桜の花びら四四枚


それから時は、着々と過ぎて行った。
斎藤一が、月真院を出て行った。
坂本龍馬が死んだ。
いくつもの歴史に残るほどの大きな事件は、そのまま何かが起きることもなく過ぎていっていた。それなのにやはり例外はなく、歴史修正主義者は姿を現さなかった。それが藤堂平助の死に確実に直結するとは言い難かったからかもしれない。
そして残す『歴史』は、ただ一つ。
こちらに来てからは濃紅の着物に着替えることはあっても、浅葱色の羽織に袖を通すことは控えていた。だからだろうか。懐かしさを感じる一方、最後の任務という事実により一層身が引き締まる。


「準備できた?」


夕日は沈んだばかり、ちらほらと家に灯りが灯っている時刻。長屋を出れば、外には既に赤と黒の特徴的なコートを身に纏った人物───否、刀剣男士が立っていた。
その言葉に黙って頷いた彼女は、小さな不安を掻き消すように、刀をぐっと握りしめ深く息を吐きだす。
残す『歴史』。慶応3年11月18日、油小路事件。


「───行こう。」


紬は静かにそれだけ言うと、一歩を踏み出したのだった。
伊東甲子太郎が近藤勇に呼ばれたのは数刻前の出来事。そこから伊東が油小路で討たれ、月真院に情報が渡ったのが午前12時過ぎとなる。
それまでの間は加州と共に周辺の偵察をしながら、伊東甲子太郎らの様子を伺う二振り。


「……でもさ、ここまで一度も姿現さないなんてことある?」


加州の呟いた疑問点は紬自身も感じていたことで、それに小さく頷いて同意した。
和真に報告したように、歴史修正主義自体は何度か現れたのだが、彼女が目的としていた例のそれらとは関係のない者ばかりだった。
結局、未来の彼女が堕ちてしまった原因も、何を目的として動いているのかも全く見当もつかないままこの場にいる。


「……悟られないためか。もしくは、平助くんの死を覆すその瞬間以外に意味を成さないと思ってるか」

「諸説に逃がそうとするパターンも考えられる?」

「うん、私なら考え得る手の一つだ。でも伊東甲子太郎を生かして帰す、新撰組を殲滅するって手も捨てきれない。……選択肢が多すぎる」


それに勢力だって分からない。一度敵勢力と戦っている分、各個体の強さだって計り知れない。未来の紬本人の強さも。


「(でも、ただ私だって江戸でのんびりと過ごしていたわけじゃない)」


彼女なりに修行を重ねてきた。出来ることをやってきた。あとはやれるだけやるしかないのだ。
───でも、平助くんを史実通りに殺さなければいけない状況になってしまったらどうすればいいのだろう。敵の目的を阻止して目の前で果てていく彼をちゃんと見届けることが出来るのだろうか。いくら覚悟を決めたとしても、不安はそう簡単には拭えない。
胸の中に残る微かな不安感を必死にかき消しながら、隣に立っている彼の様子を伺う。
───私が駄目な時は、彼がきっと斬ってくれるだろう。
彼女が本丸へやって来る何十年も前から、数多の困難を乗り越えてきている。勝手知ったる相手と言うのもあって、心強さで右に出る者はいないだろう。
不意に視線が交わり、加州は不思議そうに首を傾げる。


「なに?」

「……ううん、何でもない」


安心して背中を預けられるから、私は遡行軍にだけ集中すればいい。
そして何としてでもこの任務を達成して、本丸に戻らなければいけないのだから。紬は揺るぎない決心を胸に、手に持つ本体を強く握りしめたのだった。





「───出てきた」


……とは言うものの、あれからも特に変わらず遡行軍が姿を現すこともなく。そのまま伊東甲子太郎は、建物から出てきた。相当酒を飲まされたのだろう、ふらふらとした足取りで帰路につく彼の様子を見ながら、行くよと進みだした加州の言葉に頷き、その後を追った。
見覚えのある油小路に差しかかる。その先の道には10人ほどの新撰組隊士が待ち伏せしていて、呆気なく取り囲まれた伊東は全てを察したかのように薄ら笑いを浮かべ「謀られましたか……」と静かに刀を抜いた。
彼は文武共に秀でた人間だ。酒を飲んでいようとも北信一刀流の使い手であることには変わりはなく、重傷を負いながらも隊士数人を斬り伏せていった。
しかし多勢に無勢。かなりのハンデを抱えていた伊東甲子太郎の抵抗は虚しく、その命は静かに尽きた。
何事も起きることなく、史実通りに。
そこから紬と加州は藤堂たちがいる月真院へ向かった。紬が入り口の様子を伺っている間に、加州は周り一帯の偵察をする。


「(きっと今頃、平助くんは落ち込んでるんだろうな……。)」


あの頃の状況を思い返す。あのときの彼は、自分がもっとしっかり状況を把握出来てればとか、自分の考えが甘いばっかりに、とか思い詰めたような顔をしていた。正直、あのとき何て声をかけてあげるべきだったのか、どんな言葉が正解だったのか、それは今でも分からない。この先の結末を知っている今では、藤堂に言いたいことは山ほど出てくるというのに。
そのまま加州と特に話すこともなくもんもんと考えながら待っていれば、御陵衛士が出てきた。そこにはきちんと藤堂平助の姿もある。
ここからは更に、気合いを入れなければならない。


「紬、無理してない?」

「ん、大丈夫」

「手でも繋いでてあげよっか」

「ふふ、大丈夫だってば」


彼らの後ろを追いながら、加州とそんな会話を交わす。きっと彼なりに気を紛らわせようとしてくれているのだろう。
もちろん『平気』というわけではない。怖くないというのも嘘になるし、正直はっきりと言ってしまえば二度と見たくない光景だ。
けれどここをクリアしなければ胸を張って本丸に戻れないことも事実。随分前に覚悟は出来ている。


「───ん?……!あ、わりぃ、ちょっと先行っててくれ!すぐ戻る!」


しかし月真院を出てしばらくした頃、最後尾を歩いていた藤堂平助は急に立ち止まった。それから仲間に何かを伝えると身を翻し、辺りを見回しながら来た道を走って戻ってくる。


「待って、こんな動きあの頃にはなかった」

「え?っていや、こっち来てるって……!」


生憎、反対側は行き止まりだ。屋根へ飛び移ろうとしても、さすがにこの距離ではバレてしまうだろう。どうしたって視界に入ってしまう。ならば方法は一つしかないと、慌てる加州を横に、至極冷静だった紬は羽織を脱ぐと加州に預けた。
加州を自身より後ろに追いやって、そっとその建物の死角から出た。驚きながら彼女の名前を呟く加州に「大丈夫」とだけ残して。


「お!やっぱ八重いた!」

「藤堂さん……どうしてここに?」

「なんか近くにいるような気がしたんだよな」


お、最初に会った時の格好じゃん。なんて、暗闇の中いつものように明るい笑顔を向ける藤堂。どうやら八重を探していたようだ。お前に言いたいことあって、と呟いた彼はじっと彼女の目を見つめた。
言いたいこととは何だろうか。全くと言って想像もつかない言葉とこの状況に首を捻ることしかできない。
今日この日に、彼の命が燃え尽きるこの最期の日に、彼と言葉を交わすなんて考えてもみなかった。でも藤堂は今日が最期になることなど知るよしもない。
しかし彼が踵を返してまで八重に会って、何を伝えようとしているのか純粋に知りたくもあった。だって藤堂にとって八重は偶然甘味処で出会って話すようになったただの町娘だ。長い付き合いでもなければ、互いのことを知っているような深い関係でもないのだ。最近出会って、少し刀の扱いを教わっただけの知り合いに近い何か。


「たぶん、お前とはもう会えない気がしたから……だから最後に別れの挨拶しに来た。……紬に」


深入りなんてせずに上手にやれてたはずだ。
それなのに彼は、いとも簡単に、教えていないはずの彼女の名を呼んだ。


「……いつから気づいてたの」

「は?舐めんなよこちとら何年一緒にいると思ってんだ。気付くも何も顔一緒だし、何も変わってねーじゃん。強いて言うなら池田屋?」

「最初からか」


藤堂からは死角になってるであろう場所、紬の横から「最初からバレてんじゃん……」と呟く声が耳に入る。これは私も予想外だったと内申反論しつつ、腕を組みながら話を続ける藤堂を見つめた。


「どーゆー原理で、とかはさすがに考えるのやめたけどな!でもお前が近くにいると必ず俺の相棒の姿が消えるから、今ももしかしてってな。神様は何でも出来んのか?」

「……ううん。私の力じゃなくて、今の主サマの力のお陰。私が消える現象は……ごめんとしか言いようがないけど」

「へぇ〜そっかそっか。俺が扱ってた時みたいにボロボロのままじゃねーし、綺麗な姿に戻ってっから、お前が元気でやれてんなら何も文句はねえよ」

「……何で私がここにいるのかとか、目的聞かないの?」

「うーん別に興味ねぇ」

「……言うと思った。君はそういう人だよ、良くも悪くも」


お前も言うようになったな、そう言いながら藤堂はけらけら笑った。


「じゃあ目的じゃねーけど聞いていい?そこに隠れてんの誰?俺の知ってる刀?」


やはりバレてたか。この人はいつからこんなに気配を読み取るのが上手くなったのだろうと感心さえする。隊にいた頃は空気を読まずにおちゃらけていつも土方さんに怒られていたというのに。
彼の問いに、仕方なく加州が姿を現した。そのまま、バレてんならもういいよと呟いて預かっていた浅葱色の羽織を渡す。


「……加州清光、覚えてる?」

「総司の刀だし当然だろ〜?でも初めて見たな!へぇ〜!それに紬、清光の話ばっかしてたもんな」

「ばっかりじゃないし、そもそもいつの話してんの」


藤堂の言葉に素早く反論をする紬は照れ隠しなのか口を塞ぎにいく勢いだ。紬とは長いこといたはずなのに初めて見るその反応に、やっぱり平助にしか引き出せない表情があるのだと羨ましくなる。
だから咄嗟に彼女の手を掴んでいたのは、本当に無意識だった。加州の名前を呼ぶ紬の困惑した声にハッとして慌てて掴んでいた手を引っ込める。


「ははっ、ちゃんと再会・・できたようで安心した!……清光、うちの大事な紬をよろしく頼むな。悲しい思いさせたら地の果てでも追いかけてぶっ飛ばしに行くから覚悟しとけよ」


重、と呟いた加州の声を拾ったのか、彼は家族のように可愛がってたんだから当然だろと笑う。そして加州が頷くのを確認してから、そろそろ戻んねーとと腰に携えていた刀を強く握った。
藤堂はきっと、この先に起こる出来事を悟ってしまっている。でなければ、紬に別れの挨拶だなんて言いはしないのだ。
この世に生を受けてたった20年とそこらしか過ごしていない人間が、この先に待ち受ける出来事を想像して怖くならないわけがない。その恐怖さえも飲み込んで、覚悟を決めて臨んでいるのだ。
ならばこちらも覚悟を決めなければならない。
手に持っていた浅葱色のだんだら羽織を着直して、目の前の男と目を合わせた。


「紬。お前との手合わせの時間、最高に楽しかった」

「うん、私も。」

「俺さ〜、実はお前と実際に刀交えて手合わせしてみてぇな〜って密かに思ってたんだ。夢叶ったわ。会いに来てくれてありがとな」

「こちらこそ、私も主の剣術が盗めて大満足」

「言い方〜。……じゃあな、紬!ずっとずっと元気でな」

「うん、平助くんも元気で」


それだけ言うと藤堂は軽く手を振って、戻ってきた道を走って引き返して行った。もともと静かだった場所が、更に静寂に包まれる。


「最後の最後で大暴露して行っちゃうとか、さすが平助くん……」

「……よかったの?もっと伝えたいことあったんじゃない?」

「…………いい。土産話を増やすから」


それこそ本丸にきた頃は、言いたいことが山ほどあった。言っても言っても言い切れない『気持ち』をどうしたら伝えられるかを、意味もなく、途方に暮れながら考えていた。
けれどいざ本人を前にしたら、案外全部を言葉にしなくても彼には伝わっている気がして、別にいいかななんて思えてくる。だから本丸でやることがなくなって彼の元に再び帰ったとき、思いの丈を全部伝えよう。たくさんできた思い出を一つずつ、余すことなく伝えよう。
きっと楽しい時間が待っているに違いないと、想像するだけで頬が緩む。


「見届けなくちゃ。きちんと、彼の最期を」


まだそっちに行くつもりはないけれど、いつか思い出話に花を咲かせられるように。
精一杯やってきたよと、胸を張って言えるように。
次に会ったら、一緒に大好きな桜を見に行こう。


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