桜の花びら四五枚


「なあ、紬」


月真院を出て、暗い夜道をしばらく歩いた頃。
最後尾を歩いていた藤堂が、更にその後を追うようにして静かに歩いていた紬にふと声をかけた。


「新撰組のみんなのこと、好きか?」


その問いに、即答など出来なかった。
隊にいた頃を思い出して、複雑な気分になる。
どうしてこうなってしまったのか。もっと他にいい方法はなかったのだろうか。
新撰組のやり方は重々承知している。伊東が先に仕掛けようとしていたから返り討ちにあったのも頭では理解している。
けれど好きだったからこそ、がっかりもした。否、御陵衛士の───藤堂の判断が間違っていると思いたくなかったから、彼の選択を否定などしたくなかったから、矛先を新撰組に向けてそう思うことしか出来なかった。
どう足掻いても覆せない現実に、二度とあの頃のようには戻れはしないだろうと漠然と理解して虚しさを覚える。
───そうだ。だって私は御陵衛士である藤堂平助の刀なのだから。主以外は枷になると手放したはずだ。
そこに至れば、考えは早い。


『……。……好き、とは言い難い』

「……そっか、」

『?』

「……紬、この先、色んなことがあると思う。けど、何があっても自分を見失わないでほしいんだ。」

『……どうしたの、急にそんなこと、』

「"ある奴"に言ったことあんだけど、俺はさ、ただ俺のやりたいことをやってるだけなんだよ。後んなってしなかったことに後悔するのも、自分の気持ちに嘘をつくのも嫌だからさ」


だから、斎藤一が間者と知っていながら見逃した。
結果、伊東甲子太郎を死なせてしまった。
結果、武装もせずに仲間と敵が待ち伏せている場所へ向かっている。


「他の奴を巻き込んじまったのは本当に申し訳ないと思ってる。けどこれは俺の選択で、俺の責任だから。後悔なんてしてないし、逆恨みすんのも間違ってる」

『……。』

「アイツらは悪くない。だから絶対、復讐なんて考えんなよ」

『……平助くんはおかしなこと言うね。私は刀だよ。主がいなくちゃ動けないんだから、君が復讐を考えていないのなら必然的に私もそうなるに決まってる』


それもそっか、と呟く平助。彼は困ったように笑いながら、まるで仲の良い兄妹のように、もしくは愛する我が子のように、優しく穏やかな視線で紬をみつめた後しっかりと前を見据えた。


「俺は隊のみんなのこと好きだからさ、だから紬にもアイツらのこと好きでいてほしいなって、これからもずっと」


彼の言葉は、あたかもこの先の展開を何となく想像しているような口ぶりだった。でなければ、復讐だなんて単語が出るはずなどないのだから。





───一度見たことのあるはずのその物語。しかし彼女の記憶とはほんの少しだけ違っていた。
待ち伏せしている新撰組隊士が襲われている様子もない。
となると、やはり藤堂平助の身の安全を最優先にしているのだろうか。致命傷を避けられれば十分に生き延びる余地はあるはずだ。諸説に逃がそうとしているのなら、最も有効的手段とも言える。


「おのれ新撰組ぃ!!」


敵が現れるタイミングとしては、そろそろだろうか。
姿が見えた瞬間すぐ飛び出せるような位置に待機しつつ周囲の様子を伺うが、1秒1秒と歴史は同じ道を辿って行く。
そのまま、あの悲劇をもう一度。


『っ平助くん後ろ!!』

「!っ───!」

『平助くん……!』


それでもあの時と同じように抜いた刀は、上総介兼重という名のそれで。背を斬られながらも、顔を歪める相棒をしっかりと見つめ返した。
遡行軍は、姿を現さない。


「ごめん───」


───覚悟はしていた。何が起きようとも。
自分に出来ないことはきっと隣に立つ彼が何とかしてくれるから大丈夫だ、だから自分のできることを考えろと、気を抜けば震えそうになる身体に鞭を打って。
しっかり最期まで見届けよう、と。この哀史は誰にも邪魔はさせないと、覚悟を決めてこの地へ来た。
人の命は、案外呆気ない。
何よりも大切だったあの人の命は、非常にも瞬く間に潰えていった。


『っあああああああああ!!!』

「…………、」


金物が交わる音の中、人間には聞こえるはずのない悲痛な声が耳に入り、あの時の光景が蘇る。
ぐったりと横たわるかけがえのない存在。
額から溢れ出る赤。それは顔を伝って流れ落ち、ゆっくりと、徐々に地面を侵食していった。
刀を握る手から伝わっていた体温がどんどん失われていく感覚。目の前の人物の『死』という実感。喪失感。絶望感。
こんな最期を目の当たりにして、彼を殺したやつらを憎むなという方が無理があった。
既に修復不可能の鈍ら刀を無理矢理使っていたわけだ。その無茶が祟ったのか、在るべき意味をなくし、憎悪を胸に抱えたまま彼の隣で意識を手放した"上総介兼重"は、藤堂平助と一緒に眠りにつくように二日後に折れることとなる。


「……!」


上総介兼重という付喪神を形作るほど大切だった人物の死というものは、そう簡単には克服できる物ではないらしい。
無意識に震えていたらしい彼女の手に、温かい手が触れたことでやっと意識がそちらに向く。
視線を上げれば、真剣でありつつもどこか柔らかな表情をする柘榴色と目が合った。


「今は、強がんなくてもいいよ」


たぶんアンタが自分で思ってるよりも辛そうな顔してるよ、といつになく優しい声色で加州に言われ、不意に鼻の奥がつんとする。
手を振り払うこともできた。けれど、冷え切っていた指先から伝わる温もりにそんなことは出来ず、彼女の精一杯の甘えで握り返す。
本丸という場所に喚ばれなければ、一生救われることはなかったのかもしれない。最初こそ険悪なものだったが、再びかつての仲間に出会い、一緒に戦う仲間も増えた。知らないことが沢山ある環境で、藤堂平助といた頃には知り得もしない新しい世界を、見て、学ぶことができた。
こちらの生き方も、いつの間にか代えがたいものになっていた。


「……遡行軍、来なかったね」


加州の言葉に紬は静かに頷いた。
収穫は、何もなかった。
正直、何もなくてホッとしたような。けれども、結局の原因が分からずじまいでモヤモヤしたような、何とも言えない気分だ。


「……もっと前の可能性とかあんの?」

「どうだろ……私にとってはここが一番の分岐点だと思ってた」


───しかし、今は干渉に浸っている場合ではない。
敵の気配はない。いや、あったら既に姿を見せているはずだ。藤堂平助という男の命が潰える前に。
なぜ、何も起きないのか。
着目すべきところを間違えた?
池田屋のあとから潜入してきて、その間は何もなかった。となると、加州が言うようにもっと前になるのだろうか?


「(それにしても何だこの違和感……)」


遡行軍が現れるとすれば、この日、この事件だろうと思っていた。それ以外はどうにも腑に落ちなくて、来たる油小路事件この日まで江戸に潜入していたというのに、それさえも見当違いだったというわけだ。
そもそも不可解な点はそれ以前にあった。自分の身に起きることながら、いまいち動機が分からないことだ。
あれが紬自身であること、それはきっと間違いない。となると、何を目的として歴史改変を目論んでいるのか。それを達成してどうしたいのか。
先の未来で、歴史を改変したくなるほどのきっかけとは何なのか。


「(何かが、引っかかる。)」


同じ自分のはずなのに、思考さえ読み取れていないことがこんなにも腹立たしいとは思わなかった。それと同時に、いずれ自分の身に降り注ぐときが来るであろうその『予想をもしなかった何か』が怖くもある。
けれど、時が来るのを怯えながら待つだけはしたくなかった。
『私』は、一体どこから思考を間違えたのか。


「(まさかとは思うけど……もしかして、敵の目的は、最初から"これ"じゃない……?)」


そもそも、目的が『根本』から違っていたとしたらどうだろうか。
きっと何かしらの手がかりはあるはずだと、遡行軍と出会った時のことを順を追って思い出す。
初めてその姿を目にしたのは、折れそうになっていた紬を助けたときだ。これは単純に『過去』としての紬がここで折れては困るからの行動だろう。
意識も朦朧としていたため思い出せることは少ないし、特にこれといった情報は得られていないから除外する。
二度目は加州を隊長に、紬、山姥切、鯰尾の四振りで出陣した時。初めて敵の姿を認知し攻撃を仕掛けたが、相手の逃走によりどちらも負傷することなく終えた。
三度目は、加州と出かけた万屋街。


「───清!余所見するなっ!」


加州へとどめの一撃を繰り出そうとしていた大太刀を紬が止めに入った時。重い一太刀を食らう直前に、それの背後から現れた。
そして四度目。池田屋事件。


「───紬っ……!」

「───……き、よ」


紬を庇うようにして間に入った加州が敵の一撃を受け止めた時。それはまたも敵の背後から不意をつくように現れた。
現れるのは、決まって紬がいた時。それも何かしらの危機に直面していた時だ。それ以外の目撃情報は聞いてはいない。
でもそれは、当然と言えば当然のこと。過去の上総介兼重という存在が折れてしまえば未来に影響しないわけがないのだから。
……しかし、『根本』がそこを指していたとすれば。もしそんな当たり前の考えが邪魔をしていたせいで真実にたどり着けなかったとしたら。
あの時、彼女以外に一緒にいたのは───。


「!」

「……紬?」


心配そうな顔でこちらを見つめる彼の姿。
視線をほんの少し下げた先に、違和感を抱く。
上総介兼重の成れの果て。
照りつける太陽の日差しを拒むように黒のオーラを纏い、静かに佇むそれ。黒く長い髪、ところどころ破れた黒い着物と羽織と───赤い襟巻き。

───ドクン、と心臓あたりが大きく波打つ。


「───っ、ハ……」


点と点が、線になったような。
その答えに導き出されたとき、すとんと腑に落ちたように、彼女の中では確認に近いものがあった。
道理でここでは何も起きないわけだ。


「……なるほどね。全て繋がった……」


彼女が堕ちてしまった理由。
それは───先の未来で、加州きみを失ってしまったからだ。


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