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「それでは失礼致しました」

 元から散らかっていない部屋にも関わらず、全てのものの裏までハンディモップや濡れ雑巾を滑らす意識の高さは流石だった。プロの腕前を間近で見、感心してしまう。
 無駄な動きをひとつもせずに掃除を終わらせた女性はこちらに向き直り、ぺこりと頭を下げた。そして扉の奥に姿を消したのち玄関の開閉する音を聞いて、あの人が帰ったことを知る。

「…どうしてあの人、普通に入ってこれたんですか?」
「俺がいなくても入れるよう合鍵持ってんだとよ」

 しん、と静まる室内に気まずさを感じて、ベッドの縁に腰掛けたままの晋助くんに素朴な疑問を投げかける。ただその答えに対する返事がうまくできず「へえ…」と呟くように言ったきり、すぐに無言へと戻ってしまった。

 ぐるりと室内を見回す。時計のないこの部屋は時間の感覚がうまく掴めない。自分の携帯を探すが目につくところにはなかった。
 カバンなら昨日、扉付近に落としたようなことをなんとなく覚えている。そこから触れていない。だから床に落ちているままだとは思うが、如何せん下が下着一枚なので立ち上がる気になれない。先ほどからトイレに行きたいとも感じているがタイミングを取りきれなかった。

「わたしが昨日履いてたズボンって一体どこに…」
「さっき洗われてたぜ」
「えっ!? いつの間に…!」

 全然気が付かなかった。手際よく掃除するのを見ていたようで、ただぼんやりしていただけだったのか。

「…何か、履くものって」
「俺のならある」
「で、ですよねー…」

 あはは、と笑ってから、借りたいと言っていいものなのか悩む。

「腹減った」
「ええ…?」

 なんともマイペースな人だ。…そういえば晋助くんは、というかわたしもお祭りではりんご飴をかじっただけだ。自覚したら急に自分のお腹がくぅ、と控えめに鳴った。

「何か作ります? それとも外に出ますか?」
「どっちでもいいが、…俺はお前の茶色一色は別に嫌いじゃねえ」
「…はい?」

 褒められて、嬉しいことを言われているはずなのに首を傾げてしまう。

「確かにボロいがそれでも居心地は悪くなかった」
「…わたしの住んでるアパートの話してます?」
「それ以外に何があんだよ」

 なにを藪から棒に。なんの脈絡もないところからそんな話題をねじ込まれては、その変化にうまくついていけなかった。
 やおらにこちらを向くので目が合う。じいっと見つめられ、とりあえず笑ってみせたら晋助くんも口元を緩めたものの…、突然なんだろう。そう疑問に思った。

「…お前が昨日泣きそうになりながら言ったんだろうが」

 こちらが変に思ったのが伝わってしまったのか、晋助くんは呆れたような顔をして補足した。確かに、昨日は彼を止めるためにそんなことを言ったような気がする。半ばヤケになりながらだったけど、感じたことは事実だ。つまり、フォローをいれてくれているってことなんだろうか。

「晋助くんが嫌じゃないんならいいですけど…」
「嫌なら行かねえよ。あんな何日も入り浸らねえ」

 手が伸びてきて、わたしの腕を掴んだなら引っ張られた。こっちに来い。言葉に出されなくともそう示されているのがわかる。
 ちらりと自分の下半身に視線を落とす。…そういえばこれ、借りたシャツだし丈長いかもしれない。膝立ちになってみて、下着が見えないことを確認する。あんなに渋っていたのに結局は意図しないワンピース姿で彼の隣に座り直した。

 場所を変えても、その顔がこちらを向くのは変わらない。物足りなさを感じるのはそこに眼帯がないからだ。いつだったか、その瞼に指を這わせたことを覚えている。
 今、そうしても避けられないんだろうか。恐る恐る手を伸ばす。彼は微動だにしない。そこへ触れたら、じんわりと温もりが伝わってくる。手のひらを頬に這わせようとも嫌がられなかった。

 自分からそうしたくせに変にドキドキした。居たたまれなく感じて目を逸らす。ついでに手も引っ込めようとしたのに、その上へ同じように重ねられてしまった。

「珍しいこともあるもんだ。そっちから触れてくるとは」

 にやりと歪められた口でそう言われたなら途端に恥ずかしくなって必死で手を引くも、掴まれる力は強くて叶わなかった。

「何か、変なの」
「何が」
「晋助くんが近い、…ような気がする」
「そりゃあ近ェだろうよ。体まで繋いでんのに」
「っか、体とか繋ぐとか言わない…!」
「事実だろ。…なァ? 昨日も結局は断らなかったじゃねえか」

 断れない空気を作るのはそっちなのに。言いもできないことを考えながら、触れるだなんて軽率なことをしてしまったのを悔やむ。
 掴まれたままだった手は指を絡められ、シーツの上に下ろされた。昨日から漂う甘ったるい空気に翻弄されながら、はたと思い出す。トイレに行きたかったんだった。

「お手洗い、借ります」
「はっ……このタイミングかよ」

 穏やかな表情を浮かべている晋助くんは、そう悪態つきながらも解放してくれた。扉から出て左手だと場所を教えてもらってから立ち上がる。するとカバンが落ちているのを発見できて、中から携帯を取り出した。
 カチリ、と画面を光らせたなら不在着信が10件近く入っていた。驚きつつも確認すると、…それは全部坂田くんから。メッセージアプリの方にも連絡が入れられている。そして気が付いた。今の今まで彼のことなんか一瞬も思い出さなかったことに。

 くるりと振り返る。晋助くんはこちらを見たままだった。昨晩は堪らず涙を流してしまったくせに…そんなことはすっかり忘れて、別の男の人に触れてみたく思う自分の図太さにゾッとした。
 そうなるように仕向けられているのかもしれない。わたしの排他域にあっさりと足を踏み入れた彼は、人間の順応性を利用しつつ、じわり、じわりと心の中を侵食してくる。気付いた頃にはその腕の中で甘やかされて、振りほどけなくて、自分からその胸に頭を預けるほどになっている。



「行かねえのかよ」
「…行きます」

 いつか放り出されやしないかと不安に思うこれは、ただの依存だろうか。それとも、

 後ろ手にバタンと扉を閉めた音を切り替えの合図として、または湧き上がる生理的欲求のせいにして、…見え隠れする不確かな気持ちに向き合うのをやめた。

 
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