※鶴丸視点
※鶴丸は前任審神者時代に極めてる
※若干極ネタバレあります



「よっ。何ぼーっとしてるんだ」

極める前の姿の自分に、顔を覗き込きこまれた。
屋根の上に寝転ぶ自分の顔を、真っ白い太陽を背負った真っ白い鶴丸国永が見下ろしているのだ。眩しさに思わず目を細めながら、しかめ面で体を起こす。

「また俺か」
「そうだな、また俺だ」

極める前の鶴丸国永は、けらけらと軽い調子で笑った。

近侍の期間を終えて以来、夢の中で時折こうして昔の自分に会うようになった。
極める前の姿の自分は、何事か話してはいつの間にか姿をくらます。だが目を覚ますと、肝心の話の内容は綺麗さっぱり忘れてしまっている。覚えているのは、極める前の自分と向き合う、その映像だけ。視覚から得た情報だけが頭に残って、それ以外はすっかり抜け落ちてしまう。
こいつはいつも、俺と何を話しているのだろうか。
変え難い現実を、心と、体で受け止める前の自分は、俺に何を言いにきているのか。

「……きみは俺に、何か言いたいことでもあるのか?」
「言いたいこと、ってよりは聞きたいことがある」

極める前の鶴丸は、どっこいしょと年寄りくさい声を上げながら、俺のすぐ隣に腰掛けた。

「あの人のことをどう思ってた?」

あっけらかんとした笑顔で問われて、本当にこのデリカシーのない俺は俺なのか、と一瞬考えたが、その遠慮のなさは俺なんだろうな、とすぐに思い直した。
あの人のことをどう思っていたか。

あの人、というのが前任のことだと、すぐに分かってしまった。俺が俺に問いかけるならば、それ以外に無いと思った。
一番すんなり答えが浮かぶ問いで、かつ一番口が重たくなる問いだった。
目線を少し隣にずらせば、答えを今か今かと待つ鶴丸国永の、きんきらきんな期待のまなざしを思い切り浴びてしまった。こんな質問を投げつけておいて、何て澄んだ目をしてやがるんだ。

いや、違うか。
こんな質問だから、答えが待ち遠しいのか。

「好きだった」

感触を確かめるように、ゆっくりと言葉にする。

「好きだったよ、ずっと一緒にいられると思ってた」
「そうか……」

伝わっているのかいないのか、鶴丸は神妙な面持ちで空を見上げた。刷毛で適当に伸ばしたような雲が散らばる、ほとんど晴天の空だった。

ずっとなんてもんは無いと、頭では分かっていた。ただ、心が追いついていかなかった。
ただそれだけのことだった。
時折、一度は冷め切った水が何の前触れもなくボコボコと沸騰するみたいに、「整理がついた」と思っていた感情が突如として湧き上がってくることがある。
「もう少しだけでも一緒にいたかった」だとか、そういうやるせない悲しみとか。
自分の周りで何事かが変わろうと、きっと変わらないものがある。それは捨ててしまえば楽になるが、捨てようにも捨てられない。捨てる気もさらさら無くて、じゃあ自ら苦しんでいるのかというと、まあそうとしか言えない。
だが、多分移り変わるなにかを受け入れることで、そういう苦しみも少しだけ和らぐことがある。と、思う。それは自分が、身をもって体験したことだ。

この極前の鶴丸国永は、ひょっとすると、どこかへ置いてきてしまった自分の心の象徴のようなものなのかもしれない。
あの子と話をしたことで、心がようやく追いついてきたと、そういうことなのかもしれなかった。

「なあ、もうひとつ聞いていいか?」

極める前の鶴丸は、足を崩して胡座をかきながら明るい声を出した。

「何故俺は、人に驚きを届けるんだろうな」
「またずいぶん飛躍したな」

苦笑いで応えて、唐突な問いの答えを探すみたいに視線を青空へ放った。
俺は、かつての主たちが命をかけて得ようとして、それでも得られなかった平穏の、その裏返しみたいに驚きを求めている。それと同時に、人に驚きを与えることを喜んでいる。

「驚きってのは平穏あってこそだ。そして、驚きは人……」

瞼を下ろすと、その裏側に二十年余を共に過ごした人の顔が、うっすらと蘇ってくる。

「限りある命ありき、なんだよな……」

膨大な数の生命が息づくこの世界で、人の寿命が長いか短いかでいったら、多分中間くらいなんじゃないだろうか。いや、中の下くらいかもしれない。俺たちにも一応は寿命はあって、それに比べれば随分と短いと思う。
短いからこそ、人はその命が続くうちの平穏を求める。平穏な世あればこそ、人は驚きに心弾ませ、愉快に笑うことができる。

「簡単な話だ。俺は多分、いつだって人に笑っててほしかった」
「なるほど。限りある命、か……」

そう言って、極め前の鶴丸は、ほんの少しだけ目を細めた。

俺は、あの人が生きた時間を、白く照らせたのだろうか。
その答えは、これから先ずっと得られないのかもしれない。答えを聞きたくても、聞けないところに行ってしまったから。
これから先、俺はずっと苦しい。どれだけ時間が過ぎても冷めることのない感情を抱いたまま生きていくしか、道はないのだ。

訳知り顔でうんうん頷く鶴丸国永は、なるほどなぁ、と感心したように呟いた。

「よし、色々答えてもらった礼だ! 俺からもひとついいことを教えてやろう」

ばしん、と元気に膝を叩いた鶴丸は、勢いに任せて立ち上がった。
そのまま真っ白い背をこちらに向け、屋根の傾斜をゆっくり下っていく。

「きみの時間は生きてる」

一歩一歩、屋根瓦のぼこぼこした感触を楽しむようにゆっくりと歩む鶴丸が、殊の外しずかな声で言った。

「あの子の時間も、ここにいる奴らの時間もだ」

分かってる。
分かってるんだ、そんなことは。

「生きてるってのはなぁ、それだけで、サイッコーなことなんだぜ!」

屋根の縁までたどり着いた鶴丸は、片足軸で器用に半回転し、振り向きざまに歯を見せて笑ってみせた。

「そうか」

自分はこんな笑い方をするんだっけか、と、なんとなく気が抜けたようになった。

「そうだよなぁ」

気が抜けて、言葉尻に半端ながら笑いが混じった。
目の前の鶴丸国永は「そうとも!」と声を弾ませ、グッ、と親指を立てた。

「よし、じゃあな。グッドラック、だ!」

そう言い残し、鶴丸国永は舞でも披露するみたいに両手を思い切りよく広げるやいなや、背中から屋根の下めがけてダイブした。

「は」

一瞬遅れて、慌てて屋根の端へ寄り、その下を覗き見た。
そこにはすでに鶴丸国永の姿は無く、土の地面が広がるばかりだった。

「はは、こりゃ驚きだ……」

知らず知らずのうちに腹の底から湧いてきた笑いを堪えきれず、へろへろとその場に尻をついた。
じわじわと身体中に広がっていくみたいな、ゆるい笑いがしばらく止まらず、あれはやっぱりどう考えても「俺」だったのだという、優しい手触りの確信を得た。



目が覚めても、不思議と今日見た夢のことは覚えていた。

『生きてるってのはなぁ』

自分と同じ声が言うのを、頭の中ではっきりとリピート再生できる。親指をまっすぐに立てて屋根からダイブする『鶴丸国永』の姿も、何度も繰り返し見たドラマの一場面みたいに思い出すことができた。
白い光で目が眩むような夢を見て、しかし目覚めは案外すっきりとしていた。

まだ寝ている同室たちを起こさないよう、さっと身支度を整え、厨へ向かった。

「お、ちゃんと起きたな日本号」
「まあな」

厨では、先にやってきた日本号が待ち構えていた。

「昔はしょっちゅう遅刻してたのにな」
「さすがに朝飯当番前日の深酒はもうしねぇよ」
「成長したなぁ」
「ジジくせーこと言うなよ」

駄弁りながら、まな板やら鍋やらを引っ張りだし、調理台の上に揃えていく。
冷蔵庫の中を確認すると、昨日の晩の残りの野菜炒めが残っていた。具はニンジン、ピーマン、キャベツと玉ねぎ、少し肉。芋でも蒸して具を足して、卵と混ぜて焼けばいいだろう。

「一品はオムレツで良さそうだぜ。あとはテキトーにレタスちぎってサラダにしよう」
「よし。じゃああとは汁物か」
「そっちは日本号に任せるぞ、俺は卵を割って割って割りまくる」
「卵割りたいだけだろ」

日本号の律儀なツッコミにけらけら笑いながら、流しの上に据え付けられた棚から業務用のでかいボウルを2つ取り出した。あの子がやってきて、刀の数が増えてから買い足したものだった。

「なあ日本号、聞いていいか」
「なんだぁ」
「きみ、こないだあの子と口吸いしてなかったか?」

パントリーの上部から何かを取り出そうとしていた日本号は、どんがらがらがっしゃん、というあまりにも典型的な効果音付きで棚の中のものをひっくり返して床にぶち撒けた。
明らかにデザインが一昔前なレトルトカレーやらコーンスープの素やら袋詰めのお麩やらが散らばる真ん中で、日本号は雑にしゃがみ込んで頭を抱えている。

「すまんすまん、そんなに動揺するとは思わなかった」
「いやするだろ……っていうか見てたのかよ」
「たまたま目に入っただけさ。夜、厠に起きた帰り道に」
「ウワ〜〜〜見てるもんなんだなぁ……」
「気を付けろよ、付き合いたてのカップルの脳には虫が沸いてるって田島列島先生が言ってたぞ」
「誰だよ」
「列島先生っていうか探偵の明ちゃんか」
「だから誰」

ひとしきり頭を抱えたあと、日本号は気を取り直すみたいに細く息を吐いて、のろのろと周りの食材を拾い上げていった。

「男女の付き合いなのか?」
「まあな」
「どっちが先に惚れたんだ?」
「さてね」
「どっちから告白したんだ?」
「おい、思春期の人間みたいな質問やめろ……うわ、これいつ買ったんだよ、賞味期限8年前だぞ」

レトルトカレーを拾い上げながら顔をしかめた日本号は、腕いっぱいに抱えた食材たちを再び棚へ収める作業に移った。

「なあ、聞いてもいいか?」
「もう勘弁してくれ……」
「そう言うなって」

辟易したような日本号の声を軽い調子で押し返しながら、ボウルに卵を割り入れていく。

「きみは、あの子が不老不死になったらどう思う?」
「は」

卵を割る手を止めて日本号を振り返ると、日本号も同じように手を止めて、眉間にシワを寄せながらこちらを見ていた。

「嬉しいと思うか? それとも逆か?」

何言ってんだお前は、と顔に書いてある文言を読み取って、二択で答えられるよう選択肢を示してやる。
それでもなお口を閉ざしたまま、日本号は作業を再開した。考え込むように唸る声が聞こえるあたり、答えない気はないらしい。まぁ、即答できる内容ではないだろうな、とは思う。
日本号の答えをのんびり待ちながら、卵割り機としての仕事を再開する。

俺は、なんと答えてほしいのだろうか。
あの夢を見た直後に、こうして日本号と二人きりになる機会が与えられた。そういう偶然に勝手に意味を見いだしてしまったことは、日本号に対して少し悪いことをした、とも思う。
だが、多分あの子と日本号が恋仲であるのかもしれないという可能性に気づいた日から、俺はずっとこの問いの答えを日本号に聞きたいと、そう思っていた。

「嬉しいだろうな」

きっぱり言い切った日本号の声に、思わず手が止まる。

「そうなったらじっくり時間かけて日本全国の酒どころ巡って、あいつの行きたいところ日本中歩き回るな」
「いいねぇ、サイコーの旅じゃないか」

思いがけず前向きな答えが返ってきて、無意識に明るい声が出た。内心で「バカップルめ」と揶揄ったのは言わないでおく。

「日本だけじゃねーか、せっかくだし世界一周でもするかな。台湾の屋台で飯食って、ドイツでビール飲んで、南極かアラスカあたりでオーロラ見て酒飲んで」
「世界まで飛ぶか、愛だなぁ」
「だが、まぁ……」

愉しげに空想の旅行計画を並べていた日本号の声が、唐突に一段階低くなった。
横目で様子を伺うと、日本号はちょうど整理を終えたパントリーの戸を閉めるところだった。俯いた顔に薄く影が落ちて、男くさい顔立ちに思いがけず陰がさした。

「俺たち物には寿命がある。命の終わりがある。ただ人間より多少長く生きてるってだけで」
「……そうだな」

今まで絵空事を語っていた明るさは、叶わないと分かっているからこその戯れとしての明るさだったのだと、何となく気づいた。

「いつか、なまえを一人にする日が来るくらいなら、お互い有限なほうがいいのかもしれない……とは思う」
「きみ……」

言葉を短く切って、体ごと日本号のほうを振り返った。

「あの子のこと名前で呼んでるのか。やるなぁ」
「どこツッコんでんだ」

がく、と右肩を落とした日本号は、苦笑いのまま冷蔵庫を経由して、調理台へ戻ってきた。腕に抱えた袋入りのお麩とネギと、冷凍してあったほうれん草をどさどさと調理台の上に広げた。味噌汁用らしい。
槍と太刀が並んで作業すると少し手狭にはなるが、長い時間の中でその不便にも慣れ切ってしまったように思う。

「ま、そうだよなぁ……。俺たちはちょっとばかし長生きなだけで、もらった命には限りがあるもんな。そこは人と同じだ」

ネギを刻む日本号の隣で、あと数個の卵を割りながら呟く。

「だからこんなに、人が愛おしいんだろうな」

人、という曖昧な言葉を選んだことは、少しだけズルかったかもしれない。でも今はまだ、そういう広い意味を持つ言葉を使うことを許してほしいと思う。そうでなければ言えないこともあるのだということを、きっと日本号なら分かってくれるはずだ。

多分、俺たちのようなものが人を愛する時、その短い命の制限ごと愛さなければならない。そして人が俺たちを愛する時、その命の時間の差を受け入れなければならない。お互いの命を認め合わなければならない、その帳尻の合わなさすら愛さなければならない。
きっとそういう、厳しさのある道になる。
そうだとしても。

「よし、答えてもらった礼だ。俺からもいいこと教えてやる」

すべての卵を割り終えて、一際明るい声で言うと、日本号は「いいことぉ?」と、やや怪訝そうに片眉を上げた。失礼なやつめ。

「いいか。生きてるってのはなぁ」

今日見た夢を昇華するみたいに、鶴丸国永の言葉をなぞる。

「それだけでサイッコーなことなんだぜ」

口の端に笑みを含ませ、すっかり真面目な顔になった日本号を見上げる。

自分の口で復唱してみると、改めてその言葉の底抜けな明るさに、腹の底から勝手に笑いがこみ上げた。若干強引に感じるくらい、力強い言葉だった。
あの人がいなくなってから、死んだような気持ちでいた俺の時間を、再び動かしたのがあの子であるという揺るがしようのない事実は、俺を苦しめながら俺を生かした。
だけど、あの子からもらった言葉は、ほんの少しだけ嬉しかった。
生きているってのがそれだけで最高、というのは、きっとそういうことなのだろう。時間が動き続ける限り、そこにあるものはやはり不変ではいられないから。

「だから、めいっぱい楽しくやれよ、きみらはさ」

言いながら、卵のたっぷり入ったボウルに菜箸を突っ立てた。

「ああ」

日本号がはっきりと返事をしたのを聞き届けてから、卵をガシャガシャとかき混ぜ始めた。
それを合図にするみたいに、日本号も止まっていた手を動かし出した。

きみたちは、これから先に待つ、決して避けられないものを受け入れた上で一緒にいるんだろう。受け入れながらも、長い時間の中で互いを想い合えば想い合うほどに、最期の時はきっと悲痛だ。
だけど、それでも想い合うことを、共にあり続けることを、俺たちはきっとどうしたって諦められない。諦めてはいけない。
きみたちが最後、どんなに辛かろうと、俺はきみたちの選択を肯定し続けようと思う。あの子が、主が、俺の歪みかけた愛を否定せずに共有してくれた分の義理は、そこで返していこうと思うよ。

どうかきみらの愛が、少しでも明るくあれるように。