桜の花びら四二枚


「───紬?」


名前を呼ばれてハッとする。紬の顔を覗きこんでくる石榴色は心配を表していた。
約束通り息抜きがてら江戸の街をぶらぶらしたり、本丸の数振りからお土産を頼まれていた加州に付き合って買い物をしたり、夕飯を食べたりと何気ないような時を過ごし、現在紬が八重として住んでいる長屋の、決して広くはない部屋へと帰る。
そして窓から外の景色を眺めながら一息つけば、いつの間にか物思いに耽ってしまっていた。


「あ……ごめん。なに?」

「一杯付き合ってよ」


その間に台所をうろうろしていた加州は、手に徳利とお猪口二つを持っている。
いいけど、と軽く返事をして座りなおせば、加州はお猪口にお酒を注ぎながら「何考えてたの?」と先程の様子に対して質問を投げかけた。


「ちょっと昔のこと思い出してた」

「昔のことって?」

「御陵衛士になってからのこと。……平助くんは目敏いから、私が隊を離れて寂しがってることに気付いてた。だから平助くんを困らせたくなくて、平助くん以外は全部捨てようって誓ったんだ」

「……そっか。」

「平助くんがあのとき私を手に取らないでもう一振りを使っていたら、もう少し何かが変わっていたんじゃないかな、とか考えたりもした」

「そう言えば平助がもう一振り扱ってんの、あんま見たことないかも」

「うん。池田屋までは、予備だって言ってあまり扱ってなかったね。それ以降は、私が使い物にならなかったから、ちょくちょく扱ってたんだけど……」


しかし、その結果が顕現した日の抜刀に繋がってしまうのだから、笑えるような話にはならないけれど。
受け取ったお猪口をくいっと煽れば、久々に味わった酒が喉を刺激する。


「でも顕現した時に比べたら紬、結構丸くなったよね。馴染んだっていうか、ちょっと素直になったっていうか」

「そりゃまあ、最初は訳の分からない所に呼ばれて最悪だって思ってたから。……ていうか、私自身どうしたらいいのか分かってなかったんだと思う」


藤堂を殺した新撰組に対する怒りの矛先が、たまたまそこにいた新撰組の刀に向いてしまっただけの話。本当は違うと心の中では分かっていても、藤堂が全てだった彼女にとって、新撰組を『赦す』ことは苦しい選択でしかなかったのだ。
けれども先日の池田屋での出陣で、正体は隠してはいたが藤堂と話すことも出来た。思いの丈をぶちまけることも出来た。
それでようやく、彼女自身の心の整理がついたのだ。


「……今はちゃんと、帰る場所だと思ってる」


紬にとって大きな一歩を踏み出したとも言える。だから今、この場にいるのだろう。
もちろん"最終的には"藤堂の傍と決まっているけれど、"顕現されている内は"本丸が帰る場所だ。新撰組の時のように悲しい別れ方は絶対にしたくないから、自分で考えて答えを出せるようになった今は、何が何でも守り抜きたい。納得のいく終わり方にしたい。それが今の彼女自身の信念だ。
だが思い返してみれば、確かに加州の言うように本丸に来てばかりの頃と比べると、随分と毒気を抜かれてしまったかもしれない。
優しい仲間、みんなのことをしっかり考えてくれる主、温かいご飯、安心して眠れる寝床。背中を預けられるかつての仲間が近くにいる。それが思ったより居心地良くて、まだ本丸に居たい、なんて意外にも思ってしまっている紬がいた。


「……逆にアンタは、本丸に顕現されて何とも思わなかったの?」

「んー……思わないことはなかったけど、前の主……主のおじいちゃんがさ、一生懸命みんなのことを知ろうと、愛そうとしてくれたからあんまり気にしなかったかも」


悪いことをしたときはちゃんと叱ってくれて、辛いことがあったときはすぐに気が付いて話を聞いてくれたりとか。一振り一振りの気持ちを尊重してくれるような優しい人だった。と加州はどこか懐かしそうな表情でそう続けた。
彼女の知らない物語。本丸で過ごすうえで、和真や和音の祖父の話はごくたまに話に出てきていた。しかしそれを耳にする度に、埋めることの出来ない何十年もの差に何とも言えない気分になる。置いて行かれているような気分になる。
それがほんの少しだけ、不快だった。


「俺は沖田総司に使われてたって物語が一番有名だけど、実際他の人にも使われたりしてたからさ。前の主も今の主もその一人だって思えば割り切れたけど……でもそうだよな、紬は生まれた瞬間から平助の物だったし、完全に割り切るのは難しいか」

「あんたそれ馬鹿にしてんの?」

「はあ?捉え方捻くれてない?」

「冗談だって。……確かに、私は平助くんの為に造られて、平助くんだけにしか扱われなかったから、それ以外を考えられなかっただけなのかもしれない」


だから最初に顕現した時も、表情には出さなかったがかなり困惑していた。全く知らない男の人が目の前にいて、急に『主』だと言われて、見たこともないような場所に立っていて。何も知らない彼女に対して歴史修正主義者のことを分かりやすく説明してくれたが、それだけでは当然、理解はできても納得できるはずがなかった。
そこからよくやってこれたと思う、本当に。とっくりを取ってお互いのおちょこに注ぎながら、そう思い返していた。


「そもそも持ち主と会話できる時点でだいぶ特殊なんだけど」

「ふふ、羨ましいだろ」

「べっつにー。和音と話出来てたから何ともー?」

「それは私もなんだけど」

「……うそ、本当はちょっといいなって思ってた。……平助に」

「……ん?なんて?」

「ううん何でもない」


意外にも素直に答えた加州の口から聞きなれた名前が出てきて咄嗟に聞き返したが、加州がそれ以上何かを言うことはなかった。
空は深い深い、黒ともとれるような青で、月だけが輝いている。
ここは夜店を開いている場所からずいぶん離れた地であるため、電気も外灯もないこの時代では夜に活気づく場所はそうそう多くはない。少しの燭台とろうそくで長い夜を過ごそうという考え方の人間はこの辺りには基本的におらず、夜になれば静けさが増し、暗闇に包まれる道を月明かりが優しく照らしているだけだ。
だからそんな夜に動きやすいからと紬がこの場所を選んだわけだが、あたりを包み込むような静寂と暗闇は意外にも不安を掻き立てることなく、彼女自身のゆっくり考える時間を与えてくれていた。
寂しいとも思わないのは、きっとあの頃とは違って独りではないからだ。


「───ねえ、紬。」

「なに?」

「……月、まだ怖い?」


唐突な質問に、思わず首を傾げそうになった紬だが、加州を見れば視線は窓の外に向けられていた。そのまま視線を追うように窓の外に目を向ると、空には明けの三日月がのぞいている。


『───月は……あまり好きじゃない』

『─── …………平助くん……私の、世界で一番大切だった人が殺された時もこんな形だった。空から私たちを見て、嘲笑っているように見えるんだ……。だから、半月より欠けてる月は……怖い』


彼女が顕現して本丸にやってきたときの夜、三日月とした会話を思い出す。そう言えば盗み聞きしてたんだっけ、なんて思いながら月をじっと見つめた。


「……私にとって、あの日は一番の悪夢だった」


仲間を失うよりも、自身が折れることよりも、何よりも苦しくて悲しかった。どんどん冷たくなっていく藤堂を目の前に、ただ嘆いて、大切な人を殺したかつての仲間を恨むことしか出来ない無力な自分が本当に情けなくて。
しかし本丸に顕現した今も、藤堂の死を変えられるわけではない。むしろ変えようとしている組織を敵として排除していかなければならないのだ。
だから何も為せぬまま散っていったあの光景を、守るべき歴史として受け入れ乗り越えようと努力することはできても、忘れられるはずがなかった。


「あんな無念すぎる終わり方、正直今だって望んでないよ。……月を見ると、どうしたってあの日の最期を思い出す」


彼の散り際を二度と見たくないと思うのは今だって変わらないし、その最期を見届けるために今この場に立っているなんて思うと怖くなる時だってある。
けれど、今の主にはっきりと告げたのだ。今いる大切な人たちをこの手で守れるようにもっと強くなりたいと。まだこの本丸にいたいから、未来の自分が何を思ってそうなったのかきちんと知りたいと。


「今でも、月はあまり好きじゃない。けど、本丸に顕現して騒々しい日々に追われてたら、あまりそう考えることは少なくなった」

「……そっか」


まあ確かに、騒々しいくらい賑やかだしなー、と小さく笑いながら加州は酒を煽った。
多少の皮肉はあったけれど、久々に全く喧嘩のない二振りふたりだけの会話は、まるで昔のようなどこか懐かしい気分にさせた。





それからお酒を前に会話をしながら穏やかなひと時を過ごして休息をとった二振りは、夜が明けると共にそれぞれの目的のため身なりを整える。


「……そんじゃ、また来るから。それまでに何かあったらすぐに報告して」

「うん。主サマやみんなによろしく」

「りょーかい。紬も無理だけはしないでよ」


真剣な表情で言い放った加州の言葉にこくりと頷いた紬。それを確認した彼は、帰還用の転移装置を起動してその場から姿を消した。
こちらに来てからあまり戦装束に袖を通すことがなくなった紬は、いつも通りに町娘のような格好へ身支度を終わらせると、戸締りを確認して外へと踏み出す。
足の向く先は、彼女の働いている甘味処───ではなく。
庭園のような広場だった。両脇に並ぶ木々を抜け、小川にかかる小さな石橋を超えれば、腰掛けに座る1人の人物を発見する。朝の柔らかい日差しの中、池の揺らめく水面と優雅に泳ぐ鯉を眺めていたその人物は、彼女の存在に気付くと待っていたというように手を振った。


「───お、来たな〜八重!」


彼女の名前を呼んだ、小柄な男性。その声にぺこりと頭を下げた紬は、傍まで行くと小さな笑みを返したのだった。


「お待たせしました。───藤堂さん・・・・





∞ - - - - - - - - - - - - - - - - - ∞

これだけは言いたい。
お互いほんのちょっぴり素直になった紬さんと清光の雰囲気がガチでエモくない??(雰囲気ぶち壊し)


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