと青い空に橙が溶けていった。


「紬、今日は付き合ってくれてありがと」

「まぁ、思ったよりは楽しめた。練切り美味しかったし」

「ははっ、あん時の紬すごい美味しそうに食べてたもんなー。俺もあそこの和菓子美味しくて大好き。……ね、また一緒に行かない?」

「いいよ。機会があればね」


本丸の門を潜って玄関へ向かいながらそんな話をする。彼は終わってしまったデートに名残惜しさを感じつつも、次もまた機会があれば付き合ってくれると言った期待に、今からでも胸が高鳴っていた。嬉しさを抑えきれず頬が緩んでしまう加州は「じゃあまた誘うから」と言ってにへっと笑う。
玄関に入り靴を脱ぎながらそれに頷いた紬は「さて」と小さく呟くと、気分を害して悪いけど今から主サマの所に行くから今日の遡行軍の報告は任せてほしいと言い放った。その言葉で真剣な表情に戻った加州はじゃあお願いと深く頷いて、それぞれの目的地へ向かうべく別れる。
最初に彼女自身が最後に彼らを見た場所、執務室へ向かえば、仕事が終わっていないのか中からはいつも通りの声がした。失礼しますと襖をずらし顔を覗けば、ケラケラと笑っている和真とぐったりと机に突っ伏している顔色の悪い獅子王がいる。襖を開けた紬に気づいた2人はおかえりと手を上げた。


「え。何で。清光とデートだったんだよね?膝擦りむいてるけどどした?転んだ?」

「事情は後で。その前に、はい獅子王、これお土産。お疲れ様ってことで獅子王にしか買ってないからみんなには秘密ね。あとこれがみんなの分のお菓子」

「うわっマジか!すっげー嬉しい!ああ、紬が天使に見える」

「え、俺は?」

「ないですよ。主サマが容赦ない分、私が労わってあげるんです。……獅子王、悪いけどみんなに配ってきてもらえる?そのまま休憩してきていいから。私が見ておく」

「女神だった……ごめん、お言葉に甘えてそうしてくる……」


ははー、付喪神なんだから女神で当たり前だけどなー、とイタズラっぽく笑う和真に獅子王はうるさいと一蹴りした。そしてその場からすくっと立ち上がり、お菓子の入ったお土産の袋を持って執務室から出て行く獅子王に「ごゆっくり」と手を振る。獅子王がいなくなって和真と紬の2人になれば執務室に一瞬の沈黙が訪れた。だが、そんな沈黙を破ったのは意外にも主である和真。


「そんで?近侍の獅子王を払ってまで言いたいことって何?」


やはり頭の良い彼にはお見通しのようだった。流石と言ったところか、伊達に何年も審神者をしていない。
筆をコト、と置いて真剣な顔で紬を見つめる彼は彼女の言葉を待っていた。


「前に遭遇した正体不明の遡行軍、その正体が分かりました」


帯刀している刀を見つめながら部屋から声が漏れない程度の声量で静かに呟く。淡い茶の鞘を鞘尻の方からゆっくりと手でなぞり、柄までくるとぎゅっとそれを手で握り締めた。そして牡丹色の瞳は自身の刀から自分の主である和真を映し、そっと口を開く。
前々から不思議だった。なぜ戦わずに逃げるのか。仲間を傷付けてまで加州や紬に危害を加えようと思わなかったのか。なぜ検非違使によって折れかけている彼女にトドメを刺さなかったのか。目的が分からない分、不思議でしょうがなかった。
けれど今日。目にしてしまった黒の遡行軍の戦い方、そして持っていた刀。見間違えるわけがない。そう、あれは───。


「───……上総介兼重です」


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