愛が溶けだす融点 1/3 

 こじらせることもなく熱がすっかり下がり、冬休み間近の大学に行こうかと準備していた朝のこと。

 設定していたアラームで一緒に起きたものの、布団の上であぐらをかいて、ずっと座り込んでいる晋助くんはどうやら低血圧らしい。そのままぼーっと宙を見つめるだけだった彼は「おい」とわたしを呼んだ。
 わたしはというと自分の身支度や弁当の準備を終えたところで、忘れ物がないかちゃぶ台に置いた鞄を覗き、最後の確認をしていた。

「はい、おはようございます。晋助くんも学校ですか?」
「あァ…めんどくせえ」
「でももうすぐ冬休みですよね? わたしももうちょっとだから嬉しいなーって思ってるんです」
「そうか」

 振り返りながら話題を振ると、頷いてから大きなあくびをしている姿があった。

「ちゃんと学校行ってるんですね」
「出席日数がやばいんだとよ」
「あー…そういうのありましたね。義務教育とは違うんだなーって思ったことあります」

 聞いてから、見た目で判断するようなことを質問してしまったと少々焦ったが、晋助くんは気にした様子もなく返事をくれる。つまりよくサボっていたと言っているようなもので、イメージ通りで彼らしいなと少し笑ってしまった。
 またぼうっとしている晋助くんを眺めていたが、ふと思い出して時間を確認する。少し早いがそろそろ家を出ようかと、鞄を肩にかけた。そしてリビングと廊下とを遮る扉のノブに手を掛けながら、彼のほうを振り返った。

「わたし行ってきますね」
「…もう行くのか」
「そうですね、今日は1限からあるんで行かないと」

 すると晋助くんがこちらを向いた。

「ななこ」

 名前を呼ばれては立ち止まるしかなく、言葉の続きを待つ。すると晋助くんはゆっくりとした動きで立ち上がった。こちらに近付いてくるその行動の意味がわからず、わたしはただ縮まる距離にそわそわするしかない。

「まだ時間あるか」

 返事はできなかった。ちゅ、と触れるだけのキスを唇にされたからだった。次の瞬間には襟ぐりを外側に引かれ、鎖骨を露出させられる。静止する間もなく、浮き出た骨の少し下に吸い付かれた。

「ちょ、え、痛っ」

 ぴりっと弾かれるような痛みのあと、そこを指先でするりと撫でた晋助くんは「ずっと聞こうと思ってたんだが」と続ける。

「連絡先教えろよ」
「れ、れんらくさき、ですか…?」
「あァ」

 放られる言葉と晋助くんの行動が全く紐づかなくて、あっという間に混乱してしまう頭。強く吸われてじんじんする箇所を押さえながら、連絡先、と耳からインプットした音を漢字に変換する。

「ラインですか? 携帯の番号のほう?」
「両方」
「えーと、携帯、どこだっけ…」

 鞄の中を見ながら、キスマークを付けられる意味について考えてみるも答えは探し出せない。指先に当たるものがあり、こちらは見つけ出せたことにホッとした。
 キャンバス生地の鞄は仕切りがないので、よく携帯が行方不明になってしまう。整理整頓できる鞄に買い換えようかなと思いながら、液晶画面を光らせた。
 余裕を持って家を出ようとしていてよかったと感じながら、まずはメッセージアプリのほうを開く。QRコードを提示しながら、アイフォンを操作する晋助くんの顔を覗き見た。

 寝起きのせいか、いつもより少し目が開いていない。わたしのアカウントを追加し終わったらしく、なにやら操作している。
 ヴヴ、と震えた自分の携帯は新規のメッセージを受信した。それは一文字だけ、”あ”と表示されていた。思わず吹き出してしまった。

「なんだよ」
「いえ…なんか晋助くんっぽいけど、ひと文字って…」
「…顔、笑ってんぞ」
「ふふ、すみません…っ、ははっ、やば、どうしよ」

 思いのほか笑いのツボに入ってしまい、込み上がるものを抑えられない。震える指先に、晋助くんのアカウントを追加するのが大変だった。
 笑われている本人は特に気分を害した様子もなく、ゆるりと口角を持ち上げている。

「スタンプとか使わないんですか?」
「使わねえな」

 晋助くんのラインのアカウントはとてもシンプルだった。プロフィールと背景の画像は初期設定のままで、名前もアルファベットである”t”のひと文字だけ。本当にただ連絡を取るためだけに、しょうがなくインストールしたようだなと感じられた。

 トーク画面で自分の電話番号を打ち込み、送信する。すると知らない番号からの着信で携帯が震えた。すぐに収まったので、これが晋助くんの番号だろうと予想し、電話帳に新規登録する。

「すごい表情してるクマのスタンプあるんですけど、可愛いしおすすめですよ」
「…考えとく」

 その返事から、絶対に自分ではスタンプ買わなさそうだなあと思ってしまった。
 改めて時間を確認するといい時間だった。今度こそ家を出るためにドアノブに手をかける。

「じゃあ、行ってきます」
「あァ、………気ィつけろよ」

 たっぷりと間を置いてから小さなボリュームで放たれた言葉に、わたしは思わず動きを止めて、晋助くんの顔をじっと見つめてしまった。珍しく、相手の視線が彷徨う。後頭部を掻いて俯き加減になったその様子に、今度は自分の口角がゆるりと持ち上がるのがわかった。

「ありがとうございます。晋助くんも、気をつけてくださいね」

 照れくさく思いながらも同じように返すと、晋助くんはすこし目を見開いた。かと思えば彼のほうも口元に柔らかさを携えている。それを見ていたらまた、胸の内がぎゅうっと締め付けられるような感覚があった。
 晋助くんはこのアパートに戻ってきてくれてから、どこか今までよりも糖度の高い甘さをくれる。それらは彼の言動にも表情にも感じられて、それに触れた瞬間、幾度となくわたしの心臓は拘束され、心地良い苦しさに支配されていた。

 それは自分から指先を絡めたくなるような、唇を寄せたくなるような衝動をもたらしてくる。そんなことを思ってしまう気恥ずかしさを押し込めながら、わたしは自宅から出発した。

 
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