桜の花びら四六枚


息を呑んだ。
彼が───加州清光が、目の前から消える。
大切なひとを守れずに失ってしまう、そんな未来が遠からずやってくる。
そう直感して、まるで鈍器で殴られたような衝撃を受けた。


「……紬?」

「!っ、あ、ごめん……なに?」

「何か分かったの?」

「……ううん。ただの憶測で、確証がない、から……なんとも」


こんなの、苦し紛れの言い訳だ。
あの結論は、紬にとって確信に近い何かを感じた。ならば、きっとそれは憶測なんかではなくて十分可能性として有り得てしまう話だ。
恐らく対象は本丸全体ではなく、加州清光一振りだ。でなければ、紬と加州の前にだけ現れるという説明がつかない。本丸に住む全ての仲間が対象ならば、他にももっと目撃者が現れるはずなのだから。
しかし加州にそれを今、素直に話していいのか。
そもそも古株である加州が折れるほどの強さを持つ敵の存在とはなんなのか。いつどこでそれが待ち受けているのか。それさえも分かってない状況で断言するのは難しい。
……それでも、これだけははっきり分かる。紬にとって歴史を変えたいと堕ちてしまうほど最悪の出来事が、この先待ち受けているということだ。


「(清が未来で折れてるかもしれない……なんて、口が裂けても本人には言えない)」


もちろん心配や不安にさせないためでもあるが、これは彼女自身のプライドの問題でもあるのだ。
いつの間にか彼女の中で加州の存在が大きくなっていたことを思い知らされて深い溜息が漏れた。自分に嫌気がさす。


「その憶測って?」

「……ごめん。私の勝手な想像だから……今は聞かないでほしい。確信に変わったら必ず伝える」

「……。」


真剣な表情で問いかけてきた加州の疑問をやんわり拒否し、繋いでいた手を解くと、横たわっているかつての主へ視線を戻した。堀川の言葉が正しければ、数日後にはきちんと埋葬してもらえるはずだ。
とりあえず、少しでも整理の時間が欲しい。冷静を装うが、頭がごちゃごちゃでどうにかなりそうだ。本丸へ戻るのは明日でも対して問題はないだろう。
とりあえず一旦家に帰ろう。そう一言だけ言い放って、現場に背を向ける。───が、それは数歩進んだところで阻止された。
ぐい、と手首を強く引っ張られるような感触があり、気付いたときには至近距離に加州の姿。思わず身を引くが、とん、と壁が背にあたり行手を阻まれる。そこにそのまま加州が壁に片手をついたことで、逃げ道は完全に絶たれた。


「……清、光?」


元々抵抗する気などなかったが、突然の行動に理解が追いついていない紬は不思議そうに加州を見つめる。
眉を垂らし、口を噤むままの彼は、どこか寂しそうで。いや、何かに怯えているとでも言うような、不安な雰囲気を纏っている。
視線は、交わらない。


「…………紬が、どこかに行きそうな、気がして、」


なんか、怖くなった。そう目を伏せたまま呟く声は、少しだけ震えていた。
どこかに行ってしまいそうで怖い。それは、こちらのセリフなのだが。しかし反論するほどの余裕もなければ、その言葉の意味を……彼の心情を汲み取れない紬は、何も言い返さず。そのまま押し返そうとするが、簡単にもう片方の手をも掴まれ成す術がなくなってしまった。


「アンタが自分を犠牲にしてまで誰かを守りたいように、俺だって……、」


掴まれた手は、ぎゅう、と強く握られ紬は思わず眉を顰める。
───彼女が何に気が付いたのかは分からない。けど、何かに気が付いたということは、表情と言葉の雰囲気から何となく感じられた。
言う気なんて、更々ないくせに。必ず伝える、なんて言っておきながら、きっと確信に変わっても言うつもりがないのだろう。そもそもほぼ確信を持っているくせに、結局自分一人でどうにかしようとする、なんてことは目に見えていた。それが紬の───上総介兼重と言う藤堂平助を主としていた付喪神の『性』なのだ。
けれどそれがどうにも気に食わなくて、やるせなくて。だから、溢れだす感情に抑えが利かなくなっていた。
そんな加州の思いを、紬は知らない。


「そんなに俺は頼りない……?」

「清、一体どうし」


思わず、紬は聞き返す言葉を止めた。否、止めざるを得なかった。
視界いっぱいに映る加州清光の顔。唇に触れた熱。
それが何なのかを理解するまでに数秒もかからなかった。掴まれていた手を振り解いて押し退ければ、加州は悲しそうな目で彼女を見つめる。
頭の中を整理をしたいと思っていた側から、更にごちゃごちゃに掻き乱されて、調子を崩される。


「俺だって、アンタのこと守りたい。」


それは、何かを決心したような、そんな表情だった。


「俺はアンタのこと……」

「や、だ……言わないで、」


その言葉の続きは容易に想像できてしまう。
だからこそ、彼のその言葉の続きを聞いてはいけない気がした。


「……きよ、やめて、」

「やめたくない。俺は、紬のこと───」

「っ聞きたくない……!」


はっきりと、拒絶の言葉を口にする。
こんな状況でさえなければ、どんなに良かっただろうか。
素直に言葉を受け取れないのがこんなにも悔しくて、もどかしいと思う日が来るなど思いもしなかった。
口を噤んだ加州の表情を見て、更に胸が締め付けられる。


「……清がいま言おうとしてる言葉を受け入れられるほどの余裕を……私は、持ち合わせてない、みたいだ」

「……、」

「それを聞いたら、私はきっと……戻れなく・・・・なる」


漠然と、そんな予感がした。
大切なひとだからこそ、この想いに蓋をしなければならないと思った。認めてしまえば、受け入れてしまえば、……膨らんだ想いの分だけ反動が大きく、重くのしかかるはずだ。
気持ちがひとつひとつと積み重なれば積み重なるほど、感情のままに動けば動くほど、これから心に巣食おうとしている闇に飲み込まれてしまうんじゃないかと怖くなった。何となく、そんな予感がしたのだ。
時間遡行軍として動くようになった原因は、きっとそれが大きいのだろう。この先も本丸という温かな場所で一緒に過ごしていけるのだという小さな幸福と期待が、一瞬で絶望に変わり、執念へと。
期待が膨らみすぎたからこそ、奈落の底まで堕ちてしまうこととなる。


「……だから、ごめん。その言葉は……聞けない」





それからはお互い必要最低限以外の会話をすることはなく、八重として過ごしていた家へと戻った。夜明けと共に本丸へと帰るため、生活していたという痕跡をある程度消してから、その時が来るまで時間を潰して待つ。
加州はどうやら本丸での出陣任務をこなしてからすぐこちらへと来たらしく、疲れているようで仮眠をとっていた。
───どうしてもっと早く気が付かなかったのだろう。
いや、そうは言っても今回の油小路事件を経て、目的が完全に藤堂平助でないと分からなければ気づくことはできなかった。
完全に盲点だ。
けれども、今思い返せば最初から違和感はあったのだ。未来の上総介兼重に救われた直後に見た夢から始まり、池田屋や、こちらへ潜入してから、色々な場面で藤堂平助と接触し、会話を重ねてきた。
その中で抱いたのは、負の感情というよりも、自身の在り方を決定付けるような、信念を貫き通すための覚悟だった。
そしてそれに従って動けば動くほど、藤堂平助という主以外にも、守りたいと思える大切な人や居場所が増えていった。
だからこうして彼女は、最も大切な人の死に場を確認するために、意を決してこの場に立ったのだ。


「(でも、平助くんと会えて、刀を交わせた……実りある日々を過ごせたのも事実だ。)」


江戸に潜入を始めた当初よりは、確実に力がついた。決して無駄な行動ではなかったのだと、胸を張って言える。
───しかし、だ。これからどうするべきか。
未来の紬が歴史修正主義者として動いている理由は分かった。だが理由は分かっても、未来に起きることなど想像すらつかないのが現状だ。
主である和真だけには事情を説明して何かしら策を講じてもらわなければ、知らないところで、なんて悍ましいことはあまり考えたくはない。
和真は機転が利く。だから加州に勘付かれないようにうまく対処してくれるはずだ。もし疑問を持たれたとしても、相手が納得できそうな理由を並べて誤魔化してくれるだろう。
だからその点の心配はあまりしていない。……だが、問題は別にある。
目的は彼が折れるのを阻止するためと考えてほぼ間違いないだろう。
今まで紬と加州だけが目撃と接触を繰り返していたのは、おそらくそのための下準備と言ったところか。少しでも可能性を消すためにひとつひとつ丁寧に潰していたとも捉えられるし、情報のない遡行軍の姿を見せることにより危機感を持たせるためとも捉えられる。
そもそも遡行軍未来の自分は、紬自身の動きを知っているのだ。
それこそ一番最初に姿を見たとき以外、危険な目にあったとしてもどうにかこうにか危機を脱することができると分かっていたはずだ。それなのにいちいち目の前に現れた。まるで自身の存在を認知しろと言わんばかりに。
そう考えれば妙に不可解な点がある。


「(───じゃあ、今回は?)」


江戸へ潜入すると言う今回のこの動きは、その謎の遡行軍の存在があったからこその出来事。敵の原因を突き止めるために、紬はこうして江戸幕末へと潜入している。
だからこれは未来の紬からすれば、あるはずのない過去となる。
残念ながら彼女が立てた仮設は間違っていて、今回の潜入は無意味となってしまったのだが。


「(本当に、無意味な潜入だった……?)」


しかし、もしこれが彼女ではない誰かが得をする潜入だったとしたらどうだろう。
───例えば、誘導だったとしたら。
ようやく冷静になった思考がそこまで辿り時、ふと肌で感じとった。空気感が変わったというべきか、殺気とは全く別物の、けれどひりつくような緊張を孕んだ雰囲気と小さな気配。
仮眠を取っている加州をそのままに、刀を掴み静かに外に出る。
外は街灯など全くない暗がりの道だが、夜目が利く彼女にはあまり関係がない。しかし数メートル歩みを進めたところで、紬は足を止めた。


「……当然、思考はお見通しってか」


そもそも『上総介兼重が江戸に潜入する』という過去に変えて得をする者なんて、たったひとりしかいないのだ。
視線の先にいるそれは、雲で見え隠れしている月の微かな光に照らされて、赤とも桃色ともとれる瞳をゆらりと怪しく光らせる。その視線に敵意は感じない。
きっと紬が真相に確実に辿り着くことを想定したうえで、時が来るのを待っていたのだろう。
───全ては“未来の上総介兼重”の手の平で転がされていた。そう考えると少し癪だが、その行動がなければ真相に辿り着けなかったのもまた事実なのだ。
紬は、ただ静かに佇む目の前のそれを見据える。


「私は……どうしたらいい」

「…………。」


率直な疑問。しかし返答はない。
無機質な表情から読み取れることは何一つなく、これとは意思疎通はできないと考えた方が良さそうだと、そう諦めかけたその時。
目の前の“紬”はそっと手を差し出した。


「!……そっか、そういう……」

「───紬!」


背後から近付いてくる気配。その声は焦りの感情を帯びている。
どうしてソイツが……、と状況が全く読めないとでも言うような困惑した声で呟く加州。その様子を尻目に確認してから再びそれを見やれば、目の前の遡行軍は紬の後ろへと視線が伸びていた。
自分自身だからだろうか、表情からは読み取れずとも、揺らめく瞳に宿した感情が何となく伝わってくる。
ああ、この刀は───“私”は、大切だと思えた居場所を捨ててまで、たったひとりのために過去をやり直したいんだな。と。
そして、私自身がそう思う日が遠からずやってくるのだ、と。
ならば、道は一つしかない。
己の真意は、たったひとつの仕草だけであっさりと汲み取れた。だから、これからしなければならないことは。


「ごめん清……お別れだ。」


振り返れば、不安を宿した柘榴色の瞳と目が合う。
そんな彼に、紬は小さく微笑んだ。


「───私はもう帰れない。」


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