桜の花びら一二枚


「……っ!」


体中の痛みで目が冴える。紬は手入れ部屋で寝ていた。
随分、懐かしい頃の夢を見た気がしたが、最後のアレは一体なんだったのだろう。そう思い痛みを我慢して体を起こせば、内番着姿の加州と大和守が彼女の両端でぐっすりと眠っていた。太腿のあたりに感じた重みの正体はこの2人だったのかと納得する。
紬は気絶する前の出来事、つまり出陣してから本丸に戻るまでのこと全てをしっかりと覚えていた。そのため自分の中だけで頭の整理がすぐに終わり、この状況に一人で納得する。


『───お願いだから、いかないで……』

『───早く、帰って来てよ……紬、』


二振りに、心配をかけた。ハッキリとした答えは分からないが、あの夢は、あの言葉は今の私に向けた言葉だったのかも知れない。と、そう勝手に解釈して自分なりに解決させた。
相変わらず片目という狭い視野で、眠っている加州を捉える。サラサラとした細い髪に、掬う様にそっと触れた。


「……ごめん、」


小さく呟いた言葉は障子の開く音で見事に掻き消された。同時に彼の頭から手を引っ込める。
あ、起きてた。と姿を見せたのは……加州清光だった。


「……え?え?」

「ああ、俺は和音の方の清光ね。久しぶり紬」

「あ、うん……和さん来てるの?」

「3日前からね。……そんだけ目ぇ覚まさなかったんだよ」

「3日……そんなにも、」

「うん。紬が心配だからって和音と俺はこっち泊まってたの。この2人がずっと看病してたんだよ。……んじゃあ俺、主たちに起きたって知らせてくるね」


和音本丸の加州はそう言うと、部屋を出ていった。和さんの所にいる清光は普段はとても冷静だなぁ……と彼女が思っていると「主ー!主、主ー!紬の目が覚めたー!はぁ!?アンタじゃないし!シスコンは呼んでないっつーの!和音ーー!!」なんて大声が聞こえてきたため、そこまで冷静でもなかったと先程思ったことを全て無かったことにした。そして彼の言葉から読み取るに、和真と出会ったのだと悟ってしまい、彼女は苦笑した。
和音本丸の加州が大声を出しながら行ってしまっため、紬の傍で寝ていた2人もまた、目を覚ましてしまう。
2人は彼女が目を覚ましたことに気が付き、「紬!」と叫んだ。寝起きとは思えないほどの勢いと声に驚き、つい身構えてしまう。


「うわっ……え、なに」

「お前馬鹿じゃないの!?ほんと馬鹿だ信じらんない大馬鹿野郎!!」

「起きていきなり罵倒かよこら」


大和守の罵声に言い返す紬に、彼は更に眉を潜めた。「何だよ元気じゃん馬鹿!心配して損したよバーカ!」「3日も寝てりゃフツーに元気になるわ馬鹿じゃないのアンタ!」「はぁ!? 馬鹿っていう方が馬鹿だろ馬鹿!」「さっきから馬鹿馬鹿言ってんのはてめーだろーがよ!」とその場で下らない喧嘩が始まる。ゼーハーと息を切らせる程まで叫んだ二振りは、言い合うのも面倒になったのか罵声の浴びせあいをやめ深い溜息をついた。


「あーもう、お前からも紬に何か言ってやって、よ……清光?」

「……。……何で泣いてんの」


いつもなら、大和守と同じように罵倒してくるだろう筈の加州が紬の横に正座したまま静かに泣いていた。焦点を向けられた加州はハッとして涙を拭ったが次から次へとポロポロ涙を零す。


「ははーん。さては私がもう目を覚まさなかったらど〜しよ〜、なんて思ったんだー?」


ちょっとだけからかってやろうと薄ら笑いを浮かべて彼にそう尋ねるが、彼は俯いたまま何も答えることはなかった。鼻を啜る音だけが手入れ部屋に響く。紬と大和守は顔を見合わせた。加州の反応を無言の肯定と捉えた紬は黙ったまま加州を見つめていた。


「……安定。ティッシュ取って」


彼女の言葉に一瞬目を見開くが、はいはいと返しながら大和守はさっとティッシュ箱を取って紬に渡す。右手でティッシュを何枚か取り、動かす事に痛む身体を我慢して少しだけ加州の方へ寄せた紬は、腕を伸ばし彼の涙を拭いた。


「全く……勝手に殺すなっての。てかアンタとの約束はちゃんと守ったじゃん。それで充分でしょ……」

「帰ってきた途端折れるとかっ……それこそ尚更タチ悪いし……!」

「だから折れてねーーーーよ」


涙を拭いている紬の右手をぎゅっと両手で握った加州は、相変わらずめそめそと泣き続けていた。
俺の知らないところで折れないでとは言ったけど誰も帰ってきて折れろなんて言ってないし、なんて言いながら泣く加州を見て8割型困っていた。残りの2割が、反応がちょっと面白いからまだ弄りたい、と思ったのは紬だけの秘密だ。


「て言うか笑い飛ばすんじゃなかったの?ボロボロになって帰ってきたりして〜って笑えない冗談言ってフラグ立てまくった奴はどこのどいつだっけなー」


彼女がそう言えば最後、加州は完全に涙腺崩壊。うわんうわん泣き出し正座のまま、彼女の寝ている───太腿あたりの布団の上にポスンと突っ伏した。俗に言うごめん寝体勢だ。


「ははは、何コイツめちゃくちゃおもしろ。」

「弄りたい気持ちもわかるけど紬も程々にしてあげなよ。こいつが泣くこと滅多にないんだから……流石に堪えてるみたい」

「ごめんごめん、つい……いつもの仕返しを」


笑いながら、紬の膝の上で泣いている清光の頭を優しく撫でる。ここまで心配してくれるなんて思ってもいなかったため、何だか少しくすぐったかった。
だが心配してくれてありがとうなんて面と向かって素直に言える性格ではない。彼女は「実はアンタたち私のこと大好きなんじゃないの」と茶化すように大和守を見れば、彼は調子に乗らないでくれる?なんて返ってきたため面白くないと再び加州の頭を撫でた。髪の毛サラサラで本当にムカつくこの男。


『───斬る……斬ル……』

『───助ける、殺ス、護ルために……無理ナラ歴史を変エレバ……』


ふと脳裏に蘇った。狭くてすさんだ視界から見えた歪な敵の姿。


「……折れなくて、本当に良かったのかな……私、」


左手の掌に巻かれた包帯をじっと見つめていると、ただの直感にすぎないが少しそう思ってしまった。決して、平助くんの元へ還りたいという願いがあるからそう思ってるのではないのだ。自分───2本目の上総介兼重は、バグで、エラーで生まれた本当はある筈のない刀なのだから。結果それが悪い方へ向かってしまう可能性も無きにしも非ず。
もし眠ったまま……ずっと目が覚めないままの方が正解だったのだとしたら───。


「え?何か言った?」

「……安定の言う通り、私は戦闘狂だなって思って」


そう乾いた笑いを漏らす。大和守は何で急にそんなことを言い出したのか理解出来ず首を傾げたまま、昔からでしょと呟いた。
はは、そっか。昔からか……。今の私は、昔よりタチ悪いかもしれないけど。……こんなに狂っている私を、みんなは許してくれるだろうか。私のせいで悲しまないだろうか。
斬られて見えないはずの彼女の左眼がほんの少しだけ、じわりと熱くなった。





「……清光、」

「!…………な、に」

「泣き止んでんじゃねーかいい加減ウザいから起きやがれ」


右手でぐいっと起こそうとすれば背中の傷に障ったのか痛みが走り、つい「……っう、」と声が漏れてしまう。それに気が付いたのか加州はすぐに起き上がり大丈夫なのかと心配そうに紬を見つめた。大和守も彼女の傍に行き、そんなに痛む?と悲しそうに呟く。
そこに「お待たせ!」と審神者兄妹と各近侍、土方組に長曽祢までやってきた。一気に部屋の中が賑やかになる。重傷を負っていた獅子王もどうやら今は元気みたいだ。紬のした行動は決して無駄ではなかったんだと言うことが分かり、安堵した。


「良かった、目が覚めたんだな紬」

「紬ちゃん体調はどう?」


和真と和音は紬の傍へ座ると自身の体についての状況を聞いた。精神的には元気だが、体力的にはどうも参っていた。傷が全然癒えていないのだ。それは起きてすぐに思い知らされた。きっと無理をすれば一瞬で傷口が開くだろう。紬は首を小さく横に振った。
紬が受けた傷は沢山あった。左目の切り傷と、横腹右下の刺し傷、背中にある斜めの大きな切り傷、そして左の掌の刺し傷。顔、腕、足の擦り傷も数え切れないほどにあった。手入れをした和音の口から出た覚えられないほどの受け傷を聞いた彼らは、それを聞いて顔を青くした。


「おま……それでよく帰ってこれたな……」


化けもんかよ、と言うような顔で呟いた和泉守に「元から化け物じゃん。私も兼定も」と彼女は苦笑した。ここまで帰ってこれたのは、約束があったおかげかも知れない。あの約束がなければきっと紬は、本丸へ帰ることを諦めて折れていただろう。
そう言えば紬ちゃん、と名前を呼んだ和音は真剣だがどこか少し困ったような顔をしていた。彼女の両手には淡い茶の刀が握られている。和音が紬に差し出したそれは間違いなく自分が和真に預けた刀で、彼女はそれを受け取ると「刃を見て」と静かに言い放った和音の言葉に頷いて、鞘から刀身を抜いた。


「……わぁ、すごい……直ってる」


多数のヒビと刃こぼれをしていた刀は何も無かったかのように綺麗に戻っていて、感心の言葉が零れた。だが問題はきっとそこではないのだろう。
紬以外の五振りの刀の手入れをした和真は既に霊力が限界で紬の手入れをするのもままならないくらいだったため、和音にSOSの連絡をしていたのだった。紬が戻り気を失ってすぐくらいに緊急事態で駆け付けた和音とその近侍の加州は、手入れ部屋へ向かい眠っている紬の手入れをすぐに行った。和音は和真よりも霊力を沢山保持しているため、重傷であれ一振りの手入れなどどうということはない。有り余るくらいの霊力を最大限に活用し、紬の手入れを行った───のだが。


「……刀剣男士のようにすぐに傷が治らないってことですか」

「……うん、それも治りが遅い気がするの」

「普通は手入れをすれば擦り傷なんかはすぐ治るし、大きな傷もすぐ塞がって数時間もたたない内に治るんだけどな……そんな様子がまるで見られてない」


手入れをしていてその異変に気が付いた和音は紬の止血を終えた後、刀の手入れを試みた。昔は刀の傷が付喪神の体に影響を与えていたことを知っていたため、刀の手入れを終わらせれば身体の傷も戻るかもしれないと思ったのだ。だがその予想は裏切られ、刃の手入れを終えても紬についた傷が癒えることは無かった。


「残念だけど、治るのをじっくり待つしかないな」

「ごめんね紬ちゃん、役に立てなくて」


紬の目の前にいた兄妹は申し訳なさそうに呟いた。
やはりみんなと違い刀剣女士だからだろうか、ある筈のない刀だからだろうか。どっちにしろ、自分は役に立たない刀なのだという答えだけがはっきり見えた。だが、彼女はへらりと笑う。


「主サマ、和さん。私は大丈夫です。それにこんなの慣れてますから。手入れで治らないということはこの左目ももう見えることはないんでしょうけど、治りが遅いにしろ治ってはいるんでしょ?昔のように全て治らない訳じゃないなら……安心です」


ただしばらくお風呂に入れないのは辛いですけどね、と彼女は苦笑する。そんな彼女の言葉に返す言葉が見つからなかったのか、その場にいた全員は黙り込んでしまった。


「そんなことより私に聞きたいこと……あるんでしょう?遠慮せずに早く言ったらどうです主サマ。」

「あ、ああ……30体以上もの検非違使が出たって聞いた」

「……主サマ。その辺は獅子王や鶴から聞いてる筈です」


紬は自分の主を見ながら小さい溜息をついた。自分で聞いておいて何ですけど、一振りになってからのことを順に説明したんでいいですか?和真にそう問えば「悪ぃ、頼むわ」と申し訳なさそうに返ってきたため彼女は小さく頷いた。そして、ぽつりぽつりと話し始めたのだった。







19体、18体、17体と減っていく検非違使。紬1人が粘りに粘っておよそ15体にまで減らすことが出来た。だが、ふと感じ取れた真後ろからの殺気。瞬間、背中に物凄い衝撃が走った。背中を斬られたと脳が理解した頃には、紬は地に伏していた。
鍛刀されてからの楽しかった思い出が走馬灯のように流れだす。もうここまでなのだろうか。初陣で折れるなんてダサすぎ笑えないや……正直、まだ折れたくはないんだけどな……。そう思った瞬間視界が真っ暗になった。
いや、馬鹿か私は。ここで負けるわけにはいかないんだよ。検非違使は敵。敵は殺さなければ。


「……ははっ……痛い目見なきゃ、……分からないようだ。」


気が付けば起き上がってトドメの一撃を避けていて、真剣必殺を出す。彼女は再び検非違使に立ち向かっていた。ただ敵を斬り殺すことだけに集中する。いや、それ以外のことを考える余裕などなかったのだ。
だけどそれも僅か。人間という者は非常に面倒な生き物だ。血が足りなくなると力が出なくなり意識も曖昧になってしまう。既に横腹と左目と背中と左手、色々な箇所を負傷していた紬はもう限界だった。
足に力が入らず崩れるように倒れた紬は、たまたま後ろにあった木に縋がるように背を預ける。体中傷つきすぎて感覚が麻痺したのか、もはや体に感じる痛みが分からなくなった。呼吸もきちんと行えているのかも分からない。血が流れて出ている感覚も、血独特の臭いも、生暖かくてぬるぬるとした感覚も感じない。分からない。まるで生きている心地がしなかった。
目の前に残っている検非違使は6体。目の前にいる太刀の検非違使がトドメをと刀を振り上げた。……もう、いいだろうか。あの五振りが本丸へ帰れただけでも良かったんだ。私は充分役に立てた。本丸を、主サマを、みんなを、守ることが出来たんだ。
重くなった瞼を閉じようとした時、鈍い音が耳に届いた気がした。何が起きたのか閉じかけた目を開けば、刀を振り上げていた筈の太刀がその場に倒れている。そのすぐ傍には検非違使のような形をしている刀剣が何十と見えた。
歴史修正主義者が来たのだろうか。だがその中の一振りは初陣してから見てきた敵の姿ではなく、見たことのない姿をしていた。検非違使と他の時間遡行軍が戦っている中、こちら側の刀剣に“近い”姿の敵はじっと紬を見下ろしていたのだ。どっちにしろ、私はここまでなんだろう。そう思った紬は、目を閉じ視界を黒に染めた。





『……紬!』


気がつけば、目の前には大好きな主が立っていた。


『よっ!久しぶりだな、紬!』

「!?…………へ、へいすけ、くん……?」

『おう、元気にしてたか?』

「っ、……平助くん……っ!」


元気いっぱいに笑う彼の元へ走っていって思い切り抱きつけば、彼もそれを受け止めてくれる。


「ずっとずっと、平助くんに会いたかった!」

『そっかー、俺もお前にずっと会いたかった!……にしても大人っぽくなったな〜紬!昔はこーんなに小さくて可愛かったのに』

「あー……はは、……」

『いやそんなあからさまに落ち込むなって。何かすげぇ綺麗になっててびっくりしたってこと!』

「ふふ、ありがとう平助くん。平助くんは、……変わらないね」


イタズラっぽく笑う紬に、藤堂はコノヤローと笑いながら頭をわしゃわしゃと撫でた。でも私はそんな平助くんのことが大好きだから変わらなくてもいいんだよ、と正直に伝えれば「お前も言うようになったな!」と彼は照れくさそうに笑った。
それから紬と藤堂は他愛もない話を始める。池田屋で起きた真実、本丸で審神者やほかの刀剣たちと過ごしていること、その人たちと戦っている目的。新撰組の刀もいるということ、他の本丸には和音の生まれ変わりもいたということ。鍛刀されてからのことを彼に話した。何から何まで、全て。そんな紬の話を藤堂はうんうんと聞いてくれていた。


「ほんとね、加州と大和守とは毎日毎日喧嘩ばかりで……」

『……つーかさ、紬って2人のことそう呼んでたっけ?』

「……。……ううん、昔は違ったよ」


何で?と首を傾げて見てきた藤堂から目を逸らし「いや、戻すに戻せないよ……しかも仲悪いし」と呟いた。


『んなの思い切りが大切だって。それに喧嘩するほど仲がいいって言うだろ?俺とか新ぱっちゃんとか左之さんみたいな!……俺は沖田くんの刀の付喪神は見たことないから何とも言えねーけど、紬なら大丈夫だって。な?』

「うん……」

『それに、俺のせいでお前らの仲まで壊れて欲しくないんだ……。今度こそ、紬には《みんな》と幸せに過ごしてもらいたい』

「私は……平助くんといれて幸せだった。ずっと一緒にいたいって思ってた。それは今も変わらない……。……私は、平助くんと一緒にいられるなら帰れなくていい。全部全部、どうだっていい」


ここで、君と一緒にいたい。また2人で過ごしたい。それが、彼女の中で1番最初に出た答えだった。上総介兼重は君だけのモノなのだから……どうか受け入れて欲しい、と彼女は少し悲しそうな顔で藤堂を見つめながらただ願う。
彼に会いたくてしょうがなかった。それが今、どういうわけか叶っている。物である私を愛してくれた彼と、そんな主である彼を愛している私の、邪魔が入ることのない2人だけの時間。
ずっとずっと続けばいいのに。


『……紬。お前さ、本当にそう思ってんの?』


藤堂の言葉に紬は唖然とする。彼の真剣に見つめて来る目はしっかりと目の前の紬を捉えていた。


「私が……何で平助くんに嘘つかなきゃいけないの……?」

『……。』

「私にとっての1番は絶対平助くんなの……世界を、愛するということを、平助くんが私に教えてくれたんだよ?」


震える声で、黙っている彼にひとつひとつ返していく。
藤堂がなぜ彼女にそんな言葉を返したのか。言いたいことが何となく分かってしまっていた紬は、拳をぐっと握りしめた。


『……俺って、こんなにも愛されてたんだなぁ』


彼は頬を緩め、小さく笑っていた。
隊のみんなも、和音さんも、紬も。みんなみんな温かかった。そんな温かい場所で過ごせてたなんて、俺って幸せ者だったんだな。そう呟く懐かしい彼の笑い方を見て、急に目頭が熱くなる。


『選択を間違えたのかも知れないな……』

「…………今なら……」

『ん?』

「今なら、変えられるよ」


平助くんが死なない未来を、作ることが出来る。平助くんが望む未来に、することが出来る。気が付けば左眼が熱くなっていて、知らないうちにそう呟いていた。
だが、彼は悲しそうに笑いながら首を横に振る。紬の手を優しく掴むと自分の方へ引き寄せ、彼女をその場に座らせた。彼は紬の左の目元を親指で優しくそっと撫でる。


『それが間違ったこと、ってのは紬が良く分かってるんだろ?』

「……、」

『もし紬がそんなことしたら、俺は……お前がその道を行かない未来にしたいって、きっと思うよ』

「……っ、」

『それに、お前にはもう一緒にいてくれる主や沢山の仲間がいる筈だ。仲間だった奴と戦うのがどれだけ辛いかは紬もよく知ってるだろ?俺みたいになってほしくないんだ……だから、頼む。紬は……紬だけは今のままでいてくれ』


彼の言葉に左眼の熱が引き、涙が零れた。
もう君と一緒には、いられない。結果的にそう言われたのだと紬は理解した。彼のいる場所に私はいなくて、私のいる場所に彼はいないのだ。あるのは、上総介兼重という刀を藤堂平助が使っていたという、過去だけ。
彼は静かに立ち上がった。そしてまた、悲しそうな笑いを紬に見せる。


『……紬とこうして話が出来て嬉しかった』


楽しかったよ、と言う藤堂に彼女はゆっくりと首を振りながらも立ち上がった。


『残念だけど、そろそろ時間みたいだ』

「……だ……やだ……やだ、やだ…!」


出た声は震えていた。


『新しい主や仲間と、仲良くやってけよ?』

「置いてかないで……私も、私も連れてってよ平助くん……っ」

『ごめんな、紬』


謝る彼に近寄り触れようと手を伸ばすが、空を切っただけだった。目の前にいるのに、先程まで触れ合えていたのに、それさえも叶わなくなってしまう。残す時間も僅か。時とは非常に厄介なものだった。
留まることを知らない涙は溢れ続ける一方で、視界に映っている彼がぼやけてハッキリ見えない。


『最期まで俺と一緒にいてくれてありがとな。すげー心強かった。紬……上総介兼重が、俺の愛刀で良かったよ』

「まだ言ってないこと沢山あるのに……っ、……私も、平助くんが主で良かった。大切にしてくれてありがとう、ずっと使ってくれてありがとう!それからっ……名前をくれてありがとう。っ私ね、この紬って自分の名前大好きなんだ……桜の飾りも可愛くて好き。それからね……、っ、それから……平助くん。私のこと、たくさん愛してくれてありがとう……っ」

『はは、ほんとに言うこと一杯じゃん……。俺もお前と出会えてよかった。ずっと傍にいてくれて、ありがとな。……俺はすっごく幸せだった。だから今度は俺が紬の幸せを願ってる。……俺の相棒の、紬が。みんなと幸せに暮らせますように』

「……っ、うん……分かった、平助くんの願いが早く叶うように私、幸せになる……なってみせるから。だからもうちょっと待ってて……全部全部終わったら、平助くんのところに必ず戻るから……!」

『おう、俺とお前の最後の約束な。……気長に待ってるから、なるべく遅く、ゆっくり来いよ。俺はいつでもお前の傍にいる』


へらりと笑った彼の姿がだんだん見えなくなっていく。そんな彼に、涙を拭った紬は大きく頷いて「今までありがとう!君と出会えて本当に良かった!またね、平助くん!」と力いっぱい叫んだ。その言葉はきちんと届いていたらしく、最後に見えた彼の表情はとても笑顔だった。


───また、いつか。


そう聞こえた気がした。


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