まさか同郷だったとは。

みょうじと別れた後の帰り、あいつとの話を思い返しながら山道を歩いた。
妙な縁があるもんだな、と思いつつ、しかしすでに郷里とほとんど縁が無いような自分とあいつとでは、やはり思い入れはまるで異なるのだろう。嬉しそうに、楽しそうに里の話をするみょうじなまえの思い出に比べて、自分にとっての郷里の記憶とは、どれも灰色に霞んでいる。
自分は出雲国の某所、在地領主であった出茂家の次男であった。もともと出茂家は、ある者を主家として仕えていたが、有事の際の呼びかけに応じなかったことを咎められ、私が齢11の折に失脚した。所領を大幅に失い、ほぼ百姓同然のカーストへと押しやられたのだ。武家のいざこざなんてのは、子どもにしてみればほとんど災害のようなものである。
「いずも」と読ませていた名も取り上げられ、しかし家の者らは、半ば意地で、字はそのまま「でも」と読ませる形を取った。
自分らの選択ミスが引き起こした事態であるにも関わらず、なおも主家への恨み言を言い募っている家の者にうんざりし、見切りをつけて家を出た。
まあ、もともと才覚があり知恵の回る子どもであったため、預けられていた寺でもいち早く物事を覚えていたし、一人でも困ることはなかった。
さてこうして優秀なフリーター忍者・出茂鹿之介が誕生したわけである。
みょうじの話を聞いていると、やはり家を出たのは正解だったと思う。いざこざばかりのお武家は面倒だし、性に合わない気がした。とはいえ、帰るべき家があるのは、あいつのような者には良いことなのだろう、とも思う。
みょうじ家か、確かに聞き覚えはあったなぁなどとぼんやり歩いていると、不意に人の気配を感じた。

「出茂鹿さん」

声のした方角を頭上に探り当て、天を仰ぎ見る。
見てみて、ぎょっとした。自分と全く同じ顔が、木の上から自分を見下ろしていた。

「……鉢屋三郎か」
「どうも」

鉢屋は軽い身のこなしで飛び降り、目の前で、同じ顔でへらりと笑っている。私はこんな笑い方はしない。

「おい、私の顔をするのやめろって言っただろ。気味が悪い」
「あ、怒っちゃいました?」

わざとらしく眉を八の字にして笑う鉢屋は、すぐに毎度お馴染みな級友の顔に戻った。

鉢屋三郎。某氏に長く仕える忍びの一党の嫡子であることは知っている。
出茂家と鉢屋衆、一度は主家を同じくしたもの同士、知らない仲ではなかった。ほんの一時だが、出茂家でも鉢屋衆に習い、忍びの術を得ていた。
私が武家の子でありながら忍びの術を得られたのは、いずれこの子どもが率いることになるのであろう一族のおかげだった。
癪だが、こいつの家にはそれなりの恩が無くもなかった。

「ちょっとお話があるんです」
「話ぃ?」

クソ、と内心で悪態をつく。みょうじのために私を呼んだ、などと言っていたが、やはり裏があったらしい。

「フリーター忍者の出茂鹿さんに」
「出茂、鹿之介!!」
「出茂、鹿之介さんに、いい仕事の話を持ってきたのに」

言いながら、鉢屋は貼り付けたようなウソ臭い笑顔をつくった。

「断る」
「早っ」

さっさと切り上げようと踵を返したが、鉢屋は「まあ話だけでも」などと眉を下げた笑顔を浮かべ、行く手に立ちはだかった。

「仕事内容としては、1日とある若殿の影武者をするだけ」
「はあ?」
「どうです、簡単でしょ?」

けらけらと笑う様が、いかにも胡散臭い。裏があることは明白だろう。

「お断りだ、うまい話には必ず何かあるからな」
「たかが弱小国衆の若殿と、たった1日入れ替わるだけなんですって」
「はあ? 誰なんだよ、その若殿っていうのは」
「出雲国の国衆。小寺家の嫡子……いや当主、小寺松太郎」

唐突に真面目な顔をした鉢屋は、人差し指をまっすぐに立てた。

「この小寺って家は、一応うちの御屋形様に仕えてるんですが、最近宗家の当主が病に伏して亡くなりましてね。その嫡男、松太郎が急遽家督を継ぐハメになったんです」
「継ぐ家があるっていうのも面倒なものだよな」
「違いない」

何か結局話を聞く流れになっちゃってるな、と思いつつ、ここまで聞いておいて流れに棹差すのも大人気ないような気がしてきた。世間話と思って聞いてやるべきか。

「で、この松太郎もまだ19と若く、一人で政を行うには心許ない。ってことで、後見についたのが分家の小寺黒松。松太郎の叔父に当たる人です」
「あからさまに黒い名前だなぁ、なんか色々想像つくよ」
「はは、まあ想像の通りですね。この黒松っていうのは常に黒い話の絶えない男で、このところ宗家の当主が消えたのを良いことに、上手いこと私服を肥やしている」
「うわ〜」

やっぱり武家ってロクなことがないな、と心の中でぼやいた。

「しかも、それだけじゃ飽き足らず……」
「飽き足らないのか……」
「宗家を乗っ取ろうとしているんです」
「は?」
「宗家の当主である松太郎を暗殺しようとしてるんですよ」

これである。何だってこう、身内同士で無駄な消耗戦をしようとするのだろう。合理的じゃないし、敵にその隙を突かれることだってあるだろうに。
本家だ分家だ、そんな風に家を大きくするから、こんな諍いが起きるのだ。面倒臭いこと極まりない。

「ていうか、宗家には次男がいないのか?」
「はい。だから当主をコッソリ亡き者にして、自分の家の者を宗家に入れちゃおうって魂胆みたいですね」
「なるほどな」
「で、これに気づいた松太郎くんは、みょうじ家から妻を娶ることにした」
「は?」

唐突に出てきたみょうじという名に、ぎょっとした。

「そうです、みょうじ家っていうのは、出茂鹿さんもよく御存知。忍術学園くのたまで、出茂鹿さんのお友達。みょうじなまえの家のことです」

いちいち腹の立つ言い方をする鉢屋に苛立ちつつも、面倒なのでムダに突っ掛からず、話を進めることにする。

「なに。ひょっとして、あのじゃじゃ馬が嫁ぐわけ」
「いえ。あいつじゃなくて、あいつの姉です。名をまつと言います」

松ばっかりじゃないか、というツッコミを内心で呟きながら、嫁ぐのがみょうじなまえではないと聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。こんな御家騒動のために学園をやめる羽目になったりしたらと思うと、ちょっと同情しないでもないし。

「元々、松太郎とおまつ様は良い仲だったみたいですよ。領地が隣り合ってるんです。それで、此度の戦で武名を上げたみょうじ家から妻を娶って手を取り合って、下手に分家が手出しできないようにする、ついでに世継ぎも作るっていうことみたいですね」
「ふーん……あ、待てよ。この縁談おかしくないか? 一国衆に過ぎない小寺より、みょうじ家のほうが格は上だろ? みょうじ家にしてみれば、家臣でもない上に厄介ごとを抱えた小寺と繋がりを持つメリットは少ないだろうに、何でわざわざ娘を渡すわけ」
「お、さすがぁ。目の付け所がシャープ」

からかうように、声を出して笑ったかと思うと、鉢屋はふと真顔になり、浅く溜息をついた。

「小寺分家の黒さは目に余る。余りすぎて、うちの殿の耳にも入ってる」
「そんなトップにまで話いくって相当だね」
「めちゃくちゃ言われてますよ、金の亡者だとか、半沢の悪役みたいだとか」
「半沢って誰だよ」
「さあ。で、とにかく下につくものにはクリーンでいてもらうに越したことはない、と」
「それには信用に足るものがそばにいる必要があるってことか」
「ええ。それで今回の縁談が決まった」
「みょうじ家って、そんなに信用厚いのな」
「長く仕えてますからねえ、この時代には希少ですよ」

遠まわしに自分の家のことも讃えてやがる。
鉢屋と主家との縁は、相当に長きに渡って続いているものだと聞いている。

「それでまあ、殿に文を寄越してきた松太郎の申し出に応じて、今回は鉢屋衆若輩の私に『何とかせい』とのお達しがあった、という訳です」
「下っ端の揉め事は若輩が何とかしろってか。苦労するな」
「いうほどではないですよ」

およそ子どもらしからぬ大人びた物言いで軽く返されて、少しばかり感服した。
絶えることのない家のいざこざに、さんざ苦労させられてきただろうに。

「殿は今、とにかく味方を増やしている最中なんです。近隣国衆やなんかにも働きかけて、勢力拡大に注力している。この出雲を、敵の侵略に怯えない、強い国にするのだと……そうおっしゃっていたそうで」

まだまだ忍者のたまご、忍たまのくせに、子どものくせに。自分の家のことを、仕える主人のことを、これほどまでに考えてやれているのか。それは、信用第一である忍びの家の子ゆえの忠義心なのか、はたまた子どもゆえの純粋さなのか。
いずれにせよこの鉢屋三郎という男は、案外健気なところがあるやつなのかもしれなかった。
面倒ごとを持ちこみやがってという反発心の中に一瞬生まれそうになった敬意と同情を取っ払いつつ、ふと生まれた疑問を口にした。

「で、何でその若殿と1日入れ替わる必要があるわけ?」
「その1日でカタをつけるからです。1日、おまつ様が小寺家にお邪魔する日をつくる」
「祝言前に姫が屋敷を訪れるってあんまり無いと思うけど。警戒されないのか?」
「おまつ様はよく屋敷にいらっしゃってるので、その辺りは大丈夫です。あの家の女性って何かアクティブなんですよね」

手裏剣のごとく石をぶん投げるみょうじなまえの姿が思い出されて、ふ、と呆れたような笑いがこみ上げてきた。確かに、言えている。

「で、まさか未来の嫁が来てる日に厄介事は起こさないだろうってところを突くのか」
「そう。で、その日のうちにみょうじ家からも援軍を出して、小寺分家を叩くっていう流れですね」
「何で私に入れ替わりなんて頼むんだ……って言いたいところだが、結局アレだろ? 鉢屋衆が目立った動きをすれば警戒されまくるだろうし、外部の人間に頼むほうがリスクが少ないからってことだろう?」
「察しがいいですねぇ」

へらへらした顔に戻った鉢屋を前に、首を小さく横に振った。

「断る」
「とにかく時間を稼いでくれればいいんです。我々が援軍率いて小寺家に凸するまでの間だけ」
「そんなめんどくさい御家騒動に巻き込まれるなんて御免だね」

吐き捨てつつ、踵を返して山道を下ろうとした。
こんなもんに巻き込まれている目の前の子どもに同情心が無いわけではないにせよ、私が巻き込まれなきゃならない理由にはならない。バレたら一貫の終わりであろう仕事に飛びつくほど余裕がないわけではないのだ。優秀な私の元には、それなりに仕事もくる。
鉢屋は、嘲笑まじりに「まぁた放棄するんですか、また」となじってきたが、そんなもんを背中に受けたところでどうとも思わない。
悪いが、そういういざこざは、やりたいやつで勝手にやっていればいいのだ。

「あいつも巻き込まれますよ」

鉢屋の張った声が林に響き、思わず足が止まる。

「みょうじなまえも、必ずこの騒動に巻き込まれる」

振り返ると、鉢屋は苦々しげに顔を歪めながらこちらを見据えていた。

「……何でそう言い切れる」
「策略に利用するために嫁に出す大事な娘を、そのまま敵地に放り込むと思いますか?」

ゆっくりとこちらに歩み寄りつつ、鉢屋は崩れた表情を、いつもの飄々としたものに戻していった。

「あいつが姉との入れ替わりに利用される、とでも言いたいのか」
「はい。なんたって、あいつには曲がりなりにも学園で学んだ実力がある」
「信用してるんだな」
「ええ、まあ。友人ですしね」

私の行く手に回り込んだ鉢屋三郎は、ぱ、と顔を明るくし、頭の後ろで手を組んだ。

「あ、それと、報酬はまーまー弾みますよ。たった1日のアルバイトで、ひと月食うに困らない金がガッポリ稼げるんですから」

鉢屋は「どう? 良い話でしょ?」と嘯くように笑った。

「……いつなんだよ、その仕事」

鉢屋を信用するわけではない。
みょうじなまえが巻き込まれるからとか、そんなのも関係ない。
うん、そうだ、金がもらえるから。仕方なくやってやるということだ。武家のいざこざなんて、飯の種にしてナンボだろう。

心の中であれこれ言い訳をしつつ、さっきまで一緒に飯を食いながら、嬉しげに家や里の話をしていた奴の顔が脳裏に浮かんできて、すぐに打ち消した。