太鼓の音がびりびりと、体の奥底、内臓まで響いてくる。近くで聞くとこんなにもお腹の底から響くものなのか。

「はい、これでとりあえず大丈夫ですよ」
「ありがとうございました」
「でもちゃんと病院には行ってくださいね、今やったのはあくまで応急処置ですから」
「はい」

簡易イスに座る私の足元に跪いている彼は、ふにゃりと目尻を下げて人の良さそうな笑みを浮かべた。少し熱気がこもった、ステージ脇のテントの下。包帯の巻かれた足をそろそろと持ち上げてみた。がっちりと固められた足首は、ちゃんと動かせないようになっている。

「それにしても驚いたなぁ、三之助と左門を探してた留三郎があなた背負ってくるんですから」
「で、ですよね」

三之助くんの首根っこを掴んだあの人が私の前に現れた、その後。左門くんを見つけた作兵衛くんもすぐその場に合流して、すかさず三之助くんにビシビシとチョップをかましていた。
おめーってヤツは! と肩をいからせながら息巻く作兵衛くんを、とにかくみんなと合流するように宥めなければと思った。とりあえずステージの時間に間に合わせることが最優先だろう。それで作兵衛くんの肩に手を置いたのだけど、私の足元を見た作兵衛くんは顔色を変えた。しゃがみこんで、ひたすらオロオロする作兵衛くんを制したのは、あの人だった。
彼は私の腕を掴むと、そのまま有無を言わさず軽々と私を背負い上げたのだ。急に目線が高くなり、行き交う人の視線もしっかり確認できるようになり、好奇の視線をひしひしと感じた。そりゃ成人女性が負ぶさられていたら、見ちゃうでしょう。分かるんだけども。
彼は、作兵衛くんに左門くんと三之助くんから目を離さないよう言い、会場へ歩き出した。高校生3人からの視線が刺さりまくっているのがわかる。作兵衛くんなんて、呆気にとられたみたいにポカンと口を開けていた。

今思い返してみてもなかなかに恥ずかしい。ホントに。

「ああ、そろそろクライマックスですね」
「ええ、そうみたいですね」
「和太鼓終わったら花火始まるんですよ。毎年恒例なんです、賑やかなお祭りですよねぇ」

柔らかい笑みを浮かべながらステージのほうへ視線をうつした善法寺さんに倣って、私もステージのほうを見た。心臓を震わすような重低音は、祭りの高揚感を確かに増していっている。
作兵衛くん、本当に大きくなったなぁ。三之助くんも左門くんも、間に合ってよかった。浜さんも、安心しただろうな。
心の中で、このお祭りに行くことを勧めてくれたおばあちゃんに感謝した。確かに、今日一日だけで色んな人と知り合えた。そして、それはあの人も。

あの人に背負われていた時、恥ずかしさで顔から火が出そうだった。肩を貸していただければ自分で歩けます、そう言おうとも思った。けれど、背中から少しだけ見える、まっすぐ前を見据える躊躇いのない表情に、そんな言葉も喉の奥へ引っ込んでしまった。
恥ずかしさ以上に、安心してしまったのだ。いい大人が何を、と自分でも思う。けれど、その大きくて広い背中に、まっすぐで精悍な顔つきに、どうしようもなく縋っていたくなってしまった。離したくなくなってしまった。離れてはいけないと、思ってしまった。
よくよく考えてみればそんなことを思うこと自体が恥ずかしいような気もする。あの人から目を離せなくなっていた自分に気づいて、一人で小さく首を振った。



「伊作、こいつの足どうだ?」

ステージを終えて、メンバーでしばらく何か話をした後、彼らはそれぞれバラバラに歩き出した。気が抜けたような、清々しいような表情で散り散りになる彼らの合間を縫って、あの人はまっすぐこちらへ歩いてきた。そしてすぐさま私の足の様子を善法寺さんに尋ねたのだ。そんなに心配をかけてしまっていたのかと、少し申し訳なくなる。

「ちょっと腫れてるけど、大丈夫だよ。すぐには動かさないほうがいいけど」
「そうか…良かったな」
「はい……あの、本当にありがとうございました」

そう言って頭を下げると、彼は何故か無言で私を見つめた。やっぱり、迷惑をかけたから怒っているのだろうか? けれど、そんな雰囲気でもない。どちらかというと柔らかな表情で、ただ私を見ている。

「変わらないな、お前は」
「え?」

変わらない?その言葉に戸惑いながら、尚も彼から目を離せないでいると、作兵衛くんの声が耳に飛び込んできた。

「伊作さん! 伊作さんが食べたがってたカキ氷ソーダ味売り切れ間近らしいですよ!」
「えっやば。すまない留三郎、みょうじさん。僕は小平太のところへ行くよ」
「へーへー、行ってこいよ」
「あ、君らも食べる? 食べるなら買ってくるけど」
「いらんからはよ行け」

手をひらひらさせて善法寺さんをカキ氷ソーダ味に向かわせた彼は、やれやれというようにため息をついた。

「あの、やっぱりどこかで……お会いしてますよね?」
「ああ」
「あの、すごく覚えてるけど思い出せない、というか…じ、自分でも何言ってんだって感じなんですけど……」

このもどかしさを形容できたら、どれだけ楽になれるだろうか。
彼のことを、存在を、とても求めていたような気がしていて、それでいて彼と出会った時のことはまるで思い出せない。胸のあたりをぐっと捻られているような苦しさに苛まれながら、それでも答えは出ない。

「……傘」
「かさ?」
「まぁ昔のことだしな、覚えてなくても仕方ねぇよ」

傘、昔のこと。その2つの言葉によって、頭の中にある記憶の引き出しは一気に引き出された。

「小学生の頃の……傘を持ってきてくれた!」

パン、と手を打つと、彼は当たり、と言いながら小さく笑った。心の奥でずっと引っかかっていたものが、すっと抜けたような気持ちのよさがあった。まさかこんな形で再び彼に会うなんて、思っても見なかった。
じゃあ私は、彼にまた助けられてしまったのか。いくつになっても迷惑かけっぱなしなんて、なんだか恥ずかしい話だ。
謝罪の言葉を口にしようとして、しかしそれはぴゅうぅ、という蚊の鳴くような声に遮られた。はっとして空を見上げたその瞬間、一面の黒に金色の光の花が咲いた。どぉん、という地鳴りのような大きな音と共に打ち上がった花火は、一瞬眩いまでの光を放ち、そして金色の星のような光が枝垂れていく。ちらちらと小さな火花が最後に残り、その小さな光も、煙を残して消えていった。

「この花火さ」
「え?」
「俺の知り合いが作ったんだよ」
「えっ、すごいですね! 花火師さんなんですか?」
「ああ、しかも異名がクールな燃える花火師。意味わからんだろ」
「ふふ、かっこいいじゃないですか」
「あとさっきお前の足に包帯巻いてたあいつは医者なんだよ」
「なるほど、手際がいいわけですね」
「だろ? 昔馴染みで近所に住んでてな……」

彼は何か言葉を続けようとしたが、その言葉をため息にかえてゆっくりと吐き出した。目を閉じて、何か言葉を発したように口を動かしたけれど、花火の音が彼の言葉をかき消した。

「あの、今なんて……」
「食満留三郎」
「え?」
「俺の名前。食満留三郎だ」

今度は忘れるなよ、と言って、彼はニッと笑った。嫌味な感じの一切ない、気風の良い笑顔。そんな彼につられて、私もつい笑顔になる。

「私、みょうじなまえです」
「ああ、知ってるよ」

どちらともなく差し出した手を、自然に握る。戸惑いはなかった。この握手は多分、始まりの合図のようなものだ。
再び空に打ち上がった光を見上げる。食満さんも同じように、空を見上げた。触れ合ったまま、言葉もなく2人で同じものを見ている。
間を置かずに次々上がる花火が、夏の音が、心を震わせた。