焼かれた小枝が軋むような、ぱちぱちという小さな音が心地よく耳に馴染む。

私が生まれ育った屋敷の庭は、矢竹や小さな櫓、厩など、武家として必要最低限のものが細々揃っている程度の、こざっぱりとしたものだった。
そんな庭先で、細く煙が立ち昇っている。見上げれば天を突き抜けるように深い青が広がる、澄んだ秋晴れの日のことだ。
乾いた小枝、赤や黄色の落ち葉をかき集め、父が火を焚いている。仮にも当主である父が、手や袖を土埃で汚しながら何かを焼いているらしかった。
まだちんちくりんな私は、その様子を不思議そうに覗き込む。

「何をされているのですか?」
「茸をね、焼こうと思って」
「何で?」
「美味しくなるんじゃないかなぁって思って」

私は、父に似ている。
周りからもしょっちゅう言われていたことだ。顔立ちも、ぼんやりとした、その中身も。
人に言われ、改めて見上げたその横顔に、脈々と受け継がれてきた自身の家の血という繋がりを初めて意識したものだ。

焼き茸という訳のわからない実験をしている父の隣に腰を下ろし、見れば確かに、先っぽに茸が刺さった木の枝が焚き火をぐるりと囲むように並んでいた。茸は大小さまざまで、私が嫌いな味のものもいくつか並んでいる。

「本当に、おいしくなるのですか?」
「んー、どうかなぁ。やってみないと分からない」
「マズイかもしれませんよ」
「それも、やってみないと分からない」

ホラ、と差し出されたのは、今の今まで焼かれていた、茸が刺さった木の枝だ。
受け取ったそれを口に入れようとしたが、上唇にちょっと触れただけで、肩が跳ねるほどに熱い。舌がびっくりしているのを感じながらふうふう冷まし、おそるおそる口に入れてみる。
それはやっぱり熱くて、舌にちょっぴり火傷をした。けれど茸は、奥歯でもきゅもきゅと、噛めば噛むほどじんわりと味や香りが染み出してきた。焼いたおかげか独特の土臭さも消え、わずかな甘みが口いっぱいに広がっていく。

「おいしいです!」

落ちそうな頬をぎゅっと抑え、満面の笑みを浮かべる私を見た父上は、私とよく似た顔で、やはり私と同じように目尻を下げた。

「ね、やってみて良かったでしょう」



やって良かったのか、分からぬことばかりだ。

追試験とはいえ、重要な仕事を引き受けて良かったのか。
他の人質に情けをかけて良かったのか。
あそこで自分だけ逃げていたら、こんなことにはならなかったのではないか。
追っ手と戦っていたら、勝てたかもしれない。
出茂鹿さんを、関係ない人を巻き込まずに済んだかもしれない。

重たい自責が脳裏に溢れて、溢れ返って、固く閉じていた瞼がゆっくりこじ開けられていく。

「……うわあ!?」
「お、目が覚めたか」

勢い任せに飛び起きて、辺りを見回す。
林の中の、少し拓けた土の上で横になっていたらしい。頭の下には黄緑色の生地に桃色の輪っか模様が施された、なんだか可愛らしい手ぬぐいらしきものが敷かれている。
落ち葉や枝を燃した焚き火のおかげか、少し湿っぽい体もそこまで冷えていない。

「とんだじゃじゃ馬姫だな、みょうじなまえ殿」

焚き火を挟んだ向こう側には、じっとりと睨みをきかせる。

「出茂鹿さん……」
「出茂、鹿之介!!」
「良かった……良かった、ご無事で……」

詰めていた息を一気に吐き出すみたいにして、安堵のため息を吐く。力が抜けて倒れ込みそうになる体をなんとか支えようと、乾いた土の上で固く拳を握りしめた。

「あのなぁ、お前、人の心配するような状態じゃないだろう」
「はは、そうですね……」
「笑ってる場合か。あのな、全部忍術学園の山本シナ先生に聞いたぞ」
「シナ先生、やっぱり来てくださったんですね……」
「ああ、私がお前を海から引き揚げた時には忍術学園の先生方がいらっしゃっていた。ついでに追っ手を追っ払ってくださったんだ」

やっぱり、意識を失いかけた時に見た人影は出茂鹿さんだったのだ。

「ありがとうございます……ごめんなさい、命に関わるようなことに巻き込んで、こんな……ご迷惑をおかけして……」

自責の念に押し潰されるみたいに項垂れることしか出来なかった。
雨粒が地面に染みていくみたいに、自分の湿っぽく弱り切った声が地に落ちていくのが分かる。情けなさと悔しさとで息が詰まり、握り締めた拳の中に爪が食い込んだ。

「忍びってのはそういうものだろう」

きっぱりとした物言いに、思わず顔をあげる。が、そのすぐ後に続いた言葉が「まったく、早く忍術学園の事務員になってしまいたいものだよ」だったので、ちょっと笑ってしまった。なるほど、出茂鹿さんは忍びという職に対してわりと保守的な方らしい。
そんな方が、姫だと正体を偽っていたとはいえ、みんなを逃がすために力を尽くしてくれたのだ。

「出茂鹿さんってお優しいんですね……意外と」
「意外とって何だ! あと出茂鹿之介! 何べんも言わすな!」
「す、すみません。出茂、鹿之介さん」
「よーしよし、それでいいんだよ。さ、そろそろ日も落ち始めるし、忍術学園へ行くぞ」

焚き火に土をかけて火を消し、二人で立ち上がる。
たしかに、まだ落ち武者狩りなんかがいないとも限らない。火をつけ続けるのは自分たちの居場所を見つけてくれと言っているようなもの。リスクが大きすぎるのだ。体もあらかた乾いてきたし、早く帰路につくに越したことはないだろう。
でも、しかし、だ。

「出茂鹿之介さん、あの……」
「先生方からきみを任されている。きみを危険な目には合わせてしまったが……まあとにかく、今課せられている、きみを送っていくという任務を無事遂行し、学園長先生に少しでもアピールをするのだ」
「ね、ちょ、出茂鹿之介さん」
「いずれ小松田秀作のヤツから事務員の座を奪い、必ずや正職員としての道を歩むぞ〜私は」
「出茂鹿さん」
「出茂鹿之介な。なんだよ?」
「あ、足がちょっと……」
「あ?」

立ち上がってみて、右足に鈍い違和感があるのを感じた。いつだかは全く記憶にないのだが、捻っていたらしい。ランナーズハイってやつだろう、必死に逃げていた時にやっていたようだ。
どれ、としゃがんで私の右足を看た出茂鹿さんは、ちょっと大袈裟なくらい顔をしかめた。

「うわぁ、とんでもなく腫れちゃってるぞ」
「ちょっと待ってください、包帯とかで固定すれば歩けるかもしれないので……」

懐を漁って手ぬぐいを取り出し、包帯状に細く引き裂く。赤黒く腫れた右足は触れると熱を持っていて、確かにとんでもない。
多少の痛みは我慢して、歩いても足首が動かないようぐるぐる巻きにしていく。以前、保健委員会の善法寺先輩にやってもらったことがあるけど、なかなか難しいものだ。あの時のように上手くいく気配が全然ない。
しばらく格闘して、なんとか固定は出来たものの少し不恰好だ。

「すみません、お待たせしました」
「で、歩けるのか」
「……うん、ギリいけます」

試しに少し歩いてみれば、ちょっと尾っこ引いて歩くような形にはなるが、多分いけなくはない。
さぁ行きましょうと、足を進めたが、後ろから出茂鹿さんがついてくる気配はない。不思議に思い振り返ると、何でか眉間に皺を寄せ、私をじっとりと睨んでいる。
かと思えば、出茂鹿さんは私の前方にさっと回り込み、背を向けてしゃがみ込んだ。

「乗れ」
「え」
「え、じゃない。私は早く帰りたいんだ」
「でも」
「それに怪我した生徒をおぶっていったほうが先生方からの心象も良いだろ」
「だ、打算的……」
「いいから早くしろ」

しかめっ面を隠そうともしない出茂鹿さんの背中に乗っかって、そっと首に腕を回す。

「重くないですか?」
「この私がこれくらいで音をあげると思うか?」

さっさと立ち上がり歩き出した出茂鹿さんは、言葉の通り颯爽と歩いていく。たしかに、これなら私のペースに合わせるより早く学園に着くだろう。

ふいに降りてきた沈黙の中、葉の擦れる寂しげな響きや、甲高い鳥の鳴き声ばかりが耳をつく。
そう、私たちは、今日が初対面だ。私は風の噂程度ではあるが出茂鹿さんを知っていた。けど、出茂鹿さんにしてみれば、私は何の関わりもない、ただの小娘に過ぎないわけで。特別話したいこともなければ、話題が見つかるわけもない。
出茂鹿さんの元結をぼんやり見つめるくらいしかすることのない私は、天気の話でもするかと口を開きかけた。

が、先に言葉を発したのは、仏頂面でひたすら足を前に進める出茂鹿さんだった。

「お前、追試験だったんだろう」
「はい、なんだか想像以上にしっちゃかめっちゃかになりましたけど……」
「あの時、他の連中なんてほっといて逃げていたほうが評価されたと思うぞ」
「……ですよね」

放り投げられた言葉が胸の奥底に沈んでいき、じわりじわりと心を歪めていく。
私の諦めの悪さが仇となって迷惑をかけられているわけだから、出茂鹿さんのおっしゃることはもっともなことだ。
だが、私には、やってみないと分からない、という思いが捨てられない。これは父上の教えだ。

「……出茂鹿さんが羨ましいです」
「ん? まぁそりゃあ、私は優秀だからな。羨ましくないわけがないだろう」
「あ、イヤそうではなく」
「イヤってお前……」
「見切りをつけられる人、引き際を見極められる人だから……私には、それがない」

出茂鹿さんは初めから、大人数で逃げたところでどうなるかは目に見えていたのだ。それはきっと経験によるもので、今の私がどんなに頑張っても得られないものだ。
リスクを避ける合理主義的な出茂鹿さんが、今までどんな仕事をしてきたのかは分からない。けれど、今回のように戦中をくぐり抜けてきたこともあるのだろう。大勢を相手に刀を振るう様は、見るからに手慣れていた。
諦めずに頑張る、と口で言うのは容易いことだ。が、見込みのない、根拠もないそれは、ただの無謀だ。
私の諦めの悪さは、明らかに無謀だった。

尊敬する父上の背中を追うようになったのは、私と父上が似ていると、初めて言われた時からだ。父上の、教養に溢れ、しかし大らかなその姿が私の目指すべきところであると、今でも思っている。
しかし、それとは裏腹に、忍術学園に入って分かったことがある。私たちが今いるこの世の中は、綺麗事だけでは生きていけない世界なのだという極めてシンプルな事実だ。
今、父上の大らかさは明らかに裏目に出ている。みょうじ家が仕えている主家は、いま大軍勢を相手に戦をしていて、果たしてこのまま敗色濃厚な主に仕え続けていても良いのか、という疑問の声が家中から頻繁に上がっているらしかった。家中がそんな状況でも、父は『主人を裏切る真似はできない』と笑っているのだという。そんな父に対する疑念の声が少しずつ増えているらしく、我が家は果たしてどうなってしまうのか。まるで分かりかねる。
父上のようになりたい。けれど、それで私は、生きていけるのだろうか。
いつからか、ずっと自分に問いかけ続けている。

「諦めない心、というのは希望だ」

とても小さな、ひとりごとを呟くみたいな声だった。

「希望?」
「……受け売りだ、私の言葉じゃない」
「希望、か……」
「ああ。お前も私にはないものを持っているだろう。ま、私は別にお前を羨ましいとは思わないけどな」

余計な一言には目を瞑る。
結局、何ごとも持ちつ持たれつだということだろうか。

やってみなければ分からない。
父上の言葉に背中を押されてここまできた私は、新たに誰かと出会わなければならなかったのかもしれない。
自分の進んでいる道が正しいのか、ずっと分からなかった。先の見えない、暗い抜け道のような私の一人問答に、出口の光を与えてくれたのは、この人の言葉だ。
受け売りとはいえ、私に言葉をくれたのは、紛れもなく出茂鹿さんなんだ。
私の救出に出茂鹿さんが来た、その意味が、なんとなく分かったような気がした。

「みょうじ、お前は生きていける人間だ」
「うん……」

ほとんど声になっていない返事で、溢れかけた涙を押し返す。
散々な目にあった所為もあり、心がくしゃくしゃになって、弱ってしまっているらしい。出茂鹿さんの背中の温かさが、幼い頃、父上に背負われた時のことを思い出させて、余計に胸が苦しくなる。
私は生きていける。
その一言だけで、私という一人の人間が、まるごと全部救われたような気がしていた。

「しかし、お前もまだまだだなぁ。初めは騙されたが、石をぶん投げる姫様がいるか?」
「うう〜……」
「あとな、岩を海に落として水遁の術をしようとしたんだろうが、あれはタイミングを考えなければ意味がないぞ」
「はぁい……」
「とはいえ投石のフォームは筋がいい、手裏剣の腕もそれなりなんだろう。私には及ばないだろうが、まぁ励めよ」
「はい!」

あれやこれやと細かなところまで指摘し尽くされる頃には、忍術学園の扉が見えてきていた。日が完璧に落ちる、ギリギリのラインだ。学園へと続く道は沈みかけた夕陽で赤く染まり、私たちの影は細く長く伸びている。

「おっと、そうだ」
「ん?」
「お前こういうのいらない?」

出茂鹿さんが、背中の私を支えながら片手でごそごそと懐を漁った。手渡されたそれは、手に馴染むような滑らかさのある上物の桐の箱だ。開けろと促され、言われるがままに蓋を開けてみる。
飴色に鈍く光るべっ甲細工の櫛が、大きな箱の中に敷かれた真綿の真ん中にちょこんと鎮座していた。

「姫様が学園長先生のお知り合いなら、口添えを頼むための賄賂にと思ったんだが……結局本物の姫には会えず終いだ、あげるよ」
「え、いいんですか?」
「私が持っていても仕方ないものだろ」
「……あげるような相手いないんですか?」
「きみさぁ、そういうことは本人を前に言うもんじゃないぞ」
「す、すいません」
「いらないならやらん」
「え! いります、いります!」

慌てて箱の蓋を閉め、自分の懐にしまい込んだ。
これ、質にでも入れれば、元は取れなくともそれなりのお金になったんじゃないかな。
言ってあげれば良かったんだろうけど、私はこれを、どうしても返したくないような気持ちになっていた。これが上等な櫛じゃなくて、箱の中身が空っぽだろうが、ただの紙切れ一枚だったとしても、私は多分、宝物を独り占めする子供みたいに、それを懐にしまい込んだと思う。

「さ、入るぞ」
「はい、出茂鹿さん」
「おい」
「はは、鹿之介さん、ですね」

きっちり、その名前を言い直せば、出茂鹿さんはなんだか眩しそうに数回、瞬きをした。それから大きな瞳がふっと、柔らかく緩んだような気がする。

また会いに来てくださいねと言えば、どんな顔をするだろうか? 助けてくれた、櫛をくれた、そのお礼がしたいとか、理由は探せばいくらでもある。なにか、そんな理由をつけてまで、私はまたこの人に会いたいと思っている。
帰路をゆく最中、鼻孔をくすぐり続けていた汗や土埃の匂い、背中の温もり、甘やかな響きのある声。
多分、私は今日という日をずっと忘れずに生きていく。根拠はないが、この人がくれた言葉に背中を押されて、私は生きていく。そんな、希望のような予感が心に満ちていた。

これまで生きてきた中で一番長い一日だった。それと同時に、満ち足りた一日でもあった。
言葉にはせず、首に回している腕に、少しだけ力を入れてみた。