『この刀は山姥を切った刀なんだ、ってことを信じた人間が、山姥切長義にも、山姥切国広にもいた。そういう人がいたという歴史があって、今の君らの関係性があるんだろうねぇ』
『事実と反することを吹聴する輩がいるのは大いに困るんだけれどね』
『あはは、人間は昔から噂話が好きだからねぇ。困ったもんだ』
『わ、笑ったな君……全く、まるで他人事のように言うじゃないか、君も人間のくせに』
『うん、そうだね……そうだ。だから長義は、長義を山姥切の刀と言い伝えた人たちがいたことを、たまにでいいから思い出してあげてほしい。これは、そういう彼らと同じ人間であるおれからの頼みだ』

言われたのは、『山姥切』の名について話をしていた時だったと思う。

少しだけ「はぐらかされた」と思った。が、下手に「刀同士でいがみ合うな」とか牽制されるよりも穏やかで、それでいて、案外ちゃんと巻き込まれてくれているな、と思った。同時に、素直な言葉だと思った。
人間の、血の通った温かな言葉だと、これこそが、この言葉という実態のないものこそが、今ここに立つ自分の血肉を作っているのかもしれないと、そう思った。
それから、なんだか今生の別れのようなことを言うな、とも思った。

思ったことは覚えているのに、何と返事をしたのかは曖昧にしか覚えていなかった。不思議なもので、実際に口に出したことよりも頭の中で考えたことのほうが記憶に残っていたりする。口にすることで、頭の中からすっかり出ていってしまうのだろうか。
分からないけれど、俺は今でもその言葉通りにしているし、そうして彼らのことを思い出すたびに、言葉を寄越した彼のこともまた思い出すのだった。

「何か……」

呪いみたいだ、と呟きそうになって、夜の暗い廊下で呟くにはあまりにも陰気臭い言葉だったので、やめておいた。
執務を終えて、自室に戻るところだった。

「おやぁ、長義じゃないか」

ふと、廊下の先の明るい一室からひょっこり顔を出す刀と目が合った。

「大般若長光」
「やあやあ、近侍だったっけ? お疲れ様」

今日も元気にほろ酔い気分らしい大般若長光に呼び止められて、部屋の前で足を止める。次郎太刀と太郎太刀の部屋だ。

「また飲み会かい?」
「そう、よかったら長義もどうだい? 仕事落ち着いたんだろ?」

部屋の中を覗くと、丸く大きなこたつを次郎太刀、太郎太刀、日本号、不動行光が囲んでいるのが見えた。こちらに気づいたらしい面々が、揃いも揃ってゴキゲンな顔で手招きしている。

「明日もあるし……一杯だけなら」

こたつの存在と、つまみの美味そうな香りに心惹かれて、「一杯だけ」を強調しながら頷く。

「よし、カモンカモン! ホラみんな、うちの秘蔵の長船ッ子だよ〜!」
「なんだい秘蔵の長船ッ子て」
「よぉ〜し一名様ご案内〜!」

ハイテンションな大般若と次郎太刀に肩をバシバシ叩かれながら入室し、比較的大人しくしている不動行光の隣にさりげなく避難した。

「ね〜山姥切長義クンは何飲む? ポン酒? ウイスキー? 焼酎? ビール?」
「ハイボールで」
「はいはーい! 今用意するね!」

居酒屋よろしく注文を取った次郎太刀は、いそいそと準備を始めた。有難いが量は控えめにしてほしい。

「いま近侍なんだっけか、お疲れさんだなぁ」

言いながら、太郎太刀と駄弁っていた日本号がいつの間にか水を用意してくれていた。悪酔いしないために、ということらしい。

「ああ、ありがとう」
「おう」

水を受け取ると、日本号は太郎太刀との会話に戻っていった。

主と日本号が付き合っている、ということは、だいぶ前に知った。
刀剣男士と審神者がそういう関係になることは珍しいことじゃないから、そこに驚きはしなかったにしても、日本号が主からの想いに応えたということには多少驚いた。
正直、主が日本号を好いているらしいのは見ていて気づいたが、それに日本号が応えるとは思っていなかったのだ。
あのプライドの高い槍がねぇ、と思いながら、まあ別に任務に支障がないなら勝手にすればいいと思って、特に口出しはしないでいる。

「はいよーん、ハイボール一丁!」
「ノリが居酒屋だなホントに」

次郎太刀に出されたハイボールを手元に寄せる。つまみとして出されているおでんに箸を伸ばした。

「はい、取り皿」
「ああ、すまないね」

不動が差し出してくれた皿に大根とはんぺんを乗せて、まずは大根を腹に収めた。太郎太刀が作ったらしく、よく味が染みていた。

「美味しいよねぇ、太郎太刀のおでん」

一人だけ米麹の甘酒を飲んでいる不動の、穏やかな言葉に頷く。

「うん、彼のおでんは昔から美味しい。味が染みて柔らかくなるまで待てるタイプだからだろうね、きっと。せっかちな奴に任せると、こんな美味くはならない」
「あはは、確かに」
「おでんをおかずにするというのはいかがなものか、とかいう奴らもいたが、彼のおでんなら文句は出なかったな。前任も好んでいたよ」
「そうなんだ、前任さんもかぁ」

自分で話題に出しておきながら、らしくもなく感傷的な気持ちになった。馬鹿みたいだ、と首を小さく横に振って、ハイボールを口にした。

「俺、前任さんと会ったことはないけどさ」

不動が竹輪を箸でつまみながら、静かに言った。

「こうしてたまに話を聞けるのは嬉しいんだ」
「へえ、何故?」
「主が好きだった、尊敬してた人のことを知ることができるのは、嬉しいよ。主のこと、もっと知りたいと思うから」
「……ふうん」
「だから、前任のこと……辛いだろうけど、話して聞かせてくれる、ここの刀が好きだし、そういうの話しやすい空気にしてくれてる主も好きなんだよ」

つまんだ竹輪を一口かじって、しばらくもぐもぐと咀嚼した後、喉を鳴らした不動は、穏やかな笑みを浮かべた。

「辛いから聞きたくない、言いたくないっていう人もいるだろうし、それは俺もよく分かる……んだけど、でも、今の本丸の空気が、俺は好きだなって思うよ」

各々好きに喋っている他の刀に、聞こえるか聞こえないかくらいの声で、不動は静かに話した。

「そうか」

きっと、こうして花の咲くような賑やかな場でも、前任、彼の話は出てくるのだろう。そうすることで、救われるものがいるのだろう。
本丸のはじまりから、彼と共にあったもの。作ったものを「美味い」と言ってもらえたもの。そういう、ここの物語を、聞いて今を知ろうとするもの。
故人の思い出話とは、その人の供養にもなると同時に、生きた人の救いにもきっとなり得る。

「うん、そうだね」

俺もだよ、という、飲み込んだ同調が、それでも伝わってしまいそうな相手だと思った。
でも、それでもいいのだと思う。それこそが、思い出話に花が咲いたことの証なのかもしれないから。
もらった言葉が呪いのように染みついていようとも、きっとそれは優しい呪いだ。解けないことが、むしろ俺を強くしてくれるのだと信じて。
そして、今の本丸を統べる彼女のことも。

「じゃあ、これを飲み終えるまではゆっくり話をするとしようかな。酔っ払いとじゃなく不動とならゆっくり話せそうだし、不動となら」
「あはは、何か棘あるな〜」