神様はいない | ナノ

第四話 1/4
 すう、と自然に瞼が上がる。ぼやけていた視界が徐々にクリアになっていく。目の前に広がる白一色。その端に、ぶらさがる輸液パックが見えた。
 シュー、シュー。自分が呼吸するたびに、装着された酸素の吸入マスクが音を立てる。

「…七瀬?」

 小さく、自分の名前を呼ぶ声がする。ゆっくり首をひねるとはたけさんが立っていた。姿勢を前傾させてベッドの縁に手をついた彼は、わたしの頬に優しく触れる。うまく声が出せなくて、返事の代わりに目を瞬いて見せた。

 ああ、わたし、生きている。漠然と思ったのはそれだった。

…………


 わたしは、あの日からちょうど一週間、意識を無くしていたらしい。医療班の適切な応急処置と、その後の尽力した施術によってなんとか一命を取り留めたそうな。

「あれはもはや芸術の域でしたね」

 そう医者が言うほど、地面と平行にされた刃渡りが肺を収める肋骨の下、脊椎の横を綺麗に通っていたらしい。大量に吐血したのは、刀が腸を突き破り、上行したそれを吐いたためだと考えられる。出血多量で死にかけたが、四肢に後遺症が残ることはなさそうだという。
 なるほど。あの男はわたしを即死させる気など毛頭なかったのだろう。痛みに苦悶し、死へ直面した絶望する表情を見るつもりだったのだろう。それが幸いしたとは皮肉の一言に尽きる。

 奴ははたけさんの雷切という技で、心臓をひと突きされ死んだそうだ。本来なら、自分がそうなっていただろう。いや、間違いなくそうなると思った。だけど触れる自分の体は温かく、静かに意識を向けると規則正しい鼓動が感じられる。なんとも言いようのない、不思議な気分だった。


 意識が戻るとすぐに酸素マスクは外されたが、しばらく安静にするように指示が出た。大人しく、ベッドの上でただ真っ白い天井を見つめる。
 いつもなら修行している頃だなあ、動けるとはすごいことだったんだなあ、と時計を見ては、そう感慨に浸った。

 そんな調子の、意識が戻って2日目。午後になり、ぼんやりと天井を見つめていると、視界の端からひょっこりとはたけさんが顔を出した。驚いてそちらを向く。相変わらず気配のない人だ。ゆっくりと上体を起こして、立ったままの彼を見上げる。

「ちょっと散歩でも行かない?」

 はたけさんからのそんな提案に従うと、この人生で初めて車椅子に乗車することになった。

「すみません」
「いいよ、これぐらい」

 はたけさんに車椅子を押されながら、院内の屋上を目指した。タイヤが廊下を走る振動を感じながら、おもむろに目を閉じる。
 死にかけた日のことはよく覚えていない。情景を思い出そうとするも、朧げにしか浮ばなかった。その中でひとつだけ、はっきりと覚えていることがある。それは恐らく一番最後。ぼやけた視界の中で見た、はたけさんの真っ赤な左目だ。

 瞳に浮かぶあの紋様をわたしは知っていた。そういえば、それを何故”はたけさん”が……。
 浮かんだ疑問は、彼に教えられたように言葉にして、相手に問う気にはならなかった。自分のことは表に出せるようにはなっていたが、相手側に踏み込むのは依然として苦手だったからだ。

 そんな思考を遮るよう、ぴりっとした痛みが走る。ゆっくりと目を開けて、右手の指先を見つめた。後ろに立つ人に気づかれぬよう、小さく溜め息をつく。
 この世に生還してからずっと、不規則にではあったが変な痺れを感じていた。場所は主に、右手の指先と右足のつま先。戦闘中に顕著に現れたこの症状は一過性のものではないということに、なんとなく気分を下げられる。

 気分を変えたいと目線を上げる。いつもより低い視点に少し戸惑った。廊下を行く人の、腹あたりの高さを見て過ごすことなんて今までにない。足に力を込めて、フットサポートを軽く押す。
 立ち上がることはきっと出来る。すぐに歩けるようになるはずだ。

「ここだね」

 エレベーターを上がり、物々しい扉を押し開く。柔らかな風が頬を撫でた。
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