「大千鳥十文字槍。日本一の兵が使ったとされるゆえ、日の本一の槍であるといえる」

年末年始の連隊戦も終了間近な、一月中旬のこと。
目の前で、桜をヒラヒラ舞わせる槍の大男を前に、なまえは感動で打ち震えているらしい胸を抑えていた。

「さ…………真田の槍だ……」

呼吸が乱れるなまえの様子に若干引きながら、日本号はその様子を隣で見守っていた。
なまえが大河ドラマ好きで、なかでも真田の大河が好きらしいということを、何となくは知っていたが。まさか、ここまでのものとは。
思えば、連隊戦で真田の槍が手に入るかもしれないと知った時から、なまえの気合の入りようは並々ならぬものがあった。出陣した連中の士気も高まったので、まあ結果オーライではあったのだが。
で、今この有様である。まさか、こんなに分かりやすく動揺するほどだったとは。
しばらく感動に浸っていたらしいなまえは、急にハッと正気を取り戻し、大千鳥十文字槍の手をがっしりと掴んだ。

「これからよろしくお願いします。そして真田丸を見ましょう。一緒に。今から」
(全然正気じゃねぇ……)

日本号は内心でずっこけながら、目を輝かせるなまえに野暮なツッコミを入れるのも気が引けて、おそるおそる大千鳥の様子を窺った。

「真田丸……大坂の陣……戦か?」
「あ、いえ、えーと大河ドラマといって、1900年代から2000年代に渡って続いた、歴史を描いたドラマで……あ、ドラマというのはですね」

なまえの喋りに短く受け答えする大千鳥を見るに、引かれている様子は見受けられなかった。引くというか、とにかく訳わからん、というのが顔に出ている。
助け舟を出してやった方がいいかもしれない。大千鳥のためにも。主の威厳のためにも。

「あ〜ほれ主、とりあえず本丸案内しないとだろ。真田丸は後にしな」
「あっ、そうですよね、すいません。じゃあ本丸案内した後に! 見ましょう真田丸を!」
「……? ああ分かった」

と、初日からこんな具合で、真田の槍に興奮し通しだったなまえは、無事その日のうちに真田丸1話を大千鳥と一緒に視聴したらしい。大千鳥もなんだかんだで楽しんでいたらしいと聞いたので、まあ別に構わないのだが。

大千鳥の部屋は、槍プラス村正部屋に決まっていた。大千鳥が来ることを想定し、事前に少し大きめの部屋へ引っ越しを済ませていたので、気兼ねなく歓迎してやれた。
こうして本丸に新たな仲間、大千鳥十文字槍が加わったのであった。
が。

「今の見た!?」

演練場。
人の身をもって戦場に出たことのない大千鳥のため、演練をしに行った時のこと。
次の演練を控える第二部隊の隊長である同田貫の肩をしっかと掴みながら、演練の様子を見ていたなまえはたいそう目を輝かせた。

「あの動き、真田丸45話完封回で作兵衛が振り払った敵兵を源次郎が馬上から突き倒した時の如き槍さばきじゃないですか!?」
「うるせ〜」

どうでも良さげな同田貫に一言で突っ返されても、なまえはなおもいきいきとしていた。たまたま隣にいたのが、なまえが自分で顕現し、すでに極の修行にも出、気心の知れた同田貫で良かったと、こっそり思った。
なまえときたら、大千鳥のこととなると脳みそが真田丸に直結してるんじゃないかというレベルですぐに真田の話をし始める。大千鳥をきっかけに、真田トークに余計熱が入るようになっちまっている。
人の口から語られる話を積極的に聞きたい、という大千鳥的にも、それは悪い気はしないらしい。
どうやら件の大河を気に入ったらしい大千鳥が、出陣に際して「各々、抜かりなく」などと言おうものなら「大千鳥くんの言い方はやっぱり大殿っていうより源次郎に近くていいな〜」などと嬉しげに笑う。同田貫が気の抜けた声で「うるせ〜」と言う。後ろで見てる俺が呆れる。ってなもんである。

そういう日々が何日か続いてみて、さて日本号はというと、うっすら陰る自分の胸の内に気づき始めていた。
あ、これはやべーな、と。
自分の内側で燻る、厄介な感情に気付いてしまった。
なまえのきらきらした目が、近頃はもっぱら大千鳥のほうへ向けられてる。弾んだ声がこっちに来ない。
とか、そんなことでモヤつくなんざ、まるで恋愛に溺れた未熟者の色キチのようではないか。いや前からその気配はあったが。正直、こんなもんを表に出しちまったら格好がつかない、と思う。
ふと、いつだか乱が言っていたことを思い出した。
刀剣男士と主という関係がある以上、嫉妬とは普通に有り得る情であるということ。道具の嫉妬の話。他より主の役に立ちたい欲があるのは、道具であればこそ当然のものである、という話だった。
物として、同じ日の本一を謳う物同士として、張り合うような気が無いわけじゃない。当たり前だ、誰より一番を常に目指してこその「日の本一」なのだから。
だとしても、それだけかと聞かれたら、違うのだ。違うと断言できてしまう。こっ恥ずかしいことに。
人が何者かを想うとき、誰にでも付き纏う厄介なものが付随していやがるのだ。
そうして何となく気付きながらも、日本号はそれに無理やり蓋をして過ごした。そうして宥めていれば、そのうち消えてくれるだろうと、たかを括っていた。

で、二月の頭。
なまえが新しい部屋を見にやってきた時のことだった。

「みなさん、新しい部屋で過ごしてみていかがですか?」

部屋の入り口で、障子戸を開けた格好のままそれぞれの顔を見回したなまえの問いに、日本号は何となく急くような気を抑えながら返事を返した。

「野郎五人一部屋なんざむさ苦しいとは思ったがな、まぁなんだかんだ楽しくやってるぜ」
「そうですか、それなら良かったです」

なまえは、ほっと胸を撫で下ろしながら笑顔を溢した。
部屋の変更は、刀剣の数が増えれば仕方のないことだ。現に、部屋替えを行った奴は他にもいくらかいるから、特別珍しいことではなかった。

「刀が増えると楽しいよなぁ。引っ越しも楽しかったしな」
「御手杵くんは引っ越し慣れてるもんね」

御手杵のように、引っ越しという行為そのものを面白がる奴もいるわけだ。

「案外、部屋替えってのも悪くないのかもしれないよな」
「部屋の雰囲気が変わるのって、気持ちも切り替わるし、いいですよね」

あ、けっこう普通に会話できてるな。良かった。
そういう当たり前のことで、いちいちホッと胸を撫で下ろしたりするのが、余計にカッコ悪い感情を抱いていたことの裏付けみたいに思える。
一人で頭を抱えたくなっているうちに、気づけばなまえの視線は大千鳥のほうへ向いていた。

「大千鳥くん、人の体には慣れましたか?」

そわそわと大千鳥に話しかけるなまえの様子を見て、日本号は口には出さず短く呻いた。

「ああ、だいぶ」
「そっか、良かった」
「時間があったら、また真田の語り種を聞かせてくれ」
「も、もちろん!」
「戦にも出してくれ」
「ハイ喜んで!!」

居酒屋みてーな返事、と思いながら、それを口にする気も起きず、不貞腐れるような内心を隠すように目線を横に逸らした。

「ん? 日本号なんか元気ないな? あ、海老せん食うか?」
「元気なくねーしいらない……」

妙な気をつかう御手杵に向かって、手をヒラヒラと横に振った。
もう、これは、このままじゃあ駄目だ。



「あれ、日本号さん」

夕飯を終え、予定していた出陣も終えた後、日本号はなまえの自室を訪ねた。
本棚のそばに腰を下ろして、本を読んでいたらしいなまえの明るい瞳が、自分だけを映していることに、息が詰まるような心地がした。

「どうしたんですか?」

部屋の入り口から動こうとしない日本号の様子を、不思議そうに見上げながら、なまえは目を瞬かせた。
喉の奥が、変に乾いている気がする。心臓が素早く脈打つのが分かる。
たまらなくなって、はやる気持ちを抑えながらそばに寄っていく。こうしてなまえが座っている姿を見下ろしてみると、不安になるくらい小さく感じる。
ほとんど体が触れ合う距離で、向かい合うように腰を下ろした。そうして、すぐそばにある滑らかな形をした肩に顔を埋めた。

「……え、え」
「俺も日の本一だが」
「え」
「槍だし」
「は、はい」
「もこみちに飲み取られたこともあるし……」
「軍師官兵衛?」
「真田は確かに華があるけどよ〜……」
「……ん?」

脈絡なく馬鹿みてーなこと言ってる気がする。景気付けに酒飲んだのが良くなかったかもしれない。
頭で分かっていながら、日本号はほとんど突き動かされるように言葉を継いでいった。

「に、日本号さん、あの……」

焦りを滲ませた声で、なまえに名を呼ばれた。

「なまえ」

名を呼び返しながら頭をもたげると、顔を一面真っ赤にしたなまえと目が合った。純粋な驚きだけが滲んだ、黒色の瞳。
目にかかりそうな前髪を、指で梳くようにどかしながら、ほとんど息もせずに唇を押し付けた。
こんなこと、この人にしていいのは自分だけなんだと思うと、ずっと燻っていたものが少しだけ満たされた気がした。

「あ、あの……」

赤面状態のまま固まっていたなまえが、ようやく口を開いた。

「す、すいません、でした……私、大千鳥くんが来てくれて、ちょっと浮かれてて……」
「ちょっと浮かれてたなんてもんじゃねーよ脳みそ真田丸に直結してたよ」
「うう……」

ぐうの音も出ないのか、なまえはがっくりと首を垂れた。色々察してくれたらしい。
とはいえ、こっちだってもう少し早くに本心を打ち明ければ良かったのかもしれない、とも思う。素直になるのに時間をかけすぎた。そのせいで、今こんな形で欲を満たしているわけだから、どっちもどっちと言われればそうだ。

「あの……私にとって、そーいう意味合いでの『好き』って気持ちを向けるのは日本号さんだけで、それは今までも、これからも変わらない、ので……」

たどたどしく伝えられた言葉に、一気に体の力が抜けていった。力の抜けるままに、またなまえの肩のあたりへ顔を埋める。ぎこちない手つきで頭を撫でられて、勝手に口元が緩む心地がした。

ついさっきまであった燻りは消えていて、途端に恥じ入るような気が湧いてきた。あまりにも余裕がなかったと思う。
人の恋路ってのは、こんなもんすら受け入れながらやっていかなきゃならねぇのか。恋愛ってのは、どんなヤツでも、どうしようとも、総じてカッコ悪くなっちまうもんなのかもしれない。
格好悪い、バカみたいだと分かっていながら、それでも妬みだ嫉みだと向き合って、それから相手と向き合って。そうしてまた気持ちが深くなる。
多分、こんなことを繰り返していった先で、今よりもっとこの人のことを好きになるのだろう。