2210年、冬。
南海太郎朝尊と恋仲になった、と主本人の口から明かされた。初期刀である蜂須賀さんには一番に伝えておきたくて、と頬を染める主を前に俺は、

「んな」

と、口をあんぐり開けたまま、しばらく動けなくなった。
何でよりによって、という言葉をすんでのところで飲み込めたから良かったものの、とにかく俺が二人の関係性に抱いた感想は、驚愕、ただそればかりだった。


【俺はそれを繋げたい】


南海太郎朝尊。
特命調査における活躍は、俺も現場でしかと目にしていた。なるほど、土佐勤王党を率いた武市半平太の刀で、かつ刀剣の研究に勤しんだ刀工の作刀であるだけのことはあり、その知識を活かした戦い方はとても興味深かった。彼に助けられたことも幾度となくあったし、その実力は間違いなく本物だった。

が、しかしだ。
彼の自由奔放ゴーイングマイウェイっぷりといったら、大体どの本丸の南海太郎朝尊を見ても「ああ」なのだから、彼はもう根っからの自由刃なのだろう。好奇心の赴くまま、気になることは徹底的に調べなくては気がすまない。
つまり、刀剣男士としての『南海太郎朝尊』はそういう性質だったので、俺は彼がどういうつもりで主とそんな仲になったのか、不可思議で、かつ不安で仕方なかった。
案の定というか、やはり主と南海の付き合いは、はたから見ていても仲睦まじいとは言い難いように思えた。主が一方的に南海のことを見つめることがあっても、南海から主へ熱い視線が送られることは、ほとんど無かった。

見かねた俺は、南海と話をすることにした。主と南海の関係を知ってから、ひと月経たないぐらいの頃だったと思う。
二人きりで話をするため、庭の端の端、ちらほらと咲き始めた梅の香りも届かないほど奥まで南海を連れて歩き、素直に後をついてくる彼をときどき振り返りながら、出来るだけ人のいない場所を探した。
結局、本丸敷地西側に位置する畑の、さらに奥の、ほとんど草木の生えない空き地のようなところで二人、神妙な顔を突き合わせることになった。いや、神妙な顔をしていたのは俺だけだったかもしれないが。

「単刀直入に聞く」
「何かね?」
「南海は、どういうつもりで主と恋仲になんかなったんだ」

話題を躱されないよう凄んでみせたが、当の南海は「ああ、そのことかね」と、あっけらかんとした様子で言うのだった。
その気安さが気に入らなくて、眉間に深く皺が寄るのが分かった。

「もし興味本位でそんな関係になったのなら、彼女が辛いだけだ。主の気持ちを弄ばないでほしい」

と、語気を強めて詰め寄れば、南海は一瞬、驚いたように目を見開いて、それから何となく間の抜けたような瞬きを数回して、

「弄ぶ、とは違うと思うのだけど」

と、やはり事を大きく捉えていないらしい口調で言った。

「じゃあ何だって言うんだ」
「好奇心、だね。彼女との関係を続けることで、もしかしたら刀剣男士である僕にも恋心とやらが芽生えるかもしれない、という」
「だ、だから、つまりきみ自身の好奇心を満たすためなんだろう?」
「まあ、そういうことになるね」
「それを弄んでいるというんじゃないか……!?」
「そうなのかい? 僕にはよく分からないけど」
「埒があかない……!!」

頭を抱えたくなる気持ちをそのままに文字通り頭を抱え、しばらくうんうん唸りながら、どうすれば俺が言いたいことが伝わるのかを必死で考えた。

「俺だってね、他人の恋愛事情なんてものに首をつっこむのが野暮だということは弁えているんだ。でも、主には幸せであってほしいんだよ。主が大切だから! 君もそうだろう?」

人に振るわれる武具たる刀剣から生まれた俺たちには、主への愛情はほとんど必ず備わるものだ。何故なら俺たち道具は、人が手にすることで意味が生まれるから。
俺たちの価値は人が決める。人がいなければ、俺たち刀剣に価値は、意味は、生まれないのだから。
それに加えて、この本丸という場所にある俺たち刀剣男士は、日々過ごす時間の中で主を愛おしく思う気持ちを増していく。それはきっと、人が人を愛するのと同じようなもので、この本丸という場所で俺たちは、ただの道具から、他でもない『刀剣男士』に成るのだった。
つまり、南海にだって主を想う気持ちが無い、ということはないはずなのだ。彼が『恋仲』として主を想っている素振りは見られなくとも、蔑ろにしているようには見えないことが何よりの証と言える。
が、俺の言葉を受けた南海は、

「ところで、どうしてこんな辺鄙なところで話さなければならないのかね?」

と、とぼけたことを言うので、俺はいよいよ奴の鼓膜を破らんほどの大声を出しそうになってしまった。

「いま聞くことがそれかぁ〜あ〜もう!」

虎徹の真作たる俺が本丸内で下品に怒鳴ることはあってはならないと、握り拳の内側に怒りを抑え込みながら声のボリュームを必死で抑えた。

「刀剣男士である俺に! 他人の恋愛事情を聞く時の距離感が! 分かるか!」
「はは、うん、なるほどね」

はは、じゃないんだよ! と目を吊り上げてみたが、南海は一人、何事かを考え込むように顎に手を当て、黙り込んでしまった。
急に学者然とした表情を作った南海を訝しみながら、どうしたものか、少しばかり狼狽えた。
おそるおそる南海の顔を覗き込もうとしたが、おもむろに口を開いた南海の顔が意外なほど人間じみていたので、俺は何となく怯んでしまった。

「僕も君と同じ、ということかな」
「ん……? どういうことだ?」
「分からないんだよ、刀であるが故にね」

「刀であるが故に」と言った、南海の声には、人の温みがこもっているように思えた。

分からない、ということが、南海のような男士にとっては、それこそが初めの一歩なのかもしれない、と。その時ふ、と気がついた。

「いつか主が、僕にそれを教えてくれるかもしれないしね。まあ、その時を気長に待つとするよ」

からりとした冷たい風を浴びながら、南海は口の端を上げて空を見上げた。
どうやら、その時が来るのを待つ気はあるらしい。いや案外、待ち遠しくすら思っているのかもしれないと、天を仰ぐ南海の顔が柔らかく微笑んでみえるのを目にしながら、そう思った。

「……頼むから、主を傷つけるようなことだけはしないでくれ」
「うん、肝に銘じておくよ」

ため息まじりに言った言葉に、南海はまた軽い調子に戻って返事をした。

その後、一年と経たないうちに、その日がやってきたのだった。

主の記憶が無くなった後、南海は人の目がある場所ではいつも通りに振る舞っているようだが、ふとした時に目にする彼は暗澹とした空気を纏っていて、やるせない感情を持て余したまま、日々を過ごしているようだった。もちろん、本丸の誰もが寂しさ、悲しさ、辛さ、苦しさを抱えていたはずだった。しかし、南海が時折見せる表情は、まさしく前途に望みを断たれた者のそれだった。主が戻ってきて、初めての対面を終えた後の南海の顔を見たが、何とも言い難いほど暗く陰っていた。
それで、俺は思ったのだ。
南海は、彼は、ひょっとすると恋というものが何なのか知ったのではないか。いや、主によって思い知らされたのではないか、と。



畑仕事を終えた俺は、馬当番を終えたらしい南海と、洗面所でばったり行き合った。同じ馬当番だったはずの肥前の姿は見当たらない。どうやら、先にここを去っていったらしい。
お互い、何とはなしに無言のまま手を洗うなり汗を拭うなりしていた。
蛇口をひねって水を止めた俺は、耐えかねて口を開いた。

「南海、君は……」

ぴちょん、と水滴が垂れる音が小さく響いた。濡らした手拭いで首元の汗を拭いていた南海が、静かな動作でこちらを振り向いた。

「主のことが、好きなのかい?」

野暮なことを聞いているかもしれない、と思った。俺は未だに、人の恋愛事情なんてものをどういう距離感で聞いたらいいのか分からない。
それでも俺は、彼らの繋いだ恋のような縁の形が、このまま消えて無くなってしまうことが悲しかった。
南海は顎を小さく引いて、しかし何も言葉にしなかった。頷いたようにも見える動作と、何も言わないことこそが、何よりの答えのように思えた。

「俺は主が好きさ、ずっと幸せでいてもらいたい」

これは、彼女が主となったその日から、大切に抱え続けている気持ちだ。主が記憶を無くした今も、少しも変わらないものだ。

「記憶を失う前の主の幸せには……南海が必要だったはずなんだ」
「今は違うだろうけれどね」

自棄になっているとも取れる南海の言葉に、勢い込んで反論しようとしたが、南海がすぐに言葉を継いだため、俺はそれをぐっと飲み込んだ。

「でも、それでも」

濡れたままの手拭いを首にかけながら、南海は俯きがちの顔を控えめにこちらへ向けた。

「僕は話がしたいよ、彼女と」

記憶を失う前の主の幸せに、きっと南海は必要不可欠だった。でも今、主はそれが無くとも生きてゆけるのだ。欠かすことのできないはずだったものを、失ったことすら気付かずにいられることは、人にとっては案外幸福なことなのかもしれない。
だとしたら、主との縁を再び繋げたいと思う南海の想いはエゴだ。そして、主と南海の繋がりが消えることを嘆く俺の想いも、きっとエゴだ。
人間がいてこそである道具としての当たり前を、超越してしまった俺たちの想いが、身勝手であるのだとしても。

「主なら執務室にいる。馬当番を終えたばかりなんだろう? しっかり手を洗ってから行くんだよ」
「うん、そうするよ」

ありがとう蜂須賀くん、と笑う彼が、彼女に届けたい気持ちが、いつか届くといい。ただ、それだけでいい。
主以上に大切なものは無いけれど、それでも彼の想いが消えずに残ることを、俺は願ってしまった。
どうか君が、彼女にそれを伝えられる日が来ますように。