桜の花びら一七枚
「体の方は完全に癒えてるのか?」
かんぱーい!誰からともなく声を上げた乾杯の音頭で、復活して帰って来た紬の快気祝いは始まった。最初の方は彼女の周りには短刀たちが集まってワイワイと話しかけていたが、今ではそれもだいぶ収まりかけていて、紬も自分のペースで楽しみながらお酒を口にしている。 蓬は和真との話を終えるとすぐに帰っていった。どうやら問題は和真の霊力ではなく鍛刀をする刀製造機の方にあるということで新しく取り替えることが決まったようだった。その機械の様子見と取り替える日取りの相談でこの本丸に一緒に来ていたらしい。 各自がそれぞれの楽しみに夢中になっている中で、そう言って彼女に声をかけたのは意外にも山姥切国広で、彼女は驚きつつもその言葉に頷きながら「ばっちり」と微笑んだ。そうか、とだけ答えた彼は、黙って隣へ座ると目の前のテーブルに置いてあった徳利を持ち、彼女へ傾ける。
「え?あぁ、ありがと……」
お酌してもらい、お猪口いっぱいに注がれた日本酒をぐいっと一気に喉へと流し通せば、日本酒独特の辛さが喉を刺激しじわじわと熱くなっていった。
「……すまなかった」
突然のことに、その言葉の示す意味が分かっていない紬は山姥切国広の方を横目でちらりと見た。彼は俯き加減でテーブルに並べられている料理をじっと眺めたまま、黙っている。
「……何のこと?」
「は?いや、俺達の囮にならなかったらアンタはこんなことにはならなかっただろう……?」
「ばっかだねー切国は。遅かれ早かれ手入れが効かないって問題で悩むならあの時ああなっててよかったんだよ。むしろ感謝してる」
「嘘を言うな。それなら軽傷よりましなものはないだろう」
「あーもう、だから君が気負う必要は無いんだってば。あの時の隊長は私だったんだ。……それに、ああなってたから私の尊敬する大切な人とも出会えたのかも知れない。悪いことだけじゃなかった」
だからもうこれでこの話はおしまいってことで、全部お酒と一緒に流して忘れよう!そう言いながら紬は徳利を手に取ると、自分のお猪口と空いていたお猪口にお酒を注ぎ、1つを山姥切に渡した。はい乾杯、と彼が受け取ったそれにコツンと小さく当てると、再びぐいっと喉に流し込む。山姥切国広もそれを真似するかのように、お猪口に口をつけた。
「ん〜〜、でもこうして顕現されてから初めてお酒飲んだときは平助くんはこんなもの飲んでたのか、って驚いたけど……飲み続けてるとなかなか美味しく感じるもんだね。切国、もう一杯ちょうだい」
「……。と言うかアンタさっきから随分と飲んでいるが……それで酔わないのか?」
「全然?あの人はお酒そんなに強くなかったのに何でだろうね……。まだまだいける」
飲み方が上手いからなのか、お酒に強いからなのかは分からないが、彼女はいくら飲んでも全く酔っていなかった。いつもと何の変わりもなく、むしろいつも通りのテンションで飲み進める彼女は、正直次郎太刀や日本号よりも強いかもしれない。 二合瓶なのにもう空になりそうだと思いながら紬の持っているお猪口に酒を注いでいれば、急に違う方向から騒がしい声が聞こえだした。何事だと山姥切が視線を向ければ、そこには新撰組の刀が集まってかっぽーれかっぽーれ!と歌って踊って騒ぎ出した五振りがいる。次郎たちもそれに合わせるかのように合いの手を入れていて……つまり、完全に酔っ払っている新撰組刀中心にどんちゃん騒ぎが開催されていた。 この光景は、何年も一緒にいる山姥切国広からすれば何十回と見てきたはずなのだが、やはり何回見てもあの光景には慣れなかった。でも当然といえば当然かも知れない、もともとそういうことをするような面子に見えないし、何しろその中に自分の兄弟がいることが違和感しか生み出さない。
「……あれね、昔、隊のみんながやってやつなんだ。男所帯だったからさ、止める人があんまりいなくて毎回どんちゃん騒ぎだったの。……でもね切国、堀くんいるのが気になるんだろうけど巻き込まれたくなかったら見ない方がいい」
「紬〜〜っ」
「はぁ……言った側から来やがった……」
溜息をつきながら額に手を当てた紬へ突進してきた大和守がそのまま勢いよく横から彼女へ抱きついたせいで、片手に持っていたお猪口から、せっかく山姥切が注いでくれたお酒が零れてしまった。1度お猪口を置いて、喧しい!と反対の手でチョップを食らわすが、彼は気にせず変わらないテンションで「あはははは!紬〜飲んでる〜〜?」と聞いてくる。
「飲んでたのに今ちょうどアンタがこぼしたんだよ!て言うかどんだけ酔ってんだ……暑苦しいから離れろバカ」
「えー?せっかく元気にらって戻ってきた紬を祝ってるのにぃ〜!そんな隅っこいないれ、こっち来て盛り上がれよぉ!じゃらいと〜首落とすぞぉ!」
「呂律も回ってねーじゃねぇか」
どんな変な飲み方をすればこんなに酔っ払うのか。首に巻き付く腕をパシパシと叩くが彼は全くと言って気にせず、いやむしろぎゅーっと強めてきた。こいつ絞め殺す気かと思いつつ、もはや抵抗をやめされるがままになる紬はふと隣を見る。するとさっきまで紬の隣にいたはずの彼がいなくなっていて───いつの間にか山姥切は自分だけそそくさと逃げていた。隠れセコムが問いただしてきたいつかの布事件のせいでトラウマになっていたのかも知れない。
「おらぁやっさだぁ!」
大和守に気を取られすぎて気付かなかったが、突然のそんな声と共に急に体が軽くなった。大和守を引っぺがした本人は彼を睨むと、急に彼女の後ろにペタリと座り込み、そして今度はその彼───加州清光がガバッと抱きついてきた。
「ふざけんなよおまえ!さっきからベタベタベタベタしやがってさぁ!紬はおれの!おれといっしょにいるの!」
「……は?」
ついさっきまで冷たい態度取ってたやつが急に何を言い出すんだと思いつつも、もはや頭が追いついていない紬は「は?」という顔しか出来なかった。と言うか彼も若干呂律が回ってないし、完全に大和守と同じように酔っているではないか。同じ持ち主だったからなのか、似たもの同士だからなのか、酔っ払い方も似ている。 いつからテメーのものになったんだよ、とツッコミたい気持ちは山々だったが酔っている奴に言っても無駄だと判断した紬はやはりそのままにさせながら先程零れたお酒を側にあった布巾で拭き始めた。だが、後ろから抱きつくのは千歩くらい譲っていいとして、お腹をぎゅーとするのはとてつもなくよろしくないと軽く腕を抓る。汚い話だが、食べたり飲んだりしたものが出そうだ。いたっと後ろから声が漏れてくるが、彼女は無視して、零して空になったお猪口に日本酒を注いだ。
「何だとぉ清光!紬が帰ってきてもぜぇーんっぜん嬉しくなさそぉな態度とってたくせにぃ!お帰りどころか話もせずにそそくさと逃げてった癖にぃ!僕はお前とは違ってその後何度も話したもん!」
「〜〜っ、あああうるさいっ!うるさいうるさい!少なくともお前よりは紬のこと知ってるし仲良しだもん!ばぁか!」
「ああっ?首落とすぞおらぁ!てゆーかお前のほーがよっぽどうるさいからねぇぇ!?」
「アンタら両方うっさいわ!……ねー堀くんちょっと兼定一旦放置してこっち助けてくれないー?」
彼女を挟んで言い合いをしていた加州と大和守の二振りは、痺れを切らした紬の拳骨によって終止符を打った。あーもう、何やってるの2人とも、と言いながら本当に和泉守を一旦置いてやってきてくれた堀川が呆れた顔でふたりを見る。 さきほど堀川も混ざって「かっぽーれ!」と歌って踊っていたのだが、おそらく飲んではいなかったのだろうと、いつも通りの様子を見て理解した。
「ほら2人とも今何時だと思ってるの。周りに迷惑かけるんならそろそろ部屋に戻るよ?」
「やだ」
座り込んで頭を抑えながら唸っている大和守の腕を引っ張って立ち上がらせた堀川は「ほら、清光くんも行くよ」と片手を差し出すが、当の本人は「やだ」と即答した限り堀川と目を合わせようとせず、彼女にくっついたままその場から動こうとしなかった。
「……。あー堀くん、とりあえず安定だけ頼んでいい?ちょっとコイツと話したいことあるからさ」
「?うん、分かった。それじゃあ清光くんの事よろしくね。あ、紬も主役だからって飲みすぎないこと!いい?」
「はいはい、面倒だけどこっちのコアラは自分で何とかするから心配しないで」
堀川は苦笑してお願いねと応えると、大和守に肩を貸しながら広間を出ていった。相変わらず他の場所ではワイワイガヤガヤと賑わっているが、彼女の周りは、さっきまでのうるささは全くなくなり落ち着いた空間へと戻る。 はぁ、と溜息をついて、再びお猪口に口をつけた。徳利の中身はあっという間にもう空だ。おかわりを頼まなければ。そんなことを頭の隅で考えていれば「……話ってなに、」と突然後ろから抱きついたままの加州が小さく呟いた。紬が尻目で彼を見れば、手はしっかり前に回して離そうとしないのに目線はどこか違う方を向いている。紬がここに帰ってきてから今の今まで煮え切らない態度をとっている加州なのに、彼女はそれを全く気にしていないかのような表情で静かに飲んでいた。
「別に話なんて何もないけど」
「え?」
「アンタが何か言いたそうだったから。違うの?」
彼女の言葉に加州は一瞬目を見開いて紬を見たが「……べつに、」と煮え切らない返事をして、また俯いた。ふーん、そう。と、どうでも良さそうに呟いて辺りを見渡す紬は誰かを探しているようだった。そしてその人物を見つけるや否や、光忠、と呼べば彼は「どうしたんだい?」と微笑みながらやってきた。
「光忠おかわり貰っていい?」
「あぁ、ちょうど良かった。今持ってきたところなんだ。ここに置いておくよ。……それにしても、不思議な光景だね?」
「あーーー、まぁ最初の出会い方がアレだったし光忠からしたらこの光景は普通に驚くよね。私も嫌われることしかしてなかったから驚いてるけど」
通りかかった燭台切に声をかければお盆に載せていた二合瓶を2本もテーブルに置いてくれた。 抜刀して刀を使っての喧嘩から始まり、口喧嘩の絶えない毎日が続く光景を見せられていたら、今のこの光景は新撰組の刀以外からすれば相当珍しいのかもしれない。それだけ彼らから見たら、彼女と沖田の刀はいがみ合いや喧嘩ばかりでとてもと言うほど仲が良さそうには見えなかった。……表向きは、であるが。 彼女の返答に苦い笑みを見せた燭台切光忠は「それじゃあ、おかわりするならまた呼んでね。今日の主役は紬ちゃんなんだからやりすぎない程度に楽しんで」と言うと、次郎太刀の方へ残りの徳利を持っていった。 4号ものお酒を1人で飲んでいいのかと思いつつも、空になったお猪口に早速注ぎ口へと運ぶ。さっきよりも冷えていて、熱くなっている喉には丁度いい冷たさだった。
「……ごめん、」
「うん……?」
周りの声に掻き消されそうなほど小さな、ボソリと呟くように彼の口から出た言葉を聞き取り、聞き返す。紬の肩に額を置いて俯いている加州が今どんな顔でその一言を呟いたのか、彼女には分からなかった。
「ほんとは……ずっと心配だった。ずっと待ってた。目覚めなかった時もすっごく不安だった。また居なくなるんじゃないかって思ったら……目の前が真っ暗になった。……言いたいこと、沢山ある」
「……うん、」
「でも、帰ってきてくれてすごい嬉しかったのに、いざ目の前にいたら何も言葉が出なくなった……何も、言えなくなった」
「……いいんじゃない?別に言わなくても」
「え……?」
「アンタの言いたいこと、何となく分かるし」
小さく、震えた声。その加州の言葉に、紬は顔色一つ変えずに呟いた。思ってもみなかった返答に、つい顔を上げて紬を見る。彼女はことん、と静かにお猪口を置いて、天井を仰いだ。
「全部を言葉にしたからって全部の思いが伝わるわけじゃないし。……まぁ、アンタはどうだか知らないけど私にとって1番付き合い長いのは清だったし。……だからアンタの考えてることなんて何となく分かるから、無理に言葉にする必要ないんじゃないの」
天井を仰いでいた牡丹色の澄んだ瞳が、いつの間にか柘榴のような赤を捉えていた。紬がここへ戻ってきて、初めて加州と目が合ったかも知れない。 彼女に言いたいことは沢山ある。けれど、やっぱり伝えたい言葉が出てこなかった。何から話せばいいのかも分からず、頭の中はごちゃごちゃだ。でも言いたいことが分かると彼女が言うなら、本当にそうなのかも知れないという気さえしてくる。それと同時に嬉しさもこみ上げてきた。彼女の言葉の力は、本当に凄い。 照れ隠しと言うのもあり、加州は再び俯き紬の肩に額を乗せた。ぐりぐりと頭を押し付ければ、彼女は重いと言いながら前に回していた加州の手をぺしっと叩く。 嗚呼、ここにいる。本当に紬が、帰ってきた。と加州は熱くなる目頭を堪えながら、今一番彼女に言わなきゃいけなくて、一番簡単で、一番伝えやすい言葉を呟く。
「……お帰り」
加州の呟いた言葉をしっかりと聞きとった彼女はクスりと小さく笑い、肩に乗っている彼の頭をポンポンと優しく叩いた。
「……うん、ただいま」
「おはよー堀くん」
朝起きて、厨に立っている堀川国広に声をかけた紬。おはよう紬、と笑顔で挨拶を返す堀川につられて、彼女も小さく笑う。 再び彼女がいる本丸に戻ったこの場所は、やはりどこか賑やかになっていた。
「ねぇ、ところで清と安定どこ行ったの?朝起きたら部屋から消えてたんだけど。あんなに飲んでたのに今日遠征でも入ってたの?」
「ううん?2人は……そう言えば、何か滝にでも打たれてくるって頭抱えながら走って出てった、けど……」
「……敷地内に滝なんてあったっけ」
「ないことはないよ……山奥まで行けば。……でもまぁその辺ウロウロしてるんじゃない?ていうかあの2人、何かあったの?」
「あーーー……昨日の事じゃない?」
「ああ……昨日のあれかぁ……」
大方、昨日の酔っ払ってたせいで歯止めの聞かなかった自分に対する後悔と羞恥を鎮めるための滝行(頭を冷やしに行ったの)だろうと察した紬であった。
サイト創立の8周年記念企画で、紬さんが政府に預けられてから帰ってくまでの描かれていなかった2週間を書いた『上総介兼重と政府のお話』はこちらから。いろんな刀さにも出したかったの……本編中断してぜひ!!(?)
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