桜の花びら一六枚


紬が政府に手渡されてから、早くも2週間が過ぎようとしていた。
彼女はまだ、帰っては来ない。


「……なんか、あの時と逆になったみたい」


ぽつり、と大和守が呟いた。その言葉に、縁側に腰を下ろしぼうっと中庭を眺めていた加州は、立ったままこちらを見ている彼にゆっくりと視線を移す。何が、と気力なく反応した。


「お前が折れた時は、紬が待ってた。でも今は清光がアイツを待ってる」

「……。」

「でもまぁ、最近ずっと上の空で腑抜けてるお前とは違って、紬はやるべきことをきちんとやってたけどね」


……あっそ、と小さく呟いた加州の言葉を聞いているのか聞いていないのか、大和守は彼の隣に腰を下ろしながら言葉を続けた。


「紬にさ、アイツはすぐに帰ってくるから。帰ってきたら遅いって1発ずつ殴ってやろうって……。今、沖くんを守れるのはアンタしかいないんだからしっかりしろって……そう言われたんだ」

「……紬らしいじゃん」

「うん。昔からアイツ、結構そういうところはきっちりしてるって言うか……しっかりしてたからね」

「そんなの、俺の方がいっぱい……知ってる、し、」

「あ、やいた?」

「別に」


大和守は話を続けた。それに応じて、話を聞いていた加州も段々と受け答えをするようになっていく。いつしか過去の思い出話や世間話、おまけに彼女の悪口まで言うようになっていた。
止まない会話は、時間を忘れさせる。そして彼らの表情も、どことなく楽しそうであった。
彼女がいなくなってからこの約2週間、本丸はどこか静かに感じた。彼女が本丸から姿を消したことで心にぽっかりと大きな穴が出来てしまっているかの様にみんなの士気は下がっていたのだ。特に、彼女のことをよく知っている新撰組の刀がそうである。
たった3ヶ月とちょっとしか過ごしていない、それなのに。それだけ彼女の存在は、この本丸にとってとてつもなく大きなものとなっていたのだ。


「おっ、いたいた!加州に大和守!……そんな所で何やってんだ?今日炊事当番だろ?燭台切がそろそろ昼餉の仕度するから来てくれだってよ」


とんとん、と縁側を歩く音が向こうから聞こえてきたと思えば獅子王の一際明る気な声がそこらに響いた。当然彼の言葉を耳にしていた2人はもうそんな時間かと立ち上がる。
獅子王が言う通り、今日はこの2人がこの本丸の炊事当番だった。因みに厨のオーナーこと燭台切光忠は、炊事の見張り(進んでお手伝い)である。


「あれ?そう言えば獅子王、主と買い出し行ってたんじゃ?」

「帰ってくるの早かったね。主は?」


ふと思い出したように質問を重ねる沖田の刀に、獅子王は少し困った顔を見せた。あー……と、言い出しにくそうに呟いた彼に、二振りは首を傾げ返答が返ってくるのを待つ。


「主は、政府のとこに連れていかれた」

「……何か、あったの……?」

「さぁ……?俺も詳しいことは分からねぇけど、ただ審神者精密検査って言うの?霊力の検査を受けてくれって言われてたぜ」


機密情報があるから刀剣は来るなって言われてさ。だから俺1人で帰ってきたんだ、と彼は買出しに戻るところで政府に出会ったことを大まかに話した。


「審神者精密検査って……適合しなかったら審神者辞めさせられるとか……ないよね?」

「!……っ、紬がいなくなっちゃったのに主までいなくなるなるの……?そんなことなったら、俺……っ」

「ちょ、不吉なこと言うなって大和守!……加州、お前もな。辛いのは分かるけどそう思ってんのはお前だけじゃねぇよ……。兎に角!主は大丈夫だから、昼餉の準備頼むぜ?燭台切が厨で待ってっからさ」


獅子王の言葉に加州と大和守の二振りは気力なく返事をして燭台切が待っている厨の方へ向かって行った。先程の話がまるで意味なんてなかったように再び沈んでしまった彼らを見た獅子王は、眉を垂らして、あの二振りはそろそろ何とかしないとな……なんて考えながら深く大きな溜息をついたのだった。







「ねぇ、主の分はどうしたらいい?」

「ああ、こっちでラップして取っておくよ。悪いけど食卓から持ってきておいてくれるかい?」


結局、昼餉の時間になっても和真は帰ってこなかった。食卓に並べてあった何十人もの食器はもう既に下がっており、居間には誰も手をつけていない昼餉がぽつんと置いてある。
食べた後の食器を流し台に運びながら尋ねた大和守の言葉に対し、食器を洗っていた燭台切光忠は困った顔を見せながら返答した。彼の言葉に頷いた大和守は厨に置いてあったお盆を持って居間に戻ると冷めかけた料理が乗っている皿を手に取る。


「……。……あのさあ清光、ぼーっとしてないで早く終わらせなよそれ。台拭くだけなのにどれだけ時間かける気なの」


和真の分の昼餉をお盆に乗せて厨へ向かうついでに、居間でずっと台拭きを持って座ったまま上の空になっていた加州の背中を軽く蹴った。ったいなぁ……今やってんじゃん、と呟いて手を動かし始めた加州に、痺れを切らした大和守は再び彼の名前を呼ぶ。


「"何湿っぽくなってるのさ、うざいよ"」

「……何か腹立つ。お前に言われると余計に」

「図星だから言い返す言葉が見つからないんでしょ?はは、ざまぁないね」


うっざ!とつい大声で叫んでしまった加州はしてやったりな顔をして笑っている大和守を睨みつけた。持っていた台拭きを投げつけてやろうかと思ったが流石にそれはと考え直す。


「……もしさ、紬も主も……自分の傍に居た筈なのに目の前からいなくなったらって考えるとさ───」

「絶対に堕ちるなよ、清光。」


加州の言葉を遮るように、その声はいつもより低いトーンで加州に言い聞かせるようにはっきりと口にした。大和守の真剣な表情から冗談ではないとすぐに判断し、開いていた口を固く閉じる。
目の前からいなくなったらって考えると───なぜ俺は歴史を守る側にいるんだろう、って考えてしまう時がある。加州のその思いを口にする前に、まるで紡がれる言葉を分かっていたように大和守は遮った。


「(主のおじいさん……前の主の時だってそうだった。何で俺が置いていかれる方なんだ、なんて。あの人の時は最期まで傍にいれた安定のことが羨ましいと散々思ってたのに……って。まぁそれを口に出したら、俺以上にそれを経験してるコイツに何か言われそうだから絶対言わないけど)……はは、大丈夫だってば。何年この本丸で刀剣男士やってると思ってんの。お前よりも長いんだよ?……堕ちるわけないじゃん」


苦笑しながら、彼を見つめ返す。自分で言ったこの言葉は、自分を言い聞かせてるだけの言葉なのかもしれない。堕ちるわけがない、堕ちることなんて出来ない、と心で呟くその言葉は無意識に、まるで呪いのように幾度となく胸の内で繰り返されていた。
ならいいけど、と彼を訝しげに見つめる大和守は深い溜息を吐く。そして、思い出したように「堕ちる堕ちない以前に清光はジメジメうじうじメソメソやめないとね。後早く台拭いて」と再びお盆を持ったまま彼の背を軽く蹴った。


「さっきからお前なぁ……!ほんっといい加減に───」

「こんにちは、」

「!?え、あ、蓬さん……!?」


言い合いを始めそうな加州と大和守を止めるかのように、ある女性が大広間に顔を覗かせた。彼女───蓬は最近1度ここへ紬を引き取りにやって来た政府の人間である。喧嘩はダメですよ、と言いながらニコリと微笑んだ彼女がここにいることに理解が追い付いていない二振りは唖然としながら彼女を見つめた。
気が付けば、外の方が何だか少し騒がしい。そのことと目の前に彼女がいると言うことは、もしかして。と、加州は台拭きをテーブルの上に置いたまま立ち上がると「ねぇ!主は!?」と目の前の彼女に問いかけた。大和守もお盆を置いて彼女を見つめ直す。


「はい、勿論戻ってきていますよ。彼の霊力は何の問題もなかったので一緒にこちらへ来たんです」

「……よかったぁ……」

「ふふ、それとですね、」


こちらへ一緒に来たのは和真さんだけじゃないですよ、と蓬は安堵の溜息を漏らす加州にそっと伝えた。勿論その言葉が聞こえていた大和守も、え?と首を傾げる。そしてその言葉の意味を理解した時、彼らは物凄い速度で居間から廊下へ走ってゆき、声の集まる先へ視線を飛ばした。


「あはは良かった!生きてたんですね!」

「……開口一番にそれ?相変わらずだね鯰尾も」

「ジョークですよジョーク!皆さん心配してましたよ〜っ、おかえりなさい!」

「うん、ただいま」

「お、おかえり、なさい……!うぅ、紬さんっ……!」

「はは、会った途端に泣かれると流石に私も困るよ五虎退。心配してくれてありがとう、ただいま」


良かった……っ、良かったです……!と涙を流す五虎退の頭を撫でながら苦笑する上総介兼重の姿があった。痛々しい傷も見当たらず、この本丸で初めて会った頃の様な綺麗な姿で、彼女は帰ってきていたのだ。


「長らくお待たせしましたね」

「っ、」

「1番心配していた加州さんに、1番最初に伝えなくてはと思いまして。……もう大丈夫ですよ。手入れで治るようにもなりました、彼女も皆さんと全く同じ刀剣です」


彼女の説明を聞いていた加州の目にはいつの間にか涙が浮かんでいた。
加州さんだって辛かったのに、あの時は厳しい言葉を言いすぎてしまいましたね。と、傍に来て優しい言葉をかけながら加州の頭を撫でる彼女に、更に涙を煽られた。それを隠すかのように加州は彼女に抱きつくと、ありがとうと小さく震えた声で礼を言えば彼女もまた小さく笑って「いいえ」と彼の背中を優しく摩った。


「───ちょっと。蓬に何してんのアンタ。迷惑だから離れなよ」


すると横から聞こえてきたそんな声と共に、突然、加州は襟巻きごと後ろ襟をぐいっと引っ張られ蓬から引き剥がされた。うぐ……、と声を漏らした彼は苦しかったのかもう既に涙は引っ込んでしまっていて、顔を歪めながらその方を向く。そこには外にいた筈の紬がいつの間にか靴を脱いで廊下に立っていた。


「蓬、主サマにまだ用事あるんでしょ?」

「ああ、そうでした。先に行ってきますね。それでは」


失礼します、と小さく礼を見せると歩いてきた廊下を引き返し、和真のいる方へ向かっていった。


「……。」

「……。」


先程までのしんみりとしていた空気はなくなったものの、蓬がいなくなった事で三振りだけとなったこの空間に、気まずさが訪れ沈黙した。どのくらい沈黙していたのだろうか。誰かが話し出すまでの時間は短かった筈なのに、それはとても長く感じられた。


「……ごめん。」


沈黙の空気を破ったのは、ふたりの目の前にやって来た紬だった。それは、何に対しての謝罪なのか。彼女の突然の謝罪にぽかんとした顔で立ち尽くす加州と大和守の2人を見つめながら、彼女はそのまま言葉を続けた。


「……あの時、気遣ってくれてること分かってたのに……怒鳴り散らして、悪かった……」


怒鳴ったこと、それがただの八つ当たりだということは彼女自身も分かってて、認めていた。だが正直その気遣いが彼女を辛く苦しめていたのも、あの時の言葉が本心だったのも全て事実で、動くこともままならなかった彼女にはそれだけが───八つ当たりをするしか成す術がなかったのだ。


「ずっと平助くんの隣で眠ってると思ったのに、気付けばここにいて、平助くんじゃない主に従って、挙句の果てに1度しか使えない。役に立たないダメ刀。ほんとに堪えた……だからあの時の言葉は訂正するつもりはないけど、八つ当たりしたことだけは……謝る。ごめ───」

「紬ーーーっ!!!!」


黙って話を聞いてくれている加州と大和守に謝ろうとしていた紬の言葉を遮って叫んだ声の主は、そのまま彼女にタックルの如く抱きつき、勢い余って彼女と一緒に縁側の廊下に倒れ込んだ。うわっ!?と驚いた声をあげた紬から、同時にゴンッという鈍い音が聞こえる。確実に頭を打った音だった。うう、と唸り出す紬をよそに、彼女に抱きついた本人は嬉しそうに彼女を見つめていた。


「ゔゔ、いった……、っほりく、ん……」

「紬っ、本当に紬だ……!うう、良かった……目を覚まさない君を見て僕も兼さんも本当に心配してたんだからね……!」

「心配かけてごめんけど痛いし重い、堀くんのこと好きだけどほんとごめん今は無理どいて」


打ちつけた頭を抑えながら、息を吐き出すかのように抑揚のない声でつらつらと言葉を呟けば、抱きついた本人、堀川国広はやっと察したのか「ごめん紬!」と慌ててそこから退いた。さっきの勢いとは打って変わって、肩と背中を持って優しく起こしてくれる堀川に礼を言いながら彼女は再び立ち上がる。


「堀くんもあの時はごめん……いつも包帯替えてくれてたのに、酷いこと言った……」

「ううん、僕ももっと紬の気持ちきちんと考えてあげるべきだった。いつの間にか無神経なこと言ってたかもしれないし……僕の方こそごめんね」


堀川の言葉に紬は首を振った。その言葉だけで十分だ。と言うより、堀川が無神経なことを言ったなんて彼女の記憶にはなかったし、あの時の言葉は全て八つ当たりだと認めているため彼は全く悪くない。包帯を替えるのを手伝ってくれたり、様子を見に来てくれたりと色々世話をかけてしまったのに、その優しさを拒んで困らせ、挙句の果てには『来るな』と怒鳴ってしまった。謝らなければいけないのはこちらの方なのだ。
それなのに堀川は、そんな仕打ちさえとうの昔に忘れたとでも言うように、やっぱり嬉しそうに紬に笑みを見せる。それがあの出来事の気まずさのせいで、心のどこかで会うことに躊躇していた彼女にとってはとても嬉しいもので、一瞬で胸の内の蟠りを溶かしてしまうほどのものだった。


「国広が凄い勢いで走ってったから何事かと思って来てみれば……何だ紬じゃねーか」

「何っ!? 紬だって!!? 本当か??! 本当に紬なのか!!?!?」

「兼定アンタ軽いな。それに対して鶴は大袈裟だしうるさすぎ」


彼女の前で本日1番嬉しそうな態度を見せた堀川の後ろから、和泉守兼定と鶴丸国永という珍しい組み合わせのふたりが廊下を歩いてやってきた。元気そうで何よりじゃねーか、と笑う和泉守に「アンタこそね。それより相変わらず堀くんに頼りすぎてんじゃないだろうな貴様」と真顔で呟いた紬。そんな彼女と苦笑する和泉守の会話をよそに、鶴丸は紬と叫びながら太刀らしからぬ機動の速さで彼女にしがみつく様に抱きつき「本当に君なんだな!?」と頭を撫でまわした。


「ああ、この柔らかさは本物だ!」

「どこ触って言ってんだこのエロジジイ殺すぞ」


離れたと思えば急に彼女の胸に両手を置き、好き勝手しだした相変わらずな変態。そんな鶴丸に、青筋を浮かべながら持っていた自身の刀を鞘から抜かずそのまま鳩尾に突く。うっと唸りながら苦しそうにしゃがみ込んだ彼を見て、溜息がこぼれた。


「あれ、清光?どこ行くの?」


大和守の声でそこにいた誰もがそちらを見れば、加州がいつの間にか部屋を出ようとしていた。彼は誰とも視線を合わせることなく無表情で顔だけをこちらに向ける。


「どこって燭台切のところだけど。まだ片付け済んでないし」

「そう言えば紬が帰ってきたと光坊に知らせないとな!今日はきっと宴会だぜ!」

「はいはい伝えとけばいいんでしょ」


今のこの場の雰囲気とは思えない覚めた態度で彼はそれだけ言うと燭台切がいるであろう厨へ戻って行く。大和守も自分が当番だったことを思い出し「僕も行かなきゃ!じゃ、また後でね紬」と慌てて追うようにして付いていった。


「……。」

「この本丸の中で清光くんが1番って言ってもいいくらい紬のこと心配してたんだよ。紬が帰ってくる今の今までずっと元気なかったんだから。……だからあんな冷たい態度だけど、きっと素直になれないだけだから……誤解しないであげてね」

「……。……さてと、私まだ会ってない人たちに会ってくる」

「おう。長曽祢さんのところにも行ってやれよ。あの人も相当心配してたから」

「言われなくても分かってるって、兼定じゃないんだし」


近くに脱いでいた靴を再び履いて、外へ出る。まずは道場にでも顔を出してみるか、と考え歩き出した紬を、鶴丸が呼び止めた。


「今日1番の嬉しい驚きだったぜ!みんな君の帰りをずっと待っていたんだからな!……だからおかえり、紬!」

「ん、ただいま」


やはり今までの静けさが嘘だったかのように、彼女の存在ひとつが一気に本丸を明るくした。


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