「うわ、同田貫が電動ミキサーになってら……」
「なってねーーーよ」

据わった目で泡立て器をガシャガシャ鳴かせている同田貫は、唸り声でも上げ出しそうな、凶悪な顔を日本号に向けた。
厨に酒のアテを探しにきたら、これである。
剣を握るための太い腕に抱え込んだボウルの中身を、同田貫は言葉とは真逆な働きで、壊さん勢いのままにかき混ぜている。

「いや、なってるだろ……いま電動ミキサーばりの動きしてるよ、お前さん」
「俺ぁ刀なんだよ……なのに、こんなことに付き合わせてよぉ」
「たくさん味見させてあげるってば」

板チョコを包丁で砕きながら、苦笑いを浮かべたなまえが諌めるような言い方をした。その隣では、北谷菜切がほわほわとした笑顔で同じくチョコを刻みつつ、一連のやり取りを微笑ましげに見ていた。

「同田貫はあまがし好きなんだねえ、意外だったさぁ」
「疲労回復にゃ甘いもんがいいんだろ。だからだよ」
「なるほどなぁ」
「顕現して間もない時に、こいつにそう教わったんだよ。おかげで俺ぁいつの間にか甘党になってたんだよ……」

こいつ、と言いながら顎でなまえのほうを示し、同田貫はなおも卵白らしきものを泡立てまくっている。喋りながらスピードが落ちないのが地味にすごいと、日本号は妙なところで感心していた。

「で、何つくってんだ?」
「マドレーヌです。明日バレンタインなので、せっかくだから菜切ちゃんと一緒に作ろうかなぁと思って」
「で、近侍の同田貫が巻き込まれたと」
「そーいうこった」

どうやら卵白はいい具合に泡立ったらしく、同田貫は入道雲のように盛り上がったそれを台の上に置き、軽くストレッチでもするように肩を回した。

「チョコ入りのと、日本酒を使ったのと、マーマレード入りのと、三種類作るんです」

なまえは少し浮かれた声で、こちらに向けて指を1、2、3と、一本ずつ立てた。

「へえ、そりゃ大仕事だな」
「あはは、楽しいですよ。明日の朝に配りますから、楽しみにしててくださいね」
「ああ、俺は日本酒入りのがいいなぁ」
「ですよねぇ」
「うん」

短く返事をしてから、厨にある据え付けの棚のほうへ向かう。棚の奥からサラミの袋を見つけ出し、早々に厨を後にした。厨のほうからうっすら聞こえる「主は日本号が来ると、顔が赤ぁくなるねぇ」「嘘……」という北谷菜切となまえの会話を聞きつつ、明日の夜のことを考えた。
なまえと、ある約束をしているのだ。

次の日の朝、主手作りの菓子配布以後、大広間はものすごい賑わいとなった。
個刃的に主への贈り物を用意していたもの、あらかじめ作っておいた手作りの菓子を贈るもの、刀同士でチョコレート大交換会を行うもの。イベント事に興味がない奴らは、大概ホワイトデーに返礼をするらしいが、ここにいる奴らの大半が行事好きなため、バレンタインとホワイトデーの両方を楽しもうという奴が断然多い。
そういう奴らにワイワイガヤガヤと囲まれているなまえの顔が綻んでいるのを、日本号は後方からそっと見守った。



夜、主の執務室に赴くと、待ってましたと言わんばかりにそわそわした顔のなまえが出迎えてくれた。

「来たきた!」
「酒持ってきたぜ」
「おお、ありがとうございます」

薄桃色の瓶を掲げると、なまえは物珍しげに眺めてからそれを受け取った。
テレビ台の前にある卓上にそれを置くと、そわそわしていたなまえは満を持して、卓のそばに置かれたものを両手を広げて披露した。
なまえが新たに買った、二人掛けのソファである。

「どうですか、結構いいですよね!」
「お〜、どれどれ」

試しに腰を下ろしてみると、ソファそのもの自体から「体を支えよう」という意思が伝わってくるみたいに座り心地が良かった。
畳の上にも置けるようなローソファは、果たして自分のような長身でも寛げるのか心配だったが、やはり後ろに寄りかかれるのは有難い。片側だけだが、肘掛けがあるのも、腕の力が抜けてリラックスできる。

「ああ、意外と良い」
「ですよね!」

失礼します、と頭を下げて、なまえが隣にやってくる。

常々「テレビの前にソファが欲しい」と言っていたなまえが、ようやく購入に踏み切ったのだ。それで「せっかくだから早速このソファに座って、二人で一杯やろう」ということになった。

なまえがバレンタインに合わせて購入したのには、訳があるらしいことを、日本号は聞いていた。
バレンタインという行事、全員に同じものを配っていて、日本号だけに特別なものを用意するのは「公私の公のほうの自分がどうしても腑に落ちない」というなまえが、それでも何かしたいという意思のもと、これを買ったらしい。
二人の時間が、少しでも良いものになるような何かを用意できたらと、そういう考えがあってのことだったのだ。なるほど、この関係がある程度広まっているにせよ、わざわざこの関係を大っぴらにしていないなまえの考えそうなことだと、日本号は納得していた。
何にしても、こうして二人の時間を過ごせるのなら、それが何よりも一番なのである。それに勝るものなんて、多分ひとつも無いのだと自覚していた。

「やっぱり背もたれあると違うよな、だいぶ楽だ」
「ですねぇ、今まで人をダメにするソファしか無かったですしね」
「あれはあれでいいんだけどな」
「やっぱり安定感はソファのが勝りますね」

なまえが、あらかじめ卓上に用意されていた杯に酒を注ぐ間に、日本号は片手でそっと包むように持っていた包みを掲げてみせた。

「じゃ、さっそくこれでも頂くとするかな」

今朝、なまえが配ったマドレーヌ。全員分、ラッピングまでしたというから苦労が偲ばれる。ラッピングまで付き合わされたらしい同田貫が、慣れないであろう作業に疲弊した様子で愚痴まじりに語っていた。なんだかんだ三種類分の味見はきっちりしたらしく、その点においては満足していたらしかった。

「それ、まだ食べてなかったんですね」
「ああ。だから甘いもんにも合う濁り酒もってきた」
「ペアリングが流石すぎる……」
「せっかくこうして二人になる時間があるんだしな、どうせならあんたにちゃんと感想言いたいだろ」
「プレッシャーだぁ」

言葉とは裏腹な笑顔で、なまえは日本号がマドレーヌを齧る様子をじっと眺めた。
表面がしっとりした生地は、食べてすぐ口の中に酒の香りが広がっていく。甘口の酒を使っているのだろう、砂糖の甘みやバターのコクと上手くはまっていた。

「んん、美味いなぁ」

思わず感嘆の声がこぼれるくらいに美味かった。酒も濁り酒で正解だったと思う。酸味が少なくまろやかで、互いが互いの邪魔をしないのが良かった。

「マドレーヌ、アルコール飛んじゃってませんか?」
「全然。これ、焼いたあと表面にも酒塗ってあるだろ」
「あ、分かりました? 菜切ちゃんのアドバイスなんです」

へへ、と照れたように笑いながら、なまえは人差し指でこめかみを掻いた。

「お酒が好きな方用に作ったので、思い切って増し増しにしてみました」
「うん、美味い、本当に」
「良かったぁ」

なまえは安心したようなため息を吐きながら、へなへなとソファの背もたれに身を沈めた。
気づけば、たった三口で食い終わってしまったことを、ほんの少しだけ後悔した。それだけ美味かったということだ。
ごちそうさん、と言う間にも、隣から受ける視線がどうも熱心なことに気づく。

「どうした?」

手についた油分をティッシュで拭き取りながら、横目でなまえのほうを伺うと、なまえは分かりやすく表情を固まらせた。
それから、赤くなった顔を隠すように目を逸らして、

「日本号さんがマドレーヌ持つと、マドレーヌが小さく見えるな〜、手大きいなぁ……と、思って……」

なんてことを、口の中でごにょごにょと言った。

「何だぁ? つまり見惚れてたってことか?」
「改まって言われると恥ずかしいのでやめてください……」

嬉しくなって、調子のいいことを言うと、なまえはソファの上で抱えた膝の中に顔を埋めた。大袈裟なくらい照れるのが、愛情表現そのままのように思えて、勝手に口元が緩んでいく。
そうやって、折に触れて、俺が特別だってことを思い知らせてくれれば、俺はそれでいいよ。
そうやって、日々を過ごしていけたらいい。
丸くなったなまえの、丸い頭を眺めながら、心の中で小さな独占欲が満たされるのを、こっそり感じていた。