散らばるピース
「……落ち着いた?」
ひっく、ひっく、としゃくり上げるのが頭の中に響いている。そして五条が感じたことない種類の感情がずっと胸の奥底をじりじりと焦げ付かせていた。それは自分のものではないと五条は理解していたが、彼女のものであることも問題だった。
何もやる気が起きなくなるほどの絶望感。それが彼女から、絶え間なく流れ込んできている。記憶がないと言ったななこにとって、あの男の映像が恐らく重要な人物であることは間違いない。
ななこがもし本当に呪霊になる寸前の状態だったとしたら。噴出し続ける負の感情をどうにかしてやらねば不味い、と五条は思っていた。
だからベッドの上に寝転がって、目を瞑りながらも彼女の気配に声をかけ続けていた。
ーすみません……なんか、止まらなくて……。
「そんなに泣くほど、あの男が好きだったとか? 奪われたってことは略奪愛に巻き込まれたじゃないの?」
ー奪われたって、わたし言いましたっけ?
驚いたように言うななこに五条はあれ? と自分の記憶を辿る。確かに彼女は言っていた。感情の爆発に紛れて、そんなワードを口にしていたような気がする。
「覚えてないの?」
ーわーっとなったことはよく覚えてるんですけど……あとは少し思い出しただけで、
「そういえばそうとも言ってたね。何を思い出したの?」
ーわたし、五条さんが言った通り、こんな感情になるほどあの人のことが好きだったみたいです。
そのとき目を瞑る五条の、真っ黒である視界の端からジジ、と映り込むものがあった。それは徐々に彼の視覚を奪っていく。
「ちょ、なに、これ、は…」
今までに感じたことのない暗転に焦ったものの、急に始まった映像の中にはまた、先ほどの男性が今度は真剣な顔をしてこちらを向いている。
ーーーななこ、これが俺の気持ちだよ。
そう言った男は紺色でベルベットの生地で仕立てられた小さな小箱を取り出し、ゆっくりとした手つきで開けた。中に収められていたのは光る銀色。
その瞬間だった。五条の胸の中を高揚感が支配する。
ーーーえっ、そんな……いいの? マサシさん。
震えている声でそう言ったのはきっとななこだろう。僕は一体なんて茶番を、とは頭の隅で思ったが、それを前面に出せないほど自分の心は喜んでいる。先ほどとは違う色の涙を流してしまいそうになるほど歓喜していた。
ーわたしがさっき思い出したことです。これ、プロポーズですよね。わたしに対しての。
「たぶんそうだろうね」
ーじゃあわたしはやっぱり女だったんですね!
それを聞くやいなや、五条はがくっと体の力が抜けるような感覚を味わった。先ほどまでの暗い感情はどこへ行ったよ、と呆れたものの、彼女の沈んでいた気持ちが浮かび上がって来たことにホッとする。
「いや、わかんないよー? やっぱ今どき、あちこちで同性婚が認められてて、」
ーもう! どんだけわたしを男にしたいんですか!
彼女が怒り始めた途端、五条の視覚を支配していた映像が消える。彼が瞬きするも、そこには見慣れた天井があるだけ。
不思議な経験だった。これが実際でなく他者から聞いた話であれば、そんなことあるわけねーだろ、と笑い飛ばすぐらいにはにわかに信じがたいことが起こっている。
「ねえ、ななこ」
五条は彼女に興味を引かれていた。突如として自分の中に現れた気配が、確かな感情を持って自立している。もしかしたら呪霊に成ってしまうかもしれないが、今は呪われることもなく彼の胸の中でひっそりと実在している。
現実は小説より奇なり。それを地でいく存在、その真実にたどり着けるかもしれないピースは、先ほどから自分の手の届く範囲に散らばっている。
五条はその欠片を拾うことに決めた。
「君のことがわかるかもしれないって言ったら、知りたい?」
携帯を光らせて、不在着信の文字を眺めた。
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