桜の花びら一一枚


「……ほんっと、新撰組の刀は言うこと聞けない奴ばっかりで困る。……ねえ、主サマ」


突然外から聞こえた声に驚いて振り向くと、襖と自分の刀で体を支えて立っている紬が片目でこちらを見ていた。返り血か自分の血か分からないくらいに着物や肌に付着した赤。着ている羽織は所々赤く染まっていて、着物や肌に大きな切り傷も幾つか見られる。長かった淡い茶の綺麗な髪はバッサリやられたのか一部分だけ短くなっていた。


「約束通り……っ帰ってきた、けど……」

「紬っ!!」


力が抜けたのか、膝から崩れ落ちた紬。そんな彼女の元へ、その場にいた全員が彼女の名を叫び駆け寄った。泣きそうな顔をして紬と何度も名を呼ぶ加州を見た彼女は「……うるさい」と呟く。


「……何その顔、いつも以上にブッサイクなんだけど」

「!紬……背中、……っ」

「……ちょっとドジった、だけ、だから……」


彼女の浅葱色の羽織は右肩から左横腹にかけて、血で滲んでいた。羽織に切り傷がなかったものの、背中に付いた異様な血を見て、大和守は一瞬で理解した。
紬は座り込んだまま、大和守を表情を片目でチラリと確認すると、和泉守に支えられながら乾いた笑みを漏らした。


「……はは、刀は背中斬られただけじゃ死なないよ……人間じゃないんだから。それに傷は、そんな深くない……」

「紬……」

「っ主サマ、ごめ、なさ……、庭とか……ろ、うか……血、が……」

「今そんなこと言ってる場合じゃないよ!早く手入れ部屋に行かなきゃ……!」

「……あ、あと、これ……、」


今度は三日月に支えられてやってきた和真に向けて自分の刀を差し出す。和真はそれを受け取ると再び彼女の目を見た。
刃こぼれ……直りそう……?そう呟いた紬は困った顔で笑う。だがやはり、それはどこか辛そうで、彼女は急に小さく呻くと口を押さえた。


「う"……ゲホッ、ゲホッ……!」


彼女が片手で口を押さえたと思えば、咳をしながら血を吐く。どうやら先程の戦いで内臓が破損していたようだった。ボタボタと大量の血が地面へと落ちる。
その光景がある人物と重なったのか、その場にいた刀剣、主に大和守が眉間に皺を寄せた。もう喋るなバカ!と紬に向かって怒鳴る。


「……も、無理……兼定、運ん、で……」

「!お、おう、任せとけ」

「でもあんま当たんないで……血、付くし……痛いから」


そりゃそうだろーよ馬鹿、無茶しやがって……!と言いながら横抱きで彼女を抱える和泉守。彼は和真の指示を受け、手入れ部屋に直行した。加州たちも心配で和泉守の後ろに付いていく。
……約束は守ったし、もう、いいよね。そう思った紬はそっと目を閉じ、そこで意識を手放した。







───自然と目が覚めた。
刀掛けの横に座って寝ていた彼女は、ふわ、と小さく欠伸をしながら背伸びをすると、寝ている彼を起こさないようにと静かに立ち上がる。外を見るべく障子を少しだけ開くとあまりの眩しさに思わず目を細めた。
今日はいい天気だ。綺麗な青い空が広がっている。そうだ、今日は平助くんが稽古のとき和さんの所に遊びに行こうかな。なんて考えながら紬は深呼吸をする。
───昨夜、彼女の主である藤堂平助から、桜の飾りを貰った。勿論、彼は紬の姿が見えていた訳ではない。姿が見えずとも自分の刀を愛していた彼が、刀に似合う小さな桜の飾りを見つけて購入し、戦いの邪魔にならないところに飾ったのだ。
そのせいか、今日の紬はとても気分が良かった。名前だけでなくこんな贈り物までしてくれるとは思わなかったため、貰ったとき嬉しさのあまり泣いてしまう程に。手首につけた桜の飾りがキラリと光った。
障子の隙間から差し込んだ朝日が、寝ていた彼の顔に丁度良くあたり眩しそうに唸る。彼は寝起きがあまり良くない。朝に弱いのだ。けれどいつも早く起きる努力をしていた。
藤堂平助はやる時はやる男。八番隊の長としてみんなの見本になるようにと努力していることを、紬は人一倍……否、誰よりも知っている。伊達に彼の愛刀をしている訳では無い。今は布団の中でもぞもぞと唸っている彼だが、これはそろそろ起きる合図だ。紬は寝ている彼の布団の側に行き、その横にちょこんと座った。
暫くの間布団の中でもぞもぞとしていた彼だが、突然寝転がったまま背伸びを始める。そして目を瞑ったままむくりと起き上がった。


「……んん、……ふぁ……」

『ふふ、おはよう平助くん!』

「んー……、はよー……」

『え?』


言葉が返ってきた、ように聞こえた。いやいやそんなまさか、気のせいだろうなんて思いながら、でもちょっぴり会話みたいなことが出来て嬉しく思っていた紬はそのまま彼を見つめていた。が、そう思っていたのも束の間。え?と、急にこちらを向いた藤堂と、合うはずもない瞳がばっちりと合った。
時間が止まったような気がした。目まで合うなんて今日はなんて最高な日だ。


「……、」

『……、』


嬉しいが、そんなにずっと目が合うものなのだろうか───なんて、最初は不思議に思っていた。だがそれもほんの一瞬で。


「……誰?」

『うわああああああああ!!!??』

「ええええ!?待って待って待って何で俺の部屋に子供が!?て言うか何その羽織っ!?」


驚きの余り、彼女は叫びながら藤堂の部屋を飛び出した。藤堂はその反応に驚きながらも寝間着姿のまま待ってと紬を追いかける。一体全体どうなっているのか。なぜ紬は藤堂に追いかけられているのか。
わああああああ!?と未だに叫びながら廊下を走っていると中庭に“彼女”の姿が見えた。廊下から飛び降り一直線にそちらへ向かう。


『朝っぱらから大声出して何やってんの?』

『ほんと紬はいつも騒がしいね』

『こら、安定くんそんなこと言わないの』

『……国広、何か紬の様子おかしくねーか?』


縁側に座ってくつろいでいた沖田の刀二振りと土方の刀二振りがどうしたのかと不思議そうに紬を見ていた。当の紬は彼らの言葉は耳にすら届いておらず『かっ、和さあああん!』と叫びながら和音に抱きつく。そしてそのまま何かから隠れるように彼女の背に回り、彼女の袴をぎゅっと握った。


「おはよう紬ちゃん。どうかした───」

「和音さん!」

「え?……藤堂くん?」

「和音さんの後ろにいる子誰!?」

『「……え?」』


思ってもみなかった言葉が藤堂の口から聞こえ、その場にいた全員が呆気らかんと彼を眺めていた。紬は和音の後ろから黙ったままちらちらと彼の方を見つめる。


「藤堂くん……視えるの?」

「見えるって?何がですか?」

「だからこの子……いや、いいや。それより藤堂くん、縁側の方に何か視えたりする?」


和音は加州たちが座っている方を指さしたが、その指の方を向いた藤堂は首を傾げながら「視えるって何がですか?別に何もないけど」と再び和音を見た。藤堂も、和音も、刀剣たちも頭の上にハテナを浮かべる。


「そんなことより和音さん!その後ろの子誰?何で子供が隊の羽織着てんの?しかも俺の部屋にいたし!」

「……自己紹介、してあげたら?」


和音は紬にそう笑いかけると、隠れるように抱きついていた彼女をそっと引き離し、藤堂の前へと誘導した。
夢であるならば覚めないでほしい。夢でないのなら、このままずっとそうであってほしい。1日限定とか1週間だけとか、彼が視えるのにそういった限りがあるのなら、最初から知らないままでいい。そもそも、まず人でないモノの存在を信じてもらえるのだろうか。否定されたらどうすればいいのだろうか。拒まれたらどうすればいいのだろうか。
そんな思いをたくさん胸に抱えたまま、紬は恐る恐る彼の方へ歩み寄った。


『……紬、です……』


紬?と聞き返す藤堂に黙ったままこくりと頷けば、彼は「俺の刀の名前と一緒じゃん!」と笑う。自分に向けてくれる笑顔が嬉しくて、紬は頬を緩めた。そして気が付けば彼に向かって次の言葉を呟いていたのだ。


『……そうだよ。これ、平助くんがくれた名前』

「へ?俺が?」

『私の、ほんとの名前は……上総介兼重、だから』

「へ?……え!?」


彼女の言葉に驚きを隠せていない藤堂。でもその言葉の意味を完全に理解しておらず、よく分からない顔をしている彼を紬はじーっと見つめていた。難しい顔をしている彼を見て、彼女の傍にいた和音は苦い笑みを見せた。


「藤堂くん。今から言うことは信じられないかもしれないけど、紬ちゃんはアナタの刀に宿った魂。所謂、付喪神よ」

「……つくも、がみ?……じゃあ、物の怪ってこと?」

「……そうだね、そういう風に捉える人もいるかもしれない。だって普通の人には視えるものじゃないから……」


でも実際には視えないだけで、街には色々なものが存在してるの。流石に妖怪は視たことがないけれど、人が大事にしていたものに魂が宿って生み出された小さな神様だったり、成仏できずにいる霊だったり、たくさんね。この子もその1人。藤堂くんに大切にされたから付喪神になって現れたの。
和音は紬の頭を撫でながら、藤堂に向けて淡々と話を進める。そんな彼女の話を真剣に聞きながら、藤堂はしゃがみこんで紬と目線を合わせた。


「……和音さんはずっとそういった類のモノが視えてたってことですか?」

「……うん。幼い時からずっとね。このことは総司くらいしか知らないと思うよ。と言ってもそう言うのが視えるとしか言ってないから、刀の付喪神が傍にいるなんて言ったことないけど」

「ってことは……名前を決めないかって提案したのも……」


うん、紬ちゃんのためかな。和音は藤堂に向かってそうきっぱりと言うと、ニコリと微笑んだ。
紬は未だに黙ったまま彼の方をじっと見つめていると、その視線に気付いたのか藤堂と目が合う。今まで目の合うことがなかった人と、こうして目を合わせているというのにとても違和感があった。
叶うことは決してないだろうと、願ってもいなかった夢が今ここで実際に起きている。それが未だに衝撃的すぎて頭の整理が追いついていかなかった。
主と目を合わせて会話をしたい。傍にいるんだよと存在を認識してもらいたい。それは紬だけでなく、付喪神としてそこにいる加州たちもそう思っていただろう。だが、それを口に出してしまえば思いが強くなり更にそれを求めてしまうかもしれない。そう思ってのことか、誰ひとりとしてそれを言うことはなかった。和音が自分たちの存在を知っていてくれている、それ以上のことを望んでしまうのは、欲張りなのかもしれないと。
ふと、頭の上に温もりを感じた。ハッと我に返れば、彼の、大きくて少しゴツゴツした手が、頭の上にあった。


「紬。」

『……っ、』

「紬の瞳は、桜みたいでとても綺麗だな」

『!へ、へいすけくんも!かっこいい!!』

「ははっ、ありがと!……改めて、これからもよろしくな」


彼の言葉のせいで視界がぼやける。そんな涙を耐えている紬を見て「え、泣いて……!?」と慌てている藤堂に、彼女はバッと飛びついた。
受け止めた彼の腕の中でぎゅーっと抱きつきながら啜り泣く紬に、藤堂は苦笑しながらも抱きしめ返す。そんな光景を見ていた和音は微笑ましそうに笑っていた。


『よかったねー、紬』


はっとした彼女は藤堂から離れてその声の方を向く。すると縁側に腰かけたままの堀川たちはこちらを見て微笑んでいた。途端、嬉しさから罪悪感のようなものへと気持ちが一変する。
私だけ視えて……私だけ会話して良かったのだろうか。と、紬はそう思った。


『何その顔。泣いてる上に変顔とか元々不細工な顔が更に不細工になってるよ』

『うるさい清光!』

「!?……え、何?誰それ?清光?」


彼女の言葉に反応する藤堂は不思議そうに紬を見つめた。それもそうだった。藤堂から視た彼女は、どこを見て誰と話しているのか分からない。いや、その視線の先にあるものと言えばいつもと代わり映えのしない普通の縁側だったからだ。
もしかして紬のことを知る前、和音が“最初”に質問してきたことと何か関係があるのだろうか。まだ俺が視えていないモノがいるんじゃないだろうか。直感的にそう感じた彼は、答えを求めるべく近くにいた和音をチラリを見つめた。紬と同じ方を向いていた和音はその視線に気が付いたのか、藤堂と目を合わせると苦い笑みを見せる。


「加州清光、大和守安定、堀川国広、和泉守兼定、長曽祢虎徹、そして上総介兼重」

「沖田くんと土方さん!?それに近藤さんまで!?」


その場で叫ぶ藤堂へ、静かにねと言うかのように和音は人差し指を口に当てた。しまったと彼は慌てて口を閉じる。
誰の刀かよく分かったね、と笑う和音の傍で紬もうんうんと頷いていた。


「そっかー。ここにはそんなにも神様いたんだなー」

『……怖い?』

「え?」

『私たちは、人間じゃないし……普通の人が視える生き物でもないから……ほんとは怖いんじゃないかなって……。……で、でもね!神様の中でも弱くて、あまり力もなくて、人に近いんだよ……だから、』

「いやいや、全然怖くないけど。」

『え……?』

「まぁ最初は驚いたけどよ、どう見ても見た目普通の子供だから全然怖くはないな!……つーか今は、俺の傍にはこんなにも力強い味方がいたんだなーって思ってる」


にひひ、と笑う藤堂に紬は「……ありがとう」と小さな声で呟いた。何の何の、俺の方こそありがとうだって!なんて言いながら紬を撫でた彼に、彼女は主が平助くんでよかったと心からそう思ったのだった。
その次の日も、藤堂は紬のことが視えていた。もし視えていなかったらどうしようかと最初は不安だったが、彼からおはようと挨拶が返ってきて紬は一気に安堵した。
それにしても、なぜ急に視えるようになったんだろうか。藤堂は今までそういったものを視たことがなかったのに。そんな藤堂と紬の疑問について答えたのは和音だった。


「───これは私の予想に過ぎないけど……多分、名前と飾りが関係してると思う。」


言葉には不思議な力が宿ると言われている。特に名前なんかは一生使われていくものだから藤堂がその名前を呼ぶごとに言霊の力が募っていったと考えられる。物を贈ると言うのも贈る人の想いが込められているからそれが力に変換されたのだろう。その2人の間に出来た“力”という繋がりが、彼を特別な目に変えたのかも知れない。
そんな風に和音はそこまで推測すると「まぁ私もはっきりとは分からないからそれらしい事を言ってるだけなんだけどね」と苦笑していた。だが、その推測は確かにそうなのかも知れないと納得出来た。名前をもらい、飾りをくれたその次の日から藤堂は視えるようになったのだから。


『おはよー紬。何してるのそんなところで?』

『あ、それ髪飾りにしたんだ。けっこー可愛いじゃん』


縁側に座って昨日の出来事を思い出していると、加州と大和守が廊下を歩いてこちらにやってきた。


『……朝、平助くんがしてくれた』


私の淡い茶の髪は絶対桜と合うって、楽しそうに。頬を緩めてそう呟くようにして言った彼女を見て、2人はふーんと少しだけ面白くなさそうに答えた。そして何を思ったのか紬を挟むようにしてそこに座った加州と大和守は、彼女にぴったりとくっついた。


『ちょっと、何?くっつきすぎ。』

『べーつにー?』

『ちょっとね〜』


ふふ、と笑う2人を不思議に思いつつ、紬は小さく笑った。


『……いつまで?』

『えー?何が?』

『いつになったら覚めるの?』

『いつまでここにいるの?俺たちずっと待ってるのに……』

『……は?』


紬にはまるで言っている意味が分からなかった。清光も安定も何を言っているんだろう?平助くんのこと?
いつもとは違う雰囲気の2人に突然、少しだけ怖くなった。


『意味分かんない……どういうこと……?私はずっと平助くんの傍にいるって言った!清光も安定も自分の主……沖くんの傍にずっといたいって思うでしょ!?私の居場所を奪おうとしないでよ……!』


嫌だ、私はここを離れたくない。気付けば2人にそう叫んでいた。なぜそう叫んだのか、自分でも分からなかった。2人から離れようにも両方から手を握られていて離れられない。どことなく、体全体が痛み始め、金縛りにあったように動けなくなる。分からない。何が言いたいの?
加州と大和守は、悲しそうな顔をして紬を見つめていた。


『お願いだから、いかないで……』

『早く、帰って来てよ……紬、』


その言葉は頭の中に響いた。


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