「お腹のあたりきつくない?」
「うん、大丈夫」
「ハイ、終わりました、っと」

浴衣の着付けを手伝ってくれたお母さんの、よく似合ってるわよという言葉に背中を押されて、私は家を出た。

自分でも、こんなに小堀くんを意識するようになるとは想像出来なかった。けれども、予感のようなものがなかったわけではない。あんなひどい出会い方だったし、当時は消したい記憶No.1だった。でも今は良い…とまではいかないまでも、大事な思い出だ。きっといつか笑いながら思い返すことが出来る日がくる。その時隣に小堀くんがいてくれたら、と思う。
今にも胃の中身を戻してしまいそうな私を軽々と抱え上げ、ホームの中の好奇の目など気にせず走ってくれた小堀くん。色んな迷惑をかけてしまったのに、気にすることなく大きな手を振ってくれた小堀くん。慣れていないというナンパも友達のためにと頑張ってしまう小堀くん。私のことを知りたいと、真剣に言う小堀くん。色んな小堀くんを知ることが出来たと思うけど、私もまだまだ、私の知らない小堀くんを知りたいと思う。そうだ、そのことをちゃんと、私も伝えないと。

あの日小堀くんから花火大会のお誘いの電話が切れた直後、すぐまた電話がきて、何か言い忘れたのかなと電話を耳に当てると小堀くんのものではない声が耳に飛び込んできたものだから驚いた。誰かと思ったら森山さんだったらしい。
「俺たちバスケ部も行くからもしよかったらみょうじさんも友達連れてきてほしいなぁ、なんて」
と話すすぐ後ろで小堀くんの焦ったような声がちょこちょこ聞こえた。おい森山、とか、迷惑だろ、とか。そんな小堀くんの様子が目に浮かぶようで、ちょっと笑ってしまう。しかし迷惑、なんてとんでもない。だって私は女子高に通う高校生。友達も当然そうで、出会いがないと嘆く友人も結構いる。多分誘えば喜んで来てくれるのではないだろうか。
いいですよと返事をすると森山さんは、さすが話が分かる、と少し震える声で言った。女の子が大好きだという森山さんだから、きっと本当は叫び出したいほど嬉しいのだろう。苦笑いしながら電話を切り、とりあえず一緒にいた友人を誘ったら即OK。1名確保である。

数名の友人を誘って、当日。待ち合わせをしていた神社前はすでに祭りの熱気に浮かされた人たちでいっぱいになっていた。しっかり周りを見ていないとはぐれてしまいそうだと不安になりながらとりあえずみんなを探す。はぐれるはぐれない以前に合流出来ないと意味がない。慣れない下駄で少しでも辺りを見渡せるよう背伸びをしたりしながらようやくその姿を見つけた。背が高く、しかも背筋がしゃんとしているから、こういう時とても分かりやすくて助かる。

「あ、あの、小堀くん」
「あ、みょうじさん」

祭りの喧騒にかき消されないよう気持ちいつもよりお腹から声を出して、話しかける。小堀くんの私服姿にどぎまぎして、なんだか少し緊張してしまっていた。自分の声が自分のものじゃないような感覚がして、落ち着け、と自分に言い聞かせながら息を吸い込む。

「今日、誘ってくれてありがとう」
「ああ、いや、こっちこそ。来てくれてありがとうな」
「まだみんな来てないんだ?」
「うん、ちょっと早く来すぎたかも」

はは、と笑う小堀くんに曖昧な笑みを向けつつ、思った。まだ、みんなが来ていないなら。今小堀くんに言ってしまおうか。伝えたいこと、今なら誰にも聞かれないで、小堀くんだけに伝えられるかもしれない。小堀くんが待ち合わせに遅れるような人じゃなくて、よかった。小堀くんはきちんと言ってくれた。私も、ちゃんと自分の思いを口にしないと。
小堀くんが腕時計を確認している内に、小さく深呼吸。

「こ、小堀くん」
「ん?」

絶対に、きちんと言おうと覚悟していた。だけどいざ本人を目の前にすると、どうしても言葉が喉の奥に滞ってしまって、すんなり出ていってはくれない。言うべきことは何度も心の中で反芻した。大丈夫だ、小堀くんは、ちゃんと受け取って、ちゃんと返してくれる人だ。小堀くんの目を見据えると、胸が高鳴る。けれど優しげで、どんなことやものも包んでしまうような柔らかな目は、見る人をほっとさせる。私の心臓は次第に落ち着きを取り戻していった。

「あの…小堀くん、私のこと知りたいって言ってくれたよね」
「うん。…なんかごめんな、変なこと言って」
「変なんかじゃないよ」
「そう、かな」
「うん、私も、その…同じで」
「同じ?」
「うん」

顔に熱が集中していくのがわかる。すう、と息を吸い込むと、少しきつめに締めた帯が肺のあたりをぎゅっと締めつけた。胸が苦しいのは、きっとそれだけのせいじゃない。

「小堀くんのこと、私ももっと、ちゃんと知りたいです」

胸の内を言葉にした。私は小堀くんのことが、好きだ。きっとそれは間違いない。でもまだ、それを口にするには、そういうことに至るにはお互いを知らなさすぎる。多分、小堀くんもそういう意図であえて「知りたい」という言葉を使ったんだと、私なりに解釈していた。本当にそうかはわからないけど、それも知っていきたい。知っていかないといけない。
小堀くんはしばらく私の目をじっと見たまま、固まっていた。初めは頬のあたりが、そしてそれは次第に顔中に広がって、終いには耳まで赤くなっていた。小堀くん自身はそれに気づいているのかいないのか、口元を手で覆って、少しだけ目をそらした。それから大きく深呼吸して、真っ赤な顔のまま笑顔を溢し、綺麗な黒目が私を映す。

「ありがとう、よろしくね、みょうじさん」

こちらこそ、と言いたいのに、嬉しさのあまり上手く言葉にならなかった。うん、というひどく曖昧な返事を返して、ほうっと大きく息を吐く。私もようやく力を抜いて笑うことが出来た。どちらともなく顔を合わせて、緩く笑った。
こうして話が終わるまでにみんなが来なくて、ほっとした。友人に聞かれたりしたら恥ずかしくて顔も合わせられない。…て、あれ、そういえば。

「み、みんな遅いよね、そういえば」
「あ、そうだよね、もう待ち合わせ時間すぎてるのにみょうじさんと俺以外一人も…」
「何か連絡入ってるかも」

私はケータイを探すべく手にしていた巾着を漁った。小堀くんはポケットからケータイを取り出して確認している。もたもたしながらようやくケータイを取り出したところで小堀くんをちらりと一瞥すると、何故かピシリと固まってしまっていた。

「ど、どうしたの?」
「これ森山から…」

見せられた画面には何故か、私たち以外のみんなが写っている写真が。

「あともう一通森山からきてたみたいなんだけど…ちょっと待って、今見てみるから」
「う、うん」

言って、しばらくケータイと向き合っていた小堀くんはどんどん眉間の皺が増えていって、それに比例するように、また顔が赤くなっていった。どうしたんだろうと、小堀くんのケータイをひょい、と覗き込む。何故か小堀くんは慌ててケータイを隠そうとしたけど、ちょっと遅かった。


こっちはこっちで楽しむから、そっちは二人で頑張りたまへ。小堀よ、幸運を祈る!


「私のケータイにも友達から同じ写真送られてたよ…」
「森山ー…」
「も、森山さん、すごい楽しそうだね」
「あいつは本当、なんつーか…もう」
「ま、まぁ、多分私の友達も楽しんでるから、きっと」

呆れ顔の小堀くんに、私も苦笑いで返すしかない。改めて写真を見てみる。なんだかんだ楽しそうにしている友人たちに、最高に幸せそうな森山さん、変装だろうか?グラサンにマスクな黄瀬くんと、私の友人の隣で何故か真っ赤になっている笠松さん、弾けるような笑顔で甚平姿な早川くんの隣に、浴衣姿の中村くん。きっと、みんなで気を遣ってくれたんだ。どこにいるのかわからないけど、ひょっとしたらお祭りの間に会えるかもしれない。あとでみんなにちゃんとお礼を言おう。

「えっと、みょうじさん」
「ん?」
「俺たちもお祭り、楽しもうか」
「…うん」
「花火もそろそろ始まるし」

小さく微笑みながら、小堀くんはその大きな手を差し出した。おそるおそるその手に自分の手を重ねる。熱いのは、夏だからだろうか。暑いのは、祭りだからだろうか。

「行こうか」
「うん」

私たちは、ここから始まるのだ。