昨日一日中降り続いた雨ですっかりぬかるんだ地面は、煌々と照っている太陽のおかげで綺麗に乾いていた。ここのところ雨ばかりで、久々にカラリとした陽気なのは喜ばしいことだ。
だがそのせいでいらんやる気を出した綾部は蛸壺をこれでもかというほど掘るわ、はしゃぎまわる小平太と奴に振り回される体育委員会が塀を壊しまくるわで、用具委員会は一同総出で朝からてんてこまいだった。

じっとりした梅雨特有の蒸し暑さに比べればまだいいものだが、それにしても暑い。学園の真上で白く照りつけるお天道さんは急にはりきりすぎである。手で日差しを作って見上げる空には雲一つも見当たらず、空には太陽の光を遮るものは何もなかった。ただ抜けるような青がどこまでも続くばかりで、この暑さの中、仕事に仕事、仕事続きではさすがに嫌になる。久々の晴天だ、後輩たちだって遊びたいだろうに。アホの綾部や小平太のせいで。
みんみんみんみんと蝉の咽び鳴きが耳をつき、余計に暑さと苛立ちが増していくような錯覚すらしてきて、それらを振り払うように腹から声を張った。

「よーし、用具委員の仕事がひと段落したらどっか美味いうどん屋でも行くか! 奢ってやるぞ!」

暑さで顔を真っ赤にして眉間に皺を寄せていた後輩たちは、その一言でパッ、と色めき立った。特にやる気を出したのはやはりしんべエで、その後の働きっぷりたるや目をみはるものだった。なんでもオススメの美味しいお店があるらしく、しんべエの目には今、修補している壁のその先にうどん屋が見えているようだ。さすがというかなんというか。

しんべエの人間離れした働きの甲斐あって、いつもの昼時よりは少しばかり遅いがまだ日の高い内に一通りの仕事を終えられた。
全員の準備が整い、外出届を小松田さんに手渡し、ぞろぞろと門の外へ出た。

「さてしんべエ、案内頼むぞ」
「はい、お任せあれ!」
「今日のしんべエ、頼もしい〜!」

喜三太の言葉には俺も大いに頷かざるを得ない。それほど「美味いうどんを奢る」と言った後のしんべエは凄まじかった。働きぶりも顔つきも。



「この山を越えた町にありまーす! 早く早くー!」
「あー、待ってよー」

そうだ、待て。ちょっと待て。山の麓に見える川、俺の記憶が正しければあれは確か。

「留三郎さん」
「あ」

そう、こいつが住んでいる町だ。目が合ってポカンと口を開けた状態のままのみょうじを阿呆面だなぁと思いながら見ていたが、自分も人のことを言えないくらいの間抜け面になっていたようだ。さっさと店へ向かおうとしていた後輩たちも足を止め、「食満先輩ヘンな顔してどうしたんですか?」なんて言っている。ヘンな顔、て。

「と、留三郎さん?」
「な、なんだ」
「えっと、弟さんですか?」
「あー、後輩、というか……」
「食満先輩お知り合いですか〜?」

キョトンとしながら尋ねる平太に、顔を赤くしながら何故か作兵衛が慌てだした。平太バカヤロー察しろ! なんて言いながら一人でバタバタしている。
待て察しろって何をだ。何で照れる。守一郎まで何故か生暖かい笑顔でこっちを見ている始末である。妙な勘ぐりしやがってるなこいつら。

「また会えると思わなかった……なんで町に?」
「ああ、ちょっとな、うどん食いにき「食満先輩早く行きましょーよー!」
「しんべエおめーは! 空気読め!」
「さっきから作兵衛は何で俺より必死なの?」
「うどん屋さんって、最近評判のところ?」

腰を屈めてしんべエに目線を合わせたみょうじが問う。そうですそうですー! と、すでにうどんが目の前にあるかのようによだれを垂らしながら、しんべエは答えた。

「そっか、じゃあそこの角を曲がるとすぐだよ。それじゃあ私はこれで」

しんべエたち一年生や後輩にまたねと手を振ると、みょうじは一つぺこりと頭を下げて、そのまま背を向け走り去っていく。向こうも何か急いでいる様子で、その後ろ姿はすぐに町角へ消えていった。

「い、いいんですか食満先輩……」
「俺、みんな連れていっても良かったんですよ?」
「ああ別にな? ただの知り合いだからな?お前らが勘ぐってるようなそんなアレじゃないからな? 作兵衛いい加減照れるのやめてくれ」

何を想像しているのかずっと顔を赤くしている作兵衛に、守一郎まで変な気を使おうとし始めたから、もうたまったもんじゃない。さっさとうどん屋を目指した一年生たちを追いかけようと俺もすぐにその場を離れた。




「さっすがしんべエのおすすめのうどん屋さん! すっごく美味しかった!」
「でしょー?」
「食満先輩、ご馳走様でした」
「おう、気にすんな」

全員満足げに軽い足取りでうどん屋を後にしようとした、その時だった。待って! と、響いた声は耳馴染みのあるもので、すぐに声のするほうへ目をやった。

「良かった、間に合った……!」
「どうした?」

息を切らせながら駆け寄ってきたのは、やはりみょうじだった。後輩たちも驚いたようで、進めかけていた足を止め、みょうじと俺、二人の様子を窺っている。
膝に手をついて息を整える彼女の片手には、見覚えのある手ぬぐいが。暑い中走ってきたためか赤く火照った顔を上げ、手にしていたものをずい、と俺に差し出した。

「薬、くださったの、留三郎さんでしょう?」

まるで嘘をつかれないよう、心の奥まで覗こうとするかのようにじぃっと目を見られ、少したじろいだ。確かに俺なのだが、添えた文に名前は書かなかった。だというのに、彼女は何故こうも確信めいているのだろうか。

「…なんで分かった?」
「なんとなく……ですけど」
「なんだそりゃ」

特に理由はないらしく、ごく曖昧な答えとはにかんだような小さな笑顔が返ってきて、つられるように俺も笑いがこぼれる。

「ありがとうございます、本当に。とても助かりました」
「いや、気にすんな」

差し出された手ぬぐいを受け取ると、みょうじは深々と頭を下げて、後輩たちに向けてさよならと手を振った。しばらくぼんやりとその後ろ姿を眺めていたが、ふと受け取った手ぬぐいに違和感を感じた。手ぬぐいだけにしては少し重い、ような。慌てて手ぬぐいを開くと、そこには笹で包まれた団子が後輩たちの分まで入っており、文も一枚添えられていた。

いつも助けていただいてばかりなのでほんのお礼です、みんなで食べてください。みょうじなまえ

「先輩? 食満先輩?」
「…ん? ああ」
「恋人さんですかー?」
「ちっがうわ!! ……あいつがよ、みんなで食べてくれってさ」

団子を差し出すと一気に歓声が上がり、しんべエは真っ先に飛びついてきた。平太も喜三太も食後に甘味を口に出来るのが嬉しいようだ。まだ妙な勘ぐりをしている作兵衛や守一郎は、俺たちが食べてもいいのか、などとまたも変な気を使っているが、あいつがみんなで食べろと言っているのだから何も気にすることはない。

忍術学園に帰って、用具委員みんなで食べた団子は美味くて、バタついていた一日の疲れがほぐされていくようだった。あいつのことを思い出して変な心地になるのは、思わぬ再会だったせいだと思うことにして、文は自室の、誰の目にも触れないところへしまい込んだ。