雪解け(過去・番外・後日談等) | ナノ
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 愛より深いその先で


彼が私のことを思い出した翌日、彼が記憶を取り戻したことを知るなり、乱菊さんは彼をぎゅうぎゅう抱き締め、それから私をぎゅうぎゅう抱き締めて、「良かったわね」と言ってくれた。

「あのまま戻らなかったら、あたしが頭引っ叩いてたとこですよぉ」
「何故俺がお前に引っ叩かれないとならないんだ」
「だってほら、驚いたり衝撃を与えると思い出すって言うじゃないですかぁ」
「それはしゃっくりだ」
「あれ、そうでしたっけ?」
「……心配かけたな」

ぼそりと、照れながら言った彼の言葉は、しっかりと乱菊さんに届いていたみたいだけれど、彼女は「え?隊長、今何て?」と聞き返し、彼は「何でもない」と言うやり取りを何度もしていて、いつも以上に頬が緩んだ。

「そう言えば隊長、雛森には報告したんですか?」
「いや、まだだ」

業務は始まってはいたが、乱菊さんが早く伝えた方が良いと彼の背中を押した為か、彼は雛森副隊長のいる五番隊へ向かった。
暫くして、執務室に近付いてくる霊圧は二つ。
彼と、雛森副隊長のものだった。

「周さんっ…!!」

執務室に入るなり、飛び付くように抱き締めてくれた雛森副隊長。
一瞬視界に入った彼女の目尻には、大粒の雫が光っていた。

「お前に会うって聞かなくてな」
「だってだって…!」

乱菊さんと同じくらいの力で私を抱き締める彼女に驚いて、それから、そんなにも心配してくれていたのかと思うと胸がぎゅっと、それから温かくなった。

「本当に良かった。私…すごく苦しくて、でも何も出来なくて、」

彼から、手拭いの件で雛森副隊長に問うたこと、それから彼女が涙したことを、昨晩聞いていた。

「ありがとうございます、雛森副隊長」

彼女の小さな身体に腕を回し、その背を撫でると、彼女が小さくしゃくりあげる。

「私、周さんが自分の荷物を持ち帰ったことを知って、思ったんです」

抱き合いながら、彼女が私にだけ聞こえる程の声で言う。

「もしも、逆だったら。日番谷君も、きっと周さんと同じようにしただろうって」

彼もきっと、全てなかったことにしようとするだろうと。

「やっぱり、二人とも似てるなぁって、思いました」

身体を離すと、彼女は優しく笑っていた。
赤くなった目尻も、濡れた睫毛の束すら愛おしくて、手を伸ばしてそっと撫でると、彼女は丸い目を見開いて、それからそっと閉じた。

その後、彼は四番隊や十二番隊に地獄蝶を飛ばし、記憶が戻ったことの報告を行った。
隊務に支障が出る程の記憶喪失ではなかった為、大騒ぎするようなことではない。
乱菊さんは快気祝いの会(お祝いと題した飲み会)を開くと喚いたけれど、忙しい時期なだけに、彼にすぐに却下された。
それでも、乱菊さんに対する説教がいつもよりも少ないことから、彼なりの乱菊さんに対しての感謝の表現なのだと思った。
それからはいつも通り、穏やかで忙しい日常風景に戻った。
何故、昨日までをいつも通りだなんて思ったのだろう。
こんなにも違うのに。
彼の眼差しも、笑みも、私の心も、目に映る景色は、こんなにも違うのに。

業務終了後、彼の自宅に行く前、私の荷物を寮に取りに行くことになった。
昨晩にも彼は同じことを言ったが、遅くなってしまう為、「明日にしましょう」と私が言ったのだ。
多分彼は、私が荷物を持ち帰ったことを随分気にしている。

「少しお待ちください」

彼の自宅から持ち帰った荷物を纏めていると、黙っていた彼が「それだけか?」と問う。

「はい。置かせていただいていたものはこれだけです」

彼の自宅に置いていたものは全て覚えていて、すぐに荷物は纏まった。

「もう少し…何か持って行けよ」

二つの風呂敷包みを見て、彼が言う。

「簪とか髪留めとか、着物も、死覇装ももう数枚」
「え……?」

彼の言葉の意味が理解出来なくて、考える。
彼の自宅で過ごすにあたり、これまで置いていたもので充分な筈だ。
それに、もしも足りなければ此処へ取りに帰れば良い。

「あの家を、俺だけだったあの空間を、お前の物で埋めたい」

そう言った彼の顔は、月の逆光で見えなかった。
唯、その声がひどく寂しげに聞こえた。

「足りねぇならいくらでも買ってやる。鏡台とか、他にもお前に必要なものは用意する」
「隊長…?」

驚いて、心配になって、一歩彼に近付くと、漸く彼の顔が見える。
その表情は、声色と同じく寂しげで、睫毛に陰る翡翠色は悲しげだった。

「記憶が戻って、あの家に戻って、お前のものがない、お前の気配がないあの空間が、ひどく空虚に思えた」

思い出すように、苦しそうに眉根を寄せる。
彼は泣いてなんていないのに、私は誘われるようにその頬に手を伸ばして、その身体をそっと抱き締める。

「いつでも、周のことを感じていたい。駄目か…?」

まるで零すように、彼が問い、私の身体に腕を回す。
耳を撫でた声に、その言葉に、胸がきゅっと苦しくなって、目頭が熱くなる。

「――駄目じゃ、ないです」

漸く絞り出した声は少し震えていて、昨晩あんなに泣いたのに、また涙が出そうになる。

「箪笥の引き出し…あと数段、お借りしても良いですか」
「ああ」
「新しい着物…今度、一緒に選んでいただけますか」
「ああ」
「帯も、それから浴衣も」
「ああ」

やっぱり涙が出てしまって、それを知っているように、彼が身体を離してそれを優しく拭ってくれる。
雛森副隊長の言う通り、もしも逆だったら、私も彼に同じことを言ったかもしれない。
いつでも傍に、彼を感じていたくて、着物でも、手拭いでも何でも、腰紐一本でも、少しでも多く持って来て欲しいとお願いしたのかもしれない。

「行くか」
「はい」

寮を出て、久しぶりにお邪魔した彼の自宅は、相変わらず片付いていて、静かで、それから、彼の香りや霊圧が一杯で。
深く吸い込んで瞼を閉じると、また目頭が熱くなった。

もしも私が、彼のことを忘れてしまったら。
多分、何も変わらない。
また、こうして彼を好きになる。
忘れても、また、何度でも。
この惑星(ほし)に引かれてやまない月のように、私は彼に惹かれてやまないのだから。
何があっても、彼を決して見失ったりしない。
彼の言葉を借りるなら、記憶を失くしても、身体が、心が、私の魂が、彼を決して忘れはしない。



愛より深いその先で



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