涙雨の逢瀬 | ナノ
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その日も、次の日も、雨は降らなかった。
分厚い雲は此方とは逆の方向に流れて行って、見えなくなった。

「良い天気ですね、嬢様」
「ええ」

雲のない青い空は、明る過ぎて、眩し過ぎて、あまり好きになれない。
庭の植物が、陽の光できらきらと輝く。
多分私は、植物よりもずっと、雨を待ち、望んでいる。
雨がないと、私は――、

「お医者様は午後いらっしゃる予定だったわね」

年に数回だったお医者の訪問が、半年に数回になり、一月に数回になり、今では週に数回になった。
確実に、姉様の容態は悪くなっている。

「はい、そうです」

頷いて、眉を下げる伊織。
彼は、私と変わらない年の頃だが、使用人の中では勤続が長い。
男性の使用人は比較的勤続が短く、今では男性の使用人は数少ない。
理由は、私。
その者が、周囲とは違う目で私を見るようになると、奥方様が暇を言い渡す。
勿論そんなことが毎日のようにあるわけではないけれど、時折、そういうことがあって、長い年月が過ぎて、使用人の九割は女性になった。

伊織だけは別だ。
彼は、長年こうして接していても、周囲を見る目と同じ目で私を見る。
端正な顔立ちに、明るく優しい性格。
誰にでも隔てなく好意的に接する彼を、誰もが好いている。
そんな彼を、恐らく蘇芳姉様は好いている。
彼が姉様をどう思っているかは分からないけれど、彼に対する姉様の気持ちは、それ等の経験がなくても分かる。
姉様は、彼を見て嬉しそうに笑うから。

「貴方が膳を運べば、姉様は召し上がるかしら」
「…どういう意味ですか?」
「いいえ、何でもないのよ」

首を傾げる伊織にそう言って、踵を返す。
稽古の前に姉様の様子を見に行こう。
姉様はお医者を嫌っているから、今日は元気がないだろうか。

当主と奥方様は、山吹を連れて貴族会へ行った。
上級貴族が集まる秋の収穫祭だ。
私は、そういう会の類に一度も出席したことがない。
縁談用の写真は出回っているけれど、実際に縁談は未だない。
女中達の推測曰く、出し惜しみをするふりをして、良い条件を引き出さんとしているのでは、とのこと。
何だって構わない。
唯、私は――。

当主も奥方様も、山吹ばかり。
今日お医者が来る日だと言うことさえ、きっと知らないのではないかと思う。
待望の世継ぎ、大切な世継ぎ、この家にとっての宝。
仕方がないのかもしれない。
この世は、仕方のないことばかりだ。
止むを得ないこと、そうする他ないこと、避けられないこと、逃れられないこと。
私は母親の身体からこの世に生まれ落ちたその瞬間から、そうだった。
定め、運命、宿命――私がそうだったように、山吹も生まれた瞬間からそれを背負っている。
姉様もそうだったのだろうか――床に伏せて、最後は――
姉様だけは、違うと信じたい。

「紬…?」
「…、すみません」
「どうかしたの?」

眉を下げる姉様は、顔色が悪い。

「いいえ、何でもありません」

部屋の隅に置かれた膳は、殆ど手を付けられていなかった。

「お稽古があるのでしょう?行ってらっしゃい」
「…はい」

乱れてもいない布団を直して、膳を持ち、姉様の部屋を出た。

「紬嬢様」
「伊織……」

廊下の反対側から来た伊織は、お粥の入ったお盆を手にしていた。

「蘇芳嬢様に…」

今朝の私の言葉を、伊織は理解してくれていたようだ。
彼が持っていけば、姉様はきっと喜ぶだろう。

「嬢様、私が下げますので、置いておいて下さい」
「良いのよ、ついでだもの」

伊織の言葉に首を横に振って、微笑む。

「伊織、ありがとう」
「…嬢様の為でしたら、何なりと」

それは、蘇芳姉様に対する言葉だろう。
私はそう思っていた、信じて疑わなかった。


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