Q、いつからナマエさまのことを?
A、ノーコメント

Q、ナマエさまのどういうところが……
A、ノーコメント

Q、ではナマエさまの

「ノボリ、謎インタビューやめて」
「おや、いいではないですか」

ふふ、と表情筋を少しも崩さずに薄い笑い声をこぼしたノボリのことを思い出す。どうしてバレたんだっけ。ぼくが分かりやすいから、とか言われたような気がする。
経緯はともかく、ぼくがナマエちゃんのことを好きだということがノボリにバレて、夜間のデスクワークの合間に二人でそんな話をした。

いつから。
多分、初めて会った時には何となくいい子だなぁと思っていたと思う。その後、ナマエちゃんとタッグを組んでダブルバトルをした時のこと。半年ほど前、ぼくたちがサブウェイマスターの役職に就いて3周年の節目のことだった。
「やるからには勝ちたい」と言った彼女と共に戦って、勝って、その時に彼女と話をしたのだ。
激戦を制して、肩で息をするナマエちゃんが泣きそうな顔で、それでも、とても嬉しそうに笑っていたから、ぼくは彼女の顔を覗き込んだ。

『クダリさん』

ナマエちゃんは、バトルフィールドにいるゲンガーが嬉しそうに振り返る様子をまっすぐ見つめながら口を開いた。

『私、ポケモンバトルをやめようと思ったことがあって』
『うん』
『でも、今ここで、クダリさんの隣で、戦えてすごく楽しかった』

ナマエちゃんは、もう一度『楽しかったんです』と噛み締めるように言った。

『一緒に戦ってくださって、ありがとうございました』

心の底から湧き上がる喜びが、明るく溢れ出たような笑顔だった。
バトルの間、相手に必死で食らいつこうとしていた彼女が、過去にどういう経緯でバトルをやめようと思ったのか。わからないけれど、今ここで彼女と共にフィールドに立てて良かったと、あの時ぼく自身もそう思ったのだ。

直接的なきっかけは、やっぱり今考えてみてもはっきりしない。
ネモちゃんと楽しそうに戦うナマエちゃんの横顔を遠巻きに、グラサン越しに眺めながら今一度考えてみたけど、ノボリに上手く答えることはできなさそうだと思った。

一緒に過ごせて嬉しかったな。楽しい気持ちにもなった。隣で美味しいものも食べた。
好き。

と、いう気持ちひとつで今日を過ごすことが出来ていたら、どれほど良かっただろう。



太陽が西へ傾きかけて、オレンジがかった陽光が街を包み込んでいる。太陽のほうを見るととっても眩しくて、グラサンかけててよかった、なんてことをうっすら思った。

「いつの間にか夕暮れ時ですね」

呟きながら空を仰ぐナマエちゃんの横顔には、柔らかな前髪の影がわずかに落ちている。一歩、一歩と歩くたびにその影が揺れるのを見ながら、隣に誰かがいることの小さな温かさを感じていた。

「ねえ、ナマエちゃん」
「なんですか?」
「もう少しだけ付き合ってもらってもいい?」

目をぱちぱちと瞬かせるナマエちゃんは、頭のてっぺんにクエスチョンマークを浮かべながらも、あっさり頷いてくれた。
大通りをしばらく歩いていくと、ビルの隙間から目的のものが見えてくる。街のランドマークである観覧車だ。

「久しぶりに乗りたくて」
「え」

きっと、ほとんど無意識的に観覧車を見上げていたであろうナマエちゃんの黒い瞳が、こちらを向いて、ほんの少し揺らいだ。動揺のゆらぎ。
それでもナマエちゃんは、すぐに視線を観覧車へ戻して、「わあ」と明るい声を上げた。
 
「私、ここの観覧車乗るの初めてですよ」
「ほんと?」
「はい、というか観覧車自体、小さい頃に乗って以来かもしれないです」
「そっかあ。ぼくも子どもの頃に乗ったのが最後かな」

なんてことない言葉を交わしながら、観覧車の足元まで、二人並んで歩いていく。
ぼくは、きみの動揺を見ないフリして、隣にいるのが当たり前のような顔をし続けてる。きみが何も言わないのをいいことに。
狡猾、という二文字がずっと頭の中にあるけど、それも見ないフリをしている。

ナマエちゃんとぼくは観覧車のゴンドラに乗った。わあすごい、とか、意外と広いですね、とか言いながら、二人で向かい合って、椅子に腰かける。ゴンドラの上半分はガラス張りで、夕暮れの空と街とが全て見渡せた。
空の上部のネイビーと、地平線のオレンジとがグラデーションになって、街が夜を迎え入れようとしている。ビル街の隙間を縫うように走る車のヘッドライトがチラホラ点灯して、いくつもの光が滑るように流れていった。
観覧車の真下では、身を寄せ合って歩くカップル、ベンチで腰かける老夫婦。それに、まだまだ遊び足りないと足をバタつかせ、駄々を捏ねていそうな子どもと、それをなだめようとする親、それにもう一人。親と一緒にその子どもの頭を撫でる子ども。年の近い兄弟なのだろうか。仲が良いんだろうな、と思った。

「ぼく、時々考えることがあって」

窓の外を見ていたナマエちゃんの目が、ぼくのほうへ向けられる。

「遊園地に迷子センターとか、館内放送とかができる前は、誰かとはぐれた時どうしてたんだろう」
「あー……確かに。今はそういう対処は万全ですけど、そんなのない時代は大変ですよね」

頷くナマエちゃんは「もう、ひたすら走り回るとかですかね」と、手をぐるぐるさせながらおどけるように言った。その仕草に、ふふ、と笑いがこぼれる。

「観覧車だとね、遊園地の中ぜんぶ見渡せるのかなって、ちょっと思った」
「なるほど。目のいい人なら観覧車の中から探せるかもしれないですね」
「うん」

そうして頷いたぼくの口から、

「自分の目で探せるなら、そうしたいもんね」

と、続いた言葉に、ナマエちゃんはゆっくりと顔を上げた。その目が、なんとなくこわごわとした動きでこちらに向くのを感じる。

あ、まちがった。
と、咄嗟に思った。何かを察してもらいたいわけでも、その上で何か言葉をもらいたいわけでもない。ただ、何となく出てきた言葉が、痛々しい響きを持ってしまっただけだった。

「クダリさんは、ノボリさんを……」

ナマエちゃんの口から続いて溢れ出る言葉はなんだろう。探しにいきたいんですか? とかかな。
ごめん。お願い、何も聞かないで。
勝手だね。でも、分からないんだ。ぼく自身も、いまだに自分がどうしたいのか分からない。どうするべきなのかも。
するべきこと、したいこと、しなきゃいけないこと。感情と理性の境界がいまだに曖昧で、そういうことを口にするのが、今とても怖い。

「いや、えーと……」

言いかけた言葉を打ち消すように、ナマエちゃんは瞼を下ろし、小さく息を吐いた。

「クダリさんにとって……ノボリさんってどんな人ですか?」

改めて投げかけられた問いは予想していなかったもので、驚いた。目がまん丸くなるのが、自分でも分かる。
ぼくにとってのノボリ。改まってそんな風に聞かれてみると、まるでインタビューみたい。

「なんだか記者さんみたいだね」
「え、記者ですよ……いや、今日はオフですけども」
「ふふ」

うーん、と唸りながら、ぼくの頭の中にある言葉を探る。目を細めて、真正面にあるナマエちゃんの目を見る。

「まず、『急に行方くらましたトンデモ兄さん』でしょ」
「ええ〜」
「あはは。あとは、そうだなあ……優しかったよ、それにバトルではほとんど負けなし、強かった。ぼくの憧れだったし……」
「はい」
「双子の兄弟で、同じサブウェイマスターで、同じ立場、場所で仕事をしている仲間でもあったし、一緒に勝負をするパートナーでもあった、一番身近なライバルでもあったかな」
「……はい」
「一言じゃ、全然言い表せない」

何も言い尽くせなかった。ぼくにとってのノボリとは、そういう存在だった。

「観覧車に乗ったのも、罪悪感があったからかもしれないや」

ぼくの目をしっかりと捉えていたナマエちゃんの目が、ゆっくりと伏せられていく。それから、俯くように顎を引いた。
何をどうすれば、こんな気持ちにならずに済んだのだろう。どうすれば、ノボリはどこかへ消えずに済んだのだろう。自分の行動で、何か変えることができたんじゃないか、という行き場のないやるせなさ、あてどない罪悪感。
きっと、それはこれから先、ずっと付き纏うものだ。

「あ、コアルヒーの群れ」

観覧車の外に目をやると、夜の帳が下り切る前の、柔らかなマジックアワーの空を、コアルヒーの群れが泳ぐように飛んでいた。
いま、この瞬間、ナマエちゃんに「ごめん」と言いたかったけど、ここで謝るのもなんだか違う気がした。そんな言葉をナマエちゃんに背負わせたくはないと思った。

「きれいだね」
「はい」

心の底から「きれい」だと思うぼくと、そんなぼくに反発しようとするぼく。
何も割り切れないぼくの心から、正解を引っぱり出そうとせずにいてくれるきみの存在が、温かくて、ずっと苦しかった。