08.だから……だから

 夜更け。いくつかの静かな寝息のする寝室。真琴は窓辺に腰掛けていた。おもむろにペンダントを外す。ケニーから貰ったカメオのペンダントは写真入れになっており、肖像画の素敵な女性が収められていた。
(大事なものじゃないの? この女性は誰なのかしら。私なんかが持ってていいの――ケニー)
 情報が少な過ぎる。だから不安になる。

 この国では使えない紙幣、小さく折り畳んだ五千円札をペンダントに入れなおした。唯一持っている自分の世界との繋がり。たまに眺めては、この世界は他人事なのだと言い聞かせた。そうでもしないと自分がへし折れそうになるから。

 ――ふと特徴的な鳥の鳴き声に真琴は窓に手を添えた。夜空を鷹が旋回している。あれは仲間からの合図。
 真琴はそろりと風車小屋をあとにした。鷹が導くままに、草木を掻き分けながら林の中を進む。鷹がとまった木の枝の下にいたのはトラウテだった。
 真琴は安堵で力が抜けそうになった。数週間を共にした仲間意識はやはり大きい。トラウテに駆け寄る。

「よかった、聞きたいことがいっぱいあって。――つけられてないかしら?」
 真琴は暗い林を振り返る。大丈夫とトラウトが打ち消した。
「この鷹は賢いの。追っ手にも気づくし、用心深い。おかげで随分と遠回りさせられたんじゃない?」
「そういえば……かなりうろうろさせられたような」
 でしょう、とトラウテは微笑んだ。その場に座る。
「どうだった? 今日一日」

「大変でした。一行が朝早くから来るとは思わなくて。言い訳の連続でくたくたです」
 湿気る下草に片手を突いて真琴も座った。
「リーブス商会のことは何かわかった? 真琴がどんな言い訳をして彼らに入り込んだのかも、個人的に気になるけど」

 リーブス商会と調査兵団はおそらくずぶずぶだ。けれど少年少女がいることに気がかりで真琴は嘘をついた。
「リーブス商会の話は出なかったです。私から話題にするのも怪しまれると思って聞かなかったです。役に立てなくてごめんなさい」
「良い判断だと思うわ。潜入なんだし」
「リーブス商会と手を組まれると、なにか困るんですか」

「いくつもある商会のうち、リーブス商会は特に中階層を中心に顔が広いの。商売だけじゃなく労働組合もかねていて、多くの民が助かっているわ。だから調査兵団に利用されてしまうと、国は困るし、物価もあがってしまうの」
 王政に反発させることにより、失業者を増えさせる。よって国に税収が入らなくなるし、あぶれ者が増えることで治安も悪くなるという。であるから王政は阻止したいのだろう。

 トラウテが促した。
「それで? どう彼らを懐柔したの」
 土臭い中、真琴は下草を見つめる。
「……王都が荒れてるから、一時避難するために空き家に戻ってきたと言いました」
「巧いわね。私でもその手を使ったと思うわ。持ち込んだ大量の日用品も疑われない。朝、真琴にそう伝えようと思ってたんだけど時間がなくて心配してたの」

「調査兵団のことは密かに応援してるから、手助けさせてほしいと言ったら、なんとか置いてもらえることになりました」
「そう……よかった」
 上手な嘘がすらすらと口を滑る。トラウテを信用しており、かつ焦っていないからだろうか。嘆願を秘め、真琴は顔を上げた。
「あの――襲撃はしないでほしいんです」

「しないわ。私たちは怖い組織じゃないのよ。でもどうして?」
「子供なんです。やってきた全員が、率いてきた人ひとり除いて、みんな子供ばかりなんです。だから」
「率いてきたのはリヴァイ?」
「はい。常に注意をはらっているような、怖い人でした」

「実力だけでいったら彼は調査兵団のナンバーワンよ。真琴も注意をはらいなさい」
 トラウテの表情が厳しいものになる。
「それとあの子たちはただの子供じゃないわ。訓練兵団で三年間、鍛えられた子たちよ。油断してはだめ」

 訓練兵団とは、憲兵団や調査兵団に入団するための、技術や体術を研修する兵団だとわかった。年の差は不要、肉体面でも精神面でも真琴は劣るらしい。

 トラウテが優しく真琴の肩に手を置いた。
「それじゃ、真琴の聞きたかったことに答えようかしら」
 三重の壁の外には巨人がたくさんいる。壁外遠征とは巨人を退治しつつ壁外に何があるのかを調査する、それを担って組織されたのが調査兵団。

「壁の外に巨人がたくさんいるのは、あの薬のせいなんじゃないんですか? ケニーが持っていた」
「違うわ。壁外の巨人は自然に発生したとしか、私には答えられない。ケニーが持っている薬は、とても希少なものなの。あの人のことだから王からくすねたのかしらね。私たちは王に信頼されているから」

「その王のことなんですが、リヴァイさんたちが王家はフリッツだと言ったんです。でもケニーさんはレイス王と、会議のときに言ってましたよね。これって?」
 不安な真琴を落ち着かせるふうにトラウトが身を寄せる。
「それはね、王族はいつも危険に晒されるものだからよ――暗殺とか。だから純血を絶やさないために影武者が必要なの。互いに歴史のあるフリッツ家がレイス家を守ってくれているのよ、この国のために。実際に実権を握っているのはレイス王家なの。それを知るのは一握り。私たち含めほんの一部」

「国が認めた兵団ですら知らないなんて、なんだか国民を騙してるみたい……」
「言ったでしょ? 純血を守るためなのよ。間違っても彼らに口を滑らせてはだめ。真琴の命が危険になるわ」
 トラウテの口調は好感がもてる。疑いの余地も与えない。けれど底の部分で腑に落ちず、真琴はなんとはなしに土混じりの下草を抜く。
「ヒストリア・レイスは? ある男子が、ヒストリアという少女とエレンという少年を守る、と言ってましたが」

 トラウテは真琴の肩に腕を回した。
「――ヒストリアはレイス王家の血を引く者。エレンも王家にとって大事な存在なの。本人たちは何も知らない。調査兵団も知らないはずだけど、レイスという姓に興味を持ったのでしょうね。二人を利用して国を混乱させようとしている。私たちは二人を助けたいのに。守るといったその男の子も可哀想に。リヴァイたち大人に言い含められたのね。彼らの都合のいい大義名分を」

 調査兵団は王政の嘘――血を守るためのあり方を、暴こうとしているのじゃないか。やり方が拙く、国を混乱させているが、悪いことだろうか。双方が巧く折り合いをつければ揉めることはないのに、と真琴は思う。調査兵団の目的は稚拙で単純すぎる。――とすると隠れた深い意図があったりはしないか。

 トラウテが覗き込む。
「聞きたいことはこれで全部?」
 まだあるけれどトラウテに聞くことではないかもしれない。あと気になることといえば――
「トラウテさんは、なんでケニーさんの部下に? 上からの配属命令ですか」
 質問に意外そうでもなく、トラウテはしばし黙る。それから空を仰いだ。
「望んで部下になったの。ケニーの夢に惹かれたのよ」

「ケニーさんの夢?」
「それは本人に聞きなさい。――ケニーの部下になる前はただの憲兵団だった。五年前に巨人の襲来によってウォールマリアを奪われたとき、私の妹が死んだ。助けられなかった自分の無力さに腹が立ったわ。そんな絶望のときにケニーに出逢った。ケニーの夢は私に希望を与えてくれた。だから今もケニーの側にいる」

 トラウテは真琴の洗いざらしの髪を慈しむように撫でる。
「生きていたら、同じ年頃かしらね」
 だから――だからトラウテは真琴に親切だったのだと、いまになって知ったのだった。


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mokuji
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