『拝啓
やあ、久しぶり。お父さんだよ。
ずっとロクな返事が返せなくてごめんね。とにかく忙しくってね。でも、最近ようやく落ち着いてきたよ。
聞いて驚け、このたび、お父さんと兄さんは戦で戦功を挙げました。仕えている主家の大戦で奮闘した結果、加増もしてもらえちゃいました。やっぱり諦めないで頑張ればいいことがあるねぇ。
と、いうわけで、家の中もぼちぼち落ち着いてきたよ。春のお休みには一度うちに帰ってきてね。
ちょっと頼みたいこともあるので。
じゃ、なまえの帰りを楽しみに待ってます。良い学園生活を。
敬具』(意訳)



季節が巡るのはあっという間で、忍術学園に春がやってきた。
無事に進級試験をパスして、もうすぐ春休み、という折。

「うーん、やっぱり大人しめの色柄が似合うかなぁ。けど前に見た出茂鹿さんの手拭いは明るい色だったし……ね、どう思う?」

店先に並ぶ色とりどりの手拭いを、あれこれ手にとりつつ振り返ってみれば、出茂鹿さん、の顔をした鉢屋三郎がまん丸い目を半分にして、呆れたようにため息をついた。

「なに、そのため息は」
「いや、やっぱりどー考えても男のシュミ悪いよなぁと思ってな」
「うるさいなぁ、わざわざついてきてくれたくせに」

鉢屋の軽口にムッとしながら、再び品物に向き直った。
そもそも、出茂鹿さんへの贈り物を調達しようと町へ出てくる時、「私も行こう」などと突拍子もないことを言い出したのは鉢屋のほうだった。
どういう風の吹き回しだと訝しんではみたが、変装の達人である鉢屋がついてきてくれるのは有り難かった。出茂鹿さんの顔に変装してもらって、その姿にしっくりくる手拭いを選ぶことができるわけだし、こっちとしては万々歳なのだが。

「ねえ、鉢屋はどう思う? こっちの落ち着いた緑と淡めの橙色、どっちがいいかな」
「うーん。こっちの白っぽいのがいいと思うけど」
「え、白? 何で?」
「少しは腹のなか白くしてくださいよって意味」
「イヤミじゃん」

鉢屋は昔から口が達者な奴だ。
入学したての頃から、鉢屋には何かと絡まれることが多かった。ずっと疑問に思っていたが、何と同郷だったらしいことが最近になって発覚した。
と、いうか、6年生への進級試験に無事合格した後に、突然向こうがカミングアウトしてきたのだ。鉢屋は、私が出雲国の出だということを、はじめから知っていたらしかった。
何故ムダに絡んできたのか聞けば「どうせ卒業後は郷里に帰るから、将来のためにコネクトを広げておきたかった」とのことだった。
なるほど、そういう計算があって近づいたのかと少しばかり落胆はしたが、その後すぐに「打算込みで近づいたけど、何か普通に仲良くなってしまったな」などと力なく呟いていたので、拍子抜けした。鉢屋はあれで、案外素直なところがある。
口が達者ではあれど、嫌なやつではないので、もう随分長いこと友人として過ごしてきた。

「ていうか、こういうのは本人に聞くのが一番だと思うけどな。助けてくれたお礼ってことなんだろう?」
「だって出茂鹿さん、冬にうどん食べに来てくれたっきり学園に来ないし……友達くらいにはなれたと思ったのに」
「友達? 何だそりゃ」

出茂鹿さん、の顔をした鉢屋は、片眉を訝しげに吊り上げた。

「友達くらいにはなれませんかって言ったら、いいんじゃないって言ってくれた」
「へ〜良かったね」
「聞いといて関心ゼロじゃん……」
「いや、関心はあるぞ。嫌味・意地悪・高慢ちきの三拍子が揃った、あの出茂鹿さんに友達ができるなんてな。そうあることじゃないだろう」
「何でみんな出茂鹿さんのことになると辛辣になるの〜……」

確かに、嫌味なところがあるのは分からなくもないんだけど、出茂鹿さんの嫌われようは聞いているこっちが悲しくなる。
学園の中で出茂鹿さんの話題を出すと、みんなして顔を顰めるのだ。
この間なんて、乱太郎、きり丸、しんべエたちに出茂鹿さんが助けてくれた時の話をしたら「油断してると、みょうじ先輩まで出茂鹿さんの毒牙にかかっちゃいますよ!」「出茂鹿のやつ、まーた何か企んでやがるな」「簡単に信用しちゃダメですよぉ!」などと言われた。酷い言われようすぎてちょっと泣けた。
自信満々な態度は高慢ともとれるのかもしれないけど、それでも私にとっては命の恩人で、忘れられない言葉をくれた人で。
正直に言ってしまえば、私は出茂鹿さんを慕っている。
と、いうことを知られたら、またやいのやいの言われると思うので、この気持ちは誰にも打ち明けていない。まあ、鉢屋にはバレてそうだけど。

「はあ、この贈り物もいつ渡せるのやら」
「さあなぁ……あ、きたきた」

店先に並ぶ手拭いを手にとり、うんうん唸りながら悩んでいると、不意に鉢屋が明るい声を上げた。
来たって、何が。
思いながら、鉢屋の視線を追いかけるように振り返ると、正真正銘、本物の出茂鹿さんがこちらに向かって歩いてきていた。

「え」
「あ……? みょうじ!?」

目が合うなり私の名を叫び、ぎょっとしたように目を丸くした出茂鹿さんは、横にいる出茂鹿さん、の顔をした鉢屋と私の顔との間に視線を泳がせつつ、困惑しながらもすぐさまこちらへ駆けてきた。

「おい、お前……鉢屋三郎だろう。私の顔するのやめろよ」

やってくるなり、不愉快そうに顔を顰めた出茂鹿さんが話しかけたのは鉢屋だった。
ちょっと悔しいような気もしたが、それより何で出茂鹿さんがここにいるのか。偶然にしては出来すぎている。

「はいはい。出茂鹿さん本人が来てくれれば、私はお役御免ですしね、っと」

軽い調子で言いながら、ぱ、といつもの不破雷蔵の顔になった鉢屋は「やっぱり雷蔵の顔は落ち着くなぁ」などと呑気にのたまっている。
と、いうか。さっき、こいつは「きたきた」などと言っていた。つまり、鉢屋には出茂鹿さんがここに来ることが分かっていたのでは。

「あの、何で出茂鹿さんがここに……?」
「出茂鹿ではない、出茂、鹿之介だ」
「私が呼んだからな」

もはや挨拶のようになっているツッコミを御丁寧に繰り出す出茂鹿さんと、けろりとした鉢屋の声が重なった。

「え、よ、呼んだ? 何で?」
「いや、小松田さんが出茂鹿さんの連絡先知ってるらしいって聞いて。みょうじも出茂鹿さん本人が来てくれたほうが良いかと思ったんだが」
「いや……そりゃ嬉しいけども……」
「だろ?」
「おい、何の用なんだよ。私だって暇じゃないんだぞ」

得意げな鉢屋の顔をポカンと見ているばかりだった私は、不機嫌そうな出茂鹿さんの声にようやくはっとした。

「あの、私、出茂鹿さんに」
「だから! 出茂、鹿之介!」
「は、はい。出茂、鹿之介さんに贈り物をしたいと思っていて、その、選んでいたところで……」
「そういうことみたいですよ。じゃ、私は先に帰りますんで」

鉢屋は飄々とした笑顔で言うと、「ごゆっくり」などとにやにやしながら片手をひょいと上げてみせた。

「え、鉢屋帰っちゃうの?」
「デートの邪魔するような無粋な男じゃないんでねえ」
「でえと」

トンデモ言葉に分かりやすく固まった私を置いて、鉢屋はスタコラサッサと効果音でも見えてきそうな軽い足取りで、軽快に去っていってしまった。
待って、急に二人にしないで、と、失礼に当たりそうなことを口には出さないまでも、中途半端に伸ばした手は宙ぶらりんになったまま行き場がなくなってしまった。
そんな私の様子を横目に、出茂鹿さんは退屈そうにあくび混じりの声を上げた。

「私のほうが邪魔だったんじゃないの」
「え!?」
「鉢屋三郎ときみ、良い仲なんじゃないのか」
「えええ、違います違います」

ぶんぶんと音がしそうな勢いで首と手とを横に振りまくった。何かとんでもない勘違いをされているらしい。

「友達としては仲良いですけど、そういうんじゃ全然、絶対ないです」
「へーそう」

人のプライベートなところに突っ込んできたかと思えば、返事はすっかり素っ気ない出茂鹿さんを前に、力みがちだった肩からもしおしおと力が抜けた。もう少し興味を持ってもらえたらなぁ、などと考えてしまうのも、子どものワガママみたいで恥ずかしかった。
出茂鹿さんは、こちらの気持ちに気づいているのだろうか。
冬、出茂鹿さんが学園に来た時、わざわざ手紙を置いていってくれたのは何でなんだろうか。
少しはこちらのことを気にかけてくれていると、思ってもいいのだろうか。
あれこれ悶々としながらも、せっかく出茂鹿さんに会えたんだから、と明るいほうへ気持ちの軌道修正をした。久しぶりに顔を見て、声を聞けたことで、ふつふつと湧き上がってくる喜びを、今は素直に噛みしめることにしようではないか。

「で、さっき私に贈り物云々って言ってなかった?」
「あ、そうなんです! 追試の時、助けてくださった御礼にと思って……」

と、本人を目の前にしてみて思ったが、贈り物に手拭いというのはいかがなものだろうか。忍びとして実用的ではあるものの、面白みには欠ける気がする。
出茂鹿さんの収入がどの程度のものなのかがまず分からないし、手拭い程度のものじゃ喜んでもらえないかもしれない。
とはいえ、私自身も自由に使えるお金が多くあるわけではないので、高価なものを買うことはできないし。

「くれるっていうんなら有り難く頂くけど」
「え、本当ですか?」

こちらの不安を見透かしたようなタイミングで、出茂鹿さんはさらりと言いつつ、店先に並ぶ品物を横目でちらりと見下ろした。

「手拭いか。実用的でいいな」
「本当ですか? 良かったぁ。出茂鹿……之介さんは、どれがいいですか?」

色とりどりの手拭いを品定めする出茂鹿さんは、少しもしないうちに、迷いなく一つの手拭いに手を伸ばした。

「これだな」
「あ、淡い橙色のですね。私もこれ、出茂し……かのすけさんに似合うような気がしてました」
「さっきからぎこちないなぁもう」

むっすりとした声を上げた出茂鹿さんを「まあまあ」と宥め、手拭いを受け取る。お店の人に声をかけ、お代を手渡した。
人が集まってきた店先から離れ、たった今買ったばかりの手拭いを両手で差し出した。

「それじゃあ、改めて……ありがとうございました」
「別に、優秀な私にしてみれば、あんなの大したことじゃなかったしね」

こともなげに言ってのけた出茂鹿さんは、受け取った手拭いを懐へしまい込むなり「じゃ、もう用は済んだな」とあっさり言い放った。

「え」

明らかに狼狽の色が滲んでいるであろうこちらの様子など意に介さず、出茂鹿さんは平気な顔をしている。
今にも「じゃあね」などと手を振り、去っていってしまいそうな出茂鹿さんと、私はもっと話がしたい。出茂鹿さんに会えない間も、次に会った時はこの話をしよう、とか、考えていたんだ。
でも、それをそのまま伝えるなんて、恥ずかしいことは到底できない。だって、それでいよいよ出茂鹿さんに私の気持ちがまるごと伝わってしまったら、恥ずかしくてもう二度と出茂鹿さんの顔を見られなくなってしまいそうだ。
どうしよう、どうしようと焦るばかりな私の頭と、躊躇ばかりする口の代わりみたいに、ぐう、と腹の音が鳴った。

「あ、はは……」

最悪なタイミングで盛大に鳴いた腹を慌てて抑え、引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
本当、何で今なんだ。出茂鹿さんにみっともないところを……すでに、いくらか見られてはいるが、よりにもよって空腹の腹の音を聞かれるって。恥ずかしいことこの上ない。
その音をばっちり聞き留めていたらしい出茂鹿さんは、わざとらしく声に出してため息をついた。

「はあ、腹の虫で呼びとめるって。きみ本当にくノ一のたまごか?」
「ご、ごもっとも〜……」

泣き出しそうに湿った声で返事をすると、出茂鹿さんは再び特大のため息を吐き出した。
もう勘弁してください、と心の中を涙の洪水でびしゃびしゃにしながら項垂れていると、小さく吹き出したような声が漏れ聞こえた気がした。小馬鹿にされたのか、面白がられているのかは分からなかった。

「仕方ないな。うどんでも食いに行くか」
「! は、はい!」

予想もしていなかった言葉に、二つ返事で飛びついた。思い切り顔をあげると、出茂鹿さんは呆れたように、眉の端を下げて笑っていた。子どもっぽいと思われているのかもしれない。
何はともあれ、まだ出茂鹿さんとさよならしなくて済むのだから、私にとっては自分の思うようにことが運んだことになる。万々歳だ。あれ、これって吸心の術なのでは。
などと考えながら、美味しいお店を知っているといいう出茂鹿さんの後をついていき、店の暖簾をくぐった。

「私は山菜うどんで」
「あ、私はきつねでお願いします」

二人掛けの席に向かい合わせで腰を下ろし、注文を伝えて息をついた。客入りは良いようで、私たちが席につくと、店内は満席になった。

「出茂鹿……鹿之介さんは、山菜うどんが好きなんですか?」
「まあね」

淡白な返事をして、出茂鹿さんは先に出てきたお茶を静かに啜った。

「きみは揚げが好きなんだな」
「え、あ、はい」

唐突に投げかけられた言葉に、まごつきながらぎこちなく答えた。ひょっとして、以前うどんを振る舞ったときのことを覚えていたのだろうか。
少しでも、こちらに関心を持ってくれていると、思ってもいいのだろうか?

「あっ、そうだ! 以前、で……鹿之介さんが学園に来てくださった時、私の家がゴタゴタしてたって話しましたよね」
「ああ、そうだったね」

ついつい弾む声色を隠せず、そのままうきうきと話し始めると、出茂鹿さんはやはり淡々と、しかししっかりと返事をしてくれた。

「あれがですね、ひと段落したんです!」
「へえ、良かったな」
「はい! 父と兄が戦で手柄を上げたんですよ、それで加増までされて」
「へえー、やるな」
「はい。それで、仕えるべき主君を巡ってゴタゴタしてた家中もようやく落ち着いて」
「なるほど、面倒ごとからは解放されたのか。良かったな」
「はい!」

顔中に広がる笑みをそのままに、大きく頷いた。
短い言葉できびきびと回っていく会話は心地良い。出茂鹿さんとのやりとりは、あっさりしているけれど、むしろ肩肘張らずにいられて気が楽だった。
話がちょうどひと段落した時、お店のおじさんがうどん二つを持ってやってきた。卓上に碗が置かれた途端、白い湯気と共に出汁の香りがふくれ上がってくる。
箸を手に取り、いただきますと手を合わせて、さっそく麺を啜った。コシのある麺が、口の中でもちもちと反発する。しっかり満腹になれそうな食べ応えだった。

「きみ、国はどこなんだっけ?」

はふはふしながらうどんを食べていた出茂鹿さんが、さっきの話の続きのように口を開いた。ああ、やっぱり多少は興味を持ってもらえているのか、などと嬉しくなりながら「出雲です」と答える。
何も不思議なことは言っていないのだが、出茂鹿さんは大袈裟なくらいに噎せ返り、まだ熱いはずのお茶を思い切り煽った。

「いっ、出雲ぉ〜!?」
「えっ、ハイ……何をそんなに驚くことが……」

言いかけて、一つ思い当たる。

「あ、ひょっとして出茂鹿さんも」
「出茂、鹿之介だ」
「……出茂、鹿之介さんも出雲の出なんですか?」
「まあな」

まさか、同郷だったとは。
驚きのあまり目を見開いたが、当の出茂鹿さんはすっかり平時の落ち着きを取り戻し、今度はゆるやかな動作で茶を啜った。
「今さら隠すこともないし、いいか」と独りごちながら、出茂鹿さんはおもむろに口を開いた。

「私の名な、出茂。『いずる』に『しげる』と書く。これを元はいずもと読ませていた……訳あって今はそう名乗れないけどね。要は、土着の者だったんだよ」
「そうだったんですか……」
「家では色々あったが、まあ私は幼いころから優秀だったからね。今はこうしてフリーで十分やっていけているってわけだ」
「そ、そうですか」

しっかりちゃっかり自慢話を混ぜてくるあたり、流石出茂鹿さんだ。
などと妙なところで感心しつつ、揚げを箸でつまみ上げる。出汁をしっかり吸っていて、口に入れると魚介の旨味が舌の上に溶け出した。
そうして地元の話にあれこれと花を咲かせながらうどんを食べ終え、勘定を済ませて店を出た。まだ日は高く、街道には人の往来も多いようだった。

「じゃ、仕事もあるし、私は行くけど」
「はい! たくさんお話できて良かったです、ありがとうございました」
「別に、礼を言われるようなことしてないと思うんだけど」

天邪鬼なことを言って、出茂鹿さんは思い出したように「ああ、手拭いありがとな」と言い添えた。

「じゃあね、またそのうち」
「はい! また、必ず!」

「また」という言葉が嬉しくて、大きく手を振りながら出茂鹿さんを見送った。去り際に片手で軽く応えてくれた出茂鹿さんは、そのまま振り向きもしないで行ってしまった。
「また会おう」の約束がいつ、どこになるのかは見当もつかないけれど、その約束だけで、今はもう十分だと思った。