色付く瞬間を切り取って 1/4 

 夏休み中の、ランチタイム真っ盛りのファミレスとは恐ろしく忙しい。客は寒さを感じるほど冷えた店内も、従業員にとっては汗の止まらない地獄だ。自分も同業種でバイトしているのでその苦しみはわかる。とはいえ全く知らない店舗に、寒さを覚える立場として来たんだから気にする由もないのだけれど。
 口の端を上げつつも目が死んでいる従業員を横目で見つつ、ちらりと前を盗み見る。机に頬杖をついてアイフォンを操作する晋助くんは、井戸端会議をするマダムたちや派手な女の子たちの視線を集めていた。

 何故か眼帯をすることなく外出した晋助くんは、長めの前髪でそこを覆えばただ顔の綺麗な男性だった。シンプルな服装と落ち着いた雰囲気も相まって、わたしの斜め前のテーブルにつくヤンキーたちと同系列には見えない。
 そんな人の前でスッピンで座るというのはなんとも居心地が悪かった。普段化粧をしないことに抵抗はないが、彼の近くでいるならば身綺麗にしておかなければならないと学んだ。口を開かない晋助くんに習って自分もそうする。頼んだ定食が来るまでの時間をどう潰そうか悩んだ。



 清掃業者の女性が帰ってすぐのこと。乾燥まで全自動でしてくれる洗濯機に放り込まれたわたしのズボン、それが乾燥するのを待てなかったらしい晋助くんが、恐らく彼のであろうデニムを投げてきた。
 細い男の人の物だから履けるかどうか少し不安に感じた。それでも履かないわけにもいかず、足先から通して恐る恐る持ち上げる。どこにも突っかかることなく履くことができ、無意識にほぅ、と安堵の息をついてしまった。
 よかった…日々体型を気にしておいて、と思わず、周りのキラキラ女子についていこうと頑張っていた自分を褒めた。

 裾を織り上げて、キョロキョロと辺りを見回す。…自分のブラはどこだろう。

「…っあ、ありがとうこざいます」

 突然、眼前に差し出されたのは歯ブラシだった。新品の、個包装されたままのそれを受け取りながらも視線を彷徨わせる。
 また差し出されたのは歯磨き粉だった。そうくると下着を探すのを諦めるしかなく、毛束の上に白い半練状のものを押し出した。

 部屋の中で突っ立ちながら歯を磨いていると、ソファーの背にもたれる姿が目についた。浅く腰掛けて背中を丸め、頭を後ろに垂れさせているのを見る限り相当お腹が空いているように思える。それならと洗面所に向かった。急かされはしないけど気になるからだ。

 ホコリも水汚れもないないそこで緊張しながら口をゆすぐ。口元を水で濡らした指先で拭ってから、顔を伏せたままタオルを探す。すると、ポンと頭の上に重みが乗った。

「すみません…」

 後ろを見ないままそれを拝借し、髪を後ろに掻き上げてから頭巾のように被った。水だけでいいか、とバシャバシャと顔を洗ってからうなじのすぐ上で結んでいた布の端をほどく。そして水分を拭い、顔を上げたところで鏡越しに目が合った。

「化粧したいとか言わねえよな」
「あ、それは大丈夫です」

 そういうことをするようになったのはここ1年ほどの話である。敢えて言うなら日焼け止めが欲しいとは少し思ったものの、この人の家にそんなもの、とまで考えたところで何だかモヤっとした。
 そんなこと聞いてくるってことは、誰かに"化粧するから待って"と言われたことがあるってことだよね。女の人と関係を持ったことはたくさんあると言っていた。だからそれも有り得ること、のはずなんだけど。

 後ろを振り返ると、開け放しの扉にもたれる晋助くんはじっとこちらを見てくる。そしてス、と目線を下げたかと思うと呟くように言った。

「透けてる」
「…え!」

 湿ったタオルをそこへ押し付けるも色々と手遅れのような気がする。拝借していたのは真っ白のシャツだったからそうなっても仕方ないのかもしれないが、もうあの女の人も帰ったあとだ。

「それも洗濯機で回ってるはずだぜ」
「まじですか…」

 晋助くんの言う"それ"が自分が探していた下着のことだとすぐに理解した。というかいくら仕事で来ている人とはいえ、自分の下着を洗わせてしまったことに恥ずかしさが生じる。男の人の家で脱ぎ捨てられた下着の持つ意味に、壁際で音を立てて回るドラム式をぼんやりと見つめてしまった。

 晋助くんはくるりと背を向けて歩き出す。何気なくついていくと、リビングとは別のもう一室に入っていった。1LDKなのか…と冷静に部屋の間取りを捉えながら、扉の外から中を覗く。
 中は物がなく、殺風景だった。晋助くんは広いリビングにベッドもソファもテーブルも置いて生活しているようだった。壁面のウォークインクローゼットを開け、奥にあるタンスをゴソゴソと漁る姿があり、ある一着を手に取ってこちらを向く。

「さすがにあんなもんはねえよ」

 手渡されたのは黒のタンクトップだった。これは…ノーブラで過ごせというお達しなのだろうか。

「よく考えりゃこの家の冷蔵庫に何か入ってるわけねえ」
「そうなんですか」
「飯食う間だけ我慢しろ」
「…はい、猫背になります」

 身表のボタンをぷちぷち外しながらふと、対面で立ったままの晋助くんが気になった。手を止めたこちらを不審に思ったのか首を傾げている。

「あの…後ろ向いててください」
「もう数え切れねえほど見てんだろ」
「そっ、そういうときとは違うの!」

 言葉に詰まりながら反論するも、晋助くんはくつくつと喉を鳴らして笑うだけだ。それなら自分が背中を向ければいいんだと悟り、その通りに行動する。

 ボタンを全て外し、シャツを脱ぐ。タンクトップを両手で持つと、腕に掛けたはずの白色を落としてしまった。それを目で追いながら裾口を広げて頭へ被せた、と思ったら。

「…え!?」

 するりと手が伸びてきた。ウエストに腕が回って片方はがっちりと腰を掴み、もう片方は肘を折って自分の膨らみに触れている。
 予想もしない出来事に短く叫んでしまった。抵抗しようとしたが如何せんこの衣服に腕を通そうとしたところだったので、不格好にも指先を服の中でもたつかせただけだった。

 背中に温もりがぴったりと密着する。耳元でスン、と鼻を鳴らしたのが聞こえた。たぶん匂いを嗅がれているのだ。晋助くんは、化粧品臭くないらしいわたしのことをよくこうしてくる。確認しているのかなんなのかわからないが、恥ずかしいのでやめてほしい。
 背中の温もりが少し遠のいたら、今度は柔らかみが触れてちゅ、と弾むような音がする。自分はもう、顔を熱くさせて固まるばかりだった。

「腹が減ってるとどうも、な」

 その言い訳はわたしに向けられたのか彼自身に対してだったのか知らないが、そのまま壁に押し付けられた。目を白黒させて、これがどういう状況に続くのかを考えるも想像がつかない。

「しっかり立ってろよ」

 ククッ、と喉の奥を鳴らすのが聞こえる。ーーーそうしてまた初めてを経験した気だるさから、外出したくなくなったのを引きずるように部屋の外へ押し出された。そして空腹が極限になったのか口数が少なくなった晋助くんを宥めながら、最初に目についたファミレスへと今度はわたしが彼を押し込んだ。

 外はうだるような暑さだったがやはりこの場所は涼しい。メニューに一通り目を通してから、結局はチキン南蛮定食を頼んだこちらに続いて「おんなじもん」と呟いたところから察するにもう食べられたらなんでもいいんだろう。
 水の入ったグラスに口をつけながら、その顔をまた盗み見る。ついに晋助くんとふたりで出掛けることになるとは…と感慨にふけった。

 
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