溶けゆくバニラアイス 1/4 

 トン、と肩を揺すられた気がして、わたしはハッと目を覚ました。何度か瞬きを繰り返してから、ぼうっと天井を眺める。
 頭はどうもぼんやりしていて、体全体がだるい。末端まで次第に感覚が戻っていくにつれて、節々に痛みを感じた。それは骨の髄がずうんと重いようで、四肢を動かす気にもならなかった。

 部屋の中はもうすでに明るかった。どうやらわたしは寝る前にちゃんとカーテンを引かなかったらしく、半分ほど空いたところから室内を照らす光が差し込んでいた。それでも今の季節は冬だから、半透明の灰色みたいな明度だった。

 何か夢を見ていたような気がする。だがぼやけるとはいえ意識が覚醒してしまってはもう続きを見ることは叶わず、覚えてもいなかった。


「…起きたか」

 声のしたほうに顔だけ向けると、仰向けだったわたしと同じように布団に潜り込んでいる晋助くんがいた。彼も顔だけこちらに向けている。かと思えばのそりとした動きで起き上がった。
 わたしのすぐ側であぐらをかいて座った晋助くんは、こちらに手を伸ばしてくる。それはわたしの額にぺたりと触れた。確かめるように数秒あてがわれてから離れていく。

「いつから熱出てんだよ」
「……え? あ、わたし…熱出てたんでしたっけ」
「…薬は」
「飲んでないです」
「今はしんどくねェのか?」

 矢継ぎ早に、だけど優しい口調で気遣われるのを、わたしはどこか夢心地のように聞いていた。
 返事をしないこちらをじっと見下ろしてくるのは間違いなく晋助くんだった。すぐに目元を隠してしまう長めの髪は、光が当たっていることでどこか紫がかっている。寝ていたからか眼帯は取り払われているが、いつも付属しているパーツがひとつ減ったからといってその顔を見間違うはずがない。

 体のだるさや痛みなんか忘れてしまうほどの混乱がやってきた。えーと、と考えながら、相手と同じように体を起こす。
 大学生の夏休みは長い。わたしの通う大学は9月下旬まで休みだった。そのすぐあとから晋助くんは顔を見せなくなった。だから彼の顔を見るのは2ヶ月ぶりだったのだ。
 その空白の時間なんか感じさせないほど晋助くんは自然だった。わたしの全てを置き去りにした、あのときの冷たさはどこにも感じられない。

 そして昨夜、自分がバイブレーションに起こされたとき、晋助くんがこの部屋に来てくれたことを思い出す。
 今よりもずっとぼやけた視界と、考えがまとまらない意識のなか、わたしは必死になって自分の気持ちを伝えた。同じことを繰り返しかけたわたしに晋助くんは怒っていたように見えたけど、最後には抱き締めてくれたし、キスもしてくれた。帰らずにここにいてくれた。そして今、わたしの体調を気遣ってくれている。

「晋助くん…?」
「なんだよ」

 名前を呼べば返事がくる。手を伸ばせば触れられる距離に座っている。

「………晋助くんだぁ…」

 じわりと簡単に滲むのを拭うこともせず、わたしは晋助くんに飛び付いた。彼の首に腕を回してしがみついた。ぐらりと傾いたけど倒れることはない。晋助くんが手のひらをフローリングにつけて、耐えてくれたからだ。

「…おい、苦しいだろうが」

 耳元でそう咎められたけど腕の力を緩める気にはならなかった。だって会いたくて堪らなかった人が目の前にいる。
 晋助くんがいなくなったときには、なんで、どうしてと責めるようなことばかり考えていたのに、顔を見て触れられるならもうそんなことなんでどうでもいいと吹き飛んでしまった。
 すると自分の背面に温もりが回る。それが晋助くんの腕であることなんかすぐにわかって、それが嬉しくて、頬を熱い雫が伝ってしまった。
 ぐす、と鼻が鳴ってしまったからきっと晋助くんには気付かれてしまっていると思う。だけどもう、そんなことはどうでもよかった。

 晋助くん、晋助くん、

 自分の心の中は彼でいっぱいになっていく。

「熱上がっちまうぞ」

 晋助くんはそう言いながら、わたしを抱きとめていた腕を解いた。脇の下に手を差し入れられて、彼にしがみついていたのを引き剥がされてしまう。
 ぺたんと座らされてしまっては互いの表情がよく見える。泣いているわたしを見て、晋助くんは小さく息を吐くように笑った。すこうし下がる目尻も、ゆるりと持ち上げられている口角も柔らかい雰囲気を携えている。

「お前の泣く顔ばかり見せられてんな」
「そう、ですかね…すみません…」
「…いや、不謹慎だがいいもんだなと思ってる」
「え?」

 瞬きをすれば自分の目の縁から涙がいくらでも押し出されてしまう。それを優しい手つきで拭ってくれた晋助くんは、すぅっと天井を仰ぎ見た。
 何かを言おうとしたように唇が僅かに動いたが、吐息が言葉として紡がれることはない。しばらくの間を置いてから、晋助くんは喉の奥を鳴らすように笑った。

「会わない間、お前の顔が見たくて、触れたくて堪らなかった。…自分で放り出したくせにな」

 そんな言葉をかけられては、止めようと必死になっていた涙が余計にぼろぼろと溢れてしまう。堪えきれず嗚咽を漏らしてしまったとき、目元を少々荒っぽく、その指先で拭われた。
 晋助くんはいつもそうだった。泣いているわたしの涙をこぼすまいと受け止めてくれる。それが当たり前になるように計らってくれていたのは彼の優しさからだと知った今、嬉しさが込み上げて仕方ない。

「ううん、また拾ってくれて、戻ってきてくれたからいいです。わたしも晋助くんに会いたかったし触れたかった」

 体を前傾させて、床に手のひらをつける。前へ体重移動しながら床から離した手を、今度は晋助くんの肩に添えて少し膝立ちに。距離を詰めるこちらを見る彼の顔は、その行動の意味が読めないといったようなキョトンとしたもので、あまり見ない類いの表情に思わず笑ってしまう。
 嬉しさ、喜び、あなたが好きな気持ち。今、胸の内を占拠する気持ちが全部伝わるように、わたしは晋助くんにキスをした。触れるくちびるは自分のものより冷たく、自分はまだ発熱していることがわかる。
 またぺたんと床にお尻をつけて、目線を合わせて、また泣きそうになりながら晋助くんを見る。

「好きです。本当に好きです。晋助くんが好き」

 だからもう、何も言わずに姿を消さないで。帰ってくる場所はわたしのところにしてほしい。そんな思いを込めて、わたしは必死に告白をした。

 
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