小説 | ナノ


▼ 行方不明

カチャカチャと茶器が音を立てる。
穏やかな昼下がりに思いを馳せるのは元の世界のこと。
元の世界でもこうやって、穏やかに姉と昼下がりを過ごしていた。今頃姉はどうしているのだろうか。元気にしているといいと思いつつも、もう、あの世界へ戻ろうという気にならないのは、何故か。
戻らないことを罪深いと自分を責めていた。ほんの少し前までは。
戻らないといけない。これは夢だと自分に暗示をかけていたあの頃の少女はもうどこにもいない。
少し、まだ、罪悪感はある。
元の世界が、自分がいなくなってどうなっているのか気になるのも確か。
知る術はもうどこにもないのだけれど。

「ふふっ、このクッキーもケーキも美味しいですわね。ねぇ、アリス?」
「そうね。」
「当たり前です。そのクッキーもケーキも私が作ったのですから」

テーブルに乗るクッキーやケーキは、今回シドニーが作ったものらしい。
どちらも、黒色をしていて自己主張が激しいが、味は一品。文句なしで美味しい。
きっと、私が作るどのお菓子より美味しいであろう事実が悔しい。
それに、お菓子似合うように入れてくれた紅茶。
香りも味もクッキーたちに合う。流石シドニーね。

ふわふわと暖かな時間が穏やかに流れていく。
その様をダイヤの城の綺麗な庭で過ごす、これを何度も繰り返してきた。
そのたびに、元の世界や、この国に来る前の国に思いを馳せるのだ。
今頃みんなはどうしているのだろうか、と。
しかし、知る術はない。
もし、知る術があるのならば私は知るのだろうか。
知ればきっと戻りたくなる。ここの人たちを置いて?
そんなことは出来ない。シドニーやクリスタを置いて戻る?
戻ったとしてどうするのか。戻るとしてもどこへ?
元の世界? 姉や妹、父、あの人の居た世界。
最初にたどり着いた、ハートの国。私を連れてきた白ウサギの居る国。
はじめて引っ越しを経験したクローバの国。ナイトメアやグレイ、ピアスとはじめて会ったあの国。
どこも、私にとって大切な場所だった。
どこも…選べない。
私なんかに選ぶ権利はない。
みんなを大切だ、友達だと言いながら戻ろうとはしなかった。
あまりにも居心地がよくて、シドニーやクリスタの側が。
そんな私に知る権利はない。

「アリス…? 先程からぼんやりしていますけど、どうかいたしました?」

心配そうに私を覗き込んできたクリスタにはっとする。
いけない、ぼんやりしすぎたと反省する。

「いいえ、何もないわよ。ごめんなさいね、なんだったかしら?」
「ならよいのです。…元の世界や他の国が気になります?」
「え…?」

内心、ナイトメアのように心の声が聞こえるのかと思って焦った。
クリスタにその能力はないはずだけれど、タイミング的に。
その焦りを誤魔化しつつ、少し気になるけど、そこまでではないと柔く伝える。

「そう…ですか。アリスはいつも、庭でお茶をすると心ここにあらずな様子をしていますので、わたくしとお茶をするのが嫌なのかと…」
「そんなことないわ。クリスタとお茶、とても楽しいし、好きよ」

俯き、元気のないクリスタに申し訳なくなる。
クリスタのせいではないし、私が悪いのだ。
どうしても、庭、昼、お茶、が揃うとキーワード的に色々思い出すところがあり、ぼんやり気味になってしまう。

今まで口を結んでいたシドニーが、突然近づいてきて座っている私を見下ろしてくる。
な、何事だと身構えると赤と黒の冷たい色を湛えた目と合う。

「戻りたい?」
「え?」
「ねぇ、君はどこに戻りたいの。元の世界? 今まで居た国? 白ウサギの居る所?」
「な、何言ってるのシドニー?」
「答えてよ」

矢継ぎ早に問いかけてくるシドニーにしどろもどろになってくる。
瞳に狂気が見え隠れしているように見えた。
今は、戻りたいと思っていないのに、そのことを伝えるのを躊躇ってしまう。
言ってしまえば、その瞳に捕らわれて抜け出せなくなるような、そんな危険性を醸し出している。
どう答えれば正解なのか。むしろ、正解があるのかどうかさえわからなくなり、考えすぎて目が回りそう。
そろそろ、答えなければ焦れたシドニーがどう出るかわからない。
思わずクリスタに助けを求めるが目が合った瞬間に目を逸らされる。
わたくしは知りませんわよ。と空耳が聞こえた気がした。
自分が撒いた種なので、薄情者と罵ることはできないが、シドニーを抑えることができるのはクリスタだけなのだ。少しくらい慈悲で助けてくれてもと思わないでもない。
そんなことしてはくれないだろうが。
どんどん雰囲気が悪くなってくるので、精一杯勇気を振り絞ってきちんと伝えようとした。

「えっとね、シドニー。今は戻りたいとか、思ってないの。他の人から見れば、自分勝手で無責任だと言われるかもしれないけど。」
「茶会の時に考えてるのは、戻りたいからじゃないの」
「確かに、お茶会のときに考え事が多かったのは認めるわ。楽しくお茶をしているのに申し訳ないと思う。でも、戻りたいからとかではないの」
「どうして、戻りたいと思っていないのに元の世界のことを考えるのですか? アナタに少しでも戻りたいという気持ちや、忘れられない、捨てられない気持ちがあるから…でしょう?」

クリスタの言葉に、何も言えなかった。
まるで、思い出せと言わんばかりに。
私は何か忘れている…?
何を忘れているというの。
思い出せない。
胸が苦しい。ごめんなさい、ごめんなさい。
胸を抑える手が、じわりと湿った嫌な感触がする。

思い出さなくていい。という声と、思い出せ、忘れるなんて許さない。という声が頭の中で反響している。

アリス…アリスアリス
思い出さないでください。アナタに幸せになって欲しい。
どこへ行こうと幸せに…。

どこか遠くでペーターの声が聞こえた気がする。
その声を最後に意識が白く濁っていく。

それきり、ダイヤの国でアリスを見た者はいない。
どこかへ行ったのか、ダイヤの城の奥底に居るのか、元の世界に戻ったのか。

誰も知らない。
アリス本人さえも。


END?


prev / next

[ back to top ]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -