白さの中


 そして、ななこは生きていた。確かに肉体が存在していたのだ。

 彼女は個室である、白い病室の中で横たえられている。

 自発呼吸は可能であり、酸素療法を行うことなく過ごせている。ただ、意識がなく経口摂取が不可能であるため、右内頸静脈に針を留置し、そこから滴下される高カロリー輸液によって生き長らえていた。

 その姿をよく見ようと、五条が病室の入り口からベッドサイドに寄ろうとするも彼の頭の中に制止の言葉が響く。

「なんで止めるのさ。ようやくご対面なのに」

 五条は笑って、自分の左胸を見下ろした。

 ーだ、ダメです! 絶対お風呂入ってないし歯も磨いてないし、何よりすっぴんだし!!

 五条の胸の内は焦りで満たされている。それはななこから溢れ出した感情であることに間違いなかったが、あまり持ち合わせていない感覚に彼はくすぐったくなる。

「ダメじゃないよ。僕今すっごい嬉しいんだから。ななこに会えることが」

 だから、ほら。そんな言葉をかけてから、ゆったりとした足取りでベッドサイドに寄り添った。

 そこには無垢な寝顔があった。

「……ななこって顔も可愛いんだね」

 ぽつりと呟いた五条は彼女の頭元に手をついて顔を寄せる。

 ーま、待って待って! アップ禁止!

「なんで? ななこも久しぶりなんじゃない? いつから感情だけの存在になったのかわからないけど」

 ーそうかもしれないけど五条さんはダメ!

「だからなんでよー」

 ーだって、五条さん、綺麗なんだもん。恥ずかしいよ。

「ったく、可愛いなあ。……せっかく共有できるんだから、僕の気持ちちょっと覗いてみてよ」

 五条は微笑んで目を閉じる。こうすると彼女の意識が自分に向きやすいことをもう知っていた。そして自分の脳内に響く、”五条さんのバカ!”という声を聞いて、次は吹き出した。

 どうすればななこは自分の中から元の体へ戻れるんだろう。彼女の寝顔を見つめながらそう考え、今までに立てた仮説を塗り替えてひとつの答えを導き出す。

「僕は最初、ななこは呪霊に成る前のものだと思ってたんだ」

 ージュレイ……え、わたし五条さんがいつも戦ってたあの化け物みたいなやつなんですか?

「いや、僕の想像だよ。ななこが恋人と別れてからこうなったことはすぐにわかったから、そのときに呪いが生まれてそうなったんじゃないかって」

 信用して信頼して、未来を誓った伴侶に約束を反故にされる。それはどれほど苦しく、恨めしいことだっただろう。

「でも違った。ここからは僕の仮説だけど、きっと飛び降りた衝撃で魂だけが飛び出たんじゃないかと思う。だから体は目を覚まさない。本質は僕の心の中にあるから」

 彼女は傷つけられながらも、きっと彼を思う気持ちを汚さなかったんだろう。怒りや悲しみを覚えながら、その感情を明け渡すことはしなかったのだろう。

「わかりやすく言うなら、生霊みたいなもんだね。だから今、僕の中にあるものを体に返すことができればすぐに目を覚ますはずだよ」

 それほどまでに彼女はきっと優しい。少し口うるさくて食い意地が張っていて涙脆いが、そんなななこの本質に触れていた五条は彼女に惹かれていた。

「だからさ、キスしようか」

 ー………き、キスぅ!?

「そう、キス」

 ーな、なんで!?

 わかりやすく動揺しているななこに口元の綻びが治まらない五条は、それでも鏡がないからバレないだろうと開き直って説明する。

「僕のよく知る呪霊とは少し違うから悩んだんだけど〜、呪力を左胸に注ぎ込んで引き剥がしてから通り道を作ってあげたらいいんじゃない? って思い付いたんだよね」

 ーそれ、上手くいくんですか?

「ん? わかんない。ななこは実体がないから、引き剥がしたあとどこ行っちゃうかも想像つかないし」

 ーえーーーっ、

「でもせっかくここまで来たんだから試してみてもいいでしょ? ダメだったらまた方法考えるよ」

 五条は、ななこはどうせ動揺して他に意識を向けられていないだろうと高を括って、ベッドに横たわる彼女の髪に触れる。触れられることに高揚感を感じながら、ふと思った。

 今までなら想像の中だった。楽観的でよく笑っていて、食い意地が張っていて、何でも美味しいと言うから味音痴を疑うとすぐに拗ねる。大好きな恋愛映画に少しドラマティックな展開があるだけでぐすぐすと泣き出す、そんなななこの表情が。
 彼女は一体どんな目をしてこちらを見るのだろう。どんな様子で僕の隣を歩くのだろう。それが笑顔と一緒であればいいな。そして思考は巡り廻る。

 早く、その目を開けてほしい。



「はい、だから諦めて」

 返事はなかった。どうせ照れて返事できないんだろうなと察した五条は、ななこの顔に手を添えてその唇にキスを落とす。

 そしてつい魔が差して、角度を変えて何度も唇を貪った。





 はぁ、と吐息を漏らしたのは〈彼女〉のほうだった。

「も、五条さんーーー、舌入れたでしょ…!!」

 すぅ、と持ち上がった瞼の下は濡れていた。手のひらで口元を覆っている。じろりと五条を睨んだななこは、彼が聞き慣れた声で咎め、そして小さく笑った。

「あ、バレた? ごめんね、念願のななこだったから」

 そう言った五条は彼女を優しく、そして力強く抱き締めた。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -