06.相手もなかなかにして曲者

 田舎っぽい風景が広がる崖沿いに風車小屋があった。早朝の清々しい風がそよぐ。辺りにほかの家はない。
 真琴は風車小屋の戸を開いた。屋内の埃っぽさに咳き込む。何年も使われていない家のようだ。たぶんずっと空き家で、もとの家主など追えそうもないようにみえた。

 数日のうちにこの小屋を、調査兵団の一味が訪れるという情報が入った。それで真琴はここいた。
 けれど一味という大雑把な情報しか与えてもらっていない。台本もなく、一味がやってきたときに即興力で対処しなければならないという非情な任務だった。

 調査兵団の一味は憲兵団に追われながらも、てんてんと逃げ回っているらしい。追われ逃げているということは王政の圧力が効いているということか。意外と早く決着がつくかもしれない、と真琴は思った。
「とりあえずは掃除かしら」
 綺麗にして一味を出迎える必要もないのだけれど、放っておいたら翌日真琴が白髪になってしまう。ざっと編み込みして髪をまとめる。

 風車小屋は広かった。二階と地下があった。全部の部屋の掃除は無理。一階だけでいいか、と真琴は床を水拭きする。
 茶の間の半分も保たずに雑巾が真っ黒になった。バケツの水も薄汚れたし、外にある井戸で水を入れ替えようと戸を開けたときだった。

「――痛っ」
 外開きの戸は小屋の外にいた人物を叩いてしまった。額に手を当てて男は僅かによろめいた。
(誰? ――あれ? なんかこの感じ前も)
 既視感がよぎるも思い出せなかった。

 男は真琴と同じくらいの背丈。黒い髪はツーブロック。まるで身を潜めているように外套のフードを被っている。年は一回り上くらいか。男の周りにも同じ格好の対格差の違う人間が数人。
 戸が男の額を叩いて一秒もなかった。男は真琴の背後にすばやく回り込み、後ろ腕を掴む。喉許に人肌の小型ナイフを押し当てた。

 真琴の耳許に切り裂く風のような鋭い口調。
「何者だ」
 咄嗟のことに言葉が出ない真琴の腕を男は引く。反動で仰け反り、首許のナイフが微かに食い入った。ぴりっとした痛みと共に切っ先からつうと一筋の赤が伝う。
「三秒で答えろ。いち、に――」

「お、お待ちしてましたっ」
 真琴は無理に微笑った。胸がバクバクする。おそらく彼らが調査兵団の一味だ。他の者たちからも長銃を向けられていた。が、持ち慣れないというふうに銃口が震えている。
 真琴の耳許で男が首をかしげてみせた。「……待っていた?」

「リヴァイ兵士長」
 少年のような若い声が耳に入る。
「ここは、たしか無人のはずでは……?」
 朗報と凶報。真琴を拘束している男の名前はリヴァイ。次いで真琴がここにいるのは怪しいことがわかった。

(バカバカバカっ。ケニーのバカっ。何が数日のうちによっ。今日、来ちゃったじゃないっ)
 何パターンか台本を練り上げておこうと思っていたのに。巧く即興しないと殺される。それだけリヴァイという男から放たれる殺気は凄まじかった。
「お、落ち着いてください。り、リーブス商会の者よ。会長の言いつけで、リヴァイさん方が小屋を使うというので、そ、掃除しておくように仰せつかったの。それと、もろもろの世話もするようにって」

「世話人がつくなんざハンジから聞いていないが」
 小さく呟くリヴァイの警戒心は全然取れない。さっきとは違う少年の声が、なるほどというふうに言う。
「会長が気を使ってくれたんじゃないんですか。兵長の潔癖性を知って」
 リヴァイは舌打ちする。真琴は逆に少年に感謝した。
「そうなのっ。リヴァイさんは綺麗好きだから、失礼があっちゃいけないって。埃ひとつ屋内にあっちゃいけないって。だからさっきまで床を水拭きしてたのに。ひどいし痛いわ」

「ほう……それは助かる。なら――お前を信用していいか」
 次の振る舞いを間違えたら死ぬと思った。

 真琴は長銃を向けている彼らに視線をやる。少年少女が七人。なぜこんな若い子らが兵士をやっているのか。表情が青ざめて、長銃を持つ手許が震えている。人間に武器を向けたことなどおそらくないのだろう。
 真琴は見張り役、恐れる子羊たちの、怯える子羊たちの。そう思ったら勝手に唇が開いていた。

「信用なんて、そんな言葉、簡単に使っちゃいけない。冗談よね? 調査兵団のリヴァイ兵士長たる人だもの」
 終わった、と真琴は瞳をとじた。少年少女たちについ同情してしまった。失敗した。
 が、リヴァイは眼を眇めた。
「確かにそうだ。――信用。商人の世界では冗談を言うときしか使わない。そう言っていたな、会長も」

 真琴の喉許からするりとナイフが離れる。
「悪かった。よろしく頼む」
 ――よろしく頼む。
 肩越しに振り返ったリヴァイからは、とてもじゃないがそう聞こえなかった。ともあれ真琴は彼らの中へ潜り込むことに成功したのだった。

 ※ ※ ※

 調査兵団の一味は憔悴しきっているようなのに、早々に風車小屋の大掃除を始めた。おもに炊事場と茶の間を中心にリヴァイが若い兵士に指示した。
 リヴァイは黙々と茶の間の床拭きをしている。真琴は日用品のチェックをした。八人掛けテーブルの全体を占める大掛かりな荷物は真琴が持参したものである。

「食料や着替え、シーツは足りる? 食べ物に関しては日持ちするものを選んだから、少し物足りなく感じるかもしれないけど」
「さすがリーブス商会だ。王都まで荒れて、物価が値上がっちまってるなか」
 あの円形状の国の真ん中が王都だ。一番栄えている城下町が荒れているという。ならば外側はもっと生活が苦しくなっているかもしれない。そんなふうに国を荒らしたのは彼らではないか。

 気分を害した真琴の口調は棘っぽくなった。
「ええ。商会はツテが広いので、このくらいどうってことないわ」
 床拭きをやめて、リヴァイは立ち上がった。食料の詰まった紙袋を見聞する。
「コンビーフの缶詰か。ガキ共が喜ぶ。だが希少だろう。中身も鉄も」
「ツテが広いっていったじゃない。なんなら生肉も手配しましょうか」
 中身はともかく鉄が希少? 真琴には意味が分かりかねる。持参した荷物はすべてトラウテが用意してくれたものだから。

 リヴァイは缶詰を紙袋に戻した。
「充分だ。それに、そこまで俺らに膳立てしなくていい。余裕があれば市民に配給してやってくれ」
「そこもできる限りしているつもり」
 社交辞令か。殊勝な面もあるのかと真琴は拍子抜けした。リヴァイの三白眼が上目する。
「ところで――俺の嗜好品はどの紙袋にある」

「ど、どこに詰めたかしら」
 嗜好品――贅沢なことをと思いながらも、真琴は乱雑に食料の紙袋を漁る。内実は焦燥していた。『俺の嗜好品』商会の者を名乗っているのに、これを知っていなければ不審がられる。
 だが嗜好品自体がわからない。中に紛れているかもれないから一緒に探してほしいのに、リヴァイは直立しているだけだった。

「俺の潔癖性は知っているのに、嗜好品は知らないらしい」
 これだろう、とリヴァイは散乱した食品の中から紅茶瓶を手にしてみせた。
 真琴は眼を見開いた。「み、見過ごし――」
「旦那から聞いていないようだ。これほどのものを見繕い手配できる者が。てっきり俺は会長に近しい者を寄こしたと思っていたが。俺らの世話役を頼んだのも、お前に一目置いているからだろうと」

「そ、そうよ。近しいわ、とても信頼されてる」
 売り言葉に買い言葉。すぐさま真琴は後悔した。リヴァイはなんて疑り深いのだろう。続く言い逃れの文句はどうしよう。脇に汗、脳は混乱。
「な、なぜなら私」真琴は横髪を払う。「会長の息子の許嫁なのよ」
「息子? いたか?」
 リヴァイはわざとらしく斜め上を見る。

 真琴は思う。会長よ? 手広い商売をしている会長だ、家族がいるだろう。跡継ぎに息子や娘がたくさんいたって不思議ではない。不思議ではないが、子供がいてくれと願った。

 炊事場を磨いていたミカサが振り返った。淡々と言う。
「いました。トロスト区の扉を塞いでた荷馬車に、会長と一緒に若い男が。たぶん、あいつの息子です」
 敵だけれど、ミカサの今晩の飯は贔屓しよう。
「知らないのも無理ないわ。会長はあの人を溺愛しているから表に出さないの。それに嗜好品のことだけど、あなたのことをなんでもかんでも知ってるわけじゃないのよ。それこそ可怪しいでしょ」
「かもな」

 切り抜けの全力疾走の消費が激しい。けれどもう一言吐き捨てなければ真琴の気が済まなかった。
「あと、お前呼びやめてもらえる? ちゃんと名前があるの、真琴って」
「いいだろう」
 言ってからリヴァイはテーブルの裏に手を這わせた。
「ついでに親切な助言をやる。いずれ嫁にいくんだろう、ナメた掃除は大問題だ。ガキ共と一緒に仕込んでやる。俺からの礼だ」

 彼の見つめる手のひらには埃がついていたようだ。静かな攻防は終わった。どれだけ負けず嫌いな男なのだろう。リヴァイは真琴の脳をおおいに疲れさせてくれた。

 掃除は二階に移った。今夜の快適な睡眠を得るために、各部屋を男女で別れて取りかかった。
 女仲間は、引き締まった体格の黒髪のミカサ、炊事場でつまみ食いをしていた明るいサシャ、暗い影を落とす長い金髪のクリスタの三人だった。
 真琴は二階の窓を引き上げる。くしゃみの誘いと眼を眇めさせる太陽は、角度から十五時くらいだろう。

「手を抜きましょ。完璧に掃除してらんないわ。これから夕飯の支度もあるんだし。多少、埃があったって死なないわよ。でも気になる人は自分でね」
 気になりませんというふうに三人は頷いた。ミカサがベッドにシーツを被せる。
「あのチビは異常です。けど……力は認める」

「素直ですねっ、ミカサ」
「認めたくないけど。――サシャ。いつまで食べてるの、働いて。サシャのベッドだけ埃まみれでも私は構わないけど」
 言われたサシャは、頬張っていたパンをポシェットにいれる。
「相変わらず冷たいですね。食べ盛りなんですよ。ね?」
 サシャはクリスタを見返った。クリスタは黙然とベッドを整えている。
「うん……。でも真琴さんが用意してくれた食料だから。足りなくなっちゃったら、みんなも困るし」

「心配しなくても大丈夫。いつでも仕入れることできるから。栄養が一番必要な成長期だもの」
 真琴の軽快さでクリスタの影を拭うことはできなかった。あの、とクリスタは怯える瞳をみせる。
「……部屋のお掃除なんですけど、手抜きして、あとで怒られないでしょうか」

「リヴァイのこと? ここは女性部屋なの。抜き打ちチェックなんて絶対させないから安心して。私もここで寝るんだし、男性にズカズカ入ってきてもらいたくないもの」
「……そうでしょうか」
 真琴はクリスタに嘆息した。なんだか暗い。真琴よりも小柄だし、一味のどの子たちよりも兵士らしさが垣間見れない。真琴もおののかすリヴァイと行動していれば仕方ないのかもしれないけれど。

 ミカサが冷めた眼をサシャに飛ばした。
「どうしてまた食べてるの」
「真琴さんが成長期だから大丈夫って」
「いま食べていいって意味じゃないと思う。やるべきことをしてからにして」
 しかたなし、と真琴は人差し指で頭を掻く。
「お茶にしよっか。少しも休んでないもんね」
 はーい! きらきら輝く表情でサシャは手を挙げた。

 真琴が寝室を出ようとした際、扉口でリヴァイと鉢合った。
「たんこぶが増えると思ったぜ。扉の開け方に気をくばれ」
「二つ三つたんこぶ持ちのが、むしろいいんじゃない。悪相に親しみが湧くかもね」
「俺に恨みでも?」
 調査兵団が反乱を起こそうとしているとケニーから聞いている影響か。リヴァイに恨みはないのだし、普通に接すればよいだけなのだけれど。相手もなかなかにして曲者なのもありつい――、

「首が痛〜い。嫁入り前なのに。傷が残ったらどうしよう」
 真琴は首許の包帯をさする。
「傷の治りが悪い場合、老化しちまってる証だと聞く。さて部屋の具合だが」
 むかっと唇が尖った。清楚に真琴は後ろ手に戸を閉める。
「終わりました。今夜はぐっすり眠っていただけますくらいに」

「部屋の四角。窓枠。特に天井の梁、ここは見落としやすい。埃が残っていたら大問題だ」
「ご心配なく。ある程度の見落としは逆に免疫になります。身体が丈夫になるわ」
「……精査する」
 入る、入らせまい――リヴァイと扉付近で不毛なお見合いを続ける。
「可愛げのねぇ女だ。会長の息子が不憫でならん」
 そう捨て置き、リヴァイは引き下がっていった。隣の男部屋に入っていく。

 どっちが、と毒づいて真琴が階段を降りようとした。――男部屋から怒声。
 ――なにさぼってやがる。床に顔が映るまでちゃんと磨け。ナメた掃除は晩飯抜きだと思え。
 真琴はエレンたちを不憫に思った。


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mokuji
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