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 あれは大学に入学してから2週間ほどたった頃のことだと思う。交流会と銘打った、自分にとってなんともハードルの高い催しは、大学近くにあるという運動公園で行われた。
 一度登校してからグループで集まって移動し、自分はそこからぽろりと溢れた一粒で、微妙な距離を保ちながらはぐれないように着いていったのをよく覚えている。

 そこは一般にも開放されているだだっ広いグラウンドだった。到着してすぐから男子たちが「キックベースしようぜ!」と騒いでいた。ひとりがサッカーボールを持ってきていたらしく、同調した他の人がタオルやらなんやらをベースに見立てて設置していく。
 女子陣の中で、そんなことをするような格好をしている人は少なかった。ふわりと風に揺れるスカート、これでもかと肌を晒すショートパンツ、女性らしさをアピールするハイヒールなどなど…目に見える女子力が眩しかった。
 自分はぴったりしたデニムにTシャツ、ジップアップパーカー、ぺたんこのスニーカー…と、まあその横に立つ気にもならないラフなスタイルだった。しゃしゃり出る気もないし、そんな華やかな同級生の影に潜んでいた、はずなんだけれども。

「ななこちゃん、こういうのできんの?」

 その切れ間から顔を出したのは坂田くんだった。赤い瞳はあろうことか、こちらを真っ直ぐに捉えていた。
 どうしていの一番に自分が誘われるんだろうと驚いたが、すぐに理解した。そりゃあこの中で走れそうな靴履いてる人を選んだらそうなるよね、と。

 上京してからこうも人の視線を集めたのは初めてだったので、なんとも言えない居心地の悪さを覚えながらも頷いて見せた。できないこともないだろうと安易に思ったからだ。

「た、たぶん…?」
「いいじゃん、やろーぜ」

 きらびやかな壁の向こう側から手を伸ばされて、がっちり手首を掴まれた。こちらの戸惑いを察することもしてくれずにぐいぐい引っ張られた。力は強くて踏ん張る間もなく、男子の輪に合流することとなってしまう。
 チーム分けのグーとパーでの掛け声についていけず、とりあえず一回笑われてからゲームスタートとなってしまった。

 他に同性なんかいないチーム編成に、わたしなんか場違いだろうと、断らなかったことを激しく後悔した。キックベースなんか小学生のときにやって以来…つまり10年ぶりぐらいだ。ルールも際どい。誰に聞くわけにもいかずチームメイトの真似をする他なかった。

 先行は自分のチームだった。思いっきり空振りしたり、ぼてぼてのピッチャーゴロをしたりと参考にならない打者たちを見ていたら、よくわからないままに「行ってこい」と指名された。得点はもちろんゼロ。ツーアウト、ランナーなし。
 なるほど、大量得点の見込みのない三打者目に選んでおいてさっさと引っ込んどけということか。

 適当そうな、黄色い声援を背中に浴びながらそこに立ったら、冗談抜きで膝が震えた。とりあえず転がされるボールを蹴ればいい。空振りだけ避ければあとはどうにかこうにか…、

 そこで敵チームだったらしい坂田くんが視界に入った。外野の守備なんだろうか。遠くで、いちばん最初に気を惹かれた銀髪が揺れている。
 またそれに目を奪われていたら「行くぞー」と声がかかった。ハッとして投手を見た瞬間、その手から白黒の球体が転がされた。女子相手だからか、ふざけることもなく柔らかく放られたそれは真っ直ぐに自分の足元に向かってくる。少しだけ下がって助走をつけた。ふ、と短く息を吐いてその真芯を狙う。

 ああもう、どうにでもなってくれ!! ーーーそんな投げやりな気持ちをぶつけるよう、軸足で踏ん張って、目をつぶるほど思い切り振り抜いたら足の甲に確かな感触があった。
 目を開けて、自分が蹴ったはずのものを探す。ワッと歓声が上がった。

「走れ!」

 どこかから聞こえた声に背中を押され、弾かれるようにスタートをきった。2塁を蹴ったとき、視界の端でしゃがんでボールを取る小さな姿を見た。その次を踏む頃に「回れ回れ!」と声がする。そう言われればそうするしかない。
 ハァ、と吐いた息は喉に張り付く。ちらりと左を見やったら後方にボールが迫ってるのが見えた。だから頭で考えるより先に体はそうしていた。タオルを落としただけのホームベースに頭から突っ込んだのだ。

 カラカラの口の中に、舞う砂ぼこりを吸い込んでしまったのか、寝そべったまま何度か噎せた。上下してしまう肩と横隔膜を落ち着かせるように長く息を吐き、ゆっくり体を起こしてその場に腰を下ろす。

「やべー! ランニングホームラン!」

 頭上で、テンション高く響いたセリフの意味をしばらく理解できなかった。心臓が破裂しそうなほど、バクバクと大きく音を立てて鼓動していた。
 そんなとき、自分の目の前に大きな手が伸びてきた。そうしてくれていたのは坂田くんだった。

「大丈夫か? すげー勢いで突っ込んでたけど」

 差し出される意味がわからずに首を傾げたら、地面に垂れさせていた手を掴み上げられた。そうされたら何故か鈍い痛みが走り、思わず顔を歪めてしまった。ズキズキ痛む箇所を見ると、手のひらに血が滲んでいた。

「あ、血」
「マジでか」

 呟くわたしと同じ目線の高さになって、これまた同じように覗き込んでくる彼の髪が近くて思わず仰け反った。

「洗わねーとバイキン入るやつじゃね?」

 バイキン。そんな言い方するなんてずいぶんと可愛らしいと感じた。そんなことを思っている間にも俯かせていた顔は正面へと戻され、自分の方を向いた。示し合わせずともばっちり目が合った。

「立てる?」

 軽くだったが、確かに腕を引かれたので、それに従うために片膝を立てた。久しぶりに全力を出したふくらはぎは少し震えており、早々に筋肉痛になりそうな勢いだった。
 それでもなんとか足を突っ張った。「選手の交代をお知らせしまーす」と間延びした声が聞こえたと思ったら、大きな背中に先導されてグラウンドの端に連れて行かれた。



 敷地内の角に設置された簡素な手洗い場で、手に付いた汚れと乾いた血を流した。少し染みたけど、出来ていたのはただの擦り傷で、適当に乾かしておけばすぐに治る程度のものだった。
 流水を止めてひと息。遠くでみんなの騒ぐ声を聞いていたらなんだか力が抜けて、その場にしゃがみ込んでしまった。

「ほんとに大丈夫かよ。体調わりいとか?」
「いえ、…緊張、してたみたいで」

 左胸からは未だに大きく拍動しているのが感じられ、どこか落ち着かなかった。

「まじで? そんなん思わせねーぐらいしっかり走ってたけどな。すげーいい姿勢で、これまたすげー速さでさ」
「ら、ランニングフォームはずっと陸上やってたからだと思います…。速いかはわかんないけど」
「ボールもちょうど守備の間抜けてって、いい球だったぜ」
「それは…えーと」

 膝に顔を埋めて呼吸を繰り返していたら、ようやく落ち着いてきた。そこで思い返すも自分がどんなバッティングをしたのか全くわからなかった。ランニングホームランできてしまうほど鋭い打球を放てたとはにわかに信じがたい。
 たまたまだと思う。それをちょうど例えられる言葉があったな、と糸がこんがらがったような黒いモヤのかかる頭で探した。

「…あ、そう、あれです」
「ん?」
「…ビギナーズラック?」

 ポン、と浮かんだ言葉に確信がなかったから語尾を上げてしまったけど、恐らく合っているはず。同意を求めようと顔を上げたら、いつの間にかすぐ近くに坂田くんがいた。彼もしゃがみ込んでくれていて、また目線の高さが同じだった。だからあえてそうせずとも簡単に視線が交わった。

 表情がしっかり見て取れるほど、その顔を真正面から見るのは初めてだ。「謙遜しすぎ」と零して笑った坂田くんは、田舎じゃ出会えないほどかっこいい人だった。テレビで見るようなアイドルみたいと心の中で呟きながら、その整った顔に見とれた。

 不意に、自分の顔の方へ手が伸びてきた。どきりとしたがそれにすぐ対応できるような柔軟さは持ち合わせていない。その場でただ体を強張らせていたら頬を撫でられた。

「髪の毛、張り付いてる」

 全力疾走したのに加えて、いろんな感情が入り混じっているわたしの額には汗が滲んでいた。それには少し前から気付いていたけど、拭うものを持っていなかったので垂れさせたままだった。そのせいでサイドの毛束を頬にくっつけてしまっていたんだと思う。
 それを優しい手つきで払われて、また微笑まれてしまったら頭をガン! と殴られたような衝撃が走った。くらりとバランスを崩して地面に尻もちをついてしまった。

「おい、本当に大丈夫かよ」

 その衝撃は下へとおりていき、せっかく大人しくなった心臓をやかましいほど鼓動させた。おーい。そう呼びかけられて眼前で手のひらを振られるけど、自分は瞼を瞬かせることしかできなかった。坂田くんはふと思いついたように話題を変える。

「さっきから思ってんだけど敬語、無しにしよーぜ」

 いいよな? そう同意を求められて頷きかけたけど「ほら、約束」となんとも気さくに、立てた小指まで差し出されてしまったら自分は再び固まることしかできなかった。

 
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