桜の花びら一五枚


「本日はお招き頂きありがたく存じます」

「……いえ、お出迎えも出来ずこんな所まで……」


和真と獅子王の目の前にはある女性───30代後半くらいの女が立っていた。
きっちりとしたスーツに身を包み、長く艶やかな深緑の髪を後ろで一つに纏めている女性は、まるで現世で働いているOLのような格好で綺麗な笑みを見せる。


「こんのすけよりご報告を頂き参りました。……“あなた”とはお初にお目にかかりますね。わたくし、和真様の本丸を担当しているよもぎと申します」


一応政府こちらも真名は教えられないことになっておりますので、政府名ですが。自己紹介をした蓬と名乗る女性は先ほどの硬い挨拶の時とは違って緩やかに微笑んだ。だが、再び真面目な顔に戻ると「さて、」と呟く。萌黄色の瞳が彼を見据えた。


「例の刀剣の所まで、案内してもらいましょうか」


彼女の言葉に頷くと、和真は手入部屋まで案内し襖をそっと開いた。中には一枚の布団が敷かれており、そちらを向くように加州清光が座っていた。加州の背で隠れていて、蓬からは布団の中にいる“例の刀剣”の姿は見えないが、そこに寝ているのがそうなんだろうと察した。
襖に背を向けるように座っていた加州は、和真の声によりこちらへゆっくりと振り向いた。目元が、少し腫れているのが分かる。


「お久しぶりですね、加州さん」

「!……蓬、さん」


最初の自己紹介のように和真とは初対面の彼女だが、和真が審神者を始める前───和真の祖父が審神者をしている頃からの担当であり、彼ら、何振りかの刀剣男士とは既に面識があったのだ。
彼女がそちらへ近づくと、加州は何も言わずに再び視線を布団の方へ戻した。蓬も同じように加州の隣に腰を下ろし、布団に横たわる刀剣を目にする。


「……大体の話は聞いております。彼女について、詳しくお伺いしても?」


眠り続ける刀剣───紬。藤堂の愛刀で正式名称は上総介兼重。蓬の質問に応えたのは隣に座っていた加州だった。彼女のこと、こうなったきっかけ、今までの経緯全てをぽつりぽつりと話していった。
堀川が血相を変えて和真の前に現れたのは、今から2日前の出来事だった。
紬が目を覚まさない。彼の言葉を聞いた途端、朝食前だと言うのに加州は真っ先に立ち上がり手入部屋へ走った。それを追いかけるように大和守と和泉守と長曽祢が向かう。騒然とした中、和真はその場にいた刀剣たちに先に食べていてくれと冷静に指示すると堀川と一緒に後を追った。
手入部屋へ向かうと、彼女は静かに眠っていた。呼吸も一定の動きで安定している。そんな状態の彼女を見て生きていることはハッキリと分かり安堵した。だが、いつもとは違い───。


「……冷たい」


大和守は布団から出ていた彼女の手を握りながらそう呟いた。
呼吸をしているのにまるで死んでいるように身体が冷たく、いくら彼女の名前を呼んでもピクリとも反応しない。
堀川の言葉についこの手入部屋まで走ってきた加州だが、頭の整理が追いついていかず静かに眠る彼女の姿を呆然と眺めていた。
だが、眼帯のしていない右目───目を閉じている彼女の目元の赤い痕に気付く。


「(……泣いて、た……?)」


彼女が唯一涙を見せるのは、決まって藤堂平助の前だけだった。それ以外───新撰組刀である彼らの前では決して涙を見せないし、弱音も吐かない、誰かに甘えるなんてもってのほかで。そんな彼女はとても強いヒトなのだと、昔からずっと思っていた。
今もそうだ。涙を見せるどころか、弱い自分を曝け出すことなんて殆どしない彼女は昔と変わらず心が強いのだろう。そう思っていた。
だけどそれはただの表向きだけで、全然違っていたのだ。少しばかり赤い目元の痕を加州は親指の腹でそっと触れる。
今まで辛くて苦しい時も、悲しい時も、誰にも弱音を吐かずにただ独りでひっそりと泣いていたのだろうか。元主である藤堂が亡くなった時もたった独りで、冷たく動かなくなった彼に寄り添いながら、守れなかったと苦しい思いをして泣いていたのだろうか。
そう考えると今まで強い子だと思ってきた自分に腹が立ち、今日まで気付いてあげられなかった自分がどうしようもなく情けなく感じた。当然だ、紬だって刀剣でありながらも1人の女の子なのだから。


「……ね、起きて。紬……こんな冗談やめてくんない?タチ悪すぎ。ほんと迷惑、だから……。……ごめん、昨日のは謝る……謝るから……早く、目、覚ましてよ……紬っ……」

「清光……」


勿論、彼女は反応なんてしなかった。どんなに揺すっても、どんなに名を呼んでも、眼帯を当てていない方の目が開くことは無かった。
ふと枕元に置かれている、昨日持って戻るのを忘れていたアイスの皿に目が移る。皿の中にある筈のそれは空になってその場に置かれていた。


『───……沖田総司が誰かは知らないけど……ふーん、そっか。やっぱ君も私と一緒なのか。……私は上総介兼重。あそこにいる藤堂平助の愛刀。これからよろしく頼むよ、加州清光』

『───へぇ、沖くん刀増やしたんだ。……ぷっ、心配しすぎ!私から見ても君はきちんと沖くんに愛されてるよ』

『───ねぇ清光……桜って、何でこんなに散るのが早いんだろうね』

『───ふふ、藤堂平助の愛刀を舐めるなよ〜?』

『───扱いにくいけど性能はピカイチ……なんでしょ?大丈夫。池田屋で勝利を収めて、みんなで一緒に帰ろう』

『───それじゃ、また後でね。清光』


昔の思い出が次々と溢れ、流れ出す。追いつかない思考をやっとの思いで整理して、全ての状況を把握した頃には。一粒の雫が加州の頬を伝っていた。
結局、紬がそれ以降目を覚ますことは一度としてなかった。
───彼女が新撰組にやって来たのは加州の次だった。その頃はまだ、付喪神化している刀剣は長曽祢と堀川、加州の3人だけで、大和守や和泉守を隊の彼らが所持してなかった為その場自体にいなかった。
そして新撰組の彼らも『新撰組』や『浪士組』になるかなり前の頃であり、試衛館で天然理心流を磨いていた頃。そんな時に、試衛館に食客として入り浸るようになった藤堂平助の愛刀として、上総介兼重は彼らの前にやってきたのだ。
彼女の最初の印象は幼い姿でありながらも凛としていて物静か。出会って間もない頃は、あまり物事を語らず笑みを見せることも少なかった。


「───なるほど、確かに脈はあるし、浅いですが呼吸もしている。それなのにやけに体が冷たいですね」


隣に座っている蓬は、紬の手首に指を当て脈を図りながらそう呟いた。


「やはり彼女についてはこちらの方で詳しく調べる必要がありますね。……和真様、彼女を預かります。刀に戻す事は出来ますか?」

「え?あぁ、はい……」

「でしたら早速お願い致しま───」

「治る?」


彼女の言葉を遮った加州は、いつになく真剣な瞳で蓬を見つめていた。はっきりと聞かれた質問に対し、彼女は曖昧な表情をした後「保証は出来ません」と首を振りながら答えた。


「確率は低い……いえ、ゼロに等しいです。刀剣女士は大変希少な存在であり、このような症例のない状態から対応する事自体初めてですので。それにもし目覚めたとしても、記憶がない状態からの再スタートになる可能性がありますね」

「何それ……」

「目が覚めれば、の話ですよ。予期せぬ事態に陥った場合は早急に刀解処分となりますし、刀剣研究課もこのような情報のない未知の刀剣を取り扱ったことはありません。絶対に、期待だけはしないでください」


期待は絶対にするなときっぱり伝えた彼女の表情はとても真剣だった。
静かになっている場所にふとどこからか音が聞こえてくる。一定の音が段々と大きく、更にはこちらへ近くなる音が早いことから廊下を早歩きしていると蓬が理解した時には、既にその音を立てていた本人の姿を現していた。手入部屋にやって来た彼───大和守と彼女の目が合う。
自分の相棒がやってきたのにも関わらず、否、それさえも気付かないくらいこの横たわる刀剣のことが心配で周りが見えていない加州は、震える手で握り拳を作りながら彼女の名を呟いた。


「……ね、紬……帰って、くるよね……」

「……。……最悪の場合、謝礼金のみをお持ちすることになるかと」

「!……っいらない!お金なんかいらないから絶対治して……!っ、なんで紬ばっかりこんな辛い目に!なん、で……っなんで……、……やだ、嫌だ!俺まだっ!……大事なこと、なんも、いえてない……っ、」


加州にとって大和守は主を同じくして喧嘩仲間であり大切な相棒であるが、紬は大和守を含めた隊の刀剣誰よりも長い間一緒にいた仲間である。だからこそ誰よりも彼女のことを知っている加州は、何だかんだ言いつつも紬への思いが強かった。


「……そうだよ。治んない、なら……紬は渡せない。アンタらには、渡さない。……お願いだから、治るって……言ってよ」

「清光……」

「加州さん……いい加減にしてください。」


思ってもみなかった言葉にその場にいた全員は言葉を失った。黙ったまま、彼女1人へと視線が向けられる。悔しそうに睨みつけてくる加州をしっかりと見据えながら、彼女は言葉を放った。


「彼女が今こうして眠り続けているのは誰のせいなんですか?なぜ彼女が来た時すぐに我々に知らせなかったのですか?こうなる前に……いえ、来てすぐに知らせてくださればこちらもすぐに対処は出来たはずです。こうなることだって避けられました。こんのすけだってそう忠告したはずです。政府を信用せず、没収されるのが嫌だからという理由で何の検査も受けさせないで彼女を置きっぱなしにした貴方がたに、どうこういう資格はないと思われますが」


彼女が今こうして辛い思いをしているのは貴方がたのせいでもあるんです。それを忘れないでください。そう言った彼女の言葉は間違っていなかった。むしろ正論と言える。だからこそその言葉が胸に突き刺さり苦しかった。
何も言えず顔を俯かせる加州をよそに、彼女は再び和真に紬を刀に戻すことをお願いした。上総介兼重本体に触れた和真がぼそりを口を動かす。顕現を解く言霊だったのか紬の身体は本体へ吸い込まれる様に消えてゆき、そこには刀だけが残った。


「和真様も主として、言葉に責任を持ってください」


何かあってからでは……既に遅いんです。上総介を受け取りながらそう呟くと、再び加州の方を向く。俯いている彼の頭の上に手を乗せ優しく撫でた蓬は、少しだけ顔を上げた加州としっかり目を合わせた。


「加州さんは彼女の事が大好きなのですね。……任せてください。私の同期に凄腕の持ち主がいるんですよ。勿論一筋縄では行かないと思いますが、彼女を治して貴方の元へ帰すために……最善を尽くしますから」


凛とした声に加州は気がつけば頷いていた。それを見ていた和真は彼女にお願いしますと頭を下げる。
蓬は小さく微笑みながらも強く頷くと、上総介兼重を持ったまま本丸を後にした。







元治元年11月。つまり、西暦1864年12月。
新撰組は人数を増やすため、江戸にて大規模な隊士募集を行った。藤堂平助はそれに先立って志願者を募るため江戸に向かい、紬もまた───池田屋で癒えることのない傷を負っていながらも───彼の愛刀として付いて行っていた。


『結構増えたね、平助くん』

「そうだなー、みんなも元気してっかなー」

『みんなならきっとうるさいくらい元気だよ』

「ははっ、そんな気がする」


藤堂の横を歩きながら一緒に屯所へと足を進める。みんなはどんな反応を見せてくれるんだろう、そんな密かな期待を胸に彼女は道を歩いた。
帰ってくれば、まず堀川が一番最初に出迎えてくれた。背の高い彼は、彼女の視線に合わせるように屈むと「おかえり紬」と優しく笑い頭を撫でる。それに続いて大和守も紬が帰ってきたことに気がついたのかこちらに向かってきた。


『……清光は?』


彼女の問いに大和守は静かに首を振った。


『今日も和音さんが必死に走り回って清光を……』

『そっか、まだ直ってないんだ、……ほら!しんみりするな!アイツはそのうちすぐ帰ってくる。今、沖くんを守れるのはアンタしかいないんだからしっかりしなよ。……帰ってきたら、遅いって1発ずつ殴ってやろう』

『……っうん、』


池田屋の後、加州清光は折れた。帽子が欠け、刃こぼれをしたのだ。そのためこの場には姿を現すことは出来なくなってしまったが、沖田の恋人である和音が清光を直すために必死に街中を走り回っていた。
紬もまた、加州と同じく池田屋で修復不可能なまでに刃こぼれをしてしまっていた。折れてはいないものの刃こぼれはそのままなため、それが付喪神である彼女の体に影響を及ぼしている。包帯を巻いて見るからに痛々しい姿だったが、それでも彼女は藤堂平助の愛刀の上総介兼重として、主の傍についていた。


『あれ?そう言えば曽祢さんと兼定は?』

『あー……近藤さんと土方さんのとこ、だけど……』


大和守の歯切れの悪い答え方に不思議に思いつつも、そっか……と返しておけば、失っていない左目の視界の端で藤堂の姿が見えた。先程まで一緒にいた彼とは違い、どことなく複雑な顔をしている。
もっと元気な顔してみんなに会いに行くと思っていたのに。そう不思議に思いつつ、彼女が彼の名前を呼びながらそちらへ向かうと、藤堂は紬と目を合わせて小さくある方を指さした。そちらに視線を向ければ、近藤や土方以外に馴染みのある顔が座っているではないか。


『……伊東、さん?』

「ああ。新ぱっつぁんから話を聞くところによると、どうやら新撰組に入ったらしい」

『!良かったね平助くん。入隊勧誘の案を近藤さんに話した甲斐があったんじゃない?』

「んー、そうなんだけどさ……伊東さんが、尊王攘夷派って噂が流れてんだって……だから近藤さんも土方さんもあんな顔してんだろうなーって思ったら……ちょっと複雑かな」

『……。……うん、そうだね。』


北辰一刀流免許皆伝の腕前で、文武共に秀でている伊東甲子太郎。新撰組の参謀、そして文学師範としてやってきた彼は、局長や副長を前にしても小さく笑っていた。


『……。』


その光景を横目で見て、その場から離れていく藤堂の後を追いかける。ほんの少しだけ、嫌な予感がしたのは気のせいだと思いたかった。
伊東が入隊。このことがきっかけで新撰組離脱、そして藤堂の最期である油小路事件へと繋がってしまうなんて、彼女はまだ思いもしないだろう。


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