元旦、夜。
実家に帰省していたなまえが疲弊した様子で帰ってきた。

「あーいや、大丈夫です。久々に実家戻って気疲れしちゃっただけなので」

と、心配して駆け寄ってくる刀たちに明るく返しながら自室へ向かうなまえの横顔が、少しだけ不健康に白いことが、気にかかって仕方なかった。
夕飯は食べてきたから、と早々に部屋へ戻っていったなまえの背中を見送りながら、日本号はふと思い立ち、冷蔵庫の中身を脳内で物色した。
前に買っといたアレと、確かアレもあったはずで、アレは昨日の残りがあった。うん、よし。いけそうだ。
頭の中であれこれと材料を組み立てつつ、部屋へ戻っていったなまえの足取りを追いかける。

「おい、入っていいか?」
「日本号さん?」

廊下から声をかけると、なまえはすぐさま部屋の戸を開けた。その顔には、やはり疲労の色が滲んでいるように見える。

「今、時間あるか?」
「え? はい、大丈夫ですよ」
「じゃ、ちょいと一緒に来てくれねぇか」

立てた親指で廊下の先を指し示すと、なまえはきょとんと目を丸くしながら「どこへ?」と不思議そうな声を上げた。

「うまいもん作ってやる」



厨へ向かうみちみち、日本号はなまえが留守にしていた間の本丸の様子を話して聞かせた。
和泉守が酔っ払って一文字則宗にお年玉をせびったこと、それにキレた日光と和泉守が何故かカルタで決闘することになったこと、最終的には本丸大カルタ大会に発展して結局前田が優勝したこと、などなど。
「いいなぁ、みんなでカルタ。私も一緒にやりたいな」と和やかに笑うなまえを前に、カルタが障子を数枚破る、壁に刺さる等々凶器と化す地獄っぷりだったことは伏せておくべきかもしれないと思った。
そうこうしながらたどり着いた厨の暗い壁を探り、電気をつける。数時間前まで火を使っていたからだろうか、肌寒い廊下よりも、いくらかは暖かかった。

「なに作るんですか?」
「うまいもん」
「それはさっき聞きました」

かすかに笑い声を含んだような声を受け止めつつ、冷蔵庫を漁る。
鴨肉、ネギ、晦日に食べた蕎麦のそばつゆの余り、それから柚子。

「あの、お手伝いしますよ」

なまえは、あれこれと食材を手に取る日本号の肩越しに冷蔵庫を覗き込みながら、遠慮がちに言った。

「疲れてるだろ、座ってな」

なまえを振り返りながら、厨の真ん中にあるテーブルを指差す。
テーブルは基本、調理の際の作業台として使っているものだが、呑兵衛どもはここでつまみを作ったそばから飲み始める、なんてこともしばしばだ。そういう習慣が出来上がって以来、ここには簡易だが丸椅子がいくつか常備されるようになった。
自分が調理する間、なまえにはそこで待っていてもらって、という想定だったのだが。

「でも、あの、日本号さんと一緒に料理してみたいんですけど……」

なまえは眉を下げ、はにかみながら、照れ隠しのように視線を落とした。
言われてみれば、厨で並んで二人で料理、なんてことはしたことがない。
時折、菓子作りを好む刀とともに息抜きで厨に立つこともあるようだが、基本的に主たるなまえが炊事をすることはあまりない。前任の料理の腕がからきしだったため、その頃からの主抜きでの当番制が今も生きているのだ。
こういう機会がなければ、二人並んで厨に立つことなどそう無いことかもしれない。想像していたシナリオではないが、それも悪くない気がしている。

「じゃ、ほれ」

手にしていた太めのネギをなまえに渡しつつ、他の材料を抱え込んで冷蔵庫の戸を閉めた。

「ネギ切ってくれ。鍋に入れるような感じで」
「はい」

嬉しげに跳ねるような短い返事をしたなまえは、受け取ったネギ片手に調理台のほうへ向かった。鼻唄でも聞こえてきそうな背中を愛おしげに見つめながら、日本号はその後に続いた。

「鴨肉ですか?」

まな板を取り出しながら、なまえは日本号の手元を覗いた。

「そ。こないだ見かけて買っといた」

削ぎ切りの鴨肉が真空パックで冷凍にされたものを、そのうちなまえと食べようと思い、買ってきておいたのだ。

さて、まずは下準備。
そばつゆは小鍋にうつし、弱火にかけておく。
深さのあるフライパンを火にかけ、解凍しておいた鴨肉を並べる。脂がしっかりついた面を下にして敷き詰めていくと、徐々に脂の爆ぜるような、小気味良い音がし始めた。両面を焼き、しっかり火が通ったのを見計らって、肉は一旦皿の上に避難させる。

「ネギ、切れましたよ」
「じゃあここん中入れてくれ、ザーッと全部」

はい、と行儀のいい返事をしながら、なまえはまな板の上からネギを掴みあげ、フライパンの中へ散らしていった。太くつやのあるネギを、鴨から出た脂の上でごろごろと転がしてやる。

「あとは柚子の皮だな。薄く剥いといてくれ。イメージとしては桜の花びらみてぇな感じだな」
「ふふ、はぁい」

なまえは「分かりやすくて風流な例えですね」と、愉しげに肩を揺らして笑いながら、ゆずを手に取った。

「レシピ本とか出版できそうですね」
「意外な才能見つけたかもな」

駄弁りながら、脂を纏わせたネギに焼き色をつけていく。時折フライパンを揺らしてやって、均等に焦げ目がつくようにしてやる。
良い具合に焼き色がついたところで、鴨肉をフライパンへ戻し、熱いそばつゆをぶっかけた。じゅわ、と一瞬大きく鳴いた後、鴨肉とネギを飲み込んだそばつゆはグラグラと表面を揺らした。
火を止め、2つ並べた小皿に鴨肉とネギを盛り、上からそっとそばつゆをかけた。仕上げになまえが用意してくれたゆずの皮を舞わせてやれば。

「ほい。鴨ぬき、一丁あがり」
「ぬき?」
「鴨蕎麦から蕎麦抜いたやつだから、鴨ぬき」
「へえ、そんな料理があるんですね」

なまえは皿の中を覗き見ながら「知らなかった」と声を弾ませた。

「蕎麦屋で酒やりたい奴ぁ、蕎麦が伸びちまうから蕎麦ぬきで頼んだりするんだよ。裏メニュー的なやつだな」
「へえ、孤独のグルメに出てきそうですね」
「なにそのコメント……あ、なまえは酒は飲ま……ねぇか、疲れてるもんな」
「あ、でも一杯だけ頂こうかな……」
「大丈夫か? 無理はするなよ」
「はい、少しだけ頂きます」

なまえの返答を受け、自分用の杯となまえのものとを棚から取り出し、卓へ運ぶ。二人前の鴨ぬきを卓上へ並べたなまえが腰を下ろした、その反対側の椅子を引いた。あらかじめ卓上に出しておいた酒瓶を手に取ったなまえから酌を受け、杯の中を満たしていく。

「ちなみに、昔の蕎麦屋じゃあ一見さんにぬきは出さない、なんてこともあったんだぜ」
「え、何でですか?」

なまえの杯に酒を注いでやりながら、他愛ない雑談を挟む。

「蕎麦屋のプライドだろーなぁ。蕎麦で店出してるところに蕎麦抜けと来たら、カチンとくるのも分からなくはねぇ」
「なるほど〜」

感心したように頷きながら、なまえはそわそわと箸に手を伸ばした。

「じゃ、食うかねぇ」
「はい、いただきます」

ご丁寧に手を合わせ、頭を下げてから、なまえは箸の先で鴨肉をつまみ上げた。
口に入れ、しばらく肉を噛み締めていたかと思うと、何かに堪えるように口元を抑えながら、今にも桜の花びらを散らしそうな顔を作った。

「はは、美味いか」
「んまいです……!」
「そりゃ良かった」

内心で安堵しながら、同じように鴨肉から口に入れる。
脂は甘く、脂の溶け出したつゆがまたたまらない。焼いたネギは香ばしく、後から入れたゆずの香りもほのかに鼻から抜けていった。

「脂が甘い気がする、ほっとする〜……」

自分が内心で思ったままの感想を、そっくりそのまま口にしたなまえの表情が柔らかくなったのを見届け、ゆっくりと杯を傾ける。

「少しは元気出たか」

杯を片手に、上目遣いがちに顔を覗き込んでやると、なまえは忙しく鴨を噛んでいた口の動きをむ、と止めた。

「あー……」

ややあって、口の中のものを飲み込んだらしいなまえは、気まずそうに目を逸らしながら口を開いた。

「実は、実家で親とか親戚とかから色々言われまして……」
「色々」
「いつまで審神者続けるつもりなのか〜とか、結婚しないのか、とか……」
「あ〜」

合点がいった。それで、いつも以上に疲れて見えたのか。

「私は仕事辞めるつもりは毛頭ないし結婚する気もないって言ってるのに……ずっと同じ話されて、挙句結婚して子育てしてる姉を指差して『あんな風に幸せになりたくないの?』って……いや私の幸せは私が決めますからって思いつつ、わざわざ元旦から空気悪くするわけにもいかずニコニコ笑って誤魔化して……て」

まだ酒をいれていないにも関わらず、一息で夢中になりながら言葉を継いでいたなまえは、はっとしたように息を止めるや、しおしおと肩を落としていった。

「すいません、愚痴みたいになっちゃって……」
「いや、お疲れさんだなぁ」

親類縁者だからといっても、ままならないことは多々あるのだろう。いつの世も、血の繋がりというコミュニティにいざこざが付き纏うのは珍しくないことだ。
しかも、なまえの場合は審神者という特殊な仕事についている。その分、周りからの無理解に苦しめられることは案外常であるのかもしれない。とはいえ、大事な娘を訳の分からぬ仕事につかせ続けることが不安だという気持ちも理解できる。
で、さらに、人でないものと結ばれたときている。そういう、言ってしまえば非常識を数多抱えているなまえが『普通の日常』へ戻って疲弊するのは、当然のことなのかもしれない。

「やっぱり早く行ったほうがいいんじゃねーの、俺」

年末に話したことを思い返しながら言うと、なまえは「そうですよね……」と、ため息混じりに呟き、伏し目がちに頷いた。
せめて、なまえの抱える辛さを共有してやれるようになったほうがいいのではないか。というか、共有してやりたい。半分持ってやることができるのなら、迷わずそうしてやりたい、と。これは、ずっと考えていたことだ。

「じゃあ、春頃にでも行けるように、予定調整してみますね」
「ああ」

ふう、と息をつきながら、なまえは天井に向かって腕を上げ、思い切り伸びをした。
その仕草が何となく犬猫を思わせて、思わず口元が緩む。

「今はとりあえず、それ食って元気出しな」
「はい、ありがとうございます」
「なまえ」

唐突に名前を呼ばれた本人は、不思議そうに目を瞬かせた。

「おかえり」

目尻が溶けるように下がるのが抑えられないままに、一番言ってやりたかったことを口にする。
労ってやりたくて選んだ言葉は、しかしどこか甘えるような声音になってしまった。
顔いっぱいで笑ったなまえは、やはり笑顔の滲んだような声で、一番ほしい言葉をくれた。

「ただいま」