「なに震えてんの」
初めての場所で、自分なんかよりもずっと輝いて見える人たち。それらの中央で、講義を受けるためにひとりでぽつんと座っていたら頭上から声がかかった。
顔を上げたら真っ先に揺れる銀髪に目がいった。その人はゆったりとした動きで隣の席に腰をおろし、背中を丸めて頬杖をついた。こちらへ向けた赤い瞳から気だるげな視線を寄越す。
「…ふ、震えてます?」
「なんか、プルプルしてる」
この人が決してトンチンカンなことを言っているわけでなく、自分がそうなってしまう理由はすぐにわかった。
この東京が突飛なのか、逆に自分の故郷がそうだったのかはわからない。田舎じゃ見たこともないぐらいの高さでそびえ立つ、ガラス張りの建物の下をたくさんの人が行き交う。そんな光景を見るだけで、とんでもないところに来てしまったと思った。
肩をすくめて辿々しく歩くこちらになんか目もくれず、早足で目的地へと向かう人の隙間をとにかく必死で縫い進めた。ぶつからないことに集中した。
通う大学に着いた頃には気力のほとんどを消費しており、まず向かうのはトイレだった。個室で呼吸を整えて、また人の中へと繰り出す。1限目の講義が行われるであろう教室を探し出せたのは奇跡に近い。たかが大学のくせに、地元で一番大きいショッピングモールならぬショッピングタウンよりずっと広かった。
すれ違う人のほとんどが、同世代だと思えぬほど大人びていた。たまーに似たような空気を持つ人もいたが、同じような人たちでもうすでにグループになっており、そこへ入り込む勇気は湧かず、声はかけられなかった。
そんなこんなで入学式からあっという間に1週間が過ぎた。あっという間だった。近々、同じ学部の生徒で集まってレクリエーションを兼ねた交流会を行うらしいが、本気で馴染める気がしない。
憧れて、来たくてたまらなかった場所なのに、もうすでに心が折れそうだった。田舎者はそれらしく引っ込んでいたほうが良かったんだろうか。
今日も今日とてぼっちとやらを極めながらも講義を受けるためにど真ん中を陣取って、真面目に前だけ見ていたら声がかかった。前述のセリフをこちらへ投げかけながら、銀髪の男性がわたしの隣へ座った。
震えているつもりはなかったが、わざわざ声を掛けてもらうほどそうなっていたと知った途端恥ずかしくなる。ましてや指摘してくれたのが男の人の声だったから動揺も激しい。
「なんかビビることでもあった?」
「いえ…何もないんですけど…」
同じ教室にいるということはきっと同じ学部の人だ。その大人びた雰囲気にこちらは圧倒されるばかり。震える声で、せっかく話しかけてくれた人を突き放すような堅苦しい返事しかできない。
そんなわたしをじいっと、穴が空くほど見つめていたかと思うと銀髪の彼は吹き出した。
「っえ? …わたし変ですか?」
「いや、変っていうか震えすぎってか…同い年なんだろうし楽にいこーぜ」
なあ? そう付け足してにっと笑った彼は、そのまま机の上にべしゃ、と音が付きそうなほど力なく突っ伏した。
会話は途切れる。自分が何も返事しなかったからだ。どう対応したらいいのかわからなくて、ふわふわ揺れる銀髪を眺める。
「…なに?」
組んだ腕に顔の下半分を埋めているから目元しか見えない。それと視線が交わる前に、自分の手元を見るように顔を俯かせた。
「なんか、わたがしみたい、ですね」
「俺の髪のこと?」
「あ、はい…すみません…」
失礼だったかと語尾になるにつれて声が弱々しくなってしまった。
「そんな美味そうなもんに例えられたの初めてだわ」
「そ、そうなんですか? すぐそう思ったけど…」
「鳥の巣とかさァ…抜け出せねえ暗黒ホールとかさァ」
至って真面目そうに、低いトーンでそう言っていたけどわたしは思わず吹き出してしまった。ちらりと盗み見たら、酷えだろ? と続けながら毛先を指で捻っている。
「天パだから仕方ねえっつってんのに」
「えっ、それ天然ですか?」
「生まれてからずーっとこう」
「へえ…産まれた瞬間からオシャレだったんですね」
次に吹き出したのは彼の方だった。交互にそうなりながら会話を続ける。
「名前は? なんてーの?」
「七瀬ななこです」
「ななこちゃんね」
さらりと名前で呼ばれて、心臓が早鐘のように鳴った。顔は上げられず、自分の指先をいじくりながらその低い声に耳を傾ける。
上京した春。右も左もわからないわたしは、こうして坂田くんと知り合った。