神様はいない | ナノ

最終話 1/4
「この度、こちらの授業を担当することになりました、七瀬ななこと申します。人の前に立ち、こういったことをするのは初めてですので不慣れですが、どうぞよろしくお願い致します」

 ピシ、と音が入りそうなほど堅苦しい空気を、さすがに自分でも感じた。大勢の子どもたちが席に座りながら、壇上に立って挨拶するこちらを見ている。
 きっと、今のわたしの表情は真顔以外の何物でもないだろう。口元が引きつっているのがよくわかる。言葉の締め括りにはようやく笑顔が浮かべられたような気がするものの、場の緊張を和らげるには至らなかった。

 控えめに拍手が鳴ったのを合図に深く腰を折る。するとわたしの隣に立つ男性、うみのイルカさんが声を張った。

「えー七瀬先生はとても優秀な方だ。みんなしっかり話を聞くように!」
「イルカ先生よりー?」
「こら、誰だ今呟いたやつは!」

 生徒ひとりのおちゃらけたセリフにより、張り詰めていたような空気が少し緩んだように思えた。

 今日からここで頑張るのか。新しい環境に属することへ一抹の不安を感じていたが、ようやく浮かべられた笑みを崩すことはしない。
 与えられたチャンスを、わたしはただ全うするだけ。その思いを胸に、生徒たちを見渡すよう、真っ直ぐに前を向いた。

………


「わたし、そんなに堅いでしょうか」
「七瀬以上に堅苦しいのは見たことないね」

 ざわざわ騒がしい店内。テーブルを挟み、対面に座るはたけさんはオブラートに包むことなくそう言った。

 今日はアカデミーの講師としての初出勤日だった。実際に受け持つ生徒を目の前にしてまずは簡単な挨拶を。その後、生徒たちの自己紹介も受けつつ初日を終えたのだが…。
 恐らくこちらの緊張が伝わっていたのだと思う。人並みに緊張して、表情がうまく作れなかった。こちらを見る生徒たちの視線がそれを物語っていた。しん、と静まる教室内にうみのさんが「たぶん生徒も緊張しているんですよ」とフォローをしてくれたが…明日からどうなることやら。

「ま、そうなるような気してたけど」
「…本当に向いてると思って推薦してくださったんですか?」
「うん、それは本当」

 そんな話をしていたら注文していた飲み物がテーブルに置かれる。生ビールの中ジョッキ。せっかく居酒屋に来たんだしと勧められ、滅多に飲まないそれを頼んだ。
 持ち手を掴んで、カン、と互いにジョッキの縁をぶつけ合う。

「お疲れ様です」

 そう小さく呟いて泡の揺れる、キンキンに冷えたそれに口を付けた。容器を傾けて、ゴクゴクと喉を鳴らす。ぷは、と息を吐き、後に残る苦味に思わず顔をしかめてしまった。

「案外いける口? こういうの飲まないイメージだけど」
「確かに普段は飲みませんが…付き合い程度なら大丈夫なはずです」
「へえ、意外」

 つきだしを合間に挟みながら酒を飲み進めた。いつもは飲む理由がないだけで、こういう類は別に嫌いではない。特段好きというほどでもないが…ほろ酔い程度で気分が上がるのはわりと気持ちが良い。

「はたけさんは普段こういったものは、」
「あ、ちょっと」
「なんでしょう」
「約束。忘れたの?」
「…あっ」

 彼のことを名前で呼ぶ。今日は今朝から初出勤のことに頭がいっぱいで、約束のことはすっかり忘れていた。指摘されて初めて気づき、思わず間抜けな声を出してしまう。すぐに「ほら」とそうすることを促された。

「…カカシさん」
「なに?」
「…いえ」

 呼ばせておいて白々しく返事をするカカシさんに何だか変な気持ちになった。こちらはとても勇気がいったのに、そうもあっけらかんとされると…ちょっとムカつくというかなんというか。
 でも頑なに拒否した割に、名前で呼ぶことにそれほど抵抗はなかった。呼び慣れないせいでむず痒さはあったけど。

「…はあ、カカシさん」
「だからなに?」
「あなたって掴みどころのない人ですね」
「七瀬に言われたくないなあ」

 ハハ、と軽く笑いながらジョッキを手に持ち、マスクに人差し指がかかったのを見て自分は手元に視線を落とす。
 何だか変な感じだ。上下関係があるときから繰り返される、ふたりで食事をすることにはもう慣れたはずだった。なら以前より仲の深まった、彼の言う"トモダチ"という関係なら、もっと穏やかな時間を過ごせるものじゃないのか? だけど今回も、妙に気持ちが落ち着かない。

 人の関係性とは難しい。特にそういうものに疎い自分には余計に難解に思えた。



 悩んでいるうちに料理が運ばれてきた。答えの出ないそれを頭の隅に追いやって、自分の頼んだホッケの開きを見つめる。
 ジョッキに半分ほど残っていたビールを胃の中に流し込む。早く酔ってしまえば、この変な気まずさも解消されるだろうか。

「次は何にする?」

 メニューを手渡され、少々ぼんやりした頭で悩む。

「…日本酒、冷やで」
「渋いねえ」
back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -