05.虫ケラみたいに這いつくばって

 昼間。トラウテはケニーの部屋を訪れた。
 相変わらず散らばった部屋だ。未洗濯の衣類を何枚も腕にかけていく。
「始末しなくていいんですか」
「洗えばまだ使える。贅沢はしねぇ」

 洗濯物のことではない。わかっているくせに、とトラウテは呆れた。椅子に座り、机に足を放り投げているケニーはほらを吹いたのだ。
「シャツ、ズボン、パンツのことではありません。真琴のことです」
「始末だあ? 物騒なこと口にする女だ」
「隊長のことです、見抜いているでしょう。昨夜、薬瓶を盗んだのは真琴です。なぜ放っておくのです」

 ケニーは気怠気に手を揺らす。
「証拠がねぇ」
「手に持って逃げた瞬間も見ていないと? 隊長に限ってありえません」
「そんなに殺したいか、真琴を。意外に可愛がってたくせによ」
「そうですが……。私は組織が第一と考えます。隊長」

「だから証拠がねぇのよ。俺の眼を騙すことはできねぇ。けどよお、誰かに手渡したわけでも、草むらに落ちてたわけでもない。そうだな、消えちまってたのさ」
「証拠がなくても、裏切り者や怪しい者はすぐに始末するではないですか。いつも隊長は」
「お前からみてアイツは、真琴はスパイにみえるか」

 トラウテは黙った。特殊訓練を積んでいるようには思えない。どうみてもスパイにはみえない。ただの市民としか。
「だろう?」ケニーに胸の内を読まれた。「だから放っておきゃいい。昨夜、脅しておいたしな」
「巨人を見せることによって――ですか」

「ああ。大袈裟すぎるほどに腰を抜かしてやがったぜ。ありゃ巨人を見たことはねぇ。となると調査兵団の回しもんだとも思えん。この世の理も知らないだろうぜ」
 やはり真琴は普通の市民か。心を巣食う不信が消えてよかった。ケニーに振るい落としてもらいたかったのだろう、とも思う。が、ケニーにしては寛容すぎる。トラウテの脇は丸めた衣類でいっぱいになった。

「だとしても、真琴に随分肩入れしているのですね」
「あら、ヤキモチ? トラウテちゃんよ」
 動揺させられ、折角集めた衣類がばらばら落ちた。この男についていくと決心しただけ、やましい想いはないと言い聞かせる。落ち着きを装い、嫌煙な服を拾う。

「ありえません。自惚れがすぎます」
「そうかい?」
 こほん、とトラウテは咳払いした。
「誤魔化さないでください。なぜ真琴に肩入れするのですか。国から迫害された者同士、だからですか」

 ケニーは考える。窓の外、群生した小さな花が揺れる中庭を眺めた。
「……似てみえたんだよな」
「疎遠になった血縁の方ですか」
「……でもいま思うと全然似てねぇんだ。なんでそう思っちまったのかな」
「私に聞かれても」

「ただ真琴の、地下のドブネズミみてぇな根性は嫌いじゃない。アホな言い訳をしてでも生きようとする根性は粋だぜ。俺がチビに教え込ませたようにな」
「そこまで肩入れするのならアパートメントを借りてあげては? 兵舎ではなく。ここは安全とはいえません」

 ケニーはこちらを向いた。
「俺はそんなにお人好しじゃない。真琴にはまあ、ほどよく働いてもらうさ。調査兵団にきな臭い動きがみられる。俺たちの出番も近い。お前も頼んだぜ」
 わかりました、とトラウテはベッドのよれたシーツに取りかかろうとした。
「あ〜、そこは真琴にやってもらうから、お前はもういい」

 ケニーの発言に開いた口が塞がらない。
「真琴に!? 彼女は女性ですよ。まさかずっと――ぱ、パンツの世話までさせてたんですか!?」
「赤くなっちゃって、まあ。真琴が女? あんなのガキだ、ガキ。部屋に入れたって起ちゃしねぇよ」
「金輪際だめですっ。真琴にも忠告しておきますからっ。むしろ私が面倒みますっ」
 捲し立ててトラウテは部屋を出た。

 ※ ※ ※

 真琴がとぼとぼ廊下を歩いていたら背中をばしんと叩かれた。
「おいおい、朝から辛気くせぇ顔してんな、子猫ちゃん」
 力が入っていなかったから、真琴は大きく二、三歩たたらを踏んだ。背中がじんじんする。

 ケニーが真琴に並んだ。
「部下が心配する。お前の給仕な、評判いいんだぜ、場が和むってな」
「そうですか」
「うっそー」
「でしょうね」
「うっそー」
 どっちなのよ。真琴は溜息をした。朝から陽気な人だと思った。

「会議だ、来い」
「お茶は何人分、用意しましょう」
 ケニーは両手を広げて、
「子猫ちゃんの分も入れて十」
 と言い置き、さきに会議室へ歩いていった。

 毎夜酒宴だらけのケニー隊長一味。中央第一憲兵団だという彼らが、日中なにかしらの任務をしている様子は見て取れなかった。兵団というからには国の警察官か自衛隊のようなものなのだろう。
 会議という言葉も初耳だった。しかも真琴の分のお茶も用意してこいということは、給仕ではなく参加しろということか。兵舎から一歩も出ていない真琴は、ケニー含む彼らしか知らず、この国の全貌がわからずにいた。

 板張りの会議室。大股開きのケニーはいつもと違い真面目な顔つきだった。
「調査兵団が影で怪しい行動を起こしてるようだ。憲兵団の牽制も効かず、上は手こずってるらしい」
 トラウテが冷静に頷いた。
「私たち、対人制圧部隊に声がかかったんですね」

「そうだ。だがちっとばかし調査が必要だ。リーブス商会のな」
「手を組んだのですか、調査兵団と」
「いや、まだ証拠はない」
 真琴にはちんぷんかんぷん。あの、とおずおず手を挙げる。
「憲兵団と調査兵団には確執か何かあるんですか」
 場が静まり返った。沈黙を破ったのはケニーで、悪のりのように片眉を上げた。

「そうなんだよ、困ったもんでな。俺たちは王政――レイス王家に忠義を尽くして日々働いてるんだが、まれに反発する勢力が現れるんだ。本来なら団結するのが筋ってもんだろう。本当に残念だ、調査兵団には期待してたんだがな」

 真琴はテーブルに広げられた、この国の地図を見降ろした。三重の円形図。
 この国は王政、すなわち王が統治している。その下に憲兵団、駐屯兵団、調査兵団がある。それぞれ、城の警護、地域の防衛、壁外の調査と役割があるようだ。
 この三つの兵団を、真琴は陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊に当てはめてみた。これらのいずれかが政府に反旗を翻したら――と妄想するとぞっとした。

 わかったことはもうひとつ。ケニー所属の憲兵団は王政を守ろうとしており、調査兵団は制圧沈静化しなければならない対象ということだった。
 真琴は少しほっとした。住まう場所が正しい兵団でよかったと。ケニーのことは嫌いではないが、粗野な人間が隊長なのもあり、甘い汁だけを吸う野蛮な集団なのかもしれないと疑っていたからだった。むしろ野蛮なのは調査兵団なのである。

 会議は続いていた。
「これは正義だ。できる限り避けたいが粛清は免れないだろう。血が流れる」
 真琴には他人事なのだけれど、血が流れるという発言に身体が震えた。周りは――と窺う。何をいまさら当然のことを、という態度だった。
「でだ。俺らは裏で動く」ケニーは真琴を見る。「子猫ちゃんには表から侵入してもらう。上手に探ってこいよ」

 不意打ちに真琴は腰をあげた。
「わ、私!? 無理、無理、無理っ。無理ですっ」
「おーい、穀潰しはうちの部隊にゃいないんだぜ?」
「ちょっと待ってっ。掃除、洗濯、炊事してますっ。全部ひとりでしてるのっ。お給料ほしいくらいよっ」

 ケニーは腕を組んで天井を見上げる。
「待て。俺の計算だと、飯代、賃料合わせて、家事の賃金をそっから引いても――」
 にかっと笑い、
「赤字」
(一流ホテルのスイートルームかっ)

 詐欺に引っ掛かった気分。ここを出て自活するか――パン屋とかの住み込みで。侵入なんて経験ないし、他人の世界なんて真琴には関係ない。自分の世界を救うために戻る方法を模索しなければならないのに。しかしケニーが真琴を手放すとも思えない。
(全部私が悪いんだけどっ。サイアクっ)
 会議は終わった。ぞろぞろと部下が部屋をあとにしていく中、最後に残ったのはふたり。

 顔を覆っている真琴の頭に大きな手が触れた。わしゃわしゃと髪を乱すのはケニー。
「不幸な者がいない国、蔑まされる者がいない国。そんな国を築くには力がいる。大きな力が。それが王だ。だから――守る」
 どこかぶっきらぼうな手つきで続ける。
「簡単な仕事だ。思い悩む必要がどこにある。俺のほうが危険な仕事なんだぞ。ただ、生きろよ。虫けらみたいに這いつくばってでも生きろ。お前にはそういう素質がある。俺はわりと気に入ってるんだぜ、お前のそんなところが。なあ、真琴」

 ――名前、覚えてたの。
 いつもクソ泥まみれの子猫ちゃんと呼ぶから、名前などてっきり忘れているのかと思っていた。
 真琴の首許に冷たい鎖の感覚。カメオのロケットペンダントの重みが下がる。
「俺からの餞別だ。失くすなよ、おい」
 つうと離れていったケニーの手のひらは温かかった。思わずもう少しだけ慰めてと引きとめてしまいそうになったほどに。


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mokuji
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