彼女が取りに来たのは、先月依頼されていた解析結果書類だ。
久々に見た気がしたその表情。
他の誰が気が付かなかったとしても、分からなかったとしても、俺は分かる。
そう思いたい。
「お前んとこの席官が注文した義魂丸、入荷したから取りに来いと伝えてくれ」
「九席でしたか」
「ああ」
「涅隊長も副隊長もお留守でしたので、こちらの書類を貴方から渡しておいてください」
「管理権限は三席以上です」と言って抱えていた書類を置き、解析結果書類を手に取る。
「恐らく、記憶は日番谷隊長の中にある筈だ」
脳波も血液も、全部調べた。
虚が抜き取ったとしても、虚が昇華されたと言うことは、その記憶は持ち主のところへ戻っている筈。
俺の言葉に、彼女は何も答えない。
「唯、無理矢理それを引っ張り出すことは、今ある記憶を抹消しかねない。本人が自力で思い出す他に手はねぇ」
「そうですか」
調査結果を確認しながら、彼女が一言。
何でもないように、普段と変わらず。
いっそ、泣いてしまえば良いのに。
泣いて、喚いて、縋って。
そうしたら、俺は。
「周」
彼女の手から書類を取り上げれば、驚くこともなく俺を見上げる。
何を考えているのか分からない、何もない瞳。
まるで、いつかのようだった。
何を考えているのか分らない、否、何も考えていないのだ。
「俺がいてやる」
何を言おうとしたのか分らない。
唯、一言口に出してしまうと、もう止まらなかった。
「お前が一人になっても、俺だけは、傍にいてやる」
彼女の葡萄色が、僅かに見開かれた気がした。
「お前が死ぬまで、お前が死んでも、来世も、その次も、そのまた次も」
彼女が絶命するその時まで。
その後も、生まれ変わっても、輪廻が続く限り、ずっと、ずっと。
「人かもしんねぇし、犬や猫かもしんねぇ。虫か、花か草かもしんねぇ。何だって良い、お前の傍にいてやる」
意思の疎通すら出来なくても、気付ける程傍に、感じられる程傍に、彼女が寂しくないくらい傍に。
「お前を一人にしたりしねぇ。だから――」
俺は、何を言おうとしたのか。
その先は、出てこなかった。
だから、何だって言うんだ。
「どうして、」
彼女は俺を真っ直ぐに見たまま、問う。
「どうして、そこまで」
いつだって、手を伸ばせば届く距離にいた。
温もりを、霊圧を、香りを、感じられる程傍にいた。
「そんなもん、」
それでも、
「――幼馴染のよしみってやつだ」
触れて、抱き締めるのは、その心に触れるのは、俺じゃない。
そんなこと、分かってるさ。
「優しいんですね、阿近」
「おう、俺は優しい男だ」
「見かけによらず、態度によらず」
「知らなかったか」
「知っていました」
彼女が微笑む。
少し、懐かしんでいるようにも見えた。
「貴方は昔から、今も、ずっと優しい」
彼女の言葉は時折予想外で、その言葉や態度に、いつも振り回されてきた。
「…そりゃどうも」
「私も、貴方の傍にいてあげます」
「貴方が寂しくないように」と、彼女が笑う。
――充分だと思った。
「解析、ありがとうございました」
俺の手から書類を取り上げて、彼女が言う。
十番隊に、日番谷隊長の所へ戻るのだろう。
「記憶、」
俺の言葉に、彼女が扉に掛けていた手を止める。
「戻らなくても、俺は同じだと思う」
日番谷隊長は、きっとまた。
必ずまた、彼女に気が付くだろう。
そうしてまた、特別になる。
根拠はない。
それでも分かる。
前隊長の時と同じ。
昔、髪色のおかげで気が付いてもらったと彼女が思っていたそれと同じ。
彼女の髪の色なんて、前隊長にとっては関係なかった。
それと同じだ。
彼女は振り返って、
「ありがとう、阿近」
そう言って笑って、研究室を出て行った。
記憶があっても、なくても、彼女はきっと、必ずあの人の傍に行く。
変わらず、あの人の傍に。
それで良い、それが良い。
彼女が何があっても変わらないように、俺も。
「私も、貴方の傍にいてあげます。貴方が寂しくないように」
ああ、充分じゃねぇか。
愛より深いその先は
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