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 大学に着き、そわそわしながら講義のある室内を見廻す。見慣れた銀髪も、それを追い回すかつての友人の姿も、どちらも見当たらないことにホッとしながら席につく。
 そのままずっとひとりで講義を受けたが、それには特に不便に思うことも寂しく思うこともなかった。

 少し困ったのはお昼ご飯にお弁当を食べようとしたときで、人の集まるところにぽつんと座るのは少し気が引けた。だから荷物片手に人気の少ないところを探して、木の植えられた、自分の膝ほどの高さの花壇のフチに腰を下ろした。
 冬とはいえ、今日は風もなく太陽が出ているおかげか、身震いするほどの寒さではないのが有り難かった。

 自分の横に鞄、膝の上にお弁当を置いたとき、横から短くバイブレーションした音が聞こえた。それはきっと自分の携帯が震えて、何かを受信したものだったから、何だろう、と疑問に思いながら目当てのものを探す。

 鞄から取り出して液晶画面を光らせると、メッセージを受信していた。

「………っえ?」

 それに、ひとりだというのに思わず声を上げてしまうほど驚いた。

 晋助くんからのラインだった。そこには”5時ぐらいにそっち行く”との文章が表示されている。
 “そっち”がわたしの家であることはすぐにわかった。驚いたのはそこではなく、こんなことをマメに教えてくれるタイプだったんだというところだ。

 “今日はバイトあるんでわたしは10時ぐらいに帰ります!”
 そう返信を打って送ると、秒速で既読がついた。画面を閉じてしまおうかどうしようか悩んでいる間もなく、向こうから返事がくる。
 “バイト先どこだよ”
 えーと、と戸惑いながら自宅のアパートに近いファミレスの名前を挙げると、またすぐに既読がつく。
 …もしかして画面、開きっぱなしなのかな。そう思いながらお弁当のフタも開けられないまま返事を待っていたら、今度は無料通話がかかってきた。

 予想もしないことにパニックになって、携帯を落としそうになりながら通話ボタンをタップする。耳に押し当てながら「は、はいっ」と上ずってしまった声で返事した。

「何を焦ってんだよ」

 耳元で、喉を鳴らすような笑い声がした。それにどきりと心臓が大きく鳴って肩まで揺らしてしまったからか、わたしは自然に携帯を耳から少し離してしまった。

「い、いえ…ちょっとびっくりして」
「そりゃあ悪かったな。…休憩か?」
「そうです、今ちょうどお弁当食べようとしてて」
「あァ、朝からなんか作ってたな」

 はい、と相手のことなんかまるで考えない返事をしてから、会話を終わらせてしまったことにまた焦る。と、ここで晋助くんは、わたしに何か用事があったから電話してきたんじゃなかろうかと思い付いた。それを聞こうとするも晋助くんが先に言葉を紡ぐ。

「バイトは何時までなんだよ」
「えっ? え、と、一応9時までなんですけど残業とかよくあるんでもうちょっと遅くなることが多いです」
「大学は」
「今日は4限までなので4時過ぎに終わって、そのあと5時からバイトです」
「それ間に合うのかよ」
「めちゃくちゃギリギリなんですけどなんとか」

 晋助くんはへえ、と返事したような気がしたが、そこだけ少し声が遠く、判断がつかない。それでも別に聞き返すようなことでもない気がして「はい」と自分でもよくわからない相槌をうつ。
 聞こえる声は電話だからかいつもより少し低く、違うように思えた。だからか、ただ会話しているだけなのに妙に落ち着かなかった。

「…わかった。それが聞きたかっただけだ」
「あ、はい、全然いつでも答えます」

 すると電話口の向こうで、ふっと息を吐き出したような気配がした。

「ななこ」
「は、はい?」
「…いや、飯食わねえのか」
「あ、食べます。フタも開けてないけど…」
「今どうやって電話してんだよ」
「どう? 手で持ってます」
「イヤフォンとか使わねェんだな」
「そう、ですね、持ってなくて。あんまり音楽聞かないし」
「そういや見たことねえ気ィする」

 そんな、ぽんぽんと続く会話に不思議な感じがした。

 晋助くんと一緒に過ごした時間に比べると、ただの世間話とか、その日にあった取り留めのない会話をするなんてのはあまりなかったと思う。
 それは晋助くんが饒舌に話すタイプではなく、こちらに話題を振ってくることが少ないのと、返事はいつも簡素だったから。そしてそんな彼の放つ空気感に負けて、出会った当初からしばらくはわたしからも話しかけることはあまりなかったからだ。加えて自分も、晋助くんからの急な連絡に動揺している今、相手に負けず劣らず簡潔な返事ばかりしてしまっている。
 それがこうも成り立つのは、自分が会話するのが上手くなったわけでなく、晋助くんが話しかけてくれているからなんだと、ふと気が付いた。

 ぶわ、と自分の顔に熱が集まったのがわかる。

 晋助くんが連絡をくれたこと、さらには電話をくれたこと、わたしのことに興味を持って話題を振ってくれること。それがこちらに向けられる気持ちがどう変化したからなのかを頭で理解して、身を持って体験してしまったことでわたしは顔だけでなく、全身が熱くなって仕方なかった。

「…まあ、弁当食えよ」
「はい…ありがとうございます…」

 思わずぎゅっと目をつむってしまいながら、わたしは「じゃあな」と言った晋助くんに「はい」と返事するのが精一杯だった。
 5分にも満たない通話履歴をじっと見つめながらわたしは、晋助くんの新たな一面に少々やられていた。

 ーーーそしてまた、言葉をなくす。



 バイト終わりに制服から私服に着替えたあと、何気なく携帯の画面を光らせるとなにやらメッセージを受信していた。それは晋助くんからで”終わったら連絡しろよ”と送られてきていた。
 スルーする理由もないので素直に終わったこと、そして今から帰る旨を送信し、鞄を肩にかける。お疲れ様でしたーと声を掛けながら従業員専用の出入り口から外に出ると、昼間と打って変わったような外気の冷たさに思わず身を縮こまらせてしまった。
 日はすっかり暮れており、光といえば道路沿いに設置されている街灯と走り抜ける車のヘッドライトに、向かいのコンビニの照明ぐらい。空を見上げるとそんな明かりなんか届かない夜空が広がっている。


 ヴー、ヴー、ヴー、

 鞄の中から不穏な音がした。その中を覗くと液晶が光っているのが見つけられ、掴み上げると晋助くんからちょうど着信しているところだった。
 なんだろう、そう思いながら通話ボタンをタップして耳に押し当てる。

「はい、」
「今どこだよ」
「従業員入り口から出たところですけど、どうしたんですか?」
「店の、道挟んだ向かいにコンビニあるだろう」
「うん、ありますね」
「そこにいる。ちょっと待ってろ」
「…え? 晋助くんが?」

 そう聞くも返事はなく、あっという間に通話は切れてしまった。照明で明るいコンビニのほうを見てみると、確かに出入り口から出てくる人の姿がある。
 車通りの途切れた頃合いを見計らって、その人は信号なんてない道路を迷うことなく横断していた。そしてこちらに歩み寄ってきて、ファミレスや街灯の明かりに照らされているのは紛れもなく晋助くんだった。

 
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