雪解け(過去・番外・後日談等) | ナノ
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 どうして世界は時々脆い


縁側に座って、呆けたまま座っていると、肩に羽織を掛けられる。
振り向けば、彼が隣に腰を下ろした。

「ありがとうございます」

夜はまだ肌寒いのに、また羽織を忘れていた私を、彼は注意することをしなかった。
無言で頷いただけで、そのまま空を仰ぎ見る。
それに習って視線を上げると、丁度雲が月にかかったところだった。

「…あの虚は、」

言いかけた時、彼の手が私の手を握った。
それは、私の言葉を止めるような強さだった。
私が何を話そうとしているのか、彼はすぐに理解したようだ。

「無理に話さなくても良い」

彼の言葉に、首を横に振る。
彼は私の方を見ていると思うけれど、私は彼を見ることが出来なかった。

「あの虚が幻覚を見せると聞いた時、すぐに私なら…と考えました」

考えない筈はない。
彼の手が、私の手をきゅっと握った。

「考えるまでもありませんでした。虚はきっと、前隊長の幻覚を見せる。私が…私が、あの人を刺すところを見せるに違いないと、絶対にそうだと信じて止まなかった」

言葉が、口から零れ落ちる。
私はきっと、彼に話したかったのだ。
話してしまいたかった。

「でも、違いました」
「…?」
「目を開けて、目の前にいたのは、前隊長ではありませんでした」
「どういうことだ…?」

驚いた。
けれど、当然のことだった。

「…日番谷隊長。貴方が、いました」

大好きな人。
何より大切な人。
私の目の前で笑っていたのは、彼だった。

「私が見たのは、貴方の幻覚でした」

声が、吐く息が、寒くもないのに震えて、喉がひゅう、と鳴る。

「何度も、何度も、貴方が、刺されて、」

どくどくどく、押し寄せるように心臓が鳴る。

「私に、わたしが、」

もう、言葉には出来なかった。
とても、出来なかった。
息を呑む音が聞こえて、不意に、彼の方に顔を向けると、翡翠色を見開いた彼が、私を見ていて。
堰を切ったように、大粒の雫がぼろぼろと零れ落ちる。

「…あなたが、わたしに、」

言い終わる前に、ぎゅっと、痛くなる。
痛いのは、胸だけじゃない。
痛い程に、彼に抱き締められていた。

「…わたしが、あなたを、」

私が見たのは、彼を殺す幻覚だった。
何度も何度も、私が彼を刺し殺すところを、私は見た。
それを、どうしても、吐き出してしまいたかった。
吐き出して、どうしたいかは分からない。
けれど、とても抱えていられなかった。
彼に全てを話してしまいたかった。

「周」

その声は、震えていた。

「周」

あの時と同じ。
彼が名前を呼ぶだけで、私の中の何かが鎮まり、満たされていく。
魔法みたい、だなんて死神が言ったら、笑われるだろうか。
胸一杯に彼の香りを吸い込み、息を吐くと、もう震えてはいなかった。

あの時、あれを見せられた時は、何もかも分からなくなって、頭が真っ白になって、息苦しさに気が付いたら、周りの全てが壊れていた。
急いで結界を張り、水牢に閉じこもり、冷静になろうと努めたけれど、暴走する霊圧はどうすることも出来ずに、阿近を待つしかなかった。

「…私にとって、最も苦しく辛いことは、日番谷隊長、あなたが――死ぬこと」

前隊長のことは、何より苦しく辛い記憶だ。
けれど、彼を、今、この瞬間、私にとって何より大切なこの人を失うことが、最も恐ろしいことだった。
だから、私は彼の幻覚を見たのだろう。
考えれば、考えなくても分かることだった。

「俺は、お前を置いて死んだりしない。絶対に」

彼の言葉は、いつだって真実だ。
どんな不可能なことだったとしても、彼の言葉ならば、可能になる。
――違う。
彼の言葉以外、それ以外はないのだ。

「私を置いて行かないで」
「ああ」
「私を一人にしないで」
「ああ」

子供のように縋る私に、彼は宥めるように、けれど確かに、強く頷く。
恐ろしい幻覚が、上書きされていく。
身体を少し離すと、丁度雲から月が顔を出した。
美しさに、また涙が溢れる。
彼の掌が私の頬に滑って、指が私の頬を拭う。
彼の頬も濡れている気がして、その頬を拭った。

「死ぬその時まで、どうか、あなたのお傍に」

最期の瞬間まで、どうか、どうか、あなたの傍にいさせて。
この美しい翡翠色を見つめながら逝けたなら、それ以上幸せなことはない。

「約束だ」

まるで、誓いの証のように、彼の唇が私の額に押しつけられる。
瞼を閉じて、それを受けると、胸が震えた。



どうして世界は時々脆い



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