「そう、ですか……」
お医者の言葉に、私はそう答えることしか出来なかった。
病に抗う力は尽き、治療も効果が得られず、本人が辛いだけだろうと。
姉様は、もう危ないのだそうだ。
「当主と奥方様に、お伝えしておいてちょうだい」
お医者の話を一緒に聞いていた、伊織と女中頭に言えば、二人は部屋を後にした。
縁側から見える遠くの空は、少し暗くなっていた。
今朝はあんなにも明るかったのに。
雨は降るだろうか、降ってくれるだろうか。
姉様の様子を見に行けば、お医者の診察で疲れたのか、眠っていた。
「姉様……」
姉様が、いなくなったら。
そうしたら、私はどうしたら良いだろう。
やはり、これも仕方のないことなのだろうか。
どれだけ否定しても、拒絶しても、受け入れるしかないことなのだろうか。
その夜、夢を見た。
何度も見ている夢、記憶。
まだ私が幼い頃、母親は自ら腹を切って死んだ。
私と母親は、本邸ではなく、離れに住んでいた。
今では、誰も足を運ばない所。
母親は、寂しそうに笑う人だった。
それがまた儚く、美しく、その頃は、自身が母親に似ているだなんて、思いもしなかった。
私が生まれる前は、そんな笑い方はしなかったのかもしれない。
この家に私と母親の居場所はなく、幼い私もそれを理解していた。
それでも、彼女さえ、母さえいれば、それで良いと思っていた。
私の小さな世界は、彼女と、小さな離れだけだったから。
けれど、ある春の日の朝、目を覚ました私は、台所で倒れている彼女を見つけた。
「こんなところで寝ていると風邪をひきますよ」と、寝ぼけ眼でその身体を揺らせば、ごろりと仰向けになった彼女の腹に、包丁が刺さっていた。
意識がはっきりして、大きな血溜まりを見て、包丁を握るその手を見て、それで、死んでいるのだと分かった。
彼女は、私を置いて、一人で死んだ。
居場所のない世界に、私だけを置いて、何も言わずに、何も遺さずに。
憎かった。
憎くて恨めしくて、仕方がなかった。
卑怯者だと、臆病者だと、自分勝手だと、腰抜で弱い女だと、罵ってやりたかった。
けれど、それでも。
私にとっては、たった一人の母親だった。
憎くて嫌いで堪らなくても、それでも、どうしようもなく、かけがえのない人だった。
私の世界の全てで、私の母親で、私の大切な人。
嫌いだ、憎い、けれど、好きで、とても――愛していた。
愛していたから、憎いのだ。
だから、とても苦しかった。
相違する感情は、私を苦しめた。
愛と憎しみは紙一重――その通りだと思った。
「……っ!!」
ああ、また。
「ゆ、め…」
掠れた声が零れた。
何度も見る、何度も思い出す。
からからになった喉を水で潤して、時刻を確認すれば、未だ床に就いて数刻程しか経っていない。
「雨……」
雨の音がした。
待ち焦がれた雨。
二週間ぶりだ。
羽織を肩にかけ、部屋を出る。
向かうは姉様の部屋。
あそこへ行く前に、姉様の様子を見に行こうと思った。