心には触れられない


 五条は結局、自分が頼んだパフェを放り出して、ファミレスをあとにした。彼が机の上にお金を置いて立ち上がったときの女の表情は怒りと悔しさ以外の何物でもなかったが、それには目もくれず、五条はとにかくその場から離れたかった。

 ー五条さん、わたし、情けないです。

 自分の頭の中にぽつんと、そんな言葉が落ちてきたからだ。

 ななこは自分のことが知れるなら、と女に会って、マサシの名前を出すことに同意した。だから五条は女を呼び出し、長期戦になることも考えて長居も可能な場所をチョイスしていた。それはあっさり終了し、彼の胸中にはゆらゆらと感情が揺れている。
 それはきっと五条のものではない。



 ーわたし、また思い出しましたよ。

「え?」

 ーあの人の話を聞いてたら、急にすぽーんって。

 深夜を超えても東京という街はまだどこか眠っていない。それでも五条は静かな方へと赴いてしまっていた。

「さっきみたいに、僕に映像はやってこなかったけど」

 ーあ、そうだったんですか? 自分の中に湧き出してくる感情で精一杯だったので、外のことにはあまり気がいってなかったんですよね。

 それに「そっか」と返事しながら、五条は街灯に照らされる夜道を歩いた。飲食店街を抜け、明かりの少ない方へ歩みを進める。すると自然に人の気配が減る。
 だから五条はひとりだというのにななこと普通に会話をしながら、彼女が初めてこちらに声をかけてきたときのことを思い出していた。

 あの日もあの女と会っていた。帰る方法にわざわざ徒歩を選びながら星の瞬く下で、傍から見ればひとりで喋る薄気味悪い奴になっていたのだ。
 今となってはもうそれが当たり前になりつつある。人の目があるところではさすがに自重していたが、自宅ではよく会話した。だから五条はふらふら出歩くことが少なくなって、適当な欲の発散のために複数いる適当な相手に会わなくなっていたし、顔も見たこともない彼女との時間を楽しんでいた。

 どうして僕は、彼女を突き止めようとしていたんだろう。

 事の顛末に想像がついたとき、彼女が全てを思い出せばつらい思いをするだろうことまでも、なんとなくわかっていたはずなのに。



「それで、何を思い出したの?」

 そう静かに問えば、ななこは少しの間を置いて話し出す。

 ーあの人に別れを切り出されたときのことです。あ、見ますか?

 そう聞かれたなら、五条は歩みを止める。目を閉じれば外界から遮られ、暗闇の端からジジ、と侵入してくるものがある。
 ななこは元は人間だったであろう自分が、こんな人間離れしたことをしているという自覚はあるのだろうか。
 そう疑問に思ったとき、彼女が笑ったような気配がした。

 ーすみません、五条さんに意識を向けていたので……。そりゃあもちろん、この状態になって初めて感じた感情は絶望でしたよ。一抹の記憶を頼りに自分の存在を考え、なんてかけ離れたものになってしまったんだろうって。

 それなのにななこはいつも明るかったのだ。見せていた楽観的さはきっと、色々なことに諦めたからこそ現れていた心情に過ぎない。
 そんなことに今さら気付いた五条は、胸の中に虚無感を感じた。きっとそれは彼女のものではない。

 ななこは五条のありとあらゆるものを共有してしまう。五感も心情も、全て。それなのに五条は何もわからない。彼女が何を考えているのか、どんな気持ちを抱えているか、なんてことは、彼女が望まなければ何も触れさせてくれないのだ。



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