俺の名は獅子王。
ん? 本編に出てもいないのに突然なんなんだって? それもそうだ。じゃあ、とりあえず俺と、前の主の話をさせてもらおっかな。
俺はこの、結構な歴史を持つ本丸でもそこそこの古参でさ、本丸運営の一周年の時にはすでに人の体をもらってた。
前の主は根気強い人で、表にはあんまり出さないけど、負けん気も強い人だった。俺たちなんて、どう見たってクセの強いヤツばっかりだし、人としての感覚を掴むにもそれなりの時間はかかったし、それ相応に苦労したんじゃないかと思うよ。
でも、ちゃんと最後まで俺たちのこと考えてくれてたと思う。
前の主が死ぬ一ヶ月くらい前にさ、年賀状書くのを手伝ってたんだよ。
ちょうどプリンターが壊れたんだよなぁ。わざとらしいタイミングで、さぁそろそろ年賀状の準備始めるかって時に。ひっどいタイミングだったよ。
そんな訳で、宛名書きとか、何振りかで手分けしてハチャメチャになりながらやってた。前の主は必ず手書きのメッセージを添える方針な上に、結構量が多かったからさ。大変だったぜ、本当に。今にしてみれば、その苦労も楽しかったと思えるけどな。
多分、初めてだったんだよ、主の年賀状書くの手伝うなんて。毎年、宛名も表のイラストみたいなのも機械が勝手にやってくれてたから、あとは手書きのコメント添えるだけになってたし。
だからなのかは分からないけど、あの年、俺たちにも年賀状くれたんだぜ。宛名書きを手伝った奴らだけだったみたいだけど、ちゃんと手書きのメッセージ付きで。手伝いのお礼みたいな感じだったんだろうな。
当たり前だけどさ、俺、人から年賀状もらうのなんて初めてだった。宛名のところに、ちゃんと「獅子王」って書いてあったのが、何かすっごい嬉しかったんだ。
もらった年賀状には「今年もよろしく。一緒に頑張ろう」って書かれてた。もちろん、他にも色々書かれてたけどね。俺には「今年もよろしく」の一言が何より嬉しかった。
結局、その「よろしく」に応えられたのはひと月程度になっちゃったけど。
今の主のために力を尽くすことが、前の主の「よろしく」に応えてやることに繋がるんじゃないかって思ったんだ。
だから俺は、新しい主が来るって聞いた時、その人のために頑張るって決めた。
前の主が、これからもずっと、俺たちと一緒に頑張ってくれるつもりだったこと、知ってるから。そういう思いを無碍にしないために、俺は前の主のためにも、今の主のためにも頑張ろうって、そう決めた。
それが俺なりのけじめだと思ったから。
へ、その話は今の主には話さないのかって?
いや、だってホラ、手書きの年賀状嬉しかった〜とか言ったら、催促してるみたいにならないか? ま、そのうち話せたらいいよなあ。
秘密作ってそのまんまっていうのも何となく落ち着かないしな。
少しずつでも話していきたいって、そう思ってるよ。
*
「あ、あの……結構歩いたよね、獅子王くん」
「悪い! もーちょいだから! がんばれ主!」
なまえの汗ばんだ薄い背中を、両手のひらで支えるように押しながら、獅子王は声を大にした。
「わ! ご、ごめんごめん、押さなくても大丈夫!」
「あ、そう?」
焦るみたいに上ずったなまえの声に、獅子王は申し訳なさげに眉を下げた。どうやらくすぐったかったらしい。
若干へばりながらも何とか歩いてくれている主の隣を、人差し指の先で頬を掻きながら、意識的にゆっくりと歩く。
主を執務室から引っ張り出したのが、30分ほど前のこと。
ひろーい広い、本丸の端も端。木々が生い繁り、藪のようになっている、小山の道の先の場所に、この人に見てほしいものがあった。
「にしてもさぁ、政府も今日くらい休みくれたっていいじゃん。な? お彼岸だぞ?」
不満げな声を上げると、隣を歩く主は案外平気そうな顔で「仕方ないよ」と諦念を口にした。
「仕事だし。前期の戦績別研修会近いから、それに向けた提出資料書いたりしないとだしね」
「まぁそうだけどさぁ」
それにしたって、こういう日くらいは家に帰してやったっていいだろうに。
内心でボヤきながら、獅子王は拗ねた子どもみたいに唇を尖らせた。
本格的な秋に向け、少しずつ黄色みがかっていく木々の葉が、受け止めきれなかった白い陽光をぽつぽつと土の地面に落っことしている。
9月の、彼岸の入りの日。
真東から昇った太陽が、きっちりと正しく、極楽浄土があるという真西へ沈んでいく。この世とあの世とが繋がりやすくなる一週間の、始まりの日だ。
まあ、早い話がお墓参りをする日。
ご先祖さまのいる場所が近く通じるから、みんなこの日に供養をしようね、と。誰が決めたのかは定かではないけれど、仏教の風習を交えつつ日本風にアレンジされた、死んだ人に思いを馳せるためのイベント。そういう日だ。
「まあ、母からは帰ってこられないのかってボヤかれたけどね……」
気まずそうに眉を寄せ、苦笑いを浮かべた主は、一つ小さなため息をついた。
そりゃあそうだろうなぁ、と口の中でだけ呟いて、獅子王は腕組みしながら「ううーん」と渋い声で唸った。
できることなら、こういう日くらい帰ってきてもらって、一緒に亡くなった人のことを思ったりしたいだろうに。ことさらに、主の家は身内が亡くなってからそう時間が経っていないわけで。人間の家族の感覚が、実感として分かるわけはないけれど。
本当は、主だって帰って手ぇ合わせたいはずだよなぁ。
と、言ってしまうと、何の返事も帰ってこないような気がして、その言葉は飲み込んだ。
「あ、もうすぐそこだぜ、主!」
「わっ」
突然手を引かれ、前のめりになって走る羽目になったなまえは、訳も分からないままに足だけをばたばた動かした。
木々の繁っていた藪を抜けて、一気に拓けた場所に出る。きょろきょろと辺りを見回すなまえの仕草を見て、獅子王は歩く速度を落としていった。
「ここは……」
お天道様めがけて、真っ直ぐに整然と伸びる木々に囲まれたそこは、ちょっとした広場のようになっている。枝葉に光を遮られないおかげで、太陽の光がよく届く、明るい日向の草はらの土地。
その奥には、史跡でよく見るような石碑に似た石がある。
なまえは獅子王に手を引かれるまま、その石のもとへ歩み寄った。
「これは?」
「前の主のお墓」
主が息を詰めたのが、細い喉の小さな動きで分かった。
「て言っても、俺たちで勝手にそれっぽくしただけで、ここに前の主の何かがあるわけじゃないんだけど」
よっこいせと年寄りくさいことを言いながら、その場にヤンキー座りをした。この座り方がそういう呼ばれ方をしていると、教えてくれたのは前の主だったと思う。
「俺たちもさ、そこまで自由にフラフラ出歩けるわけじゃないし、そうなるとこの人の墓参りも満足にできないんだよな……ってなって、何振りかでこれ作った。あ、主がここに来るのが決まる前の話な」
「知らなかった……」
「うん、主が来たばっかりの頃、すぐにでも話しておこうかとも思ったんだけどさ、でも……家族でも何でもない奴らがこんなの作ってるなんて知ったら、ほんとうの家族はどう思うかって意見も出て、それで今まで隠してた」
墓前に供えられた花瓶にささっている菊の花びらを、人差し指でつつきながら話していた獅子王は、おもむろに膝に手をやった。そのまま勢いをつけ、思い切りよく立ち上がる。
「ごめん!!」
「へ」
がばっ、と音がしそうな勢いで、大袈裟に頭を下げた獅子王を前に、なまえは面食らうことしかできなかった。
「隠し事してたからさ……」
おずおずと、重たそうに上半身を持ち上げた獅子王は、動作のわりにはっきりとした口調で「でも」と言葉を続けた。
「今こうして主に話してるのはさ、主になら話してもいいんじゃないかって思ったからなんだよ」
「うん」
驚きは隠さないまま、しかし確かに深く頷いたなまえの様子に、獅子王は少しだけ肩の力を抜いた。
「俺、前の主のこと大好きだったんだ」
「うん……」
「結構長いこと一緒にいたからさ、この人はどんな風に年をとっていくんだろうなって、楽しみに思ってた。だから、前の主が死んで、それが見られないんだって思ったら……悲しかったんだよな」
かなり素直な物言いになったことを自覚して、ちょっと恥ずかしくなった。
それでも。
「でも、だから主が来てくれてさ、本当に嬉しかったんだぜ。主、親父さんに結構似てるから」
目元とかな、と声を弾ませながら、獅子王は自身の目元を指差して、歯を見せて笑った。
「主も好きで、前の主も好きで、だから、ここを秘密にするのはもうやめようって思った」
きっぱり言い切ると、主はようやくはにかんだような笑顔を見せてくれた。
いつだか、誰かが言っていた。主の笑った顔は、前の主によく似ていると。
確かにそれはそうで、だから主が笑うと嬉しい。でも、それはそれとして、主が少しでも笑って過ごせる時間が多くあればいいと、今はそう思っている。
「今日、彼岸の入りだろ? なのに主は墓参りできないしさ、だから今日ここのこと話そうって思ったんだ」
向き合って、決して明るいとは言えない長い話を根気強く聞いてくれていた主は、そっとその場にしゃがみ込んだ。
目の前の石に向かって、どことなく所在なさげに、ぎこちなく手を合わせる主の小さなつむじを眺める。
人が手を合わせる所作を見るたび、それを心底きれいだと思う。もういない誰かを思う時の、寂しくて、優しい姿だ。
「今日みたいに、お墓参りしたくても仕事で帰れない時は、ここに来てもいい?」
不意にこちらを向いたなまえの視線が、思っていたよりもずっと明るかったことに、獅子王は腹の底が喜びで沸き立つような気持ちになった。
「もちろん!! そのために主をここに連れてきたんだ」
「ありがとう」
力強く頷くと、主はほっとしたように片手で胸を撫で下ろした。
生きていれば、秘密なんてものはいくつも出来るもので。でも、生きていくうちに増えていったそれらを、少しずつ話していくことで、また距離が縮まるのなら。
少しずつでもいいから、ちゃんと話をしていきたいと思う。
主が好きだ。前の主も好きで、じっちゃんのことも好きだ。
好きだった人たちのことを決して忘れないように、その人たちに恥じないように。今そばにいる大切な人を大切にするのが、きっと今を生きるということだから。
前 後