2210年、冬。
私と南海先生が付き合い始めたのは、今からちょうど1年ほど前のことだった。

「僕のことが好き?」

それは私の片思いによる、私の告白から始まった恋愛だった。


【それはきっと私だけの】


気づけば抱えていた、膨れていた、その想いの大きさに耐えかねて、私はそれを直接本人に伝えたのだった。

「それは、僕のことを刀ではなく男として見ているということかね?」
「う、えっと、はい」

どストレートに話の核心を突かれ、口ごもるばかりだった私を前にして、南海先生は1ミリたりとも動揺することはなかったように思う。

「ふむ、なるほど。面白い」

むしろ、そうだ。声を弾ませ、面白がっていた。
いま思い返してみても、それはなかなかにツラい始まりだった。

「面白い。刀剣男士と審神者が恋愛関係になる事例は聞き及んではいたけれど、まさか僕自身が当事者になろうとはね」
「え、南海先生は、私と、その……そういう関係になってもいい、ということですか?」
「うん。刀剣男士と審神者の間での恋愛、などというものは可能なのか、実に興味深いからね」

遠回しに「現時点で君への恋愛感情なんてものは皆無だよ」と、言われたのが分かった。それが、私の告白に対する、南海先生からの返事だった。
私は、それでもよかった。

けれど、そういう始まり方をした恋愛関係の中で、幾度となく傷ついてきたと思う。
手を繋いで歩きたいと伝えた時、心底不思議そうな顔をした南海先生に「主と僕とは身の丈がだいぶ違うから、ただただ苦痛になると思うのだけど」と首を傾げられたのはまだ良かった。初めてキスをした後には「なるほど、人間の唇というのはこういう感触なのだね、面白い」と愉快そうに言われて、ああ南海先生にとっては実験のようなものに過ぎないんだと改めて理解せざるを得なかった。それに、肥前くんから南海先生と私の関係を「くだらない恋愛ごっこ」だと鼻で笑われたこともあった。これには妙に納得させられた。なるほど、確かに私たちはほんものの恋人同士なんかにはなれなかった気がする。恋人らしいことをすることはあっても、それは多分愛情を確かめ合う行為ではなく、うわべだけをなぞるような行為だった。
きっと、最後の最後までごっこ遊びのような関係だった。
南海先生が、私に恋愛感情でもっての好意を向けることは、ついぞ無かったはずだ。
それでも南海先生のことを嫌いにならなかったのは、多分そういう、どこまでも自由奔放なところを好きになってしまったからだった。好奇心が旺盛で、どんなことでも、何でも知りたがる。そういう無邪気さが眩しく思えてならなかった。
それに、酷い思い出ばかりではないからこそ、私はこの関係性を壊さないよう、大切にしてきたのだ。

ひとつ、とても大事な思い出がある。

本丸の塀沿いに、沈丁花をたくさん植えるのが私の夢だった。その夢に、南海先生は意外にも乗り気になってくれて、そのうえ手伝いまでしてくれたのだ。
土質を調べるところから植え付けまで、嫌な顔ひとつせずに手伝ってくれたのを覚えている。
何人かで植樹の作業を進め、ようやく終わりが見えてきた時のことだ。

「ふむ、沈丁花の花言葉……栄光、不死、不滅、永遠、それから青春の喜び……甘美な思い出、なんていうものもあるね」

南海先生は、土まみれになった軍手を小脇に挟み、重たそうな植物図鑑を片手で支えながら、沈丁花の説明文を読み上げた。
彼の、きれいな人差し指の先がなぞる図鑑を覗き込みながら、私は浮かれた声で彼と話をしたのだった。

「前半と後半で全く印象が違いますね」
「そうだね。しかし、ふむ。なるほど……栄光やら不滅、あたりのスケールが大きいものは、沈丁花が常緑樹であることが由来らしい」
「へえ、後半のは?」

問うと、南海先生は図鑑から離した目線をこちらに向けてくれた。

「芳香ゆえ、だそうだよ。香りが遠い過去の記憶を思い起こさせる、ということらしい」
「なるほど、確かに香りって、記憶の中で強く印象に残りますからね」
「うん。僕らも、ここで過ごす日々の中、たくさんの記憶を積み重ねている。何らかの芳香と結びついている記憶も多々あるだろうね」

そうして他愛もないお喋りをする南海先生の、いつもと変わらない微笑が、春を前にした温い南風も相まって、なんだかとても優しげに見えた。それが嬉しくて、この日のことを私はずっと忘れないのだろう、と。
あの時、確かにそう思っていた。

「いやはや、なるほど面白い。人間は、よくこれだけの花すべてに意味を見出せたものだね」

図鑑をぱたん、と閉じた南海先生は、

「そういう人間の探究心……好奇心というか、そういうものが、僕は好きだね」

と言葉を継いだ。
好き、という何気ない一言に、私はとてもどきりとした。

「南海太郎朝尊ー!!」

突然耳に飛び込んできた蜂須賀さんの大声に、色んな感情が吹っ飛ばされるような気持ちになったのは、ちょっぴり楽しい思い出だ。
「おや、見つかってしまった」などと笑顔で呟く南海先生に、内番姿の蜂須賀さんはこめかみに青筋を立てながら、ずんずんと詰め寄った。

「お前……馬当番をすっぽかして何してるんだ!」

私もすっかり忘れていたが、南海先生はその日馬当番だったのだ。それをほっぽって、沈丁花を植える手伝いをしてくれていたらしかった。

「僕は馬に嫌われる性質だから、いないほうがいいだろうと思ったのだけど」
「御託はいいから早く手伝え! というか主も! 誰が何当番か、忘れちゃ駄目じゃないか!」
「す、すいません……!!」

慌ててぺこぺこと頭を下げると、蜂須賀さんは呆れたようにため息を吐き出し、南海先生の襷をがっちり掴んだ。

「全く……午後は雨になるらしいから、降り出す前に終わらせるぞ」
「だ、そうだよ。主も早めに屋内へ戻るといい。僕は少し馬に嫌われてくるとしよう」
「い、いってらっしゃい……」

襷を手綱のように握られズルズルと引き摺られていく南海先生に手を振って、私は沈丁花を植える手伝いをしてくれたみんなを労うため、お茶を用意しようと厨へ向かった。
その道中で、私は南海先生が言った言葉を思い出していた。

南海先生の発した「好き」という言葉は、人間という生き物全てに向けられたものだった。刀剣から生まれた、人ではない者の言葉に、言いようのない寂しさを抱いた。
いつか、あの「好き」という言葉を、私ただひとりに向けてもらえたのなら。
そうして、「くだらない恋愛ごっこ」から「ごっこ」が外れたなら。
くだらなくてもいい、ほんものの恋が出来たなら。
そういう、叶うのかも分からない願いを、私はひっそりと抱き続けることになった。

そして、その願いはもう叶わないものになる。
私の願いは、記憶と一緒に無かったことになる。

記憶と引き換えに霊力を得るという話、そしてそれを実行しようと思っているという話、それらを南海先生にも打ち明けた。二人きりの部屋で、できるだけ淡々と。感情的になればなるほど、惨めになる気がしたから。

いつものように「それは興味深い」とか「面白いね」とか、言ってくれるものだとばかり思っていた。そうであれば、どれだけ救われただろうか。
南海先生は、何も言わなかった。
わずかに目を見開き、何か言いたげに開かれた口はすぐに閉じられた。

その沈黙の、意外な誠実さに、胸が潰されるような心地がした。