クダリさんとタッグを組んでダブルバトルをしたことがある。

半年ほど前、ノボリさんとクダリさんがサブウェイマスターの役職に就いて3周年の節目、彼らに取材を申し込んだ時のことだ。

「ぼくたちのことを知りたいなら!」
「ぜひお手合わせを!」

指差し確認準備オッケーが如く決めポーズを取ったお二人からそんな申し出を受け、ぎょっとしながらも断るに断れず、気がつけば「ぼくとナマエちゃんでタッグ組もう。ぼくもノボリと戦いたいし」「いいでしょう。ではわたくしはクラウドとタッグを組みます」てな具合にあれよあれよと話が進み、さて私はあっという間にトレイン内部に立っていた。

「ナマエちゃん? 大丈夫?」

何でこんなことに……!! と、まー分かりやすくかたくなる攻撃でもしているかのようになっていた私の、その目の前で、クダリさんは手のひらをヒラヒラさせた。

「だ、大丈夫かといえばまぁ大丈夫ではないんですけど……でも」
「でも?」

正直に言ってしまえば、自分で勝ち上がった上でサブウェイマスターとのバトルをしてみたかった、というのが本音だ。休日、バトルサブウェイに挑戦するのを楽しみにしている身としては、なんだかズルをしてしまっている気分にならなくもない。
しかし、そんなことを今言える空気ではないし、それに今から行うバトルはあくまで『取材の一環』、仕事としてのバトルなのだ。
私が今やるべきこと。それは彼らの実力を知ること。知った上で、記事を書く。そのためには、彼らの実力を引き出せるようなバトルをしなければならない。
隣で共に戦うクダリさん、立ち向かうノボリさん。両者をしっかり見、かつ全力のバトルをする。
生半可じゃないはずだ。
それでも、やっぱり。

「やるからには勝ちたいです」

自分を奮い立たせるように、震えそうになる声を精一杯に張る。
それくらいの勢いでなければ、サブウェイマスターの力を知ることは出来ないはずだ。
勝つつもりでやる。
それでこそ、彼らのことを本当に知ることができる。

クダリさんは、しばらく黙って私のことを見ていた。それから楽しげに目を細め、

「うん、その意気や良し! だね」

と握り拳を作り、その拳を私の前に突き出した。シミ一つない綺麗な白手袋の拳に、私は自分の拳をこつん、とぶつけた。
仕事用のカバンの中からゲンガーが入ったモンスターボールを手に取り、ボールの中まで気合が伝わるよう、ぎゅっと握りしめて。

あの時、私は昔の自分を思い出していた。
「バトルをしたい」と思えなくなった時の、自分のこと。



『バトルサブウェイ全線は大規模修繕工事に向けた点検のため、本日臨時休業とさせていただきます』


「え」

ざわざわと騒がしいギアステーション構内で、私はその張り紙を前にぽかんと立ちすくむことしか出来なかった。

おそらくホームページには情報が出ていたのだろう。慌てて階段を駆け上り、地下を抜け出てスマホを取り出した。検索窓にバトルサブウェイ、と入力、検索。ホームページのリンクをタップ。
トップページには、しっかりと臨時休業の旨が示されている。
最近忙しくて、まともに情報をチェックしていなかったのがいけなかった。休日、バトルサブウェイに挑戦するのは日課になっていて、しかし馴染みすぎてて逆にチェックを怠るという失態を犯してしまった。
連れてきたパートナーが収まっているボールを手に取る。今日のバトルを楽しみにしていたであろうバタフリーが、きらきらと期待に満ちた目でボール越しにこちらを見上げていた。うう、ごめん。
心の中で謝りながら、バタフリーの入ったボールを軽く宙へ放る。元気に羽を伸ばしたバタフリーは、ほとんど涙目な私を前に首を傾げた。

「バタフリー、ごめん! 今日、バトルサブウェイ臨時休業なんだって。だから、今日は挑戦できないみたいで……」

ぱちん、と手を合わせ、本当にごめん! と重ねて謝る。
私が旅をしていた10代の頃から、バトルが好きな子だったバタフリーは、やはり今日のバトルを楽しみにしていたはずだ。
案の定、しょんぼりとした顔で触覚をしなしなさせたバタフリーに申し訳なくて、そのまん丸な頭のてっぺんを撫でる。

「ごめんね、何か美味しいもの買ってあげるからね」

しょん、とうなだれるバタフリーを連れ立って、ギアステーションを後にする。花曇りのどんよりとした空がまた虚しい。低く垂れ込める雲を見上げて、ひとつ溜息を吐き出す。
落ち込んでいても仕方ない、さぁバタフリーに何を買ってあげようか。
と、考え始めた時だった。
バタフリーが、私の進行方向とは逆方向に飛び出してしまった。

「あ、ちょっとバタフリー!?」

まさか、拗ねた?
慌てて後を追っていくと、ギアステーションの裏手まで来てしまった。どんどん人通りが少なくなっていって、従業員や関係者のための出入り口が近づいてくる。
ひょっとしたら、いつも私が取材で裏の出入り口を使っていたことを覚えていたのかもしれない。あっちから入ればバトルが出来るかもしれない、なんて思っているんじゃ。いやいや、出来ない。できないから。

「待ってバタフリー、だめでしょ! こっちは関係者用の……て」

バタフリーが動きを止めた、ちょうど裏口の前。
無機質で質素な鉄の扉の前の段差に座り込み、項垂れている人がいた。
黒色のキャスケット帽を被り、グレーの薄手のコートを着ている。
いつもの制服ではない。でも、その横顔に、私は間違いなく見覚えがある。

「の、ノボリ、さん……?」

黒い帽子で目元は隠れているが、真一文字に結ばれた口元がはっきりと見てとれた。特徴的な髪型も、そう。ゆっくりと顔を上げ、ようやく見えたグレーがかった瞳も。
行方不明であるはずの彼が、目の前にいる。どうして、なぜ。
固い表情の彼を前に、心臓の鼓動が不規則に早まる。背中にうっすら汗が滲み出した時、彼はおもむろに口を開いた。

「おや、ナマエさまでございますか」

彼は言った。マジメくさったその声に、私はそりゃもう全力で脱力するしかなかった。

「クダリさんですよね?」
「あれ、何で分かったの?」

やっぱりかい。
心の中だけで盛大にずっこけながら、すっとぼけるクダリさんに向かい合うようにしゃがみ込んだ。

「インタビューする時って音源を録音してるんですよ。それで、後から聞きながらベタ打ちして、それをまとめて記事書いていくんです。だから私、人の声の聞き分けは結構自信ありますよ。サブウェイマスターのお二人は何度もお話伺ってますから、なおさら分かります」
「なるほど。職業病みたいなものだね」
「ですね」

アッサリと正体を明かしたクダリさんが、何故ノボリさんのマネなんかしたのか。その心中は押し測れないけれど、いなくなった人を真似ることで、胸の内にある寂しさとか哀しさとか、そういうマイナスの感情を少しでも消せないものか、と。そういうようなことを思ったのかもしれない。
いずれにせよ、軽い気持ちでしたことではないだろう。心臓が裏表ひっくり返るんじゃないかというほど驚いたが、あまりそこに突っ込みすぎないほうがいいかもしれない。

「というか、クダリさんはここで何してるんですか? 今日、バトルサブウェイは休みだって……クダリさんはお休みじゃないんですか?」
「いやいや、休みだよ」

クダリさんは首を横に振り、そのまま背後の建物を振り返った。

「工事に向けた点検があるから、サブウェイマスターとしては休み。だけど鉄道員としての仕事もあるから、休むつもりなかったんだけどね。みんなから休め休めって言われて、無理やり休みにされた」

みなさんの気持ちは分かる。一緒に働いていれば、余計にクダリさんの働き方が痛々しく思えて仕方ないだろう。例えクダリさんが、傷ついている素振りを見せていなくても、これまでノボリさんとクダリさんの二人を見てきた人ほど、クダリさんの痛みを理解できるはずだ。

「ただ、何か……することなくて。無いのに早く起きちゃって」

散歩のつもりで歩いてて、気づいたらここにいた、とクダリさんは呟く。まるで雨のそぼ降るような声だと、思ったそばから、額にぽつ、と雨粒が降りてきた。

「あ……雨ですね」
「しまった、ぼく傘持ってないや」

あちゃあ、とクダリさんが妙に明るく開き直ったみたいな声で言う間にも、雨は次第に勢いを増した。慌てて大きなカバンを探り、家のカギやらスケジュール帳やら一眼レフやらを押し退け、ようやく見つけた折り畳み傘をサッと開く。お気に入りの、まん丸タマザラシ傘だ。
クダリさんにそっと傘を差し掛けつつ、どんより暗い空を見上げる。

「クダリさん、これからどうするんですか? もしお家帰るんだったら、傘あれなんで、お送りしますよ」

クダリさんが傘を持っていないなら、それが一番良いだろう。いつもお世話になっているクダリさんの役に立てるなら、それくらいはお安い御用だ。
クダリさんは、顎に手を添え、しばらく考え込んでいた。その仕草が嫌味なくさまになるのがすごい。

「ナマエちゃんは? これから何するの?」
「え、私ですか?」

不意にパッと顔を上げたクダリさんの、明るい瞳につかまって、少しだけ面食らった。
これからどうするか、考えていたのはバタフリーのために美味しいものを買うこと。ただただそれだけだった。それ以外で、ということとなると。

「雨だし、市立図書館にでも行こうかなぁ……」
「図書館」

あの周辺なら、バタフリーも好きなベーグル屋さんのキッチンカーが時々お店を出していたはずだ。雨の日はのんびり読書するに限る。読書にベーグル、のちに、のんびり帰宅。うん、悪くない。

「ぼくも一緒に行っていい?」
「え!?」

急な雨の中、突貫で築いた1日のスケジュールに心の中で頷いていたら、クダリさんがとんでもないことを言い出した。私がぎょっと目を見開くのとは対照的に、とんでもないことを言っている本人は、あくまで軽い調子である。
これはひょっとして、気を遣わせているのだろうか? わざわざ家に送られるより、目的地を同じくしてしまえば私の手間が省けるから、とか。お客様第一サービス業のプロ精神?

「気を遣ってるとかじゃないよ」

クダリさんは、苦笑いでそう言った。戸惑いが顔に出ていたらしい。

「い、いやでも、いいんですか? せっかくのお休みなのに」
「うん、どうせヒマだし」

よっこいしょ、とわざとらしい掛け声と共に腰を上げたクダリさんは、いつもの笑顔でお決まりのセリフを口にした。

「そうと決まれば、目指すは図書館! 出発進行!」

クダリさんはタマザラシ傘の下、ぴし、と小さな指差し確認をするが如く、おそらく図書館があるはずの方角に人差し指を向けた。もう、そういうことで決まってしまったらしい。
いや私はいっこうに構わないどころか恐れ多いというか、ファンがおそらく数多いるサブウェイマスターと二人、図書館までご一緒するというのは。え、本当にいいのかな、これ。

さて、かくして私はなりゆきでクダリさんと二人、図書館を目指すことになったのであった。果たしてなりゆきでこんなことになっていいのか。なんかもう、なりゆきに任せるしかなさそうだ。